Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2015年11月


太宰の本を彼女に貸した翌日は、実習最初の一週間の最終日でもあり、彼女がいるA組の2度目の授業でもあった。
6月の梅雨時だというのに、その1週間は雨が降らなかった。
高2にしては簡単すぎるのではないか?と思うほどわかりやすい評論を教えるのはたやすく感じられ、物足りなく思う生徒の存在を思って、僕は少しずつ脱線して、あれこれと蘊蓄を織り交ぜた。
物足りなく思う存在…その時僕は漠然とそう考えていたけれど、今にして思えば、それは、あの彼女のことだったのだと言い切れる。

授業は無難に終わり、放課後遅く、僕はまた彼女の教室を覗きにいった。
いてもいいかと問われた通り、彼女はまだ教室にいて、その日も本を読んでいた。
吹奏楽部はにぎやかにマーチを奏で、グラウンドの野球部は時折高い金属音をさせながら盛大に声を上げている。
「やあ、熱心だね。」
「あ、先生。今日も黒板の練習ですか?」
「うん。読書の邪魔にならない?ここは君の教室ですから。」
「邪魔なんて!どうぞ。」
「では、失礼して。」

そう言いながら彼女は、もう読書に戻ることはなく、僕は僕で黒板に字を書く前の難問に答えを出せずにいた。
どういう経緯だったか、僕はその難問を彼女に話したのだ。
「来週の今日が研究授業なんですけどね、今日の僕の授業を見て、山田先生から難問をいただいてしまったんだ。」
山田先生は僕の指導教官だ。
40代半ばくらいの穏やかな男性で、いつもきちんとアイロンがかかったシャツに、無地ではないスラックスを履いている。 
口調もおっとりとしていて、この先生が生徒を叱るところなど想像できないほどなのだが、なぜか山田先生が教卓の前に立つと、生徒はふっとおしゃべりをやめて前を向く。
僕は大声をあげなければ振り向いてもらえないのに。

「難問って何ですか?私が聞いてはいけないようなこと?」
「生徒に聞かせていいかどうかわからないけれど…。まぁ、いいでしょう。あのね、山田先生は僕の授業を『評論文を教えている』授業だとおっしゃるんだ。」
「え?でも、評論ですよね?」
「確かに評論だよ。でも、山田先生がおっしゃるには、『本物の国語教師は評論”を”教えるのではなく、評論”で”教えるのだ』ということなんだ。僕にはその違いが分かるようで分からない。」 
「”を”と”で”の違いってことですよね?」
「まぁ、そういうことなんだろうね。」

彼女は漆黒の長い黒髪を片頬に落として、しばらく考えると、ふとつぶやいた。
「そうか!だから山田先生の授業っていつも面白いのね。」
「どういうこと??」
僕は教卓の前から彼女が座っている机の隣に移り、その椅子に座った。
「つまり、目的と手段ってことですよね。」
「え?」
「先生は評論を教えることを目的になさっている。でも、山田先生には教えたいことはほかにあって、評論文はその手段だっていうこと。」
「ああ、なるほどね。で、その教えたいことって?」
「そのことに、私も今気づいたんです。山田先生はいつも、生きる知恵みたいなこととか、社会のルールとか、なにかこう、教科書にそのまま書いてあったりはしないんだけど、すごく大切そうなことを話してくれていたんだって。だから私たち、山田先生の国語はみんな大好きで、けっこうやんちゃな人たちも授業の邪魔をしたりしないんですよ。」

ああ、そういうことか。そうか!
僕の目の前の黒いカーテンがサッと開いて、眩しい朝日が差し込んできたような、よろめきに似た衝撃を感じた。
ならば、分かりやすいものを解りやすく言い直しているだけの僕の話は、授業なんて呼べるものではない。
僕には生徒たちに伝えたい何物もない。

衝撃ではあったけれど、あの時の僕は心底気持ちが前向きだったのだろう。
よし、次の水曜日にまたA組に行くまでまだ時間がある、そこのところをもっと考えてみようと思えた。
「ありがとう。君のおかげで、悩みも解決。スッキリしたよ。お礼に、僕も君の悩みを聞いてあげるよ。」
深い意図などあろうはずもない。
ただ、本当に軽い気持ちで口にした言葉だった。

