Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2014年08月


「今日、このスタジアムには、たくさんの小学生が招待されていると、会場入りした時に聞きました。
その小学校の名前を聞いた時、俺は、じっとしていられなくなりました。
なぜなら、その小学校の名前は、俺にとって、大事な名前だったからです。
そこには、俺の大切な人がいる。」

スミレとチヨコは目を見合わせた。
それって、私たちの学校のことよね?
大切な人がいる?
まさか、あなたのこと?
2人同時に首を振った。
ちがう、私たちじゃないわ。
そりゃそうだ!では、誰?

「俺には、子どもがいます。」
滝沢の、この一言には誰もがうなり声を立てずにはいられなかった。
モテまくりで好き放題とのうわさが高い真壁と違って、女性には見向きもしない、サッカーしか興味がない硬派として認知されていた滝沢に子どもがいる?
スタジアムは失点したとき以上にどよめいた。
取材陣の強烈なフラッシュの連打で、滝沢はスポットライトを浴びた以上に輝いている。

「俺は、愛していた女性を日本に残して行きました。
待っていてほしいとも、迎えに来るとも言いませんでした。
どれだけ時間がかかるかもわからない、金を払って入れてもらうようなチームだったから、連れて行くこともできなかった。
いや、本当は、自分とサッカーのことだけに集中したいという、俺の勝手なわがままでした。
でも、彼女は俺を責めもしないで送り出してくれました。
もう俺を愛していないと、わざと辛く当って、未練が残らないように気遣って、冷たい女のふりをしてくれました。
本当に、素敵な、大好きな人でした。

それが、昨年、偶然再会した共通の友人から、彼女が子どもを産んで、ひとりで育てていると聞きました。
友人は彼女から固く口止めされていたのにと、慌てていました。
俺はその子と彼女のことを、密かに調べてもらいました。
調べるまでもなく、彼女が口止めしたということが、すべてを知らせていました。
やはり、俺の子どもでした。
そして、彼女が結婚もせず、ひとりで育てていると聞いた時、俺は何をすべきか悟りました。

その時からずっと、彼女たちの暮らしぶりを、密かに見守らせて、様子を聞いていました。
息子は今年、小学生になりました。
元気に学校に通っていると聞いて、俺は考えました。
俺は、日本代表になって、彼女たちを試合に招待し、目の前でハットトリックを決めてプロポーズしようと決意しました。

それが、招待する前に、君たちが来てくれた。
どうしても気になって、試合直前に、スタンドの様子を見に行きました。
そうしたら、君たちは、俺の名前が入ったTシャツを着て、そこにいてくれました。」

ざわめくスタンドの一点を、滝沢が見つめた。

「霧島ジュン君!」

滝沢が名前を呼ぶ。
「ハイ!」
チヨコの隣でジュン君が、まるで出席を取られた時のように元気な声で手を挙げると、ピョンと立ちあがった。
そのジュン君に、滝沢が語りかけた。
「ジュン君。俺を、君のパパにしてください!」 

名前を呼ばれて飛び上がった時とは逆に、ジュン君はスローモーションで顔をめぐらせると、ママの顔を見つめた。
ママはジュン君の隣でいつの間にか涙をボロボロとこぼしている。
「ママ?あの滝沢がホントに僕のパパなの?」
「……ええ。そうよ。」

チヨコとスミレは瞬きも忘れて2人を見つめた。
ぼんやり立っていたら、隣に突然雷が落ちてきたような衝撃だった。
体中がしびれて、動けない。

「そうして、霧島玲子さん。長い間待たせて、それから、いろいろ全部ごめん。結婚してください。俺と、新しいチームを作ってください!」

滝沢健太が深々と頭を下げたまま、答えを待っている。
無遠慮なテレビカメラや望遠レンズが一斉にジュン君とママの方を向いた。
ジュン君はママに抱きついた。

「……ジュン」
何秒か無言でいたママが呼んだ。
「ママ、お嫁に行ってもいいかな?」
ママが言う。ジュン君は即答した。
「いいよ!滝沢のお嫁さんになるんだよね?いいよ、ママ!」
ママは両手でゴシゴシ涙をぬぐうと、泣き笑いの顔で尋ねた。
「ジュンはどうする?滝沢をパパにしてあげる?」
「うん!」
「じゃ、ふたりでオッケーって言おうか?」
「うん!」
相談がまとまった。

