今年の夏は暑かった。
いや、夏とは暑いものだけど、暑いにもほどがある。
いい加減うんざりし尽したころ、いくつかの台風が通り過ぎ、ようやく秋風が吹いた。

夏の始めに、「一夏の恋」などという慣用句とは縁がないらしい自分を知った。
戸惑いもしたし、落ち込みもした。
多少だが、悩んでもみた。
今すぐ結婚すると言ってもおかしくない年齢なのに、女性に興味がわかないなんて!

けれども、あっという間に、悩むだけ無駄だと気が付いた。
悩んで解決するなら悩めばいいだろうが、これはそういうものではないだろう。

恋待先生は、僕のこの状態を、過去の治療の影響ではないと言った。
トラウマだろう、とも言った。

トラウマだったらどうすればいいんだ?と考えてもみた。
カウンセリング?
それはそれでいいのかもしれない。
それで普通になれるなら、大事なことかもしれない。

でも、「普通」っていったい何なのだろう。
僕にとっての「普通」は、僕が決めてもいいのではないだろうか。

夏祭りにでかけただけで熱を出した。
それだって、世間の人が聞けば「普通」ではないだろう。
だけど、僕はそんな人なのだから、僕にとっては「普通」だ。
いいじゃないか。

僕には両親がいない。
父親は見たこともないし、母親はもう死んでしまった。
両親そろっていないのは「普通」じゃないという人もいるだろう。
でも、僕にはどうしようもない。
これが、僕の「普通」だ。

両親はいないけど、遠くにやたらと元気な姉さんがいて、婚約者ができた。
人種のちがう弟もできるらしい。
毎日の暮らしの中には、ゆかりさんという雇い主兼血のつながらない家族みたいな人がいる。
元さんや宮田先生みたいな、お客様兼年上の友達もできた。
会社勤めじゃないけれど、小紫という職場があって、バーテンダーという仕事がある。
これが今の僕の「普通」だ。

クラシックもジャズも好きだけど、ロックには興味がない。
興味がないけど、聞けないわけでもない。
女の子に興味が薄いというのは、それと同じことだ。
話ができないとか、側に寄ってほしくないということでもない。
かわいい子はかわいいし、きれいな人はきれいだ。
それが、僕の「普通」でいいじゃないか。
考えがここまでたどり着いたら、何も気づいていなかったときよりもずっと気が楽になって、肩の力が抜けた。

それに、僕は幸せだ。

子どもの頃は、幸せには条件があると思っていた。
大きな家とか、たくさんのお金とか、贅沢な食事とか、高価な服とか、賢い犬がペットだとか。
そういうものを持つことが幸せなのだと思っていた。
ところが、毎日を「普通」に生きていると、ちょっと違うのかもしれないと思える。

朝、爽やかに目が覚める。
ゆかりさんが、美味しい朝ご飯をこしらえてくれる。
畑に出て、野菜を収穫する。
お店をピカピカに磨き上げる。
たくさんのお客様が来てくれる。
くたくたになって入る風呂。
ああ、明日はちょっとでいいから時間を作って、あの本を読もうか、あそこへ行こうか、あれを食べようかと考える。
自分にちゃんと居場所があり、することがあり、したいことがある。
そういう小さなことが幸せを創るんだ。


「穂高、ねぇ、穂高!寝てるの?ちょっと起きて!」
襖の外からゆかりさんの声がした。
僕はいつの間にか昼寝していたらしい。
ぼんやりと時計を見上げる。
14:40のデジタル文字が明るい部屋の中でうっすらと見える。

「はい。どうかしました?」
「お店にね、ススキを飾ろうかと思うのよ。」
「ススキ?まだ早いんじゃないかなぁ。」
「そうかもしれないけど。ちょっと川原のほうまで散歩がてら行ってみようかと思いついたの。よかったら、一緒に行かない?」
ゆかりさんは襖越しのままだ。
川原か。
「いいですね。」
僕はふすままで這って行って、すすーっと開けた。
「顔洗います。下で待っててください。」
「わかったわ。ああ、花ばさみを用意しましょう。」

今日も僕は幸せだ。






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