ようやく休んだ気がする日曜日だった。「やりたいこと」だけで、それはやらなくてもよく、「やらねばならないこと」がない。ぶらぼ〜。体を横たえるとストンと眠ってしまう。それだけ疲れていたのだろうな。リラックスすると意識不明。読書にはならない。

夢を見た。
ろれつが回らない。
でも、言いたいことを精一杯、言葉にしてたたきつけている夢だった。

言葉はエネルギーだよな、と、よく思う。
エネルギーは養分だ。
足りないと枯れるし、あげすぎてもいけない。

土曜日に、20人くらいの青年を前に、話をする機会があった。代役だ。彼らとは顔見知りなので、関係づくりの必要はない。まわりをぐるりと彼らに囲まれて座る。全員の目が私を見る。私の口から、声が流れる。私はいつも、自分の声を聞いている。職業病だな。勝手に、そうなる。

彼らの目は、まっすぐにこちらを見ている。饒舌な眼で、見ているとなにを感じているかが伝わってくる。今まで笑顔を見せたことがない青年が、満面の笑みを浮かべ、ついに白い歯を見せて笑った。どうやら私の役目は達成されたらしい。

こんな時、「植木鉢に水をやるようだ」と思う。本来彼らの前で話すべき人は、彼らに言葉を投げつけてしまう。さしずめ、植木鉢に思い切りバケツの冷水を浴びせるようなものだ。鉢は倒れて割れ、水は吸われず、植物は枯れてしまう。現実の彼らはその冷たさに慣れたようだけど…。

適度に薄めた肥料を含んだ水を、ゆっくりそっと注ぎ込むような話し方でありたいと思う。そうすると、思いのほかたくさんの量をグングンと吸い取って、溢れもしない。植物はシャンと背を伸ばして、色よい花を咲かせる。

自分の声が彼らの中にしみこんでいく様子を見ながら、「いい仕事してますねぇ」と自画自賛。どこかの歌ではないけれど、それぞれの花を咲かせてほしいなと思う。立ち上がった彼らの背中を見て、「これは、咲く。」と確信した。








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