Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年05月


「ねえ、ヒデ君。今日もサッカーするよ。この前ちゃんとボールをキックできたから、今日もできるよね。やってみようね。」
 
スミレ先生が誘いに来てくれた。
みんなはもう、自分のボールを持って行って練習の準備をしている。
ぼくは校庭のすみっこでしゃがみこんでいた。
 
この前、こうやって座っていたら、スミレ先生が後ろから抱っこしてくれた。
グイグイ引っ張られたり押されたりしてちょっと痛かったけど、
最後は後ろから抱っこしてくれて、一緒にボールを蹴ろうって言ってくれた。
 
スミレ先生、とってもいい香りがした。
ふんわり柔らかくて、温かかった。
 
ママはもうボクを抱っこしてくれたりしない。
もう大きいから、抱っこしちゃいけないって、偉いお医者さんの本に書いてあったんだって。
ジリツシンヲヤシナウって何?
 
スミレ先生はもう引っ張ったりしないって言ってたけど、こうやって座っていたら、きっとまたボクのことを呼びに来てくれる。それで、サッカーしようって、抱っこしてくれるに決まっている。
だから、ボクは絶対に動かない。
 
スミレ先生は悲しそうな困ったような顔をして、みんなのほうへ行ってしまった。
ボクを置いていかないで!
ボクは待っている。
 
でも、スミレ先生は来てくれない。
大きな声で泣いてやる!
それでも、スミレ先生は来てくれない。
どうして?
 
そうだ。サッカーのせいだ。
ボクがサッカーができないから、スミレ先生はボクのことが嫌いになっちゃったんだ。
だって、むこうでシュートの練習をしているみんなとは、あんなに楽しそうにしている。
 
そうか。スミレ先生もママと同じなんだ。
サッカーができる子が好きなんだ。
 
ボクは、誰からも、好きになって、もらえない。






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「ねえ、ママ。ぼく、心配なことがあるんだ。」
「心配?どうしたの?」
 
ママがカレーを作る手をとめて振り返った。
ぼくはお絵描きに集中できない。
本当に、心配だからだ。
 
「あのね、1組のヒデ君、ママも知ってるでしょう?」
「もちろん。幼稚園も一緒だったヒデ君ね?」
「そう。体育の時間にサッカーしたんだ。1組と、2組と一緒に。」
「ワールドカップが近いからね!」
「うん。だけど、ヒデ君、この前も今日も、座って泣いていてサッカーしないんだ。」
「泣いているの?」
「うん。すごく泣いて、スミレ先生が話しかけても絶対に立たない。」
「あら、どうしたのかしら?サッカーしたくないのかな?」
「わからない。スミレ先生も困っているみたいなの。」
「そりゃ困るわね。でもヒデ君にも何か理由があるんじゃないかな。」
「う〜ん。ねえ、ママ。どうしたらヒデ君はサッカーするのかな。」
「それが心配なこと?」
「そうなんだよ。ヒデ君、サッカーできなくなっちゃうよ!」
 
ママはお鍋の火を止めて、ぼくの前に座った。
ぼくはお絵描きの道具を脇に寄せて、ママの顔を見た。
ママはきっと、とても大切なことを話そうとしているに違いない。
 
「ママにもよくわからない。でも、ヒデ君がこうしたらいいかな?って思うことがあったら、何でもしてみていいんじゃないかな。ジュンの気持ちは、もしかしたらヒデ君に伝わるかもしれない。でも…。」
 
ママは大人みたいな顔をして、ぼくをしばらく見つめた後、ちょっと難しいことを言った。
「でもね、焦らなくていいんじゃないかな。ヒデ君もジュンもまだ1年生でしょう?あなたたちにはこれから長い長い時間があるの。サッカーは、今すぐできなくても大丈夫。それより、ヒデ君には今、そこに座って泣いていることの方が大切なことなのかもしれない。長い目で見たらね。」
 