「お礼だなんて。」
彼女は口元を小さく微笑みの形にした。
「悩み、ないの?」
「悩みですか?」
彼女が特にこれと言い出さないので、僕は勝手にしゃべり続けた。
「それにしても君は毎日こうして暗くなるまで教室で本を読んでいるの?本なら家でも読めるでしょうに。何か帰りたくない理由でもあるのかな?」

その時の、彼女のはっとした表情は今でも思い出せる。
「先生、私の悩み、聞いてくれるんですか?」
「聞くよ。」
「誰にも言わない?」
「もちろん。」
守秘義務については、実習前に誓約書を書いた。
校長先生からもしつこいほどに言われたから、よく分かっている。

彼女はごくりと唾を飲み込んだようだ。
丁度、西日が強く差し込み始めた。
窓を背にして座る彼女を見ると、眩しくて仕方がない。
強いオレンジの光に守られて、僕には彼女の表情が見えない。

「私の母は、私がまだ小さいときに離婚して、今の父と再婚したんです。
私、新しい父のこと、けっこう好きで、すぐに仲良くなりました。
でも、私が中学生になったころから、父がなんだかおかしくなったんです。」
「おかしく?」
「私の入浴中にお風呂場をのぞいてきたり…。」
「…。」
「最初は気にしないようにしてたんです。でも、だんだんひどくなってきて。母がいないとき、家に二人だけになると服を脱げとか…下着をとって見せろとか…。」
「そんな、そんなばかな!」
「いうことを聞かないと殴られるんです。」
「だめだ。お母さんは?お母さんには相談したの?」
「ずっと言えませんでした。でも、耐えられなくて…。」
「お母さんは何て?お父さんと話し合ってくれたの?」
「話し合いというか、ケンカに。でも、私が悪いって言うんです。」
「なぜ!?」
「……。」

僕は絶句した。
こんなひどい話があるだろうか。
僕は興奮の極みにいた。義憤というのだろうか。
「あの、こんなこと聞いてはいけないと思うけど、でも、あの、見せろって言われるだけなの?あの、その、触られたり…はしていないの?」
そんなことを聞いて、僕はいったいどうするつもりだったのだろう。
何の考えもなかったくせに。

「…。」
彼女の答えはなく、代わりにひと際強くなった光の中で、黒いシルエットの肩が震えているように見えた。
「ダメだよ。許せない。」

「ありがとう、先生。聞いてくれて。」
「聞いただけじゃ!それで君、家に帰りたくないから、こうしてここにいるんでしょう?」
「いいんです。誰にも言わないでください。
大丈夫、私。地方の大学に行きます。
それで、家を出ます。それで終わりますから。
誰にも言えないけど、誰かに聞いてほしかったんです。
だからもう、忘れてください。」
「そんな馬鹿な!」
「じゃ、さようなら。ほんと、忘れてくださいね。」

彼女は素早く身を翻すと、教室を駆け出していった。
僕は、教室に一人取り残された。
この部屋に来た時よりも何百倍も何千倍も大きな難問を抱えて。





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大学4年で2週間の教育実習を迎えた。
大学を離れての実習はこれが初めてではない。
障害児が通う学校へ2日間、高齢者介護施設へも5日間、どちらも2年の時に体験に行った。
高校の教員免許だけなら不要な7日間だが、僕は中学校国語の免許もとるつもりだったので、この介護等体験実習というのが必要だった。

どちらも、人生初の場所で、右も左も上も下も分からない時間を過ごしただけで、精神的に得るものは大きかったけれど、何かをやりとげた気分にはとてもなれなかった。
でも、一緒に実習に行った学生の中には、その体験に深く感動し、ますます先生になりたいと思った、という人も少なくなかった。
そのへんから、僕は少しズレていたのかもしれない。

緊張と変な気負いで心がパンパンに膨れていた初日、 指導教官の後をついて回り、授業の様子を見学するばかりの2日目はあっという間に終わった。
3日目からは、早くも授業を受け持った。
現代文だ。

指導教官は、6月に実習に行った僕のために、2年生の現代文の教科書の、一番最初の評論文をとっておいてくれた。
分かりやすい文章だと思った。
これを生徒に理解させればよいのなら、自分にもできそうだと感じ、指導教官の配慮に心から感謝した。
指導教官は4種類・2学年にわたって授業を持っていたが、僕が担当させてもらうのは2年A組の現代文と、2年C組の古文だけだった。
指導教官がほかのクラスで同じ題材の授業をするのを見学させてもらうこともできる。
至れり尽くせりの待遇だったと言える。

