両親にとって初めての子供でありながら、私は幼いころから暴力を受けて育った。両親が若かったこともある。私が病弱だったため、2年足らず後に生まれた弟がさらに病弱だったため、父は西洋画家になる夢を捨てた。その怒りがすべて子供に暴力となって降り注いだ。

気が弱い母は、子供がいくら殴られても、刃物を向けられても、泣き崩れるばかりで、かばい守ることがなかった。顔に切り傷を作っ登校しても、体中のアザに気がついても、担任は何もしてくれなかった。

今も鮮明に覚えている。物心ついたころから、私は捨て子だったのを拾ったと言い聞かされた。信じるのに十分な理由がついていた。弟が病弱なのは、彼が母の腹にいる時に、私が母の腹につまづいて蹴ったからだと言われた。信じた。

自分さえこの家に拾われなければ、弟が病気になることもなく、父が夢を諦めることもなく、母は平和に暮らせたのだと、何千回と言われているうちに、それがそのまま自分の信念になっていた。嘘だと気付いたのは中学を出る頃だ。

既に遅かった。役に立つ人間にならねば殺されると、必死になって大人の顔色をうかがい、超能力者のように空気を読み、先の予測を立てる能力を伸ばした後だった。生かしておく価値がなければ殺される。勉強した。言うことも聞いた。

それでも殴られた。就職しても顔を平気で殴られた。逃げるしかなかった。結婚という形をとったのに、嫁ぎ先にはさらにひどい暴力をふるう人がいた。私が役に立たないからだと最初は努力した。でも、努力ではどうにもならないことがあると知った。

また逃げた。初めての一人暮らしで、私は本当に初めて、自分が生きていることに気がついたと言っていい。それも、自殺しかけて止めてもらって気付いたのだ。もう一度、桜を見てから死のうかな。桜がなければ私は既に死んでいる。






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