「どういうこと?」
「ん〜、ちょっと難しいかな。」
 
ママはまた立ちあがって、カレーのお鍋に火をつけた。
ぼくはママが言ったことをよく考えてみようと思ったけど、お腹がグーグー鳴って、カレーのにおいのほうが気になって仕方なくなった。
 
「ねえ、カレーまだ?」
ママはいつものママの笑顔で嬉しそうに言った。
「もうすぐよ。」






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ママが泣いている。
今日、ママはチヨコ先生に呼ばれて、学校に行ったはずだ。
ママはスーパーのお仕事が忙しいから、ぎりぎりまで働いて、ちょっとだけお休みをもらって学校に行き、またスーパーにもどる。
いつものことだ。
 
「ママ、どうしたの?」
ママはずっとシクシク泣いていて、理由を教えてくれない。
こんな時は、しつこく理由を聞いてはいけないのだと教えてくれたのはママだ。
 
「あのね、ジュン。大人にだって泣きたい時はあるの。悔しかったり、腹が立ったりするの。一生懸命やっていると意見がぶつかるのは当然。我慢できないことがあるのは正常なの。そういう時はくやしい!って泣いて当たり前なのよ。我慢するほうが不健康。でも、その気もちを他の人にまで広げなくてもいいのよ。だから、ひとりで泣くの。理由をくどくど説明する必要はないの。」
 
よくわからない。
ぼくはあまり泣かないけど、ときどき泣いてしまう。
そんな時、ママは黙ってぼくを見ている。
優しい顔でぼくを見ている。
ぼくはだんだん泣かなくてもいいような気持ちがしてきて、泣いちゃったことが恥ずかしい気がして、ママのほうをちょっと見る。
そうすると、ママは決まって言うんだ。
「ねえ、ジュン。お腹空いたね。何か食べようか!」
それで、ぼくの頭をぐるぐる撫でてくれる。すごくうれしくなる。すごく。
 
だからぼくも、泣いているママの隣に座って黙って待っていた。
しばらくすると、ママは涙を拭きながら言った。
「チヨコ先生がね、ジュンはとっても伸び伸びと楽しそうだって言ってた。ママは嬉しかったなぁ。ママはね、ジュンが幸せだったら何ができてもできなくてもいいの。今日はすごくイヤなことがあったけど、チヨコ先生が教えてくれたジュンのことを思い出していたら、イヤなことなんかどうでもよくなっちゃった。」
 
ぼくはママの頭をなでなでした。
ママの長い髪はとてもきれいで、サラサラする。
「ママはえらいなぁ。今日はごほうびにおいしいものを食べよう!」
「え?おいしいものって何?」
「マクドナルド!」
「だめよ。サンキューセットはないし。」
「いいって、いいって。今日はトクベツ。ママにごちそうだよ。」
「そっか。ま、いっか。今日はぜいたくしちゃおうか。」
「そうそう。ママ、大好き!」
 
ママはまたポロポロッと涙をこぼした。
「あ〜、ほんとに、ジュンを生んでよかったなぁ。ママはうれしい!」
 
そうか、うれしくて泣くこともあるんだね。






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ぼくはジュン。
まだ子供だからうまく説明できないけど、ぼくはいろんなことにキョウミがある。

今週いちばん楽しみなのは、わーるどかっぷの応援だ。
サムライジャパンが試合をするんだ。
ぼくはママと一緒に応援する。約束したんだ。
ママはビールを飲むんだって。ぼくは夜だけど、コーラがいいな。

お絵描きも大好きだよ。
ママがお仕事から帰ってきて、ご飯を作っている間、ぼくはテーブルでお絵描きをする。お絵描きしながらママとお話しするんだ。
ぼくはね、ママが大好きなんだ。
ママもぼくが大好きなんだって。
大人になったら、ママをおよめさんにするんだ!

