家を出た花亜さんは18歳でしたが、後藤の家にいるなら安心です。私はあなたと顔を合わせなくて済む心の平安の方を選びました。20歳を過ぎて、屋敷の敷地から出たことも知っていましたが、あなたの好きにしたらよいと思っただけでした。

それより、あなたがリビングの長椅子に横たわるお父様におでこがくっつくほどに寄りそって、話したり笑ったりしていたあの姿が、いつまでも私の目にこびりついて離れないのには本当に苦しみました。なぜあれが私ではなく花亜さんなのか?答えは明快です。が、分かっていても悲しみと憤り、もはや取り返しがつかない絶望は消えることがありませんでした。

お父様の跡を継いだ誠一郎さんは、我が子ながら本当によくできた人です。彼は私が破れかぶれに仕事をしていることにすぐ気付きました。本当に、そのとおりでした。私はグループのことも、家のことも、もうどうでもよい気持ちになっていました。彼はスッパリと私の居場所を仕事の中から消し去りました。

私が厳しいから排斥したのだろうと噂が立ちましたが、違うのです。彼は、私の決断を待たず、私に自由とやすらぎ、許しをもたらしてくれたのです。どれほど感謝したかしれません。私はすぐ日本を離れました。行きたいところ、いてもいい場所はいくらでもありました。見たいもの、したいことはまだまだあるのだと、行けば思い出しました。

心楽しい日々でした。陽気なメイドたちは私に臆することなく、のびのびと働きます。美しいもの、美味しいもの、心揺さぶる光景を味わい尽くしました。なにより、人を責め、責める自分を自分で責める苦しさを忘れていられることは、何よりの幸福だと思われました。誠一郎さんはそんな私をいつも支え、気遣ってくれました。

もう、これでいい。日本に戻らなくても、いえ、戻らない方が私は幸せ。ほかの人も幸せ。そうしようと、一番気に入ったパリに屋敷を定めて数年、風邪をひいたのがなかなか治らず、細かな検査を受けた時に、癌が見つかったのです。思いがけないことでした。でも、これほどありうることはありません。私から出た毒が私自身を損なって何の不思議がありましょうか。







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