私は自分で自分の恐怖心を不意に発見したのです。いったい、この恐怖心をいつから抱えていたのだろうと、改めて振り返りました。すると、もしやこれは、自分が生まれる以前からではなかったかという気がしてきました。母のお腹にいる頃、両親の声を伝え聞いては既に恐れていた気がします。

思えばおかしなことでした。私自身が両親とは少しもうまくいっていません。できるだけ会いたくないし、もはや世間並みの親孝行など考えられもしません。融が死んでしまった時も、お前のせいだとなじられ衝撃は受けましたが、もはや彼らは私を傷つけることすらできません。私は彼らを完全に断ち切っていて、無関心の域に達しているのです。

自分の考えに没頭したくなって、私はまだ話し合いを続けているおやじさんとかあさんに気付かれないよう、そっと店を後にしました。
マンションに帰る道すがら、目は過去を見、耳は心の声を聴いていました。

自分の両親と仲良くするにはどうしたらいいか。かつて、ずいぶん思い悩みもし、試しもした問題でした。でも、解決できない問題と思い諦めて、私はその問題から逃げることに決めました。なのに、かあさんとおばあちゃんとを仲良くしたいと必死になったのはなぜだったのでしょう。

偽善、ということばが胸をよぎりました。

アイスピックで心臓を突き刺すような痛みが走りました。偽善。私はうそつき。私は中身がない。私は空っぽで、本当は自分がしたいこと、好きなことすら分からない。私には生きている価値がない。そのままの私ではダメなんだ。

今まで何万回となく考えたことがまた浮かんできました。でも、その時、不意に別の声を聴いたのです。
「ねえ、その考え方って楽しくないよね。勝手に被害者になってるよ。」
それは、自分の声のようでもあり、融の声のようにも聞こえました。