いったい、人を信用する根本原理は、どんなふうになっているのでしょう。盲信でもなく、無関心でもなく、その人をただ信用している、自分はただ信用されていると思える心理は、いったいどうやって身につけ、知っていくことなのでしょう。学べるものなのでしょうか。

大人になれるまで生きられた人は誰でも、ほんの1年か2年だけど、一人では息することしかできない時期、守って抱いて全面的に面倒を見てくれた誰かがいたはずです。その頃は、その人のことを信用していたはずです。それとも、その頃から私は「この人は明日にも私の世話をやめるんじゃないかな?」と感じていたのでしょうか。

だとしたら、それはとても悲しいことです。でも、その悲しさは、私の人生の前提条件なのです。誰のせいでもない、ただ、そうだということを認めたところからスタートです。私が誰より信用したくて信じていないのは、自分自身のことだったのです。だから、こんな自分を他人が信じてくれるはずがないと思って生きてきたのです。

「せんぱ〜い、実は報告がありますぅ。」
私の複雑で核心に迫る思考を打ち切るかのように、酔って呂律があやしくなってきた瑠香が抱きついてきました。
「わたしぃ、結婚してみることにしましたぁ。」

「あ、そう。」
瑠香の重たい腕はなかなか振りほどけなくて、エイヤッと外した時に気付きました。
「え?いま、何て言った?」

「だからぁ、結婚ですよぉ、ケッコンッ!」
「誰が?」
「わたしですってばぁ。」
「誰と???」
「それがぁ。あのぉ。部長ですぅ。」
「えええぇぇぇっ!」

部長とは、私たちの上司だったあの人のことに違いありません。今年54歳の、縦にも横にも前後にも大きいこの男性は、数年前に奥さんに逃げられたのです。仕事に夢中で家庭をあまりにも顧みなかったからだというウワサでしたが、真相は知りません。何でまた、瑠香は自分の倍も年上の彼と結婚することになったのでしょう?







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