Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年03月


昨年秋、足底筋膜炎を患った。
ブログにもその苦痛の重たさを思わず書き連ねたことがある。とにかく、足の裏が痛いというのは、もうどうしようもない。朝、ベッドから降りられない。涙をこぼしながらトイレに行くのだ。

靴を履くのが辛い。
もともと足の裏が痛くなりやすく、底の薄いパンプスで出張した日などはかなり痛かった。でも、今回のはその比ではない。

半月ほど我慢して回復を待ったが、一向に改善されないので、天才カイロプラクターに相談した。しかし、今度ばかりは珍しく、一向に変化がなかった。ふと、ぎゃ〜の整体師を思い出した。彼はスポーツ障害も得意としている。何か変化をもたらしてくれるかもしれない。

体をさっと触ってすぐ、整体師は断定した。「膵臓が石のように硬くなっています。機能していないと言っていいですね。あなた、何回死にたいの?」

死にたいわけではなかった。ナナとそれを取り巻く環境の悪化で、死に瀕していたのは事実だが。夏の間にでき過ぎ君がやってきていた。私の重荷は改善されることが約束されていた。なのに…。

「膵臓の機能低下が筋力低下を招いています。だから足が持ち上げられず、全ての負担が足の裏に来る。そうして足底筋膜炎を発症するんです。」

なるほど。では、どうして膵臓さんはそんなに疲れてしまったのか…。
「甘い物の食べすぎです。料理に使う以外の砂糖一切禁止!」

素直に砂糖禁止生活をスタートした。
3日で禁断症状が出始めた。
甘いものが食べたくてしかたがない。

おかしいと思った。
砂糖を食べすぎて体を壊してるのだとしたら、体はなぜ砂糖を拒否しないのか。
自殺行為ではないか。

そこで、砂糖の禁断症状について調べ始めた。
たちまち、あることに気付いた。

膵臓だけが機能低下を起こすと言うのはおかしな話だ。内臓はみな連動して働いているはずだから、膵臓がそんなに悪ければ、胃も腸も、他の消化器系も、みんな本来の力を発揮できていないことにならないだろうか。

膵臓が甘いものを嫌うのは、空腹時に突然甘いものを食べると血糖値が一気に上がるので、それを下げようと膵臓は一生懸命インスリンを出してくれるので、繰り返されると働き疲れてしまうのだろうと思えばいいらしい。膵臓の働きはインスリン分泌だけではないから、他にも影響はいろいろと出ているのだろう。

砂糖が大好きなのは、脳の方だったのだ。
純粋で分解に力がいらない砂糖は、脳が簡単に使えるエネルギー源になる。
脳は、自己保存のために、他の内臓が壊れても、糖を切らしたくなかったのだ。

私に甘いものを貪り食べる夢を見せたり、買い物の棚からチョコレートを握らせたりするのは、脳の陰謀だったのだ!なんて勝手なヤツなんだ!!

そして、そう分かった日の夕刊に、ある本の宣伝が出ていて目を奪われた。新聞受けから出して部屋に戻るまでの間に、アマゾンで注文してしまった。藤田先生は『笑うカイチュウ 』の時からのファンだ。



この本が、すごかった。






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整体師からどんな治療を受けたの?とのご質問がなかったので、話を先に進めることにしよう。やはり誰も、ぎゃ〜と叫ぶような痛みには関心が持てないのだろう。

肉体改造2年目のこと。私は自分がなぜ花粉症に陥っているのか、 根本的な原因に行きついた。
医学的な話ではない。
生き方の問題だ。
だから、万能薬ではない。
あくまで、私の個人的体験であり、私にしか当てはまらないことだ。


ヒントをくれたのは、天才カイロプラクターの一言だった。
ちなみに、ぎゃ〜の整体師とは別人だ。
「あのね、スギ花粉症の特効薬は『つくし』なの。『つくし』って、大きくなると『スギナ』になるのよね。」

けっこうな数の人が、この言葉を聞いた。
しかし、この言葉に引っかかった人、意味を自力で解こうとした人はほとんどいなかったようだ。
教えられるのを待つのではなくて、自分から気付こうと努力すること、どうしても分からなければ、お願いして教えを乞うこと。この姿勢は、私がとても大切にしているものだ。天才はヒントを出すだけで、安易に答えを教えてくれない。