初めての授業…つまり、最初の週の水曜日、A組の女子生徒が授業の後で質問に来た。
「さっき先生がおっしゃった、太宰治の小説、もう一度タイトルを教えてください。」
「ああ、『葉桜と魔笛』ですよ。」

授業の本筋のことではなかった。
説明のついでにちょっと触れた、太宰の小説に興味を持ったようだった。
長い漆黒の髪をした女生徒だ。
人形のように色白で、憂いを帯びた佇まいをしている。
目を彼女の後ろに移せば、チャイムと同時に飛びつき合ってじゃれていたり、早くも弁当を頬張りながら笑い興じている姿があちこちに見える。
それに比べると、まるで10も年齢が違うのではないかと思われるほどの落ち着きで、その女生徒はそこにいた。

「ありがとうございます。後で図書館で探してみます。」
「ああ、あの、それなら、明日僕のを持ってきてあげましょうか。」
「えぇっ、いいんですか?」
「いいですよ。繰り返し読んだから多少くたびれていますが、読むのに支障はないでしょう。それに短い話ですから、すぐに読み終えられますよ。」
「ありがとうございます。では、明日職員室にうかがいます。」

いまどきの子…といっても、僕と6つほどしか違わないわけだけど…の割には、美しい日本語を話す子だなと思った。
まさか、教育実習の大学生ごときに、質問をしてくる子がいるとは。
それも、意地悪やからかいではない質問を。
あの子が僕の授業を通じて国語に関心を深めてくれたなら、こんなに嬉しいことはない。
僕はすっかり教師気取りで有頂天になり、自分が犯した初歩的で重大なミスに気付かなかった。

次の日の指導案を提出し、急いで帰った僕は真っ先に、いつも手の届くところに置いてある太宰の文庫を鞄に入れた。
そして木曜日、僕はいつ彼女が来るかと、どこかそわそわと待っていた。
けれども、彼女は現れない。
古文の授業は、指導教官がやりかけていた品詞分解を引き継ぐ形だったので、指導の準備もさほどなかった。
職員室で、息詰まる思いでプリントを作成していたが、そう長くはかからない。
僕との約束を忘れてしまったのだろうか。
まあいいか、明日はまたA組での授業があるしと思い直した。

思い直しながらも、なんとなく、2年A組の教室を覗きに行ってみた。
もしもヘンに思われたら?
そうだ。板書の練習をしに来たと言えばいいだろう。
なぜ僕は言い訳を考えている?
何も疚しいことなどないのに。

彼女は、教室にいた。
ひとりで。
本を読んでいた。
本を買ったときの表紙ではなく、紺地に花柄のきれいなブックカバーがかかっていて、何の本かは分からない。
級友は下校するか部活に行くかしたのだろう。
別の階にある音楽室から、ブラスバンドの演奏が響いてる。
あれは、ツァラトゥストラかく語りきの、冒頭だ。

「おや、まだいたんだね。」
自分の声が不自然でないか、慎重に聴きながら偶然を装った。
「あ、先生。これ、面白いんです。つい夢中になってしまって。」
そういって彼女は、片手で本を少し持ち上げて見せた。
「そうなの。僕はちょっとここの黒板を借りて、明日の授業の練習をしたかったんだけど、邪魔になりそうだからほかの教室を借りることにするよ。」
「いえ、丁度いいところでしたから、私が帰ります。どうぞ使ってください。」
「いや、あの、邪魔してしまって…。」
「大丈夫ですよ、先生。」
「そうだ、これ…。」
僕は抱えていた教科書とノートに挟んでおいた太宰を取り出した。
「昨日約束した本、持ってきたんだけど、それが読みかけのようだから、これはいいね。」
「いえ、先生。ありがとうございます。お借りしてもいいですか?先生の実習が終わるまでには必ずお返ししますから。」
「そう?じゃあどうぞ。」
「ほんと、ありがとうございます。では、さようなら。」

丁寧に頭を下げて背中を見せた彼女が、ふと立ち止まって振り向いた。
「先生は明日も、黒板の練習にいらっしゃるんですか?」
まさか、君に本を渡すための口実だったとは言えず、つい
「あー、多分。僕は国語の先生になりたいくせに、字が汚いから。それに、どうしてもまっすぐ縦に書けないし。」
彼女はこのときはじめて、くすりと笑った。
「もしも、お邪魔でなければ、私、明日もここで本を読んでいてもいいですか?」
「もちろん。ここは君の教室ですから。お借りするのは僕のほうです。」
「じゃ、また明日。」

