寂しさに悶絶する私の脳裏にあなたとお父様の姿が絶えず浮かぶのは、恨めしい気持ちが蘇ったからではないことが、その時分かりました。お父様もまた、死を前にして、寂しい気持ちにおなりになったのかもしれません。その時、傍らで花咲くような笑顔でいるあなたを見て、どれほど慰められたことでしょう。

私の視線は、ドアに隠れてあなた方を盗み見る嫉妬深い視線から、ソファーに横たわる病者の視線へと変わっていました。すると、あれほど疎ましかったあなたの存在が、かけがえのないものであったことに思い至ったのです。愚かな上に身勝手な母は、許してほしいなどと言える立場ではないことは承知の上で、もしも許されるなら、私もお父様のように、あなたの笑顔に見守られたいと願うようになりました。

何事も臆せず挑むのが私の信条ではありましたが、これだけは、思いついたからと言って行動に移すのにはためらいがありました。けれど、命の火がどれほど保たれるか分からず、不調も続く中で、とうとう私は思い切りました。私が行動を起こしさえすれば、そうして私が態度を改めさえすれば、過去の過ちは清算され、あなたとお父様のような関係になれると信じたのです。

けれど、結果はあなたがご存知の通りです。私は相変わらずのひとりよがりで、あなたを困惑させ、哀しみを深くしただけで、とうとうあなたの笑顔をみることはできませんでした。ユニクロの服を着て、あなたがたにまつわることを話題にしていればよい、私の病気が分かれば、多少のことは許されるだろうという、安易な気持ちがあったことは否めません。

しかし、私がかつてあなたにしたことは、長い年月を経て消えたわけではありませんでした。愛することに不器用だった親をどう思うかは、子の自由ですね。幼いあなたの悲しみは、私が思っていた以上に深く重いものだったのだと知りました。私が素直にあなたに笑顔を向けていたら、抱きしめていたら、あなたにこのような思いをさせずに済んだのに。本当に、何と言って詫びたらいいか言葉がみつかりません。

私は現実を知りました。
愛はギブ・アンド・テイクではないと言います。無償のものだと。
しかし、親子においては、子が親を思う以上の愛をそそいで初めて、親は自信を持って愛されていると感じられるのです。自信を持って愛されているから、自信をもって手離せるのですね。

あなたが家を出て、それでも屋敷の敷地内にとどまっていたのは、きっと私が迎えに行くのを待っていてくれたのでしょう。朝も、夜も、もしかしたらと一縷の望みをかけて、屋敷の明かりを見守っていたのでしょう。ああ、なのに私は、そんなあなたを2年も放っておき、とうとう屋敷から消えても、追いかけはしませんでした。

そんな仕打ちをした娘に、病を口実に甘えようなどと、いくら神様が慈悲深くても許されるわけはありませんでした。それがはっきりと分かって、愚かな私もほんの少し、賢くなれたような気がしました。私はあなたの生活から消え、あなたが自分の力で築き上げた生活と幸せを守り抜くことを祈るだけしかできません。それが私の母としての、最後の勤めと思い極めました。







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