つくし飴 2箱セット

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つくしが特効薬なら手に入れてみようと考えた。すると、つくしが飴になっていることがわかった。これがつくし飴だ。ちなみに、楽天市場ではすべて売り切れているので、今手に入れることはできなさそうだ。リンクをつけたのは、開発の経過や作り方をご紹介したかったからだ。

でも、誤解しないでほしい。
私はこの飴をなめて、花粉症を脱したのではない。

天才の言葉がどうにも引っかかって頭を離れなかった私は、即日取り寄せた「つくし飴」の箱を眺めながら、考え続けた。

つくし、すぎな。つくし、すぎな。スギ花粉。
ある日曜の朝のこと。お風呂でつくし、すぎな、スギ花粉…と唱えていた。
何度もつぶやいていたら、あるフレーズがひらめいた

つくしすぎないで〜!

ギャグではない。
丁度、新人教育の方法に悩んでいた。私はどうしてもいろいろと教えすぎてしまう。結果、相手は答えをもらえるものと待ち受けるようになる。自分の頭で考えないから身に着かない。

気持ちよく学んでほしい、成長してほしいと思うから、よいところを誉めて育てようとする。基本はよいと思うのだが、ちょっとそれは??と思うことを言わずに肚に納めて、誉めすぎると、わずかに注意や注文をつけただけで気持ちがへこたれてしまって、「Hikariさんは冷たい、私は嫌われた、あんなこと言わなくてもいいじゃない」となる。言われなきゃ気付かなかったでしょうに。好きも嫌いもない。できていないことを教えるのが私の仕事なのだ!

そうだそうだ。私は尽くし過ぎているのだ。もっと手を引いて、「お願いします教えてください」と言われたら教えてやらんでもない、くらいの気構えでいればいいのだ。来る者は拒まず、去る者は追わず、その人のしたいようにしてもらえばよいのだ。自分が大切にしているモットーを、人も大切にできるようにしよう。

秘すれば花と言うではないか!私が身を削って学んできたことを、安売りする必要はないのだ!

なぜ花粉症の症状がああなのかにも、思い当たった。
鼻水鼻づまり頭痛などに襲われ続けると、頭がぼんやりして、人のことを考えるのが難しくなる。気付けば自分の辛さに意識が集中している。膝痛や肩こりでは、こうはいかない。

この仕事に移ってから、花粉症になった。お世話が仕事になってからということだ。やり過ぎていたんだ!そうだ!体は、もう他人のことは放っておきなさい、自分のことを大事にしていればいいんですよと気付かせたくて、この症状をわざと引き起こし、教えてくれているのだ!!

その時、もうひとつひらいめいた。

私にはカビアレルギーもある。
ゴルゴンゾーラチーズを食べても何ともないのに、カビを吸い込むと38.5℃くらいの熱が出て動けなくなる。以前、床暖房の上に敷いた絨毯の裏がかびていたのに気付かず、人のお世話に疲れるとそこに横になっていたために、夜毎に熱を出したことがあった。排水溝のヌルヌルを触っても体がかゆくなるが、それ以上にパフッと胞子が飛ぶタイプのカビがダメなのだ。

パフッと飛ぶ胞子・・・・ほうし?ほうしとスギ花粉・・・・・そうだ!

奉仕しすぎないで〜!

なるほど。
発熱も38.5℃になると、さすがに仕事には行けない。無理して行っても使い物にならないので、自然と家でのんびり眠っていることになる。そういうことだったのか!家にいたら奉仕のしようもないもんね。

最初のひらめきからここまで、多分3分か4分。
本当に、目からウロコが落ちる体験だった。
この瞬間から、今日まで約2年間、花粉症の強い症状が出た日は合計4日間のみ。
カビアレルギーによる発熱は1度も起こしていないのだ。

スギ花粉症は、私の「やりスギ」を教えてくれていたのだ。カビアレルギーと協力して、一生懸命体をゆがませて、「やりスギないでね。人のことは人に任せよう。もっと自分を大事にしてよ」と言っていたように思う。読む人は冗談みたいに感じるかもしれない。けれど、私にとって間違いではない証拠に、この暗号を解いたとたん、体はゆがみを解除して、症状を出す必要をなくしてくれた。

それでも年に2度くらい、ガツンと出るのは、私がこの大事なメッセージを忘れないようにするための「補習」のようなものだと思っている。


そして、さらに昨年秋、新たな発見をすることになった。






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6年前に1年間だけ一緒に仕事をした青年がいる。彼もまた、ひどい花粉症だった。大学進学を機に、潮風香る遠い故郷を出て上京したら花粉症を発症したのだそうだ。症状が出る期間は私よりずっと短かったが、症状は重く、スポーツマンとして活動に支障が出るほどだった。