僕は先生として生徒に受け入れられている。
そう思えてならず、僕は心がふわふわと浮きたつような喜びを感じた。
教壇に一歩上がると、するつもりのなかった板書を練習してみる。
まっすぐに書けないのは本当だ。
でも、落ち着いてよく見ると、黒板には5センチ四方くらいのマス目がうっすらと描かれているではないか!
なんだ、これに沿って書けば、曲がることもないわけだ。

窓の外を眺めやったときの、黄色い夕日を覚えている。
ああ、教職は楽しいな。
あの時確かに、僕はそう思った。
思ったのに。





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「で?就職したって?仕事は何?こんな平日の昼間が休みになるような仕事なのか?」
手が空いたらしいオーナーが興味深そうに顔を寄せて尋ねてきた。

「それが、自分でも意外な仕事なんですよ。」
「もったいぶらないで教えてくれよ。言いにくい仕事なのか?いい女のヒモとか?」
「とんでもない!」
僕は慌てて、飲みかけのアイスコーヒーを吹きだしそうになった。 
「じゃ、何?」
「バーテンダーなんです。」
「バーテンダー?おやまぁ。それは確かに意外だ。」
「でしょう?」
「ということは、僕とご同業ということだねぇ。」
「はい。先輩、これからもよろしくお願いします。」
わざと椅子から立ち上がって両腕を脇にぴたりと添え、丁寧に頭を下げて見せた。
「はいはい、こちらこそ。」
そうして、オーナーもプッと吹きだして、顔中を笑顔にして笑った。

「そうか。君が接客業とはね。人間はもうこりごりだと言っていたけど、あれは克服したのかい?」
「うーん、どうなんでしょう。相変わらず不器用ですよ。でも、今は周りの方々にホント恵まれていて、楽しいです。」
「そうかぁ。それは何よりだね。でも、あれかい?教職にはもう未練はないの?本当のところは諦めていないとか、そういう気持ちは?」
「正直言ってよくわからないんですよ。でも、今は未練とかそういうものは感じません。」
「惜しいことだと思うけどね。確かに君の経験はめったにないひどいものだったよ。夢を見る前に、いきなり裏側のドロドロした世界を見せ付けられたようなものだったしね。でも、あんなことは、一生体験しない先生の方が多いだろう。だとすると、君だってもう、二度とあんな目には遭わないと言えるんじゃないかともね、思うんだよ、僕は。」
「さあ、どうですかね。どちらにしろ、僕はもういいですよ。学校は卒業です。」
「うん。まあ、君の人生だからね。思うように生きるのが一番大切だ。」
「ありがとう、貴船さん。」
「どういたしまして、サトル君。」

姉さんのことをとっぷりと思い出していた僕に、思いがけない方向から思いがけない話題が振られて、僕は大いに戸惑った。
が、そこがわずかな期間といえども接客業をしてきた成果なのだろう。
戸惑いを笑いに変えてしまうことに成功したようだ。
でも、内心は穏やかとはいかない。
教職だって?
とんでもない!

話しているうちにも新しい客がきてオーダーが入ったので、オーナーはコーヒーを淹れる支度にかかった。
この人は、コーヒーに全身全霊を注ぐようにするから、会話は自然と途切れる。
僕は、オーナーに言われて久しぶりに教育実習の、あの事件を思い出した。
できることなら、二度と思い出したくない体験を。



文学部で源氏物語なんぞを研究したところで、研究者になれるのは数年にひとりいればいいほうで、研究が就職に役立つことなど滅多にない。
そんなことは研究する前からわかっているので、友達はみな楽しみは大学の4年間と割り切って、普通に就職していくものだと思っている。
ところが、それほど景気が悪くない時でも、文学部の学生をわざわざ採ろうなどという企業は多くない。
たおやかな女子学生ならともかく、男となると、なおさらだ。
実際に、4年になる前のこと、求人票を張り出した掲示板も、他学部に比べ、文学部向けに貼られたものなど皆無と言っても過言ではない。
法学部や経営学部の友人たちは「押入れが勝手に送られてくる会社資料で埋まった」などと言っている時に、僕のところにやってきた資料は、製パン会社の工場1つだけだった。
それも、僕が請求したから送ってくれたので、その後、何の音沙汰もない。
それはそうだよなぁと、僕でも思う。
体育大学でラグビーをやってました!と言えば、体力自慢、仲間づくり良好、人当たりよし、理不尽にも強く、宴会芸も持っていて、どこでも使えそうな気がしてくる。
でも、文学部で源氏物語を読み解いていました!といっても、軟弱で孤独、性格は暗く、いかにも扱いづらそうで、飲みに誘ってもすっぱりと断ってきそうな気さえする。そんな人ばかりではないことは重々承知していても、イメージというのは拭いがたいものだ。

