
あきさんの記憶には、子供の頃の楽しい思い出なんかほとんどありません。
何かひとつ楽しいことを思い出すと、その時間が悲しい言葉やつらい叱責で終わっていたことも思い出します。子供の頃のことは「ステキな人生」をたとえる言葉を探すのにふさわしい場所とは思えませんでした。
「未来さん、私の両親は、どうしてあんなふうなんでしょうね?」
あきさんは、思わず尋ねてみました。
「お話がそれてしまうけど、いいかしら?ご両親の話をしたい?」
「はい。」
「では、あなたのお父さんはどんな方?」
「父ですか?ワンマンで傲慢です。自分は全て正しいと思っていて、それを認めない人は容赦なく攻撃して。すごく冷たい人です。」
「お母さんは?」
「母は、おろかな人です。自分で生きてく力がない。自分の考えというものを持っていなくて、父に左右されてばかりです。年中愚痴ばかりこぼしていて、側にいると嫌な気持ちになります。そして、結局自分にしか関心がないんだわ。」
「そうなの。お父さんの理想の人生って、どんなだったのかしら?」
「理想?そうですね…父は画家になりたかったんです。もう少しでなれそうだったって、いつも言っていました。バックアップしてくれる人がいて、ただ描けばよかったって。父の理想は、あのまま画家になることだったと思います。なのに、母と結婚して、数年後に私が生まれて、食べていくためにその夢を断念したんですって。だから、母や子供を『自分の夢を邪魔したやつら』とでも思っていたのではないかしら。だから・・・」
「待ってね。お父さんがあなた方をどう思っていたかはまた後でお話しましょうね。先に、画家になるのが理想の青年の立場で、物事を見てみましょうか?」
「え?どういうことですか?」
「応援してくれる人がいるということは、期待に応えて描いていかなくてはならない立場ということね。あなたのお母さんに出会って、結婚も考えている。その立場で最大の喜びは何かしら?」
「それは、絵がものすごく評価されて有名な画家になって、収入もたくさんあって、母と結婚して家庭も円満で幸せって状態だと思うわ。」
「では逆に、最悪の事態は何かしら?」
「最悪なのは、思うような絵が描けなかったり、いくら描いても世間の評価を受けることができず、応援してくださる方も離れていって、母と結婚できないならまだしも、結婚したのに食べさせていくこともできないような状態かしら?」
「なるほど。あなたのご両親の世代では、女性は結婚したら家庭に入るのが普通でしたからね。もしもそうだとしたら、お父さんの最大の不安は何だったのかしら?」
「不安ですか?え〜っと、自分が描いた絵が、世間に受け入れられないことかな?それって、自分ではどうしようもないですものね。」
「客観的に見てどうなの?あなたのお父さんが描く絵って、広く世間の感動を呼ぶようなものなの?」
「それが・・・」
あきさんは、子供の頃から飽きるほどに見た父の絵を思い出しました。
写実的で、伝統的な日本の風景を描いたものが多かったのですが、父の人となりをそのまま表現したような、冷たいものが伝わってくる絵でした。あきさんと仲良くなった友人が、遠慮がちにその印象を保証してくれたことがたびたびありました。きっとあの絵を部屋に飾りたいという人はあまりいないことでしょう。
「そうなの。もしそのことにお父さんご自身が気付いていたとしたら?」
「気付いていたのかしら?」
「事実はわからないわ。でも、お父さんの内側で何か気付いていたとしたら?」
「そうですねぇ。自分の大きな夢が実力がなくて叶わないかもしれないと内側で気付いていたとしたら、それが現実になるのがとても不安だったでしょうね。あ!」
「どうしたの?」
「わかったわ。そういうことだったのね!」
「なに?お話してちょうだい。」
「はい。父は、母や私がいるから夢を追求できなかったと思うことで、本当は自分に実力がないから画家になれなかったのだという現実と向き合ったり、受け入れたりする不安から逃れようとしたのではないかしら?」
「もしそうだとしたら?」
「そうだとしたら、父にとって、母や私の存在って、ものすごく都合が良かったんだわ!!」
「なぜかしら?」
「母は自分の力でバリバリやって父の夢を支えていくようなタイプではありません。
もし父が本当に夢を追求したかったら、働いて生活を維持してくれるような女性を選べばよかったんだわ。でも、父は逆に、父が養わなくてはならないようなタイプの女性を選んだ。
それって、そのほうが、絵から離れる正当な理由があって都合がよかったからじゃないかしら?
私にしてもそうです。私、子どもの頃からすごく病弱でした。それも、父には都合がよかったと思うんです。だって、病弱な子供を捨てて絵に専念するより、夢を捨ててでも子供のために働くほうが、人として当然だと世間的にも評価されるじゃないですか!
しかも、人として当然のことをしていると思うことで、父は自分の実力とか、叶わないかもしれない夢を実現させるための努力と向き合う不安から逃れられたんだわ!!
私は実家にいる間、なぜか、なかなか健康体になれなかったのですけど、それって、自分の体を使って、父の『不安からの逃亡』に全面協力していたのね!!!!」
「あきさん。今、あなたは長い間お父さんを見てきた視点を転換したわね。どう変わったかしら?」
「父は、ただの傲慢で冷たい人間じゃなかったみたい。自分の夢と現実のはざまで不安に負けた、弱々しい青年だったのね。そして、そのことを気付くまいとして、ずっと虚勢を張って生きてきたんだわ。」
今日も読んでくださってありがとうございました。
あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。






