Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年07月


娘と孫が家を出て、連絡しないと決めた1週間が過ぎた。
祖父はその朝、起きるとすぐに娘の家に電話をかけた。
歩いて10分なのだ。行けばいいのだが、1分でも早く無事な声を聞きたい。
何かが肚の底でチリチリと焦げている。この不安は何だろう。

どこかで予想していた通り、電話に応答はなかった。
留守番電話にもなっていない。
なのに、いくらコールしても娘は電話をとらない。
まだ眠っているのだろうと、焦げたところから立ち上る不安の煙を追い払ってみる。
しかし、その精神的努力は実りそうになかった。

「おい、ちょっと行ってくる。」
祖父は朝食の支度をしていた妻に声をかけた。
「朝ごはん、すぐにできるから。召しあがってからでもいいでしょう?」
「いや…飯は帰ってからにする。二人を連れてきてもいいだろう?」
「そうね。いってらっしゃい。」
妻は、何事にも逆らわない。
そして、案の定、私も一緒に行くとは言わなかった。

雪が降り出しそうな1月の朝は、息が真っ白くなるほどに寒い。
けれども祖父は、気温のことなど何も感じていなかった。
歩けば10分の道を、早足から、最後はかけ足になって、5分もたたずに娘の家に到着した。

ノックをする。
返事がない。
合い鍵を預かっている。もちろん、持ってきていた。
焦っていてもこういうことに落ち度がないところは、彼が仕事で成功していることを裏付けている。
ガチャッと鍵をあける。
ノブを握って勢いよく開ける。

声をかける前に、最初に襲った衝撃は異臭だった。
次に襲った衝撃はその光景だった。
何事にも冷静沈着で滅多に動揺しない祖父の体が金縛りにあったように動かなくなった。






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親子がふたりだけの生活をスタートさせた最初の1週間、祖父は娘のことをしきりに思い、祖母は孫のことをしきりに案じた。

スミレはミドリが家の中で暴れまわるようになってから、腹痛を訴えることが多くなった。
もともと食欲旺盛な性質ではなかったが、さらに食が細くもなっていた。
お腹を壊すこともたびたびあり、不意に高熱を出すことも一度や二度ではなかった。

病院に行っても、これといって原因はみつからなかった。
胃腸炎でしょうとか、体が冷えたのでしょうとか言われるだけで、処方されるのも整腸剤だけだった。
今ならば、過敏性大腸炎とかストレス性胃炎とか、幼子の心理を踏まえた診断の可能性は大きい症状だが、子どもの心がそんなふうに病めるものだとは思われていない時代の話だ。診断は無理もなかった。

スミレは腹痛を感じると、横になってお腹を抱えて、背中を丸めてじっとしていた。
自分から腹痛を訴えることは決してなかった。
様子がおかしいことに気づいた祖母が尋ねると、蚊の鳴くような声で「お腹痛い…」とつぶやく。
額が冷汗でびっしょりと濡れ、細い黒髪がはりついているところなどを見ると、痛みは相当なのだろう。
それでも、迷惑をかけるとでも思っているのか、騒ぎ立てることがない。

祖母は、そんなスミレがかわいそうでならなかった。
ミドリは子どものころから健康で、あまり病気をしない子だった。
それでも水疱瘡だのはしかだのと、寝込んだ時は懸命に看病したものだ。
今度のスミレに対しても祖母は、まるで命に関わる病人を看るかのように看病した。

祖母にしてみれば、どう扱ってよいかわからないミドリよりも、腹痛をこらえる健気なスミレのほうが分かりやすかった。
ミドリのことを夫に任せてしまうことに、小さな引け目を感じてもいた。
だから一層、スミレを大事にした。

