いま、これほど穏やかで、人の心の機微を知り、温かく包み込むようにいてくれるゆかりさんが、幼少の頃はけして幸せとは言いがたい育ち方をしていたことに、僕は言葉にならない衝撃を受けていた。
その告白にも驚いたが、それを聞いて「あなたはとびきり幸せな人だ」と言った、和尚さんの言葉にも驚いた。
父親がいなくても、あの母と姉がいた僕の子どもの頃から、ふたりを取り除くことなど想像すらできない。
なのに、とびきり幸せとはどういうことだろうか。

「幸せでしょうか?」
ゆかりさんも同じように感じたらしく、和尚さんの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「ええ、ええ。お幸せですよ、ママさん。」
その場にいた誰もが、疑問を浮かべたに違いない。

「忘れがちだけれど、この国も、大きな戦争や災害をいくつも経験しています。
その時には、 ママさんのようなお育ちをした人々が大勢いましたろう?」
「ああ、そうだなぁ。」
「ご苦労はされたでしょう。
けれども、その方々すべてが不幸だったのでしょうかな?」
「そういうわけではないよなぁ。」
「その通り。
そういうわけではない。
よろしいか?
幸せとは安心だと先ほど申し上げた。
そうしてなぁ、安心するために必要なものなど何もないのじゃよ。
ただ、安心だと知っておればよい。」
「え?」
一同、眼を見合わせた。
今夜はこんな瞬間がたくさんある。

「安心でいるためには、ただ安心だと知っておればよい。
親も金もいろいろなものも、あればあるに越したことはないが、必須条件ではないということだなぁ。」
「そんなことってあるんですか?」
「おお、あるある。
我々は空だと言ったろう?
つながっておる。すべてがそこにある。
もしも足りないところがあれば、補われて当然なのだなぁ。」
「補われる…。」
「親がなくとも、同じような愛情を注いでくれる人物が必ず現れる。
金がなくとも、いずれは回ってくる。」
「そんなものでしょうか?」
「おお。そんなものだと、ママさんは己が人生をもって、証してこられた。
それは、同じような状況で生きることに疑問をもつ人々の大きな勇気となろう。
尊いことじゃし、これほどにわかりやすい『生きる意味を持った人生』もまた、そうはなかろう。」
「ああ…!」
「だから、あなたはとびきり幸せな人だと言ったのだよ。」

だんだん、分かってきた。

「安心というものを、もう少しわかるように例えるならば、貯金のようなものだな。」
「貯金、ですか?」
「そう、そう。」
「空という銀行に、貯金がしてあると思ってみるのじゃよぉ。
ところが、その貯金のしかたは、人それぞれじゃ。
前世や親御さんが善根を積んでくだされたおかげさまで、最初から空銀行に大枚が普通預金になっていて、いつでもほしいだけ引き出せる人がおる。」
「それ、いいねぇ。」
八百屋の長さんが大げさに頷いたので、一同微笑んだ。

「ところが、金融商品というのは、普通預金だけではなかろう?」
「確かに!」
「中には定期預金になっている人もおる。」
「定期?」
「途中解約すると利子はつかないけれど、期限まで待てば少しは増える。
元本割れする心配はない。
いつでも引き出せるわけではないが、なくならないから安心じゃ。」
「おお。」
「しかし、それではつまらんと言う人もおろう?
そういう人は投資信託なんぞが買ってある。」
「投資信託?」
僕はお金の話に疎い。
「プロが運用してくれる株式投資と思えばよい。
うまくすればたいそう増える。
そのかわり、うまくいかなければ元本割れの危険もある。」
「あー、それがリスクってやつですか?」
「そうそう。
先に生活費にしたいと引き出してしまえば、元手が減って、増やせる幅が小さくなる。
我慢して運用しておけば、大きくなるかもしれん。」
「おー。『かも』…。」
「そうしてなぁ、中には、持てるすべてを『年金』にしている者もおるのじゃ。」
「ね、年金?」
「支払いは、65歳になってからじゃ!」
一同、なぜか腹を抱えて笑ってしまった。

「どちらにしろ、持っておるのだよ。
心配ない、ない。」
「ほぉ!」
「ところが、誰もそうとは知らんのじゃ。
そこに、我ら宗教人の存在価値がある。
我らはもっともっと伝えねばならん。
我れはひとつながりの空のようなものであって、境目もなく、不足もないとな。
安心していてよいのだとなぁ。」


僕はこの時の話がたまらなく面白くて、しかも、心が豊かになったような気がして、大好きになった。
楽しかった。
ゆかりさんも、心の中で合点がいったのか、いつもの朗らかな笑顔にもどっていて、もう一つ何か料理を作ろうと、僕を連れてカウンターの中へ戻った。
「このお仕事をしていて、最高に素敵だと思うのは、今夜のようなことがたまにあるからかしらね。」

そうかもしれないと、僕も思った。






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