ママはぼくに「今日はヒマワリの絵を描いて」とか「動物園はどう?」とか「ママの絵を美人に描いて」とか言うんだ。
ぼくはママのりくえすとにこたえて、絵を描く。
そうすると、ママはいつも言ってくれるんだ。
「ジュンは天才!なんて素敵な絵かしら。」
そうして、ぼくの絵を壁に貼ってくれる。ぼくの家は、ぼくが描いた絵でいっぱいなんだよ。もう貼るところがなくなったから、古い絵からはがしているんだ。はがした絵はママが大事にしまっている。しまっておいて、どうするのかな?

ママ、今日ね、サッカーしたよ。
チヨコ先生が「今週はわーるどかっぷだから、みんなもサッカーしてみる?」って聞いたの。
ぼく、やりたい!って言ったんだ。
そしたら、チヨコ先生が「サッカーは難しいから、ボールを蹴る練習からしましょう。」って。
そうだよね。何でもうまくなるには、練習がひつようなんだよね。
ぼくはとっくんすることに決めたんだ!

チヨコ先生が「一番に蹴る人はだれ?」って聞く前に、「ぼくがやる!」って言っちゃった。
そしたらチヨコ先生がすごく笑って言ったの。
「ジュン君はいつもヤル気があっていいね。将来何でもできるようになるよ!」
ほら、チヨコ先生はかわいいでしょ?
チヨコ先生にほめてもらえると、すごくうれしい。

ママもチヨコ先生も同じことを言うんだね。
ぼく、将来何になろうかな。
サッカー選手もいいな。刑事さんもかっこいいし、お医者さんもいいな。アイドルもいいかな。
ぼく、どれにでもなれるんだよね!
すごいな、まよっちゃう。

できればお金がたくさん儲かる仕事がいいな。
それで、ママがいつもおうちにいられるようにするんだ!

だから、待っていてね、ママ。






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ママが泣いている。
さっきまでは怒っていたんだ。

ママはスミレ先生に呼ばれて、学校に来た。
スミレ先生とお話ししたママは、とても怖い顔で帰ってきた。
「どうして、あなたは、いつもいつもそうなの!?」

ママは怒るととっても怖い。
だからボクはママがいつも笑っていたらいいのにと思う。

「先生がやってごらん、って言うこと、どうしてあなたはやろうとしないの?」
ママの質問は難しい。
なんて答えたらいいか、わからない。

「イチゴの絵を描こう!のときも、虹のダンスのときも、サッカーも、スミレ先生はヒデ君にもできるように考えて、やってみようって言ってくれるのに、どうしていつもイヤだ!できない!って泣くの?」
だって、本当に難しそうなんだもの。
でも、言えない。

「スミレ先生はとっても困っていたわ。ママ、恥ずかしかった。どうしてあなたは、いつもそうなの?子供らしく素直に、やってみたらいいじゃないの。」
ああ、こまった。
スミレ先生も困っているのか。
でも、ボクだってずっと困っている。
だって、うまくできなかったら、ママはきっと言うんだ。
「どうしてそんなこともできないの?」って。
「もうちょっと、がんばればいいのに」って。
ボク、がんばってもできないかもしれないよ。
できなかったら、ママはボクのこと、嫌いになっちゃうんでしょう?
ママは、何でもできる子が好きなんだよね。

何かして、うまくいかなくて、かっこわるくて、ママに嫌われちゃうくらいなら、最初からしないほうがいいじゃないか。何もしなければ、失敗だってしないもんね。

ずっと怒っていたママは、ボクが返事をしないので、シクシク泣きだした。
ごめんね、ママ。
ママはボクが嫌いなんだね。
ボクがママを悲しませてばかりいるからだね。

でも、大丈夫だよ、ママ。
ボクは大人になったら、ウルトラセブンになるからね。
強くなって、宇宙の平和を守るんだ。
誰にも負けない。強いんだぞ。
そうしたらママもボクのこと、大好きになってくれるよね。

