ADHD。注意欠陥多動性障害。発達障害のひとつだ。
脳の器質の加減で、ひとつのことに集中し続けたり、じっとしていることが難しい。
物を整然と片付けたり、物事を順序立てるのも苦手だ。
ルールを意識することも難しい場合があり、言葉でわかったと言っても、行動が伴わないことも多い。
同じミスを繰り返す傾向も強い。
中には、相手の気持ちを察する力が弱く、あえて嫌がらせをしているのか?と思うような言動が絶えないケースもある。

「そう。だとしたら、言葉で何回注意したって行動が変わることは期待できない。だから静江先生は注意するんじゃなくて、あの子が興味を持つような教材を用意して、惹きつけて落ちつけるよう工夫していたのよ。」
「そうだったの。知らなかった。そのこと、次の担任に引き継がなかったのかな?」
「引き継ぐに決まっているじゃない!静江先生はあの子がADHDだとしたら、専門家の支援が必要だから、是非受診をするよう、お母さんに再三勧めてきていたの。そのことも、当然引き継いだ。だけど…。」

なるほど、とスミレ先生は思った。
ほとんどの小学校には支援級があり、障害をもった子どもたちが学んでいる。
しかし、小学校教師がすべて、そういった子どもたちのことを理解しているかと言うと、残念だがそうではない。
支援級の担任をやりたい教師はそれほどいないし、交流級として、支援級のこどもたちが授業によってやってくることでさえ、面倒に思っている教師も少なくない。
まして、通常級にいるこどもたちの行動が定まらない時、それを発達障害と気付かず、親のしつけのせいだとか、教師の教え方のせいだとしか考えられず、苦しむことが結構あるのだ。

スミレ先生は高校生の時、保健の授業で聞いた言葉を鮮明に覚えている。

幼いうちに障害に気付いて、特別支援学校で学んでいる人たちの数はどんどん増えている。普通級の中にも発達障害と呼ばれる障害をもった人たちが学んでいることがある。その数は6.3%と言われているから、だいたいクラスに1人か2人ずついる計算だ。もし、このクラスにいないとしたら、どこかの学校、どこかのクラスに4人とか5人とかいるのかもしれない。そして、忘れてはならないのは、子供ひとりには必ず、親がふたりいるということだ。君たちの中の2人から10人ほどは、将来、障害をもった子どもたちの親になるのかもしれない。ということは、もはや、障害を持った子どもや、その親であるということは、何も特別なことではないね。

何も特別なことではない。
なのに、 あまり理解は進んでいなさそうだ。

「だけどね。お母さんは断固拒絶したらしいの。」
「受診を?」
「そう。うちの子は健常だ、活発すぎるだけだって。そうこうしているうちに、あの子の行動はどんどんエスカレートしていったらしい。落ち着いて座っていないから、勉強も身につかなくて遅れがちになるでしょう?」
「そうね。確か、ADHDは今、いい薬が開発されて、義務教育中くらいは服薬で落ちつけるようにして勉強に遅れが出ないようにしたり、行動面の課題をクリアしたりして、それからだんだん薬を抜いていくような方法があると習った気がする。」
「多動は成人すると治まってくるらしいしね。」
「なのにお母さんは受診すら拒否した。だから、そういう知識を得るチャンスを逃し、子供は荒れ放題ってわけね。でも、自分の子供に障害があるとは思いたくないものね。当然の心理よね。」
「だから、静江先生も無理強いはしなかったんだって。だけど、今回のトラブルで、あのお母さん、静江先生にウチの子を障害者扱いされた、人権侵害だから訴えると騒いだらしいのね。」

障害者だとなぜ人権侵害なんだ?その発想の方がよほど人権侵害だと、スミレ先生は腹が立ってきた。
「ほんと、とんでもないモンスターだね。」
「静江先生が療休に入られたのは、校長先生が静江先生を守ろうとなさったからよ。」
「そうなの?」
「確かに今回のことで精神的な負担が大きくて、うつの診断書が出たのは事実。でも、あんなに早く結論が出たのは、これ以上不毛な議論に立ちあわせるのを止めさせるために、校長先生が配慮してくださったんだって、静江先生から直接聞いたのだから、間違いないわ。」
「へぇぇ。」
「静江先生、言っていた。あの子も辛かったし、それ以上にお母さんは辛かっただろうって。だけど、やっぱり、あの子の現状は、お母さんの影響が大きいって。」






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