その青年が、10代のころからお世話になっている整体師が花粉症の治療をしてくれるようになったと言うのだ。

薬は一切使わない。
多少の苦痛を伴うのと、治療を受け始めたら服薬をやめなければならないのだと言う。
実際に、どのような治療なのかを聞いて、目が点になった。

そんなことで花粉症が治るわけがない。
あなたが本当に治ったら、受けてみないでもないけど、実に胡散臭い!と笑い飛ばした。

2か月後くらいだったろうか。
青年が花粉真っ盛りの時に、笑顔で言ったのだ。
「かなり楽になりました〜!」

即決だった。
私もその治療を受けることにした。

ちなみに、青年はこれまで何十人にもその治療を紹介したが、実際に受けることにしたのは私だけだそうだ。私も、これまでに「花粉症が辛くて…」と嘆く何人もの方に自分の体験を話したが、想像しただけで辛くて、そんなものに耐えるくらいなら花粉症の方がマシとおっしゃって、誰ひとり体験した方はいない。

なのに、その時の私は、具体的に治療方法を聞いていたにも関わらず、辛さを少しも想像しなかった。普段は想像力が豊か過ぎて、臆病で困るほどなのに。


初めてその治療を受けた時のことは、きっと生涯忘れないだろう。
約1時間の治療の後、予告どおり、食欲はゼロ、全身だるく、発熱した。
翌日になっても、鼻が完全に詰まっているのに鼻水が蛇口をひねったように出るのは変わらなかった。目もかゆすぎて、眼球まるごと取り出して、洗濯機で洗いたい!と思った。

1週間後、2度目の治療に訪れた。
何も変わらないと訴えると、「あなたは重症中の重症です。1度や2度では変わりませんが、絶対に治ります。」
どこから来るんだ?その根拠なさそうな自信は。
また1時間の治療を受けた。帰宅後はまた発熱だ。38℃ほどの熱が一晩出続けた。

さらに1週間後。うんざりしながら、でも後戻りもできない気がして、治療に出かけた。
また1時間の治療。治療の苦しさは同じだが、今度は発熱しなかった。
この間、指示通り、アレグラは飲んでいない。目薬も点鼻薬も使用しなかった。薬は全部禁止なのだ。

翌朝のこと。
久しぶりに鼻水がほとんど出ない朝を迎えた。
あれ?
目も、それほどかゆくない。
あれれ?
丁度、花粉も終わりの時期に近付いていた。
この年はこのまま、治療とも花粉症ともバイバイした。

3年前。
また12月がやってきた。
別のことで体を壊し、その整体師を訪れた。内臓全体にかなり機能が低下してしまっていた。
「ところで、花粉は?」
「そろそろシーズンだと思います。」
「それじゃ、ついでに、やっておく?」
「はい。お願いします。去年は最後の方、かなり楽になったので。」
「ほっほっほっ。だから言ったでしょ?」
「で、去年は何度お願いしても教えてくださらなかったけど、理論を知りたいのです。どうしてアレで花粉症の症状が出なくなるのですか?」
「いいの、いいの。知らなくていいの。じゃ、やるよ。」
「ぎゃ〜〜〜!」

2週間後、再訪した時、ようやくその「理論」を教わることができた。
先生にしては破格のサービスだ。
従順な患者へのご褒美だったのだろうか。
はー。ほー。なるほどぉ。
そういうことなのかぁぁぁ。

この年の、この2度目の治療を最後に、この治療は受けていない。自分でできるようになったこともあるが、必要がなくなった。
治療を受けなくても、花粉症の症状が出なくなったからだ。

昨年、足底筋膜炎を患って、久しぶりに整体院を訪れた。
「先生、私、花粉症が出なくなりましたよ。」
「ほっほっほっ。でしょ?いいですね。どれ、見せてごらん。うん、これなら大丈夫。膵臓はダメだけどね。」

お墨付き。






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ここからは、できるだけ時系列に沿って書いていこうと思う。
話は、11年前に遡る。

ホビー通販「あみあみ」さんより11年前、全身がゴジラのようにひび割れて腫れあがる蕁麻疹に苦しんでいた。腫れて困るといえば、もう小学生のころから唇がタラコのように腫れあがり、かゆくてたまらない、という経験を繰り返していた。体の方はゴジラほどひどくなくても、蜂に刺されたような赤い腫れが出る。本当にかゆかったが、小学生の時は飼い犬のダニのせいだろうといわれた。かわいそうな飼い犬は、私のために保健所へ連れて行かれてしまった。