スミレは、お腹がいたくなると、おばあちゃんが添い寝をしてくれ、眠るまで髪を撫でてくれるのが嬉しかった。
「痛いの、痛いの、遠いお山に飛んで行け〜!」と言いながらお腹を撫でてもらうと、本当に痛みがやわらいだ。
お腹をこわして下着を汚してしまった時も、どんなに叱られるかと思ったが、祖母は何も言わず、当たり前のように下着のことより体のことを気遣ってくれた。
そんな優しさが、奇跡のように感じられた。
ママだって優しかったはずなのに。今はその優しさが思い出せない。

あまりたびたび腹痛がするようになると、スミレは本当にお腹が痛いのか、それともお腹が痛いと思っているだけなのか区別がつかなくなってしまった。
その頃から、唐突に高熱を出すようになったのだ。
蕁麻疹も出始めた。
ミドリが「私のせいよ!」とか「私が殺した!」とか、 「私だって被害者なのよ、なんとかしようと思っただけだったのよ!」とか叫びながら暴れるのを聞いた後は、40℃近い熱を出し、全身に発疹が出た。
ミドリが服薬を始めて、暴れなくなってからも、スミレの腹痛や発熱はなくならなかった。

ミドリが二人で暮らしたいと言い出した時、祖父母とも、スミレの体調のことはよく分かっていた。
分かっていたのに二人暮らしを認め、1週間は連絡をやめようと言い出したミドリの言葉をのんでしまった。
後に祖父はその時の決断を何度も何度も悔やむことになった。






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成人式の晴れ着を着た娘たちが行きかう日、ミドリとスミレは新しいアパートに引っ越した。
追々、気に入ったものを増やせばよいと、最低限の家財をそろえただけの部屋だった。
ミドリの願いに応えて、祖父はミドリを伴って、新年初営業の不動産屋に足を運んだ。
不思議なもので、望む場所に望み通りの部屋が空いていた。
初契約だからと、不動産屋は破格値を提示した。
内覧してみると、小さいがこぎれいな部屋だった。実家からも歩いて10分だ。二人は即刻契約した。

引っ越しとはいえ、新しく買ったものを業者が運び入れ、着替えなどを実家から運んだのは祖父母なので、ミドリとスミレはいつものバッグを片手に、新居へ歩いて行っただけだった。
大晦日に話が出てから2週間しかたっていない。
しかし、あれからのミドリは、すぐに疲れはするものの、それまでのぼんやりした印象が減り、久しぶりに生き生きとして見えた。薬が体になじんだのだろうと、祖父母は胸をなでおろした。
とはいえ、生活費を稼ぐのは難しい。しばらくは、祖父の援助で暮らすことになっていた。

ミドリはスミレを授かった頃に戻ったように、明るい笑顔で言った。
「これで大丈夫。全部片付いたから、あとはひとりでできるわ。今までありがとう。心配かもしれないけど、1週間は連絡なしにしましょう。そうじゃないと、独立した気がしないから。」

そういうものかと、祖父母は疑いもしなかった。
ひとやすみしたら夕飯の材料を買いに行くと言う娘に、疲れたろうから今日だけは用意してあげようと祖母は申し出たが、やってみたいのと言われ、引き下がった。
娘と孫に手を振って、ふたりは小さな玄関のドアを閉めた。
スミレはこたつにもぐりこんでウトウトしていた。
ミドリもこたつの中から手を振った。

祖父、といっても、彼はまだ54歳だ。
祖母、といっても、彼女はまだ51歳だ。

思いがけず一人娘が瞬く間に結婚し、孫が生まれた。そして瞬く間にその家庭は崩壊し、一度は息子と思った男は娘に暴力を振るうだけふるって、若い命を自ら絶った。 その波乱の日々をようやく過去のものにできそうになり、ふたりとも生き返る思いだった。

祖父は、今が仕事の盛りでもある。
このところ、家庭に気も時間も取られがちであったけれども、彼は自分の仕事に生きがいを持って働いていた。再びそのような毎日に戻れる喜びは、何事にも代えがたかった。 
娘が竜巻のように荒らしまわった家の中を思い出す。
よくぞここまで頑張ったと、自画自賛の思いを顔にも言葉にも出さなかったが、心は満たされていた。