ママが、静かに立ちあがった。
ライトやフラッシュを浴びても、揺らぎもしない。
さっきまで、普通のスーパーの店員をしている、普通の母親にしか見えなかった彼女が、今は別人のようにシャンとして見える。
ママはジュン君と手をつなぎ、2人で全身を声にして答えた。
「よろしくお願いします!」

その声がどこかのマイクに拾われて、会場に流れた。
スタジアム中に、今日最初の1点が入った時よりも大きな歓声がこだまする。
拍手の渦、悲鳴、歓声。
ドンドンドンと太鼓は乱れうち、大きなフラッグが思い切り振りまわされた。
インタビューポジションで、滝沢は喜ぶのも忘れて、呆然自失と立ち尽くしている。
そんな滝沢の元へ、仲間たちが駆け寄って来た。






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「放送席、放送席、監督に来ていただきました!監督、おめでとうございます!」
試合終了間もなく、監督へのインタビューが始まった。
通訳を通して、今日の勝因を語る監督の後ろでは、両チームの選手が互いの健闘をたたえ合っている。
真壁と清水の2人は、相手選手に請われて、ユニフォームを交換したところだ。
清水は白いアンダーウエアを着ていたが、真壁はいきなりあの筋肉をむき出しにする形となり、スタンドから黄色い歓声が上がった。

ワールドカップ出立直前ということもあり、この試合の後は、選手・スタッフ全員で、観客に挨拶する…といっても話すのではなくて、客席下をぐるりと一周歩くらしいが…イベントが予定されているので、相手選手がすべてロッカールームへ帰って行った後も、日本代表はそのままピッチに残っている。
丁度、センターに戻ってきたゴールキーパー谷川に、皆が寄って行ったところだ。

「監督、ありがとうございました。本番も頑張ってください!」
「ガバリマス!オーエン、ヨロシク オネガイ シマース!」
こればかりは日本語で答えると、客席から大いに拍手が上がった。
「放送席、次は本日ハットトリック、滝沢選手です。滝沢選手、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。」

監督と握手をしながら立ち位置を代わった滝沢は、愛想のない声で答えた。
「大活躍でしたね。いかがでしたか?」
「はい。がんばりました。」
尋ね方も悪いのだろうか、これではインタビューにならない。
滝沢のユニークな受け答えは、海外からの映像でたびたび流されているから、これはいつもと違うと気付いた人は少なくなかった。
何より、ピッチの真ん中で、真壁と清水が怪訝な顔をしている。

「あいつ、大丈夫か?今日は最初からおかしかったが。」
「動きは悪くなかった。いや、最高によかった。なんだ、女にでもフラれたか?」
谷川も寄ってきて、
「おい、健太、おかしかないか?」
と心配げなまなざしを向け始めた。
その時だった。

「あの、ちょっと、話したいことがあるんですが、いいですか?」
滝沢が、インタビュアーに向かって、唐突に尋ねた。
「ちょっと、時間がかかるけど、いいですか?」
尋ねられて困ったインタビュアーは、プロデューサーらしき人物に強いまなざしを送っている。
滝沢が正面スダンドに対面して立っているので、スミレやチヨコたちからも、滝沢の緊迫感漂う表情が見て取れた。

「はい、どうぞ。」
プロデューサーの許可が出たらしく、インタビュアーは滝沢にマイクを渡した。
取材陣がどっと押し寄せ、黒い塊になった。
滝沢の凱旋談話だ。貴重極まりないのだろう。

「7年ぶりに、帰国しました。向こうにいる間も、応援してくれたみなさん、ありがとうございました。」
滝沢が先を続けられいほどの大声援が答えた。
それが鎮まるまで、少し待ってから、滝沢は続けた。
「日本を出る時、俺は心に誓いました。夢をつかむまでは、日本には帰らない。俺の夢は、世界に通用するサッカー選手になることです。」

穏やかな話し声だった。
観客は、あっという間に聴衆に変わった。
「その時、俺は、俺を応援してくれた人たちみんなに背を向けて、ひとり、旅立って行きました。それから、夢中でサッカーを続けてきました。いま、ようやく、その夢がかたちになったような気がしています。」
スタンドから、いくらか静かな拍手が湧いた。

「最初の夢がかなったら、実行しようと決めていたことがあります。
それを、今日、みなさんの前で発表します!」
観客席にいる62000人が、固唾をのんで滝沢を見守った。