それは教授たちもよく分かっているから、僕らはみな一応教職課程をとっていた。
授業は増えるし、実習も多い。
最初から考えない人たちは、自分の未来をきちんと見据えているひとたちで、僕のように「今」に精一杯で未来が見えないタイプにとって教職は、大切なセーフティネットなのだ。

病気で出遅れはしたものの、単位を取るのには問題なく、僕も4年の6月、教育実習に行くことになった。
出身の高校が希望者多数で実習を受けてくれなかったため、僕の実習先は、大学が紹介してくれた某公立高校になった。

僕はそこで、一生を変えられるような経験をした。






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僕の主治医・恋待先生の手厚いサポートのおかげでレポートは無事仕上がり、チャレンジで受けてごらんと言われた試験もなんとか切り抜け、ごく普通の講義の日々が始まった。
残暑の9月はいつしか天高く馬肥ゆる秋になり、都会の街路樹も色づく頃になった。
僕は、治療を続けながらも不調になることもなく、何もなくなった髪が、産毛のように気持ち生えてきたりもした。
けど、産毛がふわふわしているより、何もない方がすっきりしていい。
僕はわざと安全剃刀を駆使して、全部そり上げてしまったりしていた。

姉さんとひとつ部屋で暮らし始めて3か月近くになった。
もともとおしゃべりな人ではないのだけど、なんとなくぼんやししていることが多い。
でも、ルナソルのバイトは続けているし、故郷にいたころと同じように、とびきり美味い飯を作ってくれる。
そういう点は変わりなかった。

オーナーとのことはすでに聞いていたけれど、それが元気のない原因なのだろうか。
いつもの姉さんなら、わりとスパッと思い切りそうなものなんだけどなぁ。

もう一つ、姉さんについて気になることは、荷物が増えないことだった。
もともと、多くのものを処分してこっちにやってきてくれた。
捨てられないものは、母さんの骨がある寺の住職が預かってくれたそうだ。
それでも、段ボールにひとつふたつのことらしい。

肌寒い日が増えてきたから、さすがに着るものは真夏のようにはいかない。
でも姉さんは「私は暑がりだから大丈夫。まだ寒くないよ。」と取り合わない。
センスのいい人だから、都心のデパートに並ぶ服に心惹かれないわけはないと思うのだけど、行ってみればと勧めても、まったく行こうとしない。
あきれた僕は、駅前の衣料品店でシンプルなグレーのカーディガンを一枚選んだ。
柔らかくて軽くて、これなら邪魔にもならないだろう。
僕の普段着に比べたらずいぶん高かったが、仕事着のことを思えばワイシャツ1枚分にもならない。
姉さんには、本当はもっと素敵なものを着てほしいくらいだ。

「これさ、気に入らないかもしれないけど、よかったら寒いなと思った日に着てよ。」
僕が袋ごと差し出すと、姉さんは誕生日のプレゼントが入った包装紙を決して破くまいと開く子供のように、そっとテープをはがしてグレーの塊を引き出した。
「あら。」
ボタンをはずし、そっとそっと袖を通してみる。
「あったか〜い!ありがとう、サトル。」
姉さんの久しぶりに見る嬉しそうな顔に、僕は心の温度が何度か上がる気がした。
「よかった、似合って。」

すると、柔らかな袖の感触を撫でながら楽しむ風だった姉さんが、ふと改まった顔をして僕を呼んだ。
「サトル。」
「なに?」
「あのね、母さんの生命保険のお金の中から、私に200万円くれないかな。」
「いいよ。好きなように使えばいい。」
「ありがと。助かる。」
「引っ越しでもしたいの?」

