「今日、このスタジアムには、たくさんの小学生が招待されていると、会場入りした時に聞きました。
その小学校の名前を聞いた時、俺は、じっとしていられなくなりました。
なぜなら、その小学校の名前は、俺にとって、大事な名前だったからです。
そこには、俺の大切な人がいる。」
スミレとチヨコは目を見合わせた。
それって、私たちの学校のことよね?
大切な人がいる?
まさか、あなたのこと?
2人同時に首を振った。
ちがう、私たちじゃないわ。
そりゃそうだ!では、誰?
「俺には、子どもがいます。」
滝沢の、この一言には誰もがうなり声を立てずにはいられなかった。
モテまくりで好き放題とのうわさが高い真壁と違って、女性には見向きもしない、サッカーしか興味がない硬派として認知されていた滝沢に子どもがいる?
スタジアムは失点したとき以上にどよめいた。
取材陣の強烈なフラッシュの連打で、滝沢はスポットライトを浴びた以上に輝いている。
「俺は、愛していた女性を日本に残して行きました。
待っていてほしいとも、迎えに来るとも言いませんでした。
どれだけ時間がかかるかもわからない、金を払って入れてもらうようなチームだったから、連れて行くこともできなかった。
いや、本当は、自分とサッカーのことだけに集中したいという、俺の勝手なわがままでした。
でも、彼女は俺を責めもしないで送り出してくれました。
もう俺を愛していないと、わざと辛く当って、未練が残らないように気遣って、冷たい女のふりをしてくれました。
本当に、素敵な、大好きな人でした。
それが、昨年、偶然再会した共通の友人から、彼女が子どもを産んで、ひとりで育てていると聞きました。
友人は彼女から固く口止めされていたのにと、慌てていました。
俺はその子と彼女のことを、密かに調べてもらいました。
調べるまでもなく、彼女が口止めしたということが、すべてを知らせていました。
やはり、俺の子どもでした。
そして、彼女が結婚もせず、ひとりで育てていると聞いた時、俺は何をすべきか悟りました。
その時からずっと、彼女たちの暮らしぶりを、密かに見守らせて、様子を聞いていました。
息子は今年、小学生になりました。
元気に学校に通っていると聞いて、俺は考えました。
俺は、日本代表になって、彼女たちを試合に招待し、目の前でハットトリックを決めてプロポーズしようと決意しました。
それが、招待する前に、君たちが来てくれた。
どうしても気になって、試合直前に、スタンドの様子を見に行きました。
そうしたら、君たちは、俺の名前が入ったTシャツを着て、そこにいてくれました。」
ざわめくスタンドの一点を、滝沢が見つめた。
「霧島ジュン君!」
滝沢が名前を呼ぶ。
「ハイ!」
チヨコの隣でジュン君が、まるで出席を取られた時のように元気な声で手を挙げると、ピョンと立ちあがった。
そのジュン君に、滝沢が語りかけた。
「ジュン君。俺を、君のパパにしてください!」
名前を呼ばれて飛び上がった時とは逆に、ジュン君はスローモーションで顔をめぐらせると、ママの顔を見つめた。
ママはジュン君の隣でいつの間にか涙をボロボロとこぼしている。
「ママ?あの滝沢がホントに僕のパパなの?」
「……ええ。そうよ。」
チヨコとスミレは瞬きも忘れて2人を見つめた。
ぼんやり立っていたら、隣に突然雷が落ちてきたような衝撃だった。
体中がしびれて、動けない。
「そうして、霧島玲子さん。長い間待たせて、それから、いろいろ全部ごめん。結婚してください。俺と、新しいチームを作ってください!」
滝沢健太が深々と頭を下げたまま、答えを待っている。
無遠慮なテレビカメラや望遠レンズが一斉にジュン君とママの方を向いた。
ジュン君はママに抱きついた。
「……ジュン」
何秒か無言でいたママが呼んだ。
「ママ、お嫁に行ってもいいかな?」
ママが言う。ジュン君は即答した。
「いいよ!滝沢のお嫁さんになるんだよね?いいよ、ママ!」
ママは両手でゴシゴシ涙をぬぐうと、泣き笑いの顔で尋ねた。
「ジュンはどうする?滝沢をパパにしてあげる?」
「うん!」
「じゃ、ふたりでオッケーって言おうか?」
「うん!」
相談がまとまった。
ママが、静かに立ちあがった。
ライトやフラッシュを浴びても、揺らぎもしない。
さっきまで、普通のスーパーの店員をしている、普通の母親にしか見えなかった彼女が、今は別人のようにシャンとして見える。
ママはジュン君と手をつなぎ、2人で全身を声にして答えた。
「よろしくお願いします!」
その声がどこかのマイクに拾われて、会場に流れた。
スタジアム中に、今日最初の1点が入った時よりも大きな歓声がこだまする。
拍手の渦、悲鳴、歓声。
ドンドンドンと太鼓は乱れうち、大きなフラッグが思い切り振りまわされた。
インタビューポジションで、滝沢は喜ぶのも忘れて、呆然自失と立ち尽くしている。
そんな滝沢の元へ、仲間たちが駆け寄って来た。
もうひとつのエッセイブログ『ゆるるか』不定期に更新中!
人気ブログランキングへ