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激戦だった。
ワールドカップには出場しないものの、世界ランキングは日本より上というその対戦国は、攻守のバランスが取れた試合を展開した。
わずかでも隙があれば突いてくる。
シュートも鋭い。
キーパー谷川は再三にわたり、左右に全身を伸ばして飛びこみ、ゴールを防いだ。
地面を蹴って悔しがる相手に、客席からは安堵のため息が台風のようにこだまする。 

日本の攻撃も多彩だった。
 しかし、どちらも守備が固くて得点にはつながらず、歓声とため息が繰り返されるうちに、前半戦が終了した。
早くも声が嗄れ始めた人がいる中、後半戦に入って間もなく、滝沢のコーナーキックがそのままゴールした時には、喉も張り裂けんばかりの喜びが、どの人からもほとばしった。
スミレとチヨコは思わず立ちあがって抱き合い、抱き合ったままピョンピョン跳ねた。
まさか、その姿がテレビを通じて全国放送されているとは気付きもせずに。

滝沢の得点を機に、試合は点の取り合いになった。
つぎの得点は相手方の完璧なゴールだったが、その次は日本にチャンスが回ってきた。
誰もが知っている攻撃王・真壁に、相手はマンツーマンマークをつけてきた。
プレッシャーの強いマークをかわして真壁が走り込むと、相手のディフェンダーがさらにひとり、真壁についてきた。
と、同時に、真壁を越えて清水が動く。
相手のディフェンスは当然、清水を封じるため、さらに2人、清水を止めに向かう。
そこでできたスペースに、不意に現れた滝沢が、味方のパスをダイレクトに蹴り込んだ。
この速攻が決まって、日本に2点目が入った。

両手を突き上げて喜ぶ滝沢に、チームメイトが駆け寄り、押しつぶすように抱き合う。
観客席も大騒ぎ。
スミレとチヨコはまた飛び上がって抱き合い、隣に座っていたジュン君と母とも抱き合い、ついでに反対側に座っていた、サンタクロースのようなお腹の「課長さん」とも、思い切りハグしてしまった。

オフサイドラインを形成するディフェンダーの3人は、定位置に戻りながら、声を掛け合った。
「見たか?真壁の動きを。」
「見た。まさか、あいつがおとりになるとはなぁ。」
「清水もだ。あいつら、自分が点を取ることしか考えない奴らだと思っていたが…。」
「あの時の話し合いで健太が言っていた、あれだな。」
「ああ。本気で、やりやがった。」
「なら、今度は俺らの番だ。」
「おう。ギリギリまでラインを上げるんだ。」
センターバックの中山が、谷川に向かってこぶしを突き上げた。
谷川が、ああ、行け行けと、まるで厄介払いするような手つきでラインを上げることを了解した。
「スペースに攻め込まれたら…。」
「そんときゃ、俺らが走ればいいことだ。それに、タニもいる。」
「そんで、最前線から、健太が戻ってくるさ!」
「他のやつらもな。俺たちは、強くなった。」
「おう。勝つのは、俺たちだ!」

次のチャンスは、真壁がもぎ取った。
ゴール前、絶妙の位置で相手のファウルを誘った。
体で止めざるを得なかった相手ディフェンダーはイエローカードを食らっても、点を取られるよりはましだったと、悔しそうな顔さえしない。

ゴールと、ボールとの間には壁が5枚。その間に味方選手が2人入り、7人がひしめいてゴール前を塞いでいる。
壁の左右には、それぞれ味方が散っていて、どこにも敵が張り付いている。
ボール前には、当然、真壁がいる。
その両脇に、滝沢と清水。
残り時間はあと5分。
アディショナルタイムを加えても、8分もすれば試合は終了する。
この1点を取っておくことが、どれほど重要かは、言わずもがなのことだ。

敵に日本語が分かるとは思えなかったが、口元を見られないよう俯きながら、真壁が言った。
「健太、一生俺たちの言うことを聞くって言ったな。」
「言いました。だから、俺に蹴らせてください。」
「次の1点、お前にまわすから、ここは俺に蹴らせろ。」
セットプレーが得意な清水が一歩前に出た。
「お願いします、清水さん!」
「健太に蹴らせようや、清水。」
「いいのかよ?」
「こいつが、自分のことをこんなに言うのは聞いたことがない。なんか深い訳があるんだろう。いいじゃないか、俺らにはこれから山ほど尽くしてもらおうよ。」
「しょーがねーなぁ。いいか、じゃ、こうしよう…」

