やっとやっと予約をとって、髪を切ってきた。最近のあだ名は「納豆」。長い髪を後ろに束ねた姿を見て、若者が言う。「パカッと納豆のわらのすき間があいて、中から白いねばねば糸が見えてる感じ。」

昔、トウモロコシと言われて傷ついたこともあったけど、今回はそれよりヒドい。何より、自分で自覚していることをこれほど端的に言われると衝撃は深い。発言の主はまたもやあのカピバラ青年だ。

私の長い髪は、努力の結晶だ。私の努力もあるが、10年以上も担当してくれている美容師さんの努力でもある。その美容師さんが、過労で倒れてしまった。結婚して、同じ美容師のご主人とともに夢のマイ美容室を開室したのに。

今回私の髪を切ってくれたのは、オーナーであるご主人。私の担当はその奥様で、以前、彼女が海外研修に出ている時に、代わりに担当してくれたことがある。ご主人の腕も確かで、斬新で、思い切りよく切ってくれたのが小気味よかった。

奥様の様子やら、世間話やらしているうちに、彼女が過労に至った本当の理由が見えた気がした。でも、まだ当事者たちは気付いていないらしい。そういうものだ。自分のことは自分では見えない。でも、歪みは正されるようにできている。

分かったことを「わかった」と、気付いたことを「こうしたら?」と、教えてあげるのは簡単なこと。自分が貢献したような気にもなれる。でも、それって、教える側の自己満足。心配も同じ。自分の優しさを表現するための自己満足になりかねない。

工夫がいる。人は誰でも、大事なことは自分で気付きたいし、自分で掴みたいものなのだ。そしてたいがい、サポートの工夫次第で、誰でも自分で辿り着けるようになっている。今週末はすっかり軽くなった頭で作戦会議をするのです。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!