なのに、タラコ唇は一向に治らなかった。蜂みたいな蕁麻疹も消えない。不定期に腫れあがる。青汁のような漢方を2年くらい飲まされた。まずかった。でも、完全には治らなかった。

11年前、仕事は超がつく忙しさ、無能な管理職とは意見が合わず、イライラと虚脱の繰り返しの毎日だった。そこでタラコ唇だけでなく、ゴジラ体になったのだ。

かかりつけの医者には匙を投げられた。友人のアドバイスで大学病院を受診した。初めて、アレルギー検査を受けた。何十項目と調べたが、何一つひっかからなかった。医師は原因追究を止め、対処を考え始めた。2週間に1回ずつ受診を繰り返し、ようやく薬が見つかった。

その薬を飲んで2年。肝機能障害を起こし、服薬をやめた。やめてみたら、花粉の季節に鼻水が垂れるようになっていることに気がついた。服薬期間やその前は、花粉症の人を見て気の毒がって悦に入っていたものだ。

丁度、職場が変わった時でもあった。
8年前には、もう「ちょっと風邪引いただけ」「鼻炎かなぁ」という誤魔化しはきかなくなった。くしゃみ、鼻水、頭痛、目のかゆみで、仕事に支障をきたすのだ!

しかし、薬による肝機能障害を脱してまだ間がなく、また新たな服薬を始めるのはなんだか気が重かった。でも、どうしようもなく、当時出来たばかりの近所のお医者さんに相談した。医師は、ポララミンという薬を処方してくれた。

ポララミンは大変だった。確かに症状は軽くなるが、眠くて眠くて、仕事にならない。
相談すると、レミカットというのになった。これも、眠い。
次はアレロックだ。眠気は減ったが、ひどくなった症状はあまり減らない。
医師はセレスタミンとかいう薬をくれた。あんなに辛かった症状が消えた。けれども、今度はなんだか落ち着かない。どうも、体が拒否しているようだ。もともと長く飲む薬ではないとかで、症状が消えたところで飲むのもやめた。

7年前。12月くらいから花粉症の症状が出るようになった。ある日突然の鼻水鼻づまり、涙と咳でどうしようもなくなる。このころから4年間ほど、アレグラを半年ずつ飲む生活が続いた。アレグラは予防効果が高いのではないだろうか。症状が出る前から飲んでいれば、花粉症知らずで済む。だから12月から、ゴールデンウィーク明けくらいまで飲むのだ。毎年、飲み始めは吐き気や頭痛に襲われるが、3日ほどで消える。

この頃になって、アレルギー検査を受けると、2つの項目が域値を振り切るようになった。
スギカビだ。

そして、運命の4年前が訪れる。
その情報は、後輩からもたらされた。






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写真を見てほしい。
3月7日の、左腕、ひじの内側の写真だ。

蕁麻疹

気持ちの悪いものを大写しにして申し訳ない。これは、少し落ち着いた時間帯に撮影した。かゆい。かゆいなんてもんじゃない。この夜、眠っている間に掻き崩して、赤い部分が3倍に広がり、血がにじんだ状態で目覚めた。ひどすぎて、写真なんかとれなかった。

ちなみに、同じ時に撮影した右腕の写真も見てほしい。

蕁麻疹なし

ちょっとカサカサ乾燥しているけれど、赤く腫れたところはない。

実は、スタートは腕ではなく、足だった。
2月下旬のこと。
左ひざの裏側に、ある夜突然ピキッと痛みが走った。
見ると、切り傷ができている。
しかし、膝の裏側のことだ。ずっとパンツをはいているし、切れるような何かが当たること自体考えられない。しかも、今ここで痛んだ。パソコンを使っている最中。椅子に座っていたのだ!

切り傷から、1時間後には赤いケロイド状の盛り上がりが出てきた。
気持ち悪く思っていると、たまらないかゆみが始まった。
ああ、蕁麻疹か。
すこしタイプは違うが、全身がゴジラのようにひび割れて腫れあがり、かゆくてかゆくて死ぬかと思った蕁麻疹を数年かけて治療したことがある。
あれに近いのかもしれない。

膝の裏が曲がらないほど腫れてから、今度はひじの内側にもできたという順番だ。
どちらも、蕁麻疹などが出やすい場所だ。
頭皮もかゆみが出た。顔もかゆい。

しかし、おかしい。
すべて、なのだ。
なぜだ?なぜ右には出ないんだ???

