碑帖
大学で書道を習い始めた。いわゆる「習い事」は、いろいろとやってみたかったものの、家計の都合でひとつとして叶わなかった。今でも、あの時本気でやりたかったピアノや水泳や学習塾が実現していたら、きっと自分の人生は方向を変えたのだろうなと思う。ま、今更言ってもしかたがないが。

我が母校は、文学部国文学科(現在は日本語日本文学科というらしい)で教員免許を取ろうとすると、国語と書道をセットで取ることを勧められる。国語だけでは採用試験突破が難しいからだ。

ちなみに、高校では、書道は国語科ではなく芸術科で、音楽や美術の仲間だ。選択科目になることが多いから、 単位数が少ない。実際、かつての同僚は国語を10時間、書道を6時間、併せて16時間と、教科をかけもちしていた。これは、準備などを考えると大変なことなのだ。

大学の書道の授業は1年生でもとれる「書道機廚ら始まって、4年生にならないととれない「書道此廚悗反覆燹私は2年から取り始めた。つまり3年間、毎週180分間、小学校の宿題くらいでしか持ったことがなかった筆で書きまくった。楷書、行書、草書にかな、創作。ふう。思い出しても肩が凝ってくる。

「碑帖翠選」は書道の教科書だ。「碑」は石碑の碑。「帖」は糸で綴った本のこと。「翠」は集める。素晴らしい手本を選び集めたよ〜ということだ。ノートがB5だった当時、このテキストは八つ切りサイズ。非常に大きい。入れるカバンを用意するのも大変だった。しかも、重い。

蘭亭序日本で、紫式部や清少納言が春はあけぼのしていたころ、中国は「唐」という国で、3大書家と言われた人々がいた。虞世南欧陽詢褚遂良の3人だ。ちなみに、ぐせいなん、おうようじゅん、ちょすいりょう、と読む。誰でも読めそうな美しい楷書だ。授業は、この3人の文字を臨書(手本通りに真似て書く)ことから始まる。

2年生になると、文字発祥の頃へ向かって時代をさかのぼっていく。
日本では仁徳天皇が高台から街を見下ろして「おお、そこここに食事作りの煙が立っている」と喜んだり、前方後円墳作りに勤しんでいたころ、中国「東晋」に現れるのが書聖・王羲之だ。

真筆は現存していない。王羲之より300年ほど遅れて、唐の太宗皇帝が王羲之の書をこよなく愛し、手に入るだけの真筆を集めたようだ。代表作の蘭亭序(らんていのじょ)も、太宗皇帝の手元にあり、崩御の時、共に埋葬されたと言われている。この太宗皇帝の溺愛が、王羲之をさらに有名にしたようだ。

ゆえに、手本は模写であったり、石碑に墨を塗り、紙を載せて写し取った拓本であったりする。だから手本の文字が白いのだ。

これを見ながら、「永和九年」の4文字を何回書かされたことだろう。どう筆を動かしても、この形にならない。形もさることながら、この自由闊達さ、伸びやかさなどは再現しようもない。半紙には、アンバランスな緊張と諦めを湛えた見苦しい文字が並ぶばかりだ。

「これはもう、センスの問題だな。」

書道の仲田先生は、学生のモチベーションなどカケラも配慮しない発言をなさる。ほかの人はどんどん合格して「歳在葵丑」に進んでいる。仲が良かったみいちゃんは、幼いころから書道を学んでいただけあって、すでに三つ先の課題に進んでいる。まだ最初の4文字と格闘しているのは私ともうひとりくらいだ。

かわいそうに思ったのか、これはマズイと思ったのかは定かでないが、先生がその二人を呼んで、目の前で書いて見せてくれた。「筆の先をよく見ていてください。」

それは、異次元空間の動きだった!
恐るべし、王羲之。
なんてひねくれた動きなんだろう。
こいつ、絶対性格悪いぞ!

私は性格ブスの王羲之くんと友達になるべく、19歳の1年間を捧げたのだった。






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