だから、待っていてね、ママ。






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ボク、ヒデ君。
変身が大好き。
いろんな仮面ライダーの変身を覚えたぞ。
ウルトラマンだってできる。
一番のお気に入りはウルトラセブンだ。
ホントはティガがいいんだけど、セブンの変身はパパが教えてくれたんだ。

毎日毎日ライダーとウルトラマンを見る。
怪獣の名前もいっぱい覚えた。
必殺技もできるんだ。

スペシウム光線、エメリウム光線、アイ・ビーム!!
パンチもキックも練習した。
特に、キックは大事だ。
この前、キックの練習をしていたら、間違えてベッドを蹴っちゃった。痛かった〜


ヒデ君はお絵描きも好きなんだ。
描くのはいつもウルトラマン。
色も塗れるよ。ここは、赤。ここは、青。ここだけちょっと紫。

ヒデ君はお手紙も書くよ。
ひらがなをたくさん練習したからね。
時々、どっちのひらがなが前かわからなくなっちゃうけど、平気平気。
今日もスミレ先生に「だいすき!」ってお手紙書いてきたよ。
スミレ先生、なんて言うかな。

なんで?
今日はサッカーするんだって。
ヒデ君、サッカー知ってるよ。
わーるどかっぷでしょ?
ママもパパもサッカーが大好きだから、ヒデ君もテレビで応援する。
ニッポン!ニッポン!!でしょ?

え?ボールを蹴飛ばすの?
それは大変だ!
ムリムリ。ヒデ君にはできないよ。
だって、難しそうだもん。

いやだな、いやだな。サッカーいやだな。
ヒデ君にはできないよ。
すごくやりたくないよ。
だって、ボールを蹴れないかもしれないじゃない。

え?
スミレ先生、いいよいいよ。ヒデ君は見てるから。
大丈夫だよ。大人しくしてる。いなくならないよ。
ヒデ君はウルトラマンキックができるから、サッカーはできなくてもいいでしょ?

いいよ、スミレ先生。
そんなに言わないで。
こわいよ。できないよ。ヒデ君、運動は苦手だよ。
泣いちゃうよ。ほら、いやだよ。泣いちゃうよ。

スミレ先生!
引っ張らないでよ。ボク、絶対動かない。
押さないでってば!
なんでサッカーしなきゃならないんだよ!

やめて、やめて、やめて!
できないよ!
ウルトラマンキックができたらボールも蹴れるなんてうそだ!
ボクにはできないよ!

スミレ先生、そんなに無理やりやらせるのはタイバツだよ!
いけないんだよ!
絶対できるなんて、どうしてわかるの?
スミレ先生なんて大嫌いだ!!

後ろから抱っこするから、一緒に蹴ってみよう?
絶対に立たないぞ。
思い切り寄りかかってやる!
だって、できないに決まってるもん。

スミレ先生、そんなに力持ちだって知らなかったよ。
痛いよぉ。
なんでそんなにやらせたいんだよぉ。
あ!

ボールに足が当たったら、ボールがコロコロしたよ。
みんなが拍手してくれてる。
ヒデ君、サッカーできたのかな?

スミレ先生がギュッって抱っこしてくれた。

「ヒデ君やったね!サッカーできたね。ヒデ君はウルトラマンキックだけじゃなくて、サッカーもできるんだよ。でも、『できないよー』って言ってやらなかったら、自分がサッカーできるって気付かないでしょ?だから先生は、どうしてもヒデ君にボールをポンって蹴ってほしかったんだ。引っ張ったり押したりしてごめんね。痛かったね。1回だけでいい、どうしてもやってみてほしかったんだ。でも、こんなふうに引っ張ったり押したりしてでもやってみてもらうのは今日だけだからね。次からは自分の力でやってごらん。またできないよ!って泣いていても、今度は先生、見ているだけにするからね。」

スミレ先生、それってどういう意味?