ホイッスルが鳴った。
観客は思わず応援を忘れて、両手を祈るかたちにして、見守った。
ボールを前に、等間隔に清水、真壁、滝沢が立っている。
誰が蹴ってもおかしくなかった。
まず、慎重に動き出したのは清水だ。
やはりと、誰もが思った。
が、ボールの上を飛び越えて、走り抜けていく。

えっ?と思った刹那に、真壁が動き出した。
そっちが本命だったか!
虚を突かれた壁に一瞬動揺が走る。
キーパーは真壁の動きに合わせ、右に向けて思い切り飛んだ。

真壁の足が振り抜かれたと思った時、その真壁もボールの上をかすめて、走り抜けていた。
すかさず滝沢が飛び出し、キーパーの向きを見定めて、壁の崩れをすり抜ける、強烈なシュートを放った。
ズサッ!
重たい音を立てて、ゴールの左隅、高い位置に、ボールが突き刺さる。

一瞬の静けさののち、ごおぉっと歓声が上がる。
試合はそのまま、3−1で日本の勝利となった。
試合終了のホイッスルが響くと、日本代表はかつて不仲がささやかれたことなど一切忘れさせるような祝福の応酬に湧きかえった。






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ワールドカップ出場を決めたものの最悪のチーム状態のまま練習試合は連敗 、苦悩の末、監督は海外遠征を機に滝沢を招集した。
それまでも巷では、なぜ滝沢を呼ばないのかという声が高かったが、実現はしていなかった。
監督に見る目がないかのように言われていたが、実は滝沢側が断っていたというのが実情だった。

サッカー人に代表選手は夢だと言うが、滝沢にとって不和を抱えた未熟なチームなど、高校の時に見切りをつけ、日本に置いてきた過去の課題だった。
いまさら立ち戻ってどうにかしたところで、日本サッカーと自分が実現しつつあるものとは一致しないことも分かっている。
時間の無駄に思えた。
その滝沢を突き動かし、とうとう代表に参集させたものは、監督の熱意だったのだろうか。

滝沢が加わり、遠い国で1試合終えたところで、ある夜、監督やスタッフ抜きで選手だけが一室に集まり、話し合いが持たれた。
この話し合いをセッティングしたのが滝沢だった。
新規加入の自分がチームに溶け込むためと、滝沢は他の選手を説いて回ったという。
パーティールームに椅子だけをぐるりと丸く並べ、誰もが互いの顔を見られるようにした話し合いは3時間にもわたり、時折、鍵がかけられたドアから、部屋の外へ大きな怒号が漏れ聞こえたりもした。
声ばかりではない。ガタリドタリと物音もして、スタッフは立ち去り難く気をもんだ。

その場で何が話し合われたのか、どの選手も一切口外しなかった。
しかし、翌日の練習から、チームは明らかに変わっていた。
負け続けた影響からか、その後のいくつかの試合も、展開はよいものの勝ちには結びつかなかった。
テレビ応援をしていた日本からはブーイングの嵐だったが、チームの雰囲気は悪くなるどころか、よくなる一方だった。
この変化が滝沢参集と同時に起きたことは誰の目にも明らかで、 チームスタッフはじめ、勝ち負けにとらわれない目を持ったサポーターたちは、いよいよこのチームに期待を寄せるようになったのだ。

海外連戦の最後2戦を勝利で飾り、最後の一戦を日本で行った後、ワールドカップのキャンプ地へと旅立つことになる。
滝沢が7年ぶりの帰国を果たしたのは、こういういきさつの末だったのだ。
味のみなもとスタジアムの巨大スクリーンでは、滝沢の紹介を終えて、他の面々の紹介に移っていく。
丁度その頃、ロッカールームで最後のミーティングが始まろうとしていた。

「おい、健太!お前、ミーティングに遅刻とはどういうことだよ!」
一番最後にロッカールームに戻ってきた滝沢に、叱ると言うよりはからかうようなわざとらしい大声をあげたのは真壁だ。
「すいません。気になることがあって、ちょっと…」
「ちょっとじゃねーよ!便所はもっと早くに行っておけ。」
「そうじゃありませんて。すみません、まだ始まったわけじゃないでしょ。さあ、監督、どうぞ!」
「てめぇ。話を逸らしやがって!」
コツンと滝沢健太の頭を小突いて見せたのは、キャプテンの谷川だ。

