五所川原君(仮名)は新進気鋭の美容師。とはいえ、その上にカリスマがいて、さらにその上に神がいる。私の担当は神だったが、わけあって今は天岩戸にお隠れになっている。引き出すためのあの手この手が進行中だが、隠れている間はカリスマが担当してくれることになった。

ところが、カリスマは芸術家なのだ。自分がこれと信じた道を真っ直ぐに突き進む。そこに私の要望など受け付ける気があまりなさそうだ。「あなたより、あなたの美しさについて分かっているんです。まかせて!」という頼もしいメッセージが届くが、こちらの気持ち次第では、それが押しつけにも感じられる。

サービス業の難しいところだ。

神の神たるゆえんは、そもそも「要望を伝えなきゃ、これは思っていることと違う!」という事態にはめったに陥らない。陥ったとしても「あのね、今日はこうしてみたいんだけどね、どうかなぁ」と言い出すのは簡単だ。きわめてバランスがよいわけだ。

神とカリスマの薫陶を受けた五所川原君は、ひとつひとつ、これからしようとすることを説明し、要望を必ず聞き、結果を手で触って鏡で見て、何度も確認しながら進める。美容師と客とでひとつの作品を仕上げて行くようなイメージだ。

「そっちでいいようにやってよ!」というタイプの客に、カリスマは大人気だ。見習いだった五所川原君も、ハサミを持つようになってからは「何でも注文しやすい!」というタイプの固定客が増える一方。どちらもできる神は、海が見える丘の上に、新たな城を作ることにしたようだ。

初めて、五所川原君が私の担当をしてくれることになった。神もカリスマも、なんの罪もない五所川原君にプレッシャーをかけまくる。が、大して緊張も見せず、いつも見ていたようなやり方で、私のバサバサになった白髪交じりの髪を整えて行く。

「ごめんなさいね、厄介でしょう?」
初めての美容師さんに必ず言う言葉だ。とにかく髪の量が多く、どれも太くて立派な髪の上に微妙な癖があり、難物なのだと神からも言われている。 「二人分ありますよね、お手数かけてすみません。」

何かしてもらって、「ごめんなさい」「すみません」という人は、相手の苦労を思いやっているようで、実は自分のことしか考えていない。「あなたに苦労をかけているということに気付いている自分」を表現したいのだ。それが思いやり、と思いこんでいるから、 「ごめんなさい」「すみません」を連発することも多い。

そういう人に、「『ごめんなさい』より『ありがとう』と言おう」と言っても伝わらない。「ありがとう」は「あなたに苦労をかけるだけの価値が私にはあるのだ」ということを自認していないと出てこない言葉だからだ。 自分の価値を認めていたら、自分のことしか考えない人にはならない。自意識過剰は自信のなさの裏返し。

さらに、「あなたは私のことで苦労するに違いない」と思っているから謝りたくなるわけで、「あなたは私のことで苦労するとは限らない、面倒でも楽しかったりやりがいを感じたりする実力があるもの!」と思っていたら「すみません」とは言えなくなり、「ありがとう」が出やすくなる。

つまり、「ごめんなさい」と言っている人は、相手の実力をも低く見ていることになるんだろう。


130106_1702~01髪色、切り方、どれも独自の意見を出してきては、時折話の返事を忘れるほど集中して切ってくれている五所川原君に「ごめんなさいね」なんて言えなかった。

仕上げの鏡を見せてもらって、「うわぁ、ありがとう、これ気に入りました!希望が全部叶ったわ!」と言った時の五所川原君の笑顔や、会計に先導する後ろ姿の、どこか誇らしげな背筋が忘れられない。 

そうだ、五所川原君に撮ってもらった写真を載せちゃおう。



そういうことなんだなぁ、と反省しきり。自分が誤った時はすなおに「ごめんなさい」が言えるようでありたいけれど、何かしてもらう時は「ごめんなさい」を封印できる自分も大事と思ったできごとでした。






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