僕がずっと感じていたのは、そのことだった。
もともと僕は一人暮らしをするつもりでここにきた。
二人暮らしでは多少狭いが、もともと狭いところで暮らしていたから、窮屈で困るというほどのことはない。
でも、姉さんにも姉さんの人生がある。
故郷には、とても好きで楽しんでいた農家の仕事もあった。
いつまでも、僕のそばで僕の世話をさせるのは申し訳ない。
でも、いてくれないと心細い。ほんと、心細い。

「うん。引っ越そうと思う。」
やはり、そうだったか。
「この近く?それとも、帰るの?」
「グァテマラ。」
「え?」
「グァテマラ。」
「ええっ!?」

姉さんは、つまみにフライドチキンでも買ってくるわというのと同じくらい気軽に、その国の名前を言った。
あんまり軽々というから、距離感がつかめない。

「それって外国だよね?」
「当たり前でしょ。地理、習ったでしょ?」
「中米ってやつだよね?危険はないのか?」
「まあね。」
「なんで?なんでグァテマラなんだよ!」
「コーヒー豆、作ってみたくて。」
「えーっ!」
「グァテマラレインボーって、知ってる?」
「へ?いや、初めて聞いた。」
「くっきりと派手な虹色の布なの。手織りでね、ほんとに虹色をしているの。」
「へぇ。それが?」
「たまたま見かけたんだけどね、それに、惚れちゃった。
着るものや、ラグとか、いろんなところに虹をまとっているのよ。
すごいと思わない?」
「なんだよ、その理由。」
「それに、いろいろなコーヒーを飲んでみたけど、私、グァテマラが一番好きだったのね。
だから、この豆はどうやって作っているのかな?私も作ってみたいなぁと思ったのよ。」
「そんな…。」
「今すぐでなくていいけど、サトルはきっと私の気持ち、分かってくれると思うわ。
私、行ってみる。応援してくれるよね?」
「え?ああ、まぁ。」
姉さんに勝てるはずない。

「いつ、帰ってくるの?」
「わからないわ。」
「住む場所とか、働く農園とか、もうあてはあるの?」
「全然ない!」
「おい…」
「だから、最初に行くのは日本大使館かなぁ。あはは。」

それで、意図的に荷物を増やさなかったのか。
なんだよ、おい!とざわめく心の正体は、自分にもっと早く相談してほしかった裏返しだ。
でも、姉さんの気持ちもわかる。
相談されていたら多分、止めていたから。

「あんな鮮やかな虹に囲まれていたら、心配事も消えてなくなりそうじゃない。」
姉さんが呟いたから、僕ははっとした。
「心配事があるのか?」
姉さんは目を丸くして、意外そうな顔をする。
「うん、ちょっとね。」
「なんだよ、言ってみろよ。僕じゃ相談に乗れないようなこと?」
姉さんはくすくす笑うと、寂しそうな顔になって、小さくきっぱり言い切った。
「私の気持ちの問題なの。
だから、誰にもどうにもできないことなの。
だから、虹のそばにいたいの。
ごめんね、心配事の隣にいる勇気がない姉さんで。」

僕はあの時、姉さんが何を言っているのか全然分かっていなかった。
まさか、姉さんの心配事が、僕が死ぬんじゃないかということだなんて、思いも寄らなかった。
だから、胸をたたく勢いで言った。
「いいよ、逃げちまえ!
心配事なんて、気にするな。
好きなことして生きようよ。僕も、そうするからさ。」
「うん、ありがと。」

そうと決まれば早かった。
姉さんはあっという間に旅支度を整えて、虹の国へ飛んで行ってしまった。


グァテマラレインボーPhoto by 世界ワイド劇場 
 


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僕の病気は、白血病だ。
18歳で発症した。
で、18歳のうちに治療に成功した。
その後も数年、治療を続けたわけだが、今では完治したと思っている。
運がよかったのだろう。
僕の病気は、小児白血病と言われる、薬がよく効いて完治率が高いものとよく似た経過をたどった。
これが、成人の白血病なら、少し違う経過だった可能性が高くなる。
それでも、治る可能性がある病気なら、僕はきっと治ったと信じている。

治療を続けながらも大学にまた通い始めた僕に、生理学の教授からレポート課題が出た。
僕の病気や治療についてまとめて来いというものだった。
分かっていたつもりだったから、そんなの簡単だと思ったけれど、いざレポート用紙に下書きしようとして、はたと手が止まった。
正式な名前、正確な経過、どれも頭に入っていないことに気付いたからだ。

