反省会を続けよう。
厳しい生育環境から、安心安全に暮らしたい一心で、「人の役に立てば大事にされるのではないか?」と思った結果、どうだったか。

ある意味、成功はしたのだと思うが、思い通りの成功ではなかったところに、ポイントがある。「あなたは役に立つ、なくてはならない人だ」と評価してもらったら、安心安全快適になったか?いえいえ。安全ではなく暗然としたわけだ。

私が役に立つことは、相手にとって「当たり前」になっていく。役に立つのが当たり前で、ちょっとでも相手の思い通りの成果を上げないと、怠けているかのように言われる。私が全力でやっても、当然と思われて、感謝のひとつもない。

どこまで完成度をあげても、この構図は変わらない。いつも限界まで頑張るのに、誰も「すごいね」とは言わないのだ。理不尽な気がして、苛立ちもする、落胆もする。原因は、感謝が足りない相手ではない。私にあったんだ!

物事を決める時、役割を引き受けるとき、自分が優先して考えていることは、「やり遂げたら相手から高い評価を受けられそうなこと」が1番。「疲れないこと(安心安全な範囲)」が2番になっている。この優先順位を意図的に変えてみよう。

そうだな、1番には「やったら楽しそうなこと」、2番に「人とつながれそうなこと(人の美点が引き立つこと)」、3番に「疲れないこと」にしてみよう。これを試してみると…

なるほど、そうか。新しい優先順位を守るということは、自分が望むやり方を諦めるということだと分かった。新幹線で行く!と決めるのが自分のやりかたなら、目的地に着くなら、交通手段は何でもいいと思うことだと気付いたのだ。






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