シンクロニシティという言葉がある。「偶然の一致」と訳すのだろう。見るもの聞くもの読むもの、いろいろなところで、同じような情報が重なることがある。これから書こうとしていることも、そのシンクロニシティなのかもしれない。
男性は、と一般論にするのは危険な気がするが、割と多くの男性は、近しい女性に同じようなことを期待するのではないか。
自分が苦しい時、困難にぶち当たったり、もうダメだと思うような極限に追い込まれた時には、そばにいてもらって、この程度、大丈夫あなたなら乗り越えられると苦労を共にしてくれ、あわよくば、苦労の半分くらいは分担して受け持ってくれる女。
でも、自分がうまくいっている時、夢を持っている時には、自分を自由に野放しにしてくれる女。まとわりついたり、罪悪感を抱かせたり、あなたを支えているのと匂わせるような女はいらない。
そうして、夢がかない、自由が当たり前になると、今度はちょっと我がままで手に負えない女が恋しくなる。それは、得てして年若い女だと適いやすい。と、同時に、かつて自分が苦労したり、困難にぶち当たった時のことを知っている女は鬱陶しくなる。
男とはプライドの生き物だ。かつて困難がなかったと思いたいのではない。困難を乗り越えたのは自分の力だと思いたいのだ。だから、「あなたのおかげで」と思い続けなければならないのは、ちょっと面白くないのかもしれない。
重荷を当然のように共に背負い、夏休みに虫籠持って出かけた子供を見送るように自由にさせて、ご飯作って待っている母のような女は、きわめて都合がいい女なのだ。自分でそういう女でいることを選んできたのに、「最後まで大事にされたい!」というのは、はかなくも脆い、叶い難い願いのようだ。
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コメント
コメント一覧 (4)
「愛情がなくなれば別れたほうがいい」と
先輩女性から聞かされ、再婚で幸福を手に入れていらっしゃいます
ご理解をいただけないことが増えれば、話し合いが必要ですね
おっしゃるとおりの男性をたくさん、存じあげております
そして都合のいい時だけ男性を必要とする女性もいました
本当に困ったら誰にも言いませんし、話してもわからない相手なら
妻でも恋人でも悩みは話しません
あらためて独りが気楽な私であります♪
さて、何があったでしょう?
「話しても分からない相手」と思われるのは切ないです。
そう言われないためにはどうしたらいいか、
必死になっている自分も切ないです。
正反対の人は理解できません。
○時に待ち合わせようと約束したら、ほぼ同じ時間に到着し、行きたい場所、食べたいものまでピッタリ合う人が一番ですよ。
残念ながら、夫はピッタンコの人ではありませんが、妙なところでシンクロすることがあります。
そうですね自分に近いほうがいいですね。
その「近さ」を語るとき、
以前は私も「思考や嗜好が近い」ことをあげていました。
けれど今では、「ありがとうとごめんなさいが当たり前に言えること」をあげます。
自分にとって大切で当たり前すぎるこのことが習慣化されていない人間と時間を共にするのは本当に苦痛です。