祖母は、どこまでも平穏と安心を重んじる人だった。
娘をかわいいとは思うが、抱えきれないほどのサスペンスを日常に運び込んできたことは脅威以外の何物でもなかった。娘を守ろうとか理解しようとかいうことよりも、一刻も早く元の平和な日々を取り戻したかった。
しかも、彼女は自分のそのような心理に、一切気付いていない。
自分たちの平和がそのまま、娘と孫の平和につながると信じて疑わなかった。

久しぶりに二人だけで過ごす家で、リラックスして食卓を囲み、思う存分眠った。
そうしてみて初めて、ミドリとスミレがいる間、自分たちがどれほど緊張して過ごしていたかに気がついた。

翌朝、朝食をとりながら「どうしているかな、ミドリたちは。」
気にかけたのは祖父の方が先だった。
「もう、大丈夫ですよ。1週間は連絡しない約束ですからね。」
「それはそうだが、まだ薬を飲んでいるんだ。主治医に相談もなしにこんなことを決めてしまって、本当によかったのだろうか?あいつ、薬を飲み忘れたりしないだろうか。」
「だって、本人があれほど望んだのですから。薬はカレンダーホルダーに整理して置いてきたし。心配いらないわ。ほら、あなた。みそ汁が冷めてしまうわ。」






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ミドリが精神に異常をきたしているのは、もはや明らかだった。
PTSD(心的外傷後ストレス症候群)などという言葉は、まだ世間の知るところではなかった。
大きな心の傷を負った後、心が弱ることは誰もが知っていた。が、常軌を逸した行動の背景や対処など、今なら本屋に行けばいくらでも答えが並んでいるが、当時は家族の思いやり意外、打つ手がなかった。

祖父母は話し合い、密かにミドリを精神病院に連れて行った。
まだ、心療内科というものやわらかな窓口はそれほど存在せず、精神科は市民権を得ていない。
精神科にかかるということは、人生を破綻させて再生の見込みがなくなったと認めるような決断を必要していた。

夫婦の決断は功を奏した。
ミドリは服薬を始めてから少しずつ落ち着き、以前のように独り言を言ったり、パニックを起こして大暴れするようなことがほとんどなくなった。
最初に処方されたレボトミンという薬がよく合ったようようだった。
しかし、落ち着いたと言うより、いつもぼんやりと眠そうにしているか、眠っているかだから、問題が起きないと言った方がよさそうだった。興奮する気力もなさそうに見える。強い薬だと、知識の少ない祖父母でも気付いた。
入院する必要もなく、在宅のまま治療が続けられた。薬の飲み忘れがないよう祖母が几帳面に管理したので、ミドリは暴れることもなくなった。

そうして3ヶ月ほど、比較的穏やかに流れ、年の瀬を迎えた。
年が明ければ4月には、スミレが小学校にあがる。
祖父母の家にはすでに新しいランドセルやうわばきが買いそろえてあった。
スミレはなにもねだらなかったが、祖母はキャラクター入りの2Bのえんぴつを1ダース買い、丁寧に名前を書いていった。筆箱とおそろいのキティちゃんは、スミレの数少ないお気に入りだ。
スミレはそれを、事件前夜、母に買ってもらって以来今も大事に持っているハンカチ同様、何度も何度も出しては眺めて、持ってみてはしまい、日用品というよりはジュエリーを扱うようにしていた。

お年玉がわりに、部屋をひとつ整理して、勉強机を買ってやろうと、祖父母らしい楽しみを胸に、不運続きだった親子は紅白歌合戦をそろって見ていた。

ミドリがお願いがあると言い出したのはその時だった。
「スミレと、ふたり暮らしを始めたいの。」
祖父母は驚いた。 
「まだ体調が悪い日もあるでしょう。ここにいればいいじゃないの。」
祖母はいきなりの話に動揺を隠せず、何故?と聞く前にひきとめた。
「ここにいると、甘えてしまうから。もう一度、自分の力で生きてみたい。今立ちあがらないと、一生病気のままになってしまいそうで怖いの。」
「慌てることはないじゃないか。」
祖父はどこか、何かがひっかかる思いでいた。