ミーティングと言っても、ここまで来たら細かい戦術の話などは出ない。
先発の発表も昨晩のうちにされている。
あとは、いくつかの確認と、気持ちを高める話があるばかりだ。
いつもなら、一番明るい声を出す滝沢が、今日は何か思いつめた顔をして覇気がない。
ミーティングが終わると、真壁ともうひとりのフォワードの清水が、通路に並ぶため歩き始めた滝沢に近づいて行った。

「健太、お前、具合悪いのか?腹が痛いか?今のうちに、もう一回便所行っとけ。」
真壁に顔を覗きこまれて、滝沢はようやく笑顔を見せた。
「真壁さん、違いますって。大丈夫ですよ。」
「お前、大丈夫ってツラじゃなかったぞ。何かあったのか?まさか、久しぶりの日本で緊張してますって言うんじゃないだろうな?」

真壁と同学年の清水は滝沢の2歳先輩で、日本で所属していたクラブチームで一緒にプレーしていたこともあり、滝沢を弟のように可愛がっていた。
加えて、3人とも欧州を本拠地にしたチームに所属しているため、他の数人とともに、年に2、3度、日本人選手が全員集まって食事会をする親しい間柄でもあった。

ふと真顔に戻って口を閉ざしてしまった滝沢に、明らかにいつもと違うものを感じて、真壁と清水は目を見かわした。
「真壁さん、清水さん、お願いがあります。」
その二人に、切羽詰まった声で、滝沢が呼びかけた。
「なんだ?」

「俺、今日、どうしてもハットトリックを決めたいんです。だから、俺にパスを回してください!」
「はぁ?」
「ハットトリックだぁ?てめぇ、なめてんのか?」
「いや、どうしても、今日じゃなきゃダメなんです。俺がパスもらいやすいように動くから、頼みます。」
「なんでだ?帰国一発、目立ちたいってか?」
「そんなんじゃありません。訳は試合後に話します。助けてくれたら、俺、先輩たちの言うこと、一生ちゃんと聞きますから!お願いします!!」
「なんだそりゃ?」
「とにかく、頼みましたからね!」

グラウンドでは選手の紹介映像が終わったようで、大きな拍手が沸き起こると同時に、ドンドンと地響きのような太鼓が響き渡り、それに合わせて応援の大声援が始まった。
チームの先頭を行くキャプテン谷川に続いて入場する滝沢は、エスコートキッズが待つ階段下まで早足で向かって行く。
その背中を見送って、2人のフォワードはキツネにつままれたような顔のままだ。

「いいな、健太?」
谷川が、ゴリラのような大きなこぶしを突き出してきた。
「おうっ!」
滝沢もこぶしを突き返す。

他の子どもたちよりもひと際小柄な少年が、瞳をキラキラさせて滝沢に手を差し出した。
一瞬、その白くて小さな手を見つめた滝沢は、華奢なガラス細工に触れるように、そっと手をつないだ。
「何年生?」
「1年生です!」
「サッカー、やっているの?」
「あんまりうまくないけど、大好きです!あのー、滝沢選手!」
「ん?」
「がんばってください!僕たち、応援してます!!」
「よし。任せとけ!君たちがもっとサッカーを好きになるようなプレーをしてくるよ。」

つないだ手に、少しだけ力を込めた。
エスコートキッズと手をつなぐのには慣れきっていたが、この日の感覚はいつもと違っていた。
少年の手から滝沢の胸にじわりと温かな波が広がっていき、心を浸しきると、今度は体全体へ向かって強い波動がビリビリと広がった。

入場を知らせるファンファーレが鳴り響く。
滝沢健太の闘争心にスイッチが入った。






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滝沢の紹介がスクリーンに流れた時、真っ先に出たのは、写真ではなく文字だった。
「日本人離れした典型的日本人」
それが、欧州での彼への評価であり、彼を一言で表すキャッチフレーズであることは周知のことだった。
 
真壁は、幼い時からジュニアチームで活躍し、サッカーで有名な高校に進学するも、高校サッカーには加わらず、ひたすらユースで活躍し、トップチームに入ってわずか2年で高額の契約金とともに欧州へ、という、恵まれた道を歩いた。
が、滝沢の経歴が、それとは比べ物にならないほど困難だったことが改めて紹介される。