3月7日、湯あがりに鏡に映った腕を見てハッとした。
「これは、アトピー性皮膚炎だ!」
アトピーに悩む子供たちをたくさん見てきている。まさか自分がなるとは思ってもいなかった。医師ではないから診断はできないけれど、あまりに似ている。
大人のアトピーはストレスとの因果関係が深いらしい。


みなさんは、ナナをご記憶だろうか。
あの、恐ろしく仕事ができない人物について、2月末にとんでもないトラブルが生じていた。いや、トラブルは毎日起きていたが、これは確定的だった。仕事を教えるようにと言われて1年間預かったが、これは仕事を教えるとかいう以前の問題だと断定することができるトラブルだった。

かゆい、かゆい。

私は異動になる。このまま黙っていたら、また誰かが私の立場に立って、苦労した末にトラブル処理に明け暮れ、お客様は質の悪いサービスしか受けられず、本人にはその自覚をする力がないまま放置されるのだ。そんなことは断じてさせられない。

かゆい、かゆい、かゆい。

人権侵害と訴えられようと、越権行為と言われようと、断然阻止してやる。冗談じゃない。あ〜イライラする。だいたい、自分のミスが認められない性格してて、成長なんかするはずないじゃないか。「どうしてこんなことになったのですか?わかりますか?」と尋ねたら、あの人なんて言ったと思う?「Hikariさんのせいです。」だって

かゆ〜かゆ〜かゆかゆかゆかゆ!

許さん。絶対に許さないぞ。くびになってもいいから、あんなのが平然と同じ立場で仕事をするなんて状況は再現しないようにしてやる!

私は管理職にあてて、決意表明文を書いた。署名捺印して提出したのが3月8日。血まみれの左腕を掻きむしりながら書いたのだ。

心を開いて話せる同僚に、この話をした。健康面でとても似ているその人に、腕も足も見せた。「でもね、全部左なんだよ。変だね。」
同僚は涼しい顔してこう言った。
「当たり前でしょう。体さんはあなたの左側に拒絶反応を示しているんですよ。左と聞いてすぐわかった。」
ああ、そういうことか。ナナは私の左隣に座っているのだ!!!

同じチームで私の状態を目の当たりに見てきたでき過ぎ君にも腕を見せてみた。彼も、こともなげに言った。
「左側が本当にストレスなんですね。1年並んでいるとそうなるんですね。」
おお。やはり、そうなのか。

管理職と面談が実現したのは3月14日のことだった。管理職全員がそろい、1時間以上もかけて私から聞き取りをしてくれた。管理職ももちろん、これまでの状況は随時理解していた。しかし、スタートがひどすぎたため、少しでもできることが増えたら、大成長に見えていたようで、実質のひどさは伝わっていなかったことがわかった。

社長が決断した。
「わかりました。あなたが1年かけてここまで見極め、そういう結論を出したということは、何より尊重したいことです。後は私たちが責任を持ちます。きちんと形にして、あなたに報告しますから任せてください。」
私と同じ犠牲者が来年度は出ないことが決定した瞬間だった。

翌15日の朝。
写真を見てほしい。

一晩で消えた蕁麻疹


たった一晩で、蕁麻疹が、消えた。



花粉症克服記になぜ蕁麻疹の話か?と思っている方もいらっしゃるだろう。

心と体はつながっている。
これは、前回も書いた。
気持ちが落ち込んでいると体調が悪いとか、体調が悪いと気持ちも上がらないとか、そういうことならば誰もが理解できることだろう。

私が言う「つながり」とは、そういうレベルの話ではないのだ。

体は、その時に必要な感情を生みだし、私にその感情に沿った行動をさせることで、体が生きやすい場所を作りだそうとする。

今回、私の体は、左側に耐えがたくかゆい蕁麻疹を発生させることでイライラした感情を生みだした。今も思う。あのイライラがなかったら、私はあそこまでの決断を以て行動できただろうか?答えはNOだ。イライラが私を肚の底から怒らせ、その怒りが揺るぎない決意を生み、行動させた。

その行動が管理職を動かした。結果、私が大切に守り育ててきた組織は不利益を受け続けることを拒絶することになった。不利益の根源は、より適切な場で自分を見直し、より適切な方法で自分を成長させる機会を手にすることができた。

