それでも、誠一郎さんを授かりました。男子の誕生は後継ぎを生むのが役割でもあった私を本当にほっとさせてくれました。この子には私と違い、本音に素直に誠実に生きてほしいとの願いを込めて、誠一郎と名づけました。おじい様もお父様も賛成でした。次に女の子が・・・あなたが生まれました。私はあなたに、私の思いを継ぎ、私を支え、私以上に幸せになってほしいとの願いを込め、花亜と名付けました。これにはおじい様もお父様も首をかしげていらっしゃいましたが。

幼子を授かった家庭の主婦として、私は自分の生き方を変える大きな機会に恵まれたのだと思います。しかし、幼いころから女王のように育てられ、何の疑いもなしにその道を歩いてきた私にとって、主婦とは何者なのか、理解することはできませんでした。子には乳母がつきましたし、家事はそれまで通りすることもありません。母として、私がすることはないかのように思われました。

その分、私は仕事に打ち込みました。お父様は相変わらず穏やかでした。私に向けられる視線には、かつての憐みに加えて、哀しみが混じるようになりました。気付かなかったのではないのです。気付いたからこそ、私は私を変えることができませんでした。

お父様が病を得てしまわれた時、私は言葉にならない深い衝撃と後悔とで自分を責め苛みました。白血病は死病でした。お父様は、お仕事にではなく、私という女がお傍にあることに我慢と疲れとが溜まりに溜まって、生きる力を失ってしまわれたのだろうと思ったからです。

お父様は残された時間を家族とともに過ごすことを望まれました。家族、といっても、私ではなかったでしょう。誠一郎さんであり、花亜さんであり、使用人たちであったと思われます。私はお父様がいつも家にいてくださることを密かに喜びました。が、言葉では伝えられないどころか、厄介者を抱えたと、ひどいことを言ってしまいました。一人布団で泣いて悔いたことは忘れられません。

花亜さん。そのような愚かな私にも、神様はまたチャンスをくださいました。そのチャンスはあなたを通じて訪れました。中学生になったあなたが、あちらこちらへ出向いて、経営の立て直しをし始めたのです。普段、会話のない夫婦でありましたが、この時ばかりはあなたのことをお父様とあれこれ話しあいました。

お父様はあなたの活躍を本当にお喜びでした。私も鼻が高く、ふたりしてあなたの自慢をし合ったものです。まなざしを通わせ、共に笑いあう嬉しさは、私がどうしても手に入れられなかったものでした。元を正せば私が取りつぶそうとしたから、お父様に相談が来て、あなたが出向いたのです。が、一度うまく進んでからは、お父様と相談して、あなたに立て直しができそうな店を選び、話を進めるようになったのです。







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