僕は忙しい主治医の恋待先生をランチタイムに呼び出した。
先生は、いつもこうとは限らないよと笑いながらも、姉さんがバイトしているカフェ「ルナソル」まで来てくれた。
貴船オーナーの店はその頃はまだランチはなかったから、レポートにする情報が得られたら、別の店に何か食べに行こうというつもりだった。
それでも、落ち着いて話を聞く場所として、他の場所は思いつかなかった。

オーナーに愛妻がいるとは気づかず、恋をして、告白して、撃沈したばかりの姉さんが、仕事をしながら僕たちの話を聞いていることに、僕は何の疑問もためらいも感じなかった。
恋待先生の話は、分かっていると思っていた以上に興味深かった。
病院から線路をくぐり、ゆるい坂道をグリズリーのような大きな体をゆすりながらやってきてくれた先生は、椅子にかけてからもなかなか息も整わなければ汗もひかず、2杯目のアイスコーヒーも、話が始まったばかりなのにもうほとんどなくなっていたのだけど。

かつては不治の病と思われていたものでも、医療技術は日進月歩、どんどん原因とか治療法が見つかっている。
治療法も一つだけではない。
患者が、自分の人生の質を考えて、選べる時代になりつつある。
そうなって初めて、患者が自分を問われるようになったという面もある。

先生が話してくれたいろいろな情報の中で、僕が一番背筋を伸ばして聞いたのはこの部分だった。
治療法が増えるのは喜ばしいことだ。
一方で、何もかもを医師に委ねて、生きるも死ぬも運次第みたいに考える時代ではなくなるということは、生きるも死ぬも自分の選択次第だという意味だ。
そうして、同じ生きるにしても、どう生きたいかで選ぶ治療も違ってくる。
「どう生きたいか」なんて、普通に生きている人間は、そうそう考えはしない。
良くも悪くも、生きるって忙しい。
普段、ふと感じることがあっても、真剣に「自分はいかに生きたいか」なんて考え詰めている人はそう多くないだろう。
でも、考えずにはいられない時代になってきているのだ。

僕の5年生存率はかなり高い。
パーセントが示す数字がどうであれ、僕は死ぬ気で生きるつもりはない。
僕にとって生き続けることは当たり前のことだ。
母さんはいなくなってしまったけれど、僕には姉さんがいる。
通いたい大学があり、その先に何を望むかはまだ霧の中だけど、きっと何かあるはずで、それを見つけたときのことを思うと胸が高鳴るではないか。
この人生のどこに、死の影がある?
確率なんか病院や研究所に置いておけばいい。
僕は、今も、これからも、生きていく。

つい話し込んでいるうちに、恋待先生の休憩時間が終わってしまって、一緒にご飯を食べに行くことができなくなった。
「いいよ。そこらで弁当買って帰るから。」
またねと手を振って帰っていく先生をルナソルに居残って見送った僕は、聞いたばかりの情報を整理し始めた。
すると、さっきまで恋待先生が座っていた椅子に、姉さんがコトンと腰かけた。
「いいの?」
尋ねる僕に、すでにエプロンをはずした姉さんは、
「うん。休憩だから。」
と、元気なく答えた。
「あれ?どうした?なんか元気ないね。」
「そう?いつもと変わらないよ。」
それだけ言うと姉さんは、僕の前に置いてあった水をとって飲み干した。
「なんだよ。自分のグラス、持ってこいよ。」
「いいの。めんどくさい。」

僕は気付かなかった。
僕にとって生きるのは当たり前、生存率なんて意味はないけれど、姉さんにとっては違うってこと。
自分に残された最後の家族が5年後までにいなくなる確率は2割。
その日、僕が病気の克服を当たり前のように思ったのと正反対に、姉さんには改めて家族を失う可能性を宣告されたのと同様になったのだ。
疲れを見せるたび、熱を出すたびに、この子は死んでしまうのでは?と思わなければならない5年間。
その心配は5年が無事過ぎても、終わらない。
再発するのではないか、発見が遅れたらどうしようと心配し続ける人生。
でも、その心配を僕に覚らせてはならない。
姉さんはあの時、まだ23歳だった。
姉さんがひとりで背負うには重たすぎる荷物だった。
けれど、若い姉さんよりももっと幼かった僕は、姉さんのそんな気持ちに気付きもしなかったのだ。






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