イライラの役割が終わった途端に、症状が消えたのは、もう苛立ったり怒ったりする必要がなくなったからだろう。

この「つながり」が理解できないと、私の花粉症克服もやはり理解できないだろう。

体と心は「病気」「不快な症状」という言語を使って、私たちに大切なことを知らせているのだ。






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絶不調の日々を過ごしている。胃腸炎だ。
原因の8割はストレス、残り2割は悲しい出来事の衝撃。

お客様が突然亡くなった。
前日までお元気だったのに、こんなことってある?
直接の担当者たちは混乱を極めている。
まだ若い我がチーフは、必死で冷静さを装っているが、動揺は隠せない。当然だ。
私の役割は、チーフに代わって全体に目を配り、目の前の日常、他の多くのお客様の今日をお守りすることだろう。誰よりも冷静でいなくてはならない。しかしそれは、意識できていた以上に難しいことだったようだ。

お通夜に参列するため着替えようとして、自分が強い寒気と腹痛と頭痛を感じていることに「気がついた」。その時まで、そんな状態だとは気付いてもいなかった。

その時から、食べられず、眠れず、休めない時間が続いている。

消化できない。
気付くと顔や体に異常な力がこもっていて、意識して抜いたつもりでも、またすぐに力みかえっている。
初夢を見たのが2月末という、めでたい睡眠状況だったのに、同じことをグルグルと段取り、反省を繰り返し、考えているのを、朝目覚めた時に覚えているのだ。

絶え間ない吐き気と痛みと。

そこへ、かわいがっていた甥っ子から連絡がきた。
彼は、大学進学を勧める私を振り切り、両親である弟夫婦を説き伏せて、海上保安学校に進んでいた。

「○○○」という巡視船で尖閣諸島へ行ってきます。 

かわいい女の子のような名前をしたその船は、重要な任務を帯びているらしい。YouTubeでその船を見てみると、 心細いくらい小さく見える。が、船上の人が動いた。あれ?人が小さい。ってことは??
名前に似合わない大きな船だった。

尖閣諸島…
またまた、消化しきれない。 


心と体はつながっている。

心が消化しきれない時、体も消化をやめてしまう。
胃も、腸も、痛くて痛くて、動いてくれない。
それでも、私の心は、この出来事を消化しようとしている。
だから、体も、吐き気はしても吐くわけではなく、どんなに痛んでも下しもしない。
だけどきっと、いつまでも拘って、抱えておくのはかえってよくないのだ。
そう思えた途端に、お腹を壊して仕事ができなくなった。


職場ナンバー1と言われていた花粉症が、この3年間ほぼまったく出ていない。
そんな方法があるなら教えて!と、ずいぶん聞かれるようになった。
それなら書いてみようかと思う。

実際に私がしたことばかりだが、これは「私」にしか効かないのかもしれない。
それでもよければ、読んでみてほしい。


そして、花粉症克服のスタートは、この一言だったのだ。

心と体はつながっている。







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王羲之くんと仲良くなった翌3月3日。
くまさんは私が目覚める前からスッキリ起きて、沼津へトレランに出かけた。
私もスッキリ目覚めて、朝食をとりながら考えた。
そうだ、映画に行こう。

予告を観て気になっていた映画について、ブロ友さんが記事を書いていて、「ネタバレあり」とのことなので、読むのをやめたのだ。そうそう、あれにしよう。

ライフ・オブ・パイ『ライフ・オブ・パイ』
トラと漂流した227日とある。動物好きな私は期待する。227日もあったら、トラといえども人間と仲良しになるのではないか。

そもそも、動物園のトラらしい。
だったらなおさら、心の交流が生じそうな気がする。

この冬、秋田に帰省した時に、「八幡平クマ牧場」脇を通ってきた。経営者の妻は母の友人でもある。雪の壁を伝って外に出たクマたちは、給餌係だった女性を襲って死に至らしめた。逃げたクマたちは射殺されたが、檻に残っていたクマたちは他のクマ牧場や動物園にもらわれていったそうだ。

ここは動物同士。なんとか仲良くなれないものか。
全ての期待をこの映画にかけて、でかけてみようという気になった。

朝9:30。大きなスクリーンで観られるというので、なおさらウキウキと出かけた。
3Dだという。
私の特殊な目は、普段から3D度が低い。
夕刊にたまに出ている「マジカルアイ」も、どうやっても見えない。
外でするバドミントンやテニス、キャッチボールもできない。
私が「ここにある」と思う位置にボールやシャトルは存在しない。
多分、人々は