「スミレも小学校にあがるし、チャンスだと思う。小学校のPTAの集まりとかもあるし、いつもおばあちゃんに行ってもらうのではスミレがかわいそうだし。」
「そうかしら。でも、あなたがそんなふうに前向きに考えているのなら、悪いことではないかもしれないわね。」
祖母はいつものように、自分の不安から逃れようと、悪い予感に蓋をした。

「お願い、お父さん。小学校の近くにアパートを借りたい。ここからも近いし、無理はしないわ。苦しい時は助けてもらうから、お願い。」
ミドリがこんなに自己主張するのは、妊娠が発覚した時、絶対に生むと言い張って以来のことだった。

祖父は考えた。
家の中に閉じこもり、趣味もなく、ただ昔を思い出して生きるより、今の生活を背負う方が張りが出て、何かと上手く運ぶのではなかろうか。自分たちから遠く離れるわけでなし、ここはやりたいと言うことを叶えてやる方が…。

とうとう祖父は保証人になることを承諾した。
いつの間にかスミレはこたつに入ったまま熟睡している。
テレビの中と窓の外から除夜の鐘が聞える。

新たな年を新たな気分で。
そうして、新たな出来事が幕を開けたのだった。






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自分の書斎で倒れこんでいるミドリを見つめながら、彼はミドリが生まれて以来初めて、父としての自覚とはこのようなものかという気持ちを味わっていた。
逃げているつもりはなかった。ミドリが幼かったころは、それなりに共に過ごす時間を持っていたように思う。
しかし、自分の役割は会社で懸命に働いて、いかに多くの収入を持ち帰るかにあると信じて疑わなかった。
その気持ちに変わりはない。
彼が感じた自覚とは、この局面に、力を発揮できるのは自分しかいないのだという自負だった。

妻の性質をこよなく愛してきた。
従順で朗らか。家事を愛し、娘を育てる。申し分なく勤めてくれているといつも感謝していた。
何事にも夫を立て、意見を聞いてから物事を進める彼女のやり方も、家長としての自分を尊重する姿勢と受け取り、自慢にすら思ったものだった。
実際、外出しても妻が半歩後ろを歩く姿は、彼の自尊心を大いに満足させてきた。

けれども、この危機に際して、妻はあまりに無力だった。
いざとなれば、たすきがけで長刀を持つ戦国女性を思い描いていたわけではないけれども、まだ小学校にもあがらないスミレと大差ない反応しかできないことに、連れ添って初めての落胆を禁じえなかった。

だからといって、手をこまねいているわけにはいかない。
妻にできないなら自分でやるまでだ。
彼はぐったりとした娘を抱き起こした。

ミドリが小さい頃、あぐらをかいて新聞を読んでいる膝に乗ってくるのが大好きだったのを、彼はふと思い出した。
小さく、幼い香りがする娘が、もぞもぞとしがみついてくる感触を、彼もまた好ましく思っていた。
抱き癖がつくからと、夜泣きをするころはあまり抱いてやらなかったが、その分とばかりに、小学生のミドリを彼はいくらでも膝に乗せて髪を撫でてやったものだ。
細くて柔らかな黒髪は、将来美人になるだろうと彼を存分に心楽しくしたものだった。

そう思ってみてみれば、抱き起こした娘はまだ、あの頃の面影を宿しているではないか。
なんといっても、まだ24歳だ。
世間ならば、就職したといっても、なんだかんだと親のすねをかじっている者も多かろう。
それが、この子は、身から出た錆とはいえ、何の因果かこの世の苦痛をすべて舐めたのではないかと思われるほど、陰惨な目に遭ったのだ。

