ケータイが鳴りました。

 

 あきさんは、そのままの姿勢で振り返りました。

 

 開けたままにしておいた窓の向こうのテーブルに、いつの間に出したのか、ケータイが置いてありました。

 

 着信ランプの光り方から、メールの主がわかりました。

 

 ハヤトだわ。

 

 あきさんのケータイに、たったひとり、着信ランプの光り方が他の人と違うように設定してあるハヤトさんからのメールでした。

 

 他の誰からメールがきたとしても、その時のあきさんは無視したでしょう。

 

 たったひとり、あきさんが無視できない人からのメールでした。

 

 あきさんは、そっと足をおろし、部屋に戻りました。

 

 メールには、こんなことが書いてありました。

 

   あきへ
   最近連絡がないけど
   元気か?

   疲れたら休めよ。
   あきには、いつでも
   休みが必要だよ。
   あんまり自分を追い
   詰めるなよ。

   また飲みに行こうな

 

 「あき」と呼び捨てにしてくれるのも、この世でハヤトさんだけです。

 

 あきさんは、片方の頬だけに笑顔を浮かべて、ふらふらとソファーに座り込みました。

 

 返信をしなくちゃ。なんて書こう。

 

 そう考えているうちにいつしか横になり、ケータイを握り締めたまま眠ってしまいました。

 

 夢の中で、あきさんはハヤトさんと出会った頃のことを思い出していました。

 

 「あきはさぁ、いいオンナだよなぁ!」
 「なによ、呼び捨てにしてっ。ハヤトのくせに!」
 「いいじゃないか〜。これからは呼び捨てにしようよ〜」
 「生意気ね、いいわよ。私も呼び捨てにするから!」

 

 酔っ払ったハヤトさんとそんなやりとりをしてから、もう何年たつのでしょう。

 

 あきさんがハヤトさんと出会ったとき、ハヤトさんにはすでに学生結婚した奥様がいました。

 

 出会ってすぐに運命の人とわかった、などという劇的な出会いだったわけではありません。

 

 けれども、あれこれと共にしていくうちに、お互いに、相手を、なんて心地の良い人だろうと思うようになっていました。

 

 頼りになるし、頼らせてもくれる。しかも、頼ってくれるし、頼りにしてくれている。

 

 あきさんは、ハヤトさんの声と話し方が大好きでした。

 

 背の高さも、肌の色も、選ぶ服の色も好きでした。

 

 クリクリとよく動く目が、ことのほか好きでした。

 

 笑顔もマジメ顔も、怒った顔すら好きでした。

 

 一緒に何かしている時間も、離れていて彼を思う時間も好きでした。

 

 自分のそんな気持ちを、ハヤトさんはどれくらい気付いているのだろうか、もしかしたら全部知っているのかもしれない、いや、まったく気付いていないのかも…あきさんは、時々そんなふうに考えるのですが、それ以上深く追求しないことにしていました。

 

 告白したらハヤトさんを困らせてしまいます。でも、本当は、こんなに好きなことをわからせたい。

 

 ハヤトさんは、あきさんの気持ちに気付いていました。

 

 気付いていたどころか、ハヤトさんもあきさんをとても好きでした。

 

 感情の波が激しくて、笑ったり怒ったり落ち込んだり、少しも穏やかではいられない彼女が好きでした。

 

 好奇心旺盛で、がんばりやで、チャレンジ精神いっぱいのところも好きでした。

 

 頭の回転が速いところも好きだったし、短くて茶色い髪も好きでした。

 

 時々たまらなく子供っぽく見えるところも好きでした。

 

 3歳年上のお姉さんだけど、まるで妹のようにも思え、守ってやりたい、元気付けてやりたいと思わせてくれるところも大好きでした。

 

 でも、それ以上、深く考えないことにしていました。

 

 奥さんと別れるとか別れないとかいう話には耐えられそうにありませんでした。あきと先に出会っていたら、きっと自分の人生は変わっていたのだろうなとは思うものの、今のこの人生を否定する気持ちにもなれなかったのです。

 

 微妙な距離を保ったまま、2人は幸せでした。でもその幸せは、少しずつ少しずつ、あきさんを疲れさせていました。

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。