行くことになっていたはずの出張者リストからはずれていることに、当日の朝気がついた。あれれ?ちゃんと打ち合わせてあったはずなのに、どういうこと?

ふと、怠け心がつぶやく。丁度いいじゃないか、行かずに済むなら残って書類を書いてしまおうよ。その方が、先々楽だよ。

でもね、と別の何かがつぶやく。この出張は大切だよ。行った方がいいよ。

同行するはずの癸海砲伺いを立ててみる。そういう相談になっていたはずですが、私の同行は不要ですか?私はここで行っておくほうが端的に理解できて楽なのですが…。

慣例では、私のほかに行く人が決まっている出張に、私の分まで追認されることはあり得ない。だから、聞くだけ聞いたら引きさがろうと思っていた。でも、癸海療えは違った。「行ってください。」即答だった。

見ようによっては、職場のルールを無視して我を通していることになる。でも、いま、その「我」が通る。誰もが通せるわけではない。だから、ありがたい。なぜなら、私がしている努力や背負っているものの意味が理解されている証明だと思うから。

ギリギリまで自分の力でやる。自分の責任のもとで動く。最初から人に頼ったり、問題が起きたら人や環境のせいにしたりはしないのだ。ギリギリまで粘る。

もちろん、報告・連絡は怠らない。相談もする。でも、巻きこむのは、ひとりではもうダメだと思った時でいい。その姿勢が評価されているのだろうと思う。

これで、愚痴も言わなくなれたら、もっとカッコいいのだろうなと思うけれど、そうはいかないところが、私らしくて、それもいい。





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