3月2日はとても風が強かった。
既に合羽橋を歩きまわり、浅草を経由していた私たちは、東京国立博物館前にたどり着くまでの間にちょっと疲れ始めていた。

噴水公園の周りには、似顔絵かきの人たちがいない。
きっと風が強すぎて練習にならないのだろう。

さて、チケットを出して入場しようとすると、手書きの紙が踊っている。
「王羲之展は20分待ちです。」

何のことかと平成館を目指す。
わかった!
平成館の外に長い行列ができている。建物の中に入るために20分間並ぶのだ!

「ぎゃ〜っ」
殊更に強い風が吹いて、手にしていたチケットの半券が千切れ飛んでしまった。くまさんが目ざとく飛んだ方角を見極めてくれ、平成館前の噴水に落ち込む寸前に取り押さえてくれた。ああ、危なかった。

2週前はこんなに混んでいなかったのに…と話しながら、長い垂れ幕を見上げて、ようやく気付いた。
展示は翌3日までなのだ。招待券が3日までと思っていたのだが、違っていた。
おお、かけこみの見学者がこんなにいるのか。

ブーブーと風に吹かれつつ待つこと本当に20分。ようやく平成館に入ることができた。が、特別展入場までさらに館内で20分近く待った。その間に、くまさんのチケットの半券も千切れてしまった。

「まずいですね。切り離し無効と書いてありますよ。」
「お願いしてみるしかないですね。」
「ここまで念入りにやってきて、半券が不可抗力で千切れたから見られなかったという結末は笑えますね。」
「ま、それはそれでおもしろいからいいじゃないですか。」

親切なお姉さんお二人は、それぞれ「ごめんなさい、千切れてしまいました」という我らを許してくれ、入場させてもらえた。国家公務員は優しい。ありがとう!

さあ、期待満タン、王羲之ですよぉ!

あれ?あれれれ?

第1室は、満員御礼状態。展示に近づけない。背伸びしても見えない。それはそうだ。絵画と違って、平置きになっている作品は、目の前から見ないと見えないのだ!

群衆は、丁寧な解説を丁寧に読んでいる。音声ガイドをつけた人々は同じところで立ち止まる。 これは、待っても時間の無駄だ。第2室から行くべし。

第2室は『蘭亭序』の部屋だ。こちらのほうが有名なのに、人が少ない。さまざまな拓本が並んでいる。同じ人の字を手本にしたはずだが、少しずつ違いがあるのを見て、くまさんが言う。
「で、どれが一番王羲之なの?」
わからん。

王羲之から影響を受けた人々の部屋は、さらに人が減っている。ずいぶん見やすい。へぇ、そう、と見ながら、くまさんが言う。
「で、王羲之とどういう関係?弟子?」
いえ、300年以上離れていますから…。

壁に「王羲之エピソード」が10個貼り出されている。これが、おもしろい。

「へぇぇ。ガチョウが好きだったんだ。しかも、食べたいんじゃなくてペットとして飼いたかったんだね。」
「へぇぇ。子供のころからひねくれた性格だったみたいだ。ちょっと生徒には持ちたくないタイプだね。」
「ほぉぉ。真珠を失くして疑った客が苦しみの末に自殺したというのに、後から自分ちのガチョウの腹から出てきた?ひどいヤツだな。後悔してお寺建てても遅いって。だいたい、ペットのガチョウを食べちゃダメだろ。」

くまさんの感想を聞く方がずっと面白い。
やはり、青春時代に格闘した王羲之くんは性格ブスだったようだ。

最後に第1室に戻ってみたが、初めよりさらに人が増えていた。
「いいです、もう。」
私の諦めが早いのを、くまさんは内心喜んだにちがいない。

「王羲之って今回初めて知ったけど、何が偉大だか、結局わからなかったよ。」

くまさんの素直な感想は、多分多くの見学者共通の見解だろう。

あの日から早10日。
性格ブスが字に現れないよう、気遣いながらペンを持つ日々が続いている。






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