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最近、つくづく思う。

「得意」とか「好き」というのは、その物事に対して、どれだけ時間をかけたかで決まるんだなと。
それも、「行動した時間」だ。

今の職場に異動してすぐのことだった。
同僚たちが自己紹介をし合う場面があった。
大学を出たての人から、もうすぐ定年退職とおっしゃる方まで年齢層はバラバラ。かつて所属していた「Hikariが最高齢-1歳」という若い集団とは大分雰囲気が違う。

「私は歌が得意で、大好きです。」
「私はこう見えても合気道○段です。」
「絵を描くのが好きです。描いてほしいものがあったら言ってください。」
「陶芸が趣味です。」
「大学でアメフトをやっていたので、今でも週末は試合です。」
「料理が好きです。ご飯を作っていると幸せを感じます。」
「ジョギングと山登りが大好きです。」
「運動も音楽もいろいろやりますが、最近トランペットを習い始めました。」
「カメラが好きです。旅に出て、写真撮影するために働いています!」

なんなんだ?この人たちは。
私の自己紹介の順番は、一番最後だ。
誰ひとり、「好き」や「得意」を言えない人がいない。
いや、ひとりだけいた。

「私はこれといって特技はないのですが、ミミズを飼っています。」
「え〜っ
元からの同僚たちも知らなかった話のようで、ざわめいている。
「ミミズといっても、私が飼っているのは…」

その人は、ミミズについてなんと30分近く語った。
30分後に話が終わったのは、話せることが尽きたからではない。
「そろそろ次の人にいきましょう!」と司会が声をかけたからだ。

私は圧倒されてしまった。
自分がミミズみたいに小さく…いやいやミジンコ…いや、ミドリムシみたいに小さく感じた。
頭はグルグル回転して、この場に相応しい「できる」「すき」を探していた。
でも…とうとう順番が来てしまった。

「私は歌を歌いますが、音痴です。料理もたまにしますが、ヘタクソと言われます。運動は苦手で、すぐに疲れてしまいます。キャッチボールはできないし、バドミントンも空振りするから続きません。絵を描いたら幼稚園児以下です。」

情けない自己紹介になった。
「あ、ラッコが好きなので、日本中で飼育されているラッコに会いに行ったことがあります。」
過去完了形か。
ここ2年ほど、生ラッコには会っていない。

「本を読むのが好きです。ジャンルは問いません。」
しまりのない「好き」だ。
「ケーキも好きですが、体を壊して以来、あまり食べられなくなりました。」
もういい。
みなさんの視線に、明らかな「憐み」が浮かんでいる。ような気がした。

ここでもし「ホームページ時代から現在のブログに至るまで、25年間記事を書き続けています。」と言えたら、きっとへぇぇと言われたのだろうか。

人の言動を観察して、その背景に隠されている心理をいくらか分析することが得意ですと言ったら、ええっ!と言われたのだろうか。

ただ話しているだけで相手がやる気の炎を燃やしてしまうことがあります、涙がこぼれて心がスッキリしてしまうことも多いです、などと言ったら信用してもらえたのだろうか。

つまりだ。
私の「好き」や「得意」は、「料理」「絵」「歌」「アメフト」「トランペット」「ミミズ」みたいに、伝わりやすいものではないのだ。

それは、私が自分の行動する時間を、そういう分かりやすいものにかけてこなかったということだ。

千切りキャベツはあんなに上手にできるのに、味付けはいつもズレているのは、味付けが上手くなるために時間や行動を使って来なかったからだ。そーかー。そういうことか。「だいたいできたから、最後の仕上げしといてください。」とくまさんに頼み続けたのが徒となったわけだ。


「そういうわけで、いらっしゃらないと思いますが、人に自慢できるなにも持っていないと思われる方は私と気が合うと思うので、お友達になってください。」
自己紹介をそう言って締めくくった。

一呼吸置いて、なぜか大きな拍手が沸き起こった。






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昨日は一日研修だった。
同期で採用された人が一堂に集められた。
25年前、こうしてこの人たちと全員で集められ、辞令をもらったはずだ。
その後の研修でも何度か顔を合わせていることもあり、名前は知らずとも見覚えのある顔がちらほらある。

