自分で気付いたことをよく味わってみると、これは大発見のような気がしてきました。
悲しみも怒りも恨みも、喜びや楽しさや優しさや朗らかさと同じようにひとつひとつの感情で、そのどれもが人に感じられるためにあるのだとしたら…

この世になぜ戦争がなくならないのか、泥棒や詐欺がなくならないのか分かる気がしました。それらが本当に不必要で人を損なうだけのものなら、長い年月をかけて、そんな気持ちになる人は淘汰されて生まれなくなっていてもよさそうなものです。けれど、一向に消える気配はありません。

それもこれも、人がありとあらゆる感情を味わうためだとしたら?
私は体が震えていることに気付いていました。ダメでうそつきでどうしようもないと思っていた自分だけれど、子供のころからネガティブもポジティブも、振り切れるほどにたくさんの深い感情を味わってきたのです。

ああ、私、これでよかったのかもしれない。
知らなかっただけで、これでよかったんだ。
融、私、これでいいんだね?

こんな時に、耳元を小さな羽音が通り過ぎました。季節外れに生き延びた蚊のようです。思考を中断させて目を凝らしましたが、姿が見えません。でも、また耳元をプ〜ンと通りすぎます。私は蚊が嫌いです。瞬間湯沸かし器のように、心底苛立ちました。

「もう、イライラするっ!」大声で叫んだ途端、腹の底から笑いが押し寄せてきて我慢できず、吹き出してしまいました。この蚊は、私にイライラという感情を体験させるために、神様に長生きさせてもらったのかしら?だとしたら、あなたミッション完了よ!と感じたことが可笑しかったのです。

笑ったら、全身から力が抜けてしまいました。抜けてみて、どれほど力みかえっていたかが分かりました。前夜よりももっともっとたくさんの空気が肺に入ってくる気がしました。それで初めて、自分がどれだけ息を詰めていたかに気付いたのです。
「明日何があってもOK。だって、何でも感じればいいんだから!」
私は、人生で初めて、イベントを前にして安らかな眠りについたのでした。 







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