滝沢も、県内の強豪校といわれる私立高校へサッカー推薦で入学している。
しかし、「彼の代だけ、そのチームは弱かった」のが、大きな誤算だった。
先輩にも後輩にも、彼以外に、これといった選手がいなかった。
サッカーはチームでするものだから、エースさえいれば強くなれるわけではない。
ベースが強い中にエースがいて、持っている力が引き上げられるのだ。
滝沢の場合、そのベースが弱すぎた。

強豪校の伝統と滝沢の影響で一回戦負けするようなことはなかったが、インターハイも選手権も、予選半ばで敗退した。
運悪く、中3の彼を引き入れた監督が、彼が2年になる時に解任されてしてしまったのも大きかった。
代わりに来た監督は、指導とは何かをまだ知らない若輩者だった。
自らもプレーができる監督ではあったが、選手からの信頼を集めることができなかった。
的外れな権威主義と、傲慢な指導は選手の心を凍りつかせ、チームは座礁した。

滝沢も苦悩した。
彼は、どうしても、強いチームでサッカーをしたかった。
しかし、監督は彼に意欲を失ったチームのとりまとめを命じ、練習以前のところで彼を疲弊させた。
のみならず、滝沢がどうにかまとめ上げた雰囲気を、未熟な監督はいともたやすく突き崩した。
その繰り返しに、滝沢自身が心を折られそうになった。
次第に、その高校にいること自体に苦痛を覚えるほどにまでなっていったのだ。
 
ある時、滝沢はその思いを、部の仲間たちに切々と伝えた。
仲間たちは、思いがけない結論を出した。
それは、滝沢にクラブチームのユースのセレクションを受けさせるというものだった。
滝沢は涙を流して立ち上がったという。
仲間も、サッカーが好きなのだ。うまくはなくても、好きなのだ。
ただその「うまくはないけど好き」という気持ちが、監督には理解されず、腐ってしまっただけなのだ。
 
滝沢の退部は、チームの終わりを意味した。
ユースと部とで二重登録された選手は、どちらの試合にも出られない規定があるからだ。 
それでも、仲間は滝沢を夢に向けて後押しした。
滝沢はそんな仲間を愛した。
だから、まずは自分が一歩先に行くことを決断できたのだと、のちに語っている。

セレクションを突破した滝沢は、サッカー推薦で入学した私立高校を退学し、近所の県立高校に転入学した。
そして、サッカー部には入らず、クラブユースで練習を始めた。
このチャレンジを支えた彼の家族もまた、彼の力を信じぬいていたに違いない。
が、当然、すぐに芽が出たわけではなかった。
それでも彼が挫けることはなく、着実に成長し、存在感を発揮した。
高校を卒業してまもなくトップチーム入りしたが、滝沢は、このクラブチームで満足することがなかった。

彼が求めるものは、国内のどこにもないと分かった時、それがあるはずの海外へと、彼の目は向いていった。
通常ならば、いずれどこかのチームから目をつけてもらえるまで、国内で活躍するところだろうが、滝沢はそうは考えなかった。
わずかな伝手をたどり、自ら欧州のビッグチームの下部組織に入る道を探した。
そうして、トップチーム入りして3年ほどでその道が見えると、彼はその時持っていた人気も収入も、あらゆるものを捨てて、未知の世界へ飛び込んで行ったのだ。

ドイツにあるそのチームには、彼が求めたあらゆるものがあった。
彼は倦まず弛まず、己を磨き続けた。
そうして、トップチームから声がかかるまでに成長した時、彼のアグレッシブなプレーは、もはや日本人とは思えないと評されるまでになっていた。
トップチーム入りしても、彼の実力は評判を裏付けるばかりで、誰をも失望させなかった。
彼がそれまでに発揮してきた勇気が、ここで結晶した。

彼の加入で、チームが大きく変わった点がひとつあった。
それは、個人の技量が高いため、ともすれば単独プレーの寄せ集めになりかねないチームに「和」がもたらされたという点だった。
滝沢持ち前の性格と、苦労して磨き上げてきた経験は、さまざまな個性の選手をつなぎ合わせ、目指す方向をひとつに、皆がそこを向くように仕向けることができたのだ。
なるほど、彼はまさに日本人だ!
ドイツの人々が、彼を「日本人離れした典型的日本人」と呼ぶようになった由来だ。