しかし、25年とは長い年月だ。
人はこんなふうに変わるのかと、今年の新人さんを思い出しながら周囲を見回す。
あの頃は、私たちもあんなふうだったのね。

生活の疲れややつれが色濃いのは女性の方だ。
それを言うなら、女性がずいぶん減っている気がする。
白髪が目立つのは男性の方だろうか。
それより、みなさんそろいもそろって恰幅が良くなっている。

ブロイラーよろしく、幅が狭くて奥ゆきもない座り心地の悪い椅子に1日中座らされっぱなしで、16時をまわったころから左側頭部がズキンと痛み始めた。
エコノミー症候群と同じだ。
あちこちから「腰が痛い」「気分が悪い」「背中が…背中が…」とひそひそ話の声がする。

ふと気がついた。
これは、主催者側の陰謀ではないかと。
勤労年数が高いということは、それだけ高給取りということだ。
この研修は、高給取りを一堂に集めて、一気に命を縮める狙いが隠されているのではないだろうか?

見ると、主催者たちはパイプ椅子ながらとても楽々と足を延ばして座っている。
「やはりそうか。財政難はよく知っているが、いよいよそのような暴挙に出たか!」

くだらないことを考えていたら、研修が終わった。
私は大事な教訓を得た。
「一網打尽には気をつけろ!」






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あれは20代前半、就職して間もない、ある秋の日の出来事だったと思う。

その頃はまだ実家に住んでいたのだが、崩壊しそうな家屋をいよいよ立て替えることになり、わずかに駅に近い小さなアパートへ、一時的に引っ越した。6人家族のうち、弟の一人はすでに赴任先へ旅立っていた。が、 5人が6帖1間で暮らそうというのだから、息苦しいことこの上ない。私は台所に布団を敷いて寝ていた。というか、寝るのがいやで、丁度お付き合いし始めたばかりの男性と、遊び歩いてばかりいた。

深夜に帰ろうと、徹夜しようと、翌日の授業に影響が出ない程度の体力と気力がまだあった、若いころの話だ。

その日、電車を下りて駅から歩いて帰った気がするから、多分出張だったのだろう。 普段は車通勤で、その道を歩いたりはしない。人気が少なく、あまり気持ちの良い道ではないのだ。

ああ、帰りたくない。
多分、それしか考えていなかったに違いない。

向こうにアパートが見えてきた。
ああ、やだやだ。

黒いコートを着た、背の高い男性が向こうから歩いてきた。
気にも留めない。
と、あと3メートルですれ違うかというあたりにきて、急に男性が立ち止まった。
黒いコートの前をはだける。
コートの下はワイシャツのみで、下半身は何も身につけていなかった。
ニヤニヤと気持ちの悪い顔をしていた。

こいつ、何がしたいんだ?
私は反応する気にもなれなかった。
悲鳴も、侮蔑の言葉も、発する気になれない。
見る気もないし、目を背ける気にもなれない。
ただ、すれ違おうとした。

男は慌てたように数歩走り下がると、再度ふり向いて、コートの前をはだけて見せた。
顔には先ほどのニヤニヤした笑いはなく、必死ささえ浮かんでいる。
私はそのまますれ違い、家に帰った。
追いかけてくるのかな?と思ったが、どうやらそのまま去ったようで、ついてこなかった。


金曜日、職場の近くに露出狂が出現したそうだ。
休日出勤だった土曜日、分担して巡回することになった。
その話を聞いた朝、私は周囲の男性たちに尋ねた。
「白昼、通行人に下半身を露出して見せて、何を求めているのですか?」
「そんなこと、尋ねられても分かりません。聞かないでくださいよ〜」
男性たちは一様に微妙な笑顔を浮かべて教えてくれない。

そんな中、「昨日のそれは私です!」と冗談を言った男性がいた。
私は長年の疑問をその人にぶつけてみた。
「そういう冗談が言えるあなたなら、わかるはずです。一体、何が楽しくてああいったことをするのですか?」