あわれな。
まだ意識のない娘を抱き締めた時だった。
思いがけず、ずっしりと重たい上半身とふくよかな胸に気がついた。
その感触は、最前思い出した少女の面影を吹き飛ばした。
そこにいるのはまぎれもなく、成熟した大人の女だった。
それが彼には恐ろしく不気味なものに思え、思わず突き飛ばしてしまった。

ガタンと床に落ちた拍子に、ミドリは目を覚ました。
父は、こう言おうと思ったのだ。「大丈夫か。お前は何も悪くない。苦しむことはないのだよ。」
しかし、口はこう言った。「お前は何をしているんだ!しっかりしないか!!母親なのだろう?!」
ミドリは凍りついたように父を見た。
父はその眼の冷たさに背筋を凍らせた。
それは、昨年までミドリ自身がスミレから見られていた、あの眼だった。






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祖父は、問題の写真立てを隠すことで、問題自体もなくなるだろうと思った。
いったいどこからあんなものが出てきたのかといぶかしんだが、ミドリの部屋を片付けた時に、スーツケースがあったのを思い出し、あれかと得心した。

スーツケースに見覚えはなかったが明らかに女物だったし、鍵がかかっていたのでとりあえず持ち帰ったところ、 ミドリは大切なものだといって喜んでいた。まさかあれが悩みの種になるとは。

しかし、祖父の予想は大いにはずれることになった。
翌日、腹痛を訴えるスミレを祖母が病院に連れて行っている間に、異変は起きた。
ようやく痛みがうすらいだスミレを抱いて帰ってきた祖母が見たものは、彼女の理解を超えた光景だった。
家中のものが竜巻にでも遭ったかのようにめちゃくちゃになっていたのだ。

彼女にしては賢明なことに、祖母は家に入らず隣家を訪ね、スミレを預かってもらった。
それから自宅に戻ると、玄関脇にあった電話から、夫に電話をかけた。
お願い、あなた。すぐに帰ってきて。

祖母はそのまま玄関に座り込んだ。
ひとりで中に入っていく勇気がわかなかったのだ。
家の中にいるのは我が娘のはずだ。母ならば、苦しんでいるのであろう娘の傍に、何をおいても寄りそいたくなるものではなかろうか。
しかし、この母は違った。娘が苦しんでいることに気付かないわけではない。
だがそれ以上に彼女を支配していたのは、この状況に対して何をどう判断してよいかわからない自分自身の混乱だった。
本当はスミレと共に隣家にいたいくらいだったが、それでは隣家の家人に事情を覚られてしまうかもしれない。それは避けたかった。世間体は専業主婦にとって極めて大切な優先事項だった。

無限にも思えた時間がようやく過ぎて、夫が帰宅した。
彼女は大義名分を得てその場を逃れ、スミレが待つ隣家へと飛び出した。

いったい何故このように…。
祖父はミドリの姿を探した。どこにもいない。
部屋という部屋が荒らされ、箪笥の引き出しは放り投げられ、テーブルの上は払い落されていた。
祖父が最後にに覗いたのは、自分の書斎だった。
ミドリは、そこにいた。
ここも、泥棒でももう少しきれいに家探しをするだろうと思われるほど、何もかもがめちゃくちゃだった。
床に倒れて眠っているらしいミドリが握りしめた写真立てを見て、祖父は全てを理解した。
そうか、これを探したのか。

祖父はようやく、自分が立ち向かわねばならないものの存在について、はっきりと認識したのだった。






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買い物から帰った祖母とスミレは、いつものようにミドリの様子を見に行った。
ミドリはベッドの上に横たわっていた。
周囲は足の踏み場もないほど、物が散乱している。
祖母は祖母の理由で、スミレはスミレの理由で、同時に動きも声も失った。

事態を収拾したのは、たまたまその時に帰宅した祖父だった。
異変に気付いた祖父は、まずスミレを抱いて他の部屋に行き、布団を敷いて寝かせた。祖母を引っ張ってきて震えるスミレに付き添わせた。次に祖父は、いろいろなものを踏みつけながらミドリに近づき、様子をうかがった。ミドリは眠っているようだった。

