瑠香が言うことは、いちいち心に響いて、打たれ弱い私はめまいがしました。誰かに何かを言われると、すぐに影響されてホントにそうだなぁと思う。それは自分の思考が柔軟で吸収する力があるからだ、協調性の証明だと思ってきたけれど、本当は、自分の芯を持つことへの責任逃れと、それだけの経験を避ける怠惰とが自分の本質であることは、もうずっと前からわかっていたのです。

融が亡くなった晩に別れを告げられた彼も、私のそんなところが重荷になったのでしょう。黙って何でも受け入れる。主張をしないのは相手を尊重しているからでも、心から同意しているからでもなく、波風が立つのが怖いから。それって、相手を信用していない証拠よね。波風が立ったらもう終わるって思っているのだから。

カピバラ食堂にはいろいろな人たちが訪れます。夫婦も、カップルも、友達も、同僚も、おひとりさまも。子供も大人もご老人も。そしていろいろな話をしながら、食事をしていきます。食べるという当たり前の行為を誰と共にするか、何を見、聞き、話しながらするか、それは私の思いをはるかにこえて、とても意味あることでした。

おやじさんが作る料理は、日ごとに大きく味を変えるわけではありません。でも、箸の上げ下ろしひとつひとつに侮蔑の言葉をなげつける奥さんと食べるカピバラオムレツが、あのご主人に美味しいとは思えません。でも、隣のテーブルの老夫婦は、奥さんが黙ってご主人のトレイから漬物をそっと取り除きます。きっと塩分の制限でもされているのでしょう。それを見たご主人が黙って微笑みます。一言の声もないのに、このテーブルには穏やかな美食の神様が宿っています。

傍若無人にかけまわる子供を怒鳴りつけるサラリーマンもいれば、元気でいいわねと平然としているOLさんもいます。子供を走らせまいと叱ってばかりの母親もいれば、どんな無作法も見て見ぬふりのお母さんもいます。でも、そのどれもがテストみたいに○×で評価できるものではなくて、それぞれに意味があり、生きていて、自分がどれを選ぶかが試されているのだと思われます。

安全で正しくて、誰からも非難されないから、それを選ぶ。もちろん、それも選択です。私が今までしてきたことも、それも選択でした。ただ、私が今知らなくてはならないのは、誰かに選ばされたのでも、そうせざるを得なかったから不本意にもそうしたのでもなく、ただ私自身がそれを選んだのだという強烈な自覚でした。

私は他人や環境の被害者ではなく、被害を受けることを選んだのだと考えたら何が見えるのでしょう。実際は、100%自分だけの影響力で何かが起きることはないでしょう。でも、100%自分の責任だと仮定したら、私が望むような結果を得るためには、どうしたらよかったのでしょう。







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