「きゃ〜って、言われたいんです。びっくりする表情が見たい。」
「は?」
「だから、きゃ〜、です。」
「びっくりさせて、きゃ〜って言わせるなら、他にいくらでも手立てがあると思いますけど。」
「いや、簡単なんですよ。お金もかからないし、用意も大していらないし。」
「あ〜なるほど。」
「だから、あなたがかつてしたように、無反応に通り過ぎられると、ものすごい恥ずかしさで身をすくめたと思いますよ。世の女性が全員そういうふうに無反応だとわかったら、露出狂は消えるでしょうね。」

いや、きっとその結論だけは違うと思う。
それでもやっぱり、きゃ〜というのではないかと期待して、試してみる男は存在し続けるのだろう。
そして、女性からは理解しがたいその心理は、実際に行動に移すかどうかの点に大きな差があるものの、心理自体はどの男性の心の底にも潜んでいるのではなかろうかという気がする。


「おい、くま。あなたもやってみたいですか?」
「いや、そんな勇気は絶対にありません。」
「そうか。やりたくなったら先に離婚してください。私はそーゆー男の伴侶は絶対に嫌です。」
「安心してください。断じてそういう挙には出ません。」

痴漢だ、わいせつ行為だと逮捕された男の妻たちは、みなそうやって安心していたのではなかろうか。
うちの人に限っては大丈夫。

どんなもんだか…






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平日にブログを更新した時は、出勤のバスの中でケータイから読み直すことが多い。
作成した時に慎重に誤字脱字をチェックしたつもりでも見落としていて、この読み直しで発見することが多い。句読点が多すぎるのも悪い癖だ。帰宅してから、こっそり修正する。
 
その朝、更新したての記事をケータイで読み直し始めた。
バスがなかなか来なかったので、乗る前にちょっと読み始めようかと思ったのだ。
なかなかリズムのある文章が書けたな。
と思ったのは最初のうちだけで、そのうち夢中になってしまった。
 
「プシュ〜」
ハッとして顔を上げると、私が乗るはずのバスが扉を閉じたところだった。
「ああっ!」
本気で叫び、追いかけたが、バスは走りだして止まってくれなかった。
たまたますぐ後から、別会社のバスで、利用できるものが来てくれたので大事には至らなかった。
他の時間帯にはこの他社のバスはないので、遅刻の危機になっていただろう。
それに、毎朝顔を合わせる同乗者たちの視線は何とも恥ずかしかった。 
 

4月からいろいろな考え方が変わったり、生活習慣を変えたりしている影響か、その場その場の集中力が増した気がする。
これまで、自分の特徴を一言でいうなら「マルチタスク」だろう。
同時に複数のことを考え、実行していく。そうできるように予め考えていく。
それができることが、小さな自慢でもあり、そうできる自分がちょっと好きだったりしたものだ。
 
反面、一つのことに対する集中力というのは、深いのかもしれないが持続しない。
ごく短い単位で集中しては他のことに目を配り、配分を再確認している。
目と耳が別のことをとらえていることも多い。
つまり、集中しきってはいないのだ。
 
ところが、バスが来て、音を立てて止まり、扉が開き、周囲の人が動いても気づかないほど、本の中に没頭できるようになった。
これは、私史上、特筆したい事件だ。
出勤・退勤時の電車は図書館だ。危うく降りる駅を通り越しそうになったことが何度もある。


帰りの電車で読んでいた『のぼうの城』がクライマックス直前で家に着いてしまった。着替えもそこそこに、晩ご飯を作るくまさんを尻目に、続きを読み始めた。目の前でテレビが何か言っていたが、一切気にならず、私は戦場に没頭する。

丁度読み終えた時だった。
「………ですよ。聞いてましたね?じゃ、借りますよ。」
「はい。」
思わず返事をしてしまったが…
くまさん、私はいつ何をあなたに貸す約束をしたんでしょうね?






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