祖父はミドリを起こさないように、そっと部屋の中を片付けた。
が、ミドリの体の下になっていた写真立てには気付かなかった。
何かがミドリに起きて、彼女を混乱させたのは明らかだった。
祖父は言いようのない不安を覚えた。

翌日も、同様のことが起きた。
何事もなかったように静かに座っているミドリから目を離し、祖母とスミレは洗濯物を畳んでいた。
すると、何か大きな声が聞える。
祖母は急いでミドリの部屋に行った。
すると、昨日同様、ミドリの部屋には物が散乱しており、ミドリはベッドにうつ伏せに横たわって荒い呼吸をしていた。

「どうしたの!?」
祖母が何度も問いただしているところへ、スミレも行ってみた。
「おばあちゃん。おじいちゃんが帰ってくるまで、ママを休ませてあげて。」
スミレに言われてハッとしたように祖母は、静かにドアを閉じると、ミドリの部屋を離れた。

祖父が帰宅した時、ミドリはまた深い眠りに落ちていた。
部屋は昨日同様、めちゃくちゃになっている。
祖父は再び、音をたてないように気をつけながら、部屋の中を片付けた。

ふと見ると、ベッド脇に写真立てがあった。
他のものは見るも無残に荒らされているのに、この写真立てだけがしっかりと立っているのが、何か異様な光景だった。
祖父は写真立てを手に取り、戦慄した。
そこには、生まれたばかりのスミレを抱いた笑顔の哲也とミドリがいる。

思わず目を背けた祖父は、部屋を出る時に写真立てを持って出た。
昨日からのミドリの豹変は、きっとこの写真立てが原因に違いないと思った。
だから、自分の書斎に隠してある、親子のアルバムと同じ引き出しに仕舞いこんだのだった。






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ずっと様子がおかしかったミドリに変化が現れたのは、事件からもうすぐ1年になる頃だった。
ぶつぶつと、独り言を言っていることが増え、話しかけても気付かないのか、返事すらしないことも珍しくなかった。ほとんど外に出ることもなく、かつて自分の部屋だった6畳間に座ったまま一日を過ごしていた。

幼稚園に通わず家にいるスミレの方は、ミドリほど閉じこもってはいなかった。
いくら母が心配でも、子供らしい好奇心は失われないようで、祖母の買い物には必ずついていったし、近所の公園にも遊びに行くようになっていた。

その日も、祖母とスミレは買い物に行き、祖父はまだ仕事から戻っておらず、ミドリひとりが家の中にいた。
ミドリは何を思ったか、クローゼットを開けて、何かを探し始めた。
いくつかの箱を取り出した後、小さなスーツケースを見つけると、ベッドの脇まで持って行った。
哲也と暮らした家を引き払った時、持ってきてもらったスーツケースだ。

祖父母は哲也につながりそうなものを一切捨ててしまっていた。
ミドリが大事に整理していたアルバムも、哲也が写っているものは1枚もなく、スミレとミドリだけが写っている。
そのアルバムも、祖父はこっそり隠してしまった。
しかし、かくれんぼの拍子にそのアルバムをみつけたスミレは、ときどき祖父の書斎でそのアルバムを覗くことがあった。
アルバムのどこにもパパはいなかったが、自分と並んで笑っているミドリの写真を誰が撮影したのかは、幼いスミレにも分かっていた。

ミドリはバッグから財布を取り出すと、小さな鍵を出した。スーツケースの鍵穴に差すと、ふたをそっと開けた。
中にはミドリの思い出の品が入っていた。このスーツケースはミドリの宝箱だったのだ。

中学生の時に親友との間を行き来した交換日記。アイドルの切り抜き。高校の合格通知。サッカー部のマネージャー用Tシャツ。ひとつひとつ取り出してはゆっくり眺めて、ベッドの上に並べて行く。あのお守りも出てきた。ミドリが哲也とお付き合いをするきっかけになった手縫いのお守りだ。