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日本代表のゴールキーパーは谷川といって、キャプテンマークを巻いている。
ヨーロッパの選手に負けない上背と、なまはげのような恐ろしい表情が人気のタフガイだ。守備が甘くてゴールを狙われてしまった時など、己のファインセーブを喜ぶ以上に、大声援をくぐりぬけてテレビのマイクに届くほどの怒声を響かせる。こういうタイプは直情径行と決まっていて、失点した時などは、この大声がスタンド以上の大声援となってチームを鼓舞する。日本代表になくてはならない精神的支柱だ。

巨大スクリーンに、この守護神が映し出されると、子どもたちが一斉に歓声を上げた。見た目よりずっと若いこの選手には、最近、アイドルグループBAKのリーダー・ルナと恋のうわさが流れているだけあって、いろいろな意味でどよめきが大きい。あのフランス人形のような顔をした小柄なアイドルと巨大なまはげが、どういった「おつきあい」をするのか、想像するだけで楽しい。

「ねぇ、スミレちゃん。BAKのルナって、谷川の応援にこっそり来てないのかな?」
「ルナ?来ていたらすごいよねぇ。けどさ、あれって単なるウワサじゃないの?」
「見てみたいよねぇ。」
井戸端会議のおばちゃんのノリだなぁと思いつつ、そんな会話が楽しくてたまらない。

ディフェンダーは、3人とも国内クラブで活躍している選手だ。
左から、田中、山中、山田。
名前も存在感も地味で目立たないが、手堅くきっちりとした仕事をする。
ただし、攻撃的ではない。
勝つために堅守は必要不可欠だが、守り堅い試合というのは見ていて息詰る攻防に緊張はあっても、素人目には面白くないものだ。
かといって、南米や欧州のチームのように、守備陣が自在に攻撃に加わるようなフレキシブルなチーム作りは、日本ではまだ難しいともいえる。

そこで、重要になるのが攻撃的ミッドフィルダーと呼ばれる選手たちだ。
今回話題の滝沢健人はここにいる。
しかし、チームの一番人気は、なんといってもフォワードの真壁だ。
すでに欧州リーグでも名を馳せているファンタジスタは、韓流俳優かジャニーズを思わせる甘いマスクをしていて、ファッション誌の表紙を飾ったりもしている。

スクリーンに大写しになった真壁の紹介では、ブランドの時計やサングラスを使いこなしたファッションを惜しげもなく見せているものの次に、上半身裸の写真が出た。
きゃぁっと女性たちの嬌声が響く。
まるで仔馬のようにしなやか身体は、日に焼けて光っている。
しかし、真壁の魅力は見た目だけでは語り尽くせない。

真壁の特徴は、恵まれた身体能力、サッカー環境だけにとどまらない。
そのずうずうしいほどの自信は、他を圧倒してやまない。
彼には彼のサッカー哲学があり、譲るつもりはないらしい。
彼がよしとするサッカーは、超攻撃サッカーだ。
確かに、真壁が走れば点が入りやすくなる。
守備的貢献よりも得点を。 
ツートップのフォワードとミッドフィルダーたちは真壁を支持した。

しかし、一度間違えば突出した攻撃は背後に大きなスペースを生み、そこを突かれて失点につながる。
だから、真壁が突出すればするほど、失点をよしとしないディフェンダーはラインを下げ、それにつれてミッドフィルダーたちもゴール方向に引きずられて寄ってしまう。
すると、ちょっとした隙に敵が自陣に攻め込むかたちになり、試合は押しこまれた展開になる。
しかも、誰かが攻撃チャンスを作ったとしても、味方の上りがおそくなるから、得点にはつながりにくい。
高校生のサッカーではないから、誰かひとりがオフサイドにもならずにドリブル突破してゴールを決めるなど、いくら真壁でも、そうそうあるものではないのだ。

真壁とディフェンス陣は激しく衝突した。
やりたいサッカースタイルが違いすぎた。
そんな分裂したチームが強くなるはずはない。
日本人の気質を知らず、日本語も話せない監督は、調整に苦悩した。
監督が目指すのは、日本人の小柄な体とチームワークの良さを生かしたパスサッカーだ。
しかし、いまやそのチームワークが瀕死の状態になっている。
練習試合にも負け続け、もはや自分が解任されるか…という時にひらめいたのが、滝沢健太の召集だった。






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