花亜さん。それでもあなたは、やはり私に大いなる贈り物をくださいました。弓子と出会わせてくれたことです。あなたの店で見かけた時は、なんとも冴えない娘だと思っただけでしたが、今ではかけがえのない宝物のような存在です。

この病室に駆けこんできた時の弓子の姿を思い出すと、今でも微笑まずにはいられません。いい年をして取り乱し、拙い言葉を夢中になって話そうとしているところなどは、まるで小学生のようにみっともなかったものです。後藤がいると誤解していたところに、あの安住を見て、今度は夢見る乙女のように頬を染めるのだから、漫画を見ているようでした。

後藤が言うには、結構な苦労人で、素直で我慢強い娘だそうです。そうかと思ってみていると、なんとも間が抜けている。次にやってきたときには、安住に一目惚れしたのに、想う人がいるとフラレタ!!と騒いでいます。もちろん、ぐずぐず泣いていないで、当って砕けて来いとハッパをかけました。どうやら、本当に砕けてきた様子です。

勝手に勘違いしてはすぐ盛り上がって笑顔になるかと思えば、簡単に諦めては落ち込んで泣きだす、人のせいにはする、文句は言う。そんな弓子と会い、話している間に、私は思いがけず、とても愉快な気分になることに気付きました。初めは、退屈しのぎができるからだろうと思いました。

けれども、そうではありませんでした。弓子は自分で感じたことを素直に表現するし、人の言うことを素直に聞くのです。それは「魅力」でした。後藤もこの魅力に参って、力になりたいと思ったのでしょう。後藤は毎日やってきて、私の話し合い手をしていましたが、いつの間にか私と後藤の話題と言えば弓子のことになっていました。

そんな弓子が、足繁くこの病室を訪ねてくれるようになりました。私の思い出話を聞きたがり、人生訓だの経営理論だのをねだるのです。ベッドの横に置いたソファーに腰掛けて、後藤と二人、あれこれと話して弓子に聞かせるのが何よりの楽しみになりました。そして、ハッとしました。

これは、後藤の父と、花亜さんと、お父様とが最後の時を過ごされた、あの光景と同じだと気付いたのです。私は心楽しく、穏やかに微笑むことができます。「明日もまた、来ておくれ。」気付いたら、私は弓子にお願いしていました。弓子は当然のように「はい!」と微笑みます。私は諦めた安らぎを、とうとう手に入れることができました。







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