「私が、哲也を殺したんだわ。」
地底から漏れるような声で、ミドリはつぶやいた。
お守りを膝の上に置いたミドリが次にとりだしたのは、写真立てだった。

裏返しに仕舞われていた写真立てを、恐る恐る裏返したミドリは、見慣れたはずのその写真を、心霊写真でも観るかのように少しずつ視界に入れていった。

生まれて間もないスミレを抱いた哲也が、満面の笑みを浮かべている。
その哲也にべったりと寄りそって、これ以上はない笑顔の自分がいる。
3人の後ろには、合成写真かと思うほど色鮮やかな紫陽花が一面に広がっている。

「ぎゃ〜っ」
ミドリが悲鳴をあげた。
「私が殺した!私が!!」






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スミレは5歳になった。
幼稚園はあれ以来通っていない。
母のミドリとともに、ずっと祖父母の家で過ごしていた。

祖父母は、スミレをなんとか幼稚園にもう一度通わせたいと考えた。
しかし、ミドリの気分には大きな波があり、元気な時もあるが、ひどくふさぎこんだり、体調を崩したりすることも多く、母子二人の家に帰すことができなかった。

祖父母はミドリの許可を得て、崩壊した家庭を住まわせていたアパートを引き払った。哲也のことを思い出させるのはミドリにもスミレにもよくないだろうと考え、哲也のものは哲也の両親に返したかったが、すでに両親はどこかへ引っ越していき、行方がしれなかった。祖父母は迷った末に、アパートに残されていたもののほとんどを一切処分した。

スミレが通っていた幼稚園は、ミドリの実家からは少し遠かった。
近所の幼稚園に事情を説明して入園させようとしたが、拒絶したのはスミレだった。
きっと、自分が幼稚園に行っている間に、またママに何かあるのではないかと思うのだろうと気付いた祖父母は、憐れな孫の胸の内を思い、無理強いはできなかった。

どちらにしろ、来年の4月からは小学校ですものね。
ミドリもその頃には落ち着くでしょうし、スミレも新しいお友達ができたら、気分も変わるでしょう。
祖母は本気でそう考えていた。

スミレは何かの拍子に母が、「おばあちゃんは良妻だけど賢母ではなかった」というのを聞いたことがあった。
聞いた時には意味がわからなかったが、後になって思い当たることがあった。

お嬢様育ちだったらしい祖母は、悪意というものを持っていない人だった。
しかし、悪意がないというのは、イコール善意の人ということでもない。
意志を持たない人だったと言う方が正確だろう。

これといって不安になることのない人生で、彼女は「自分で考えて決断する」必要があまりなかった。
そこにそれがあれば、そうなのだろうと素直に受け入れる性質なのだ。
見合いで祖父と出会った時も、乞われるままに嫁入った。
それが当然の時代でもあったのだが。

考える習慣が不足していたためか、彼女は予測の範囲を超えたことが起きると、まずは自分の波立ちを抑えるために必死になった。相手の状況だとか心情だとかを思いやることなど気付きもせず、その場の自分の動揺に没頭した。次は自分が知っている範囲に物事が治まることを信じた。信じるから、何もしなかった。それが彼女の人生の全てだった。

祖父は、そんな祖母を天使のように愛した。
何でも自分のいいなりになる人間を、物足りないと思うこともなかったようだ。
これも一概には責められない。そういう時代を生きた男なのだ。
けれども、そういう家庭生活が、祖母をいっそう、思考から遠ざけた。
娘から見たら、決して真似したい人でも、生き方でもなかった。
「私はもう少し自分の頭で考えて、自分で決めて生きて行きたいと思ったものだわ。」
スミレはミドリのそんな言葉も覚えている。







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連載の途中ですが、6月の読書記録を。 
2013年6月に読んだ本は8冊でした。
ちょっといろいろあって、あまり読めませんでした。
今後は仕事関連の専門書が増えて行くかもしれません。
ご興味がなくてもお許しくださいね。

 
Hikariの読書記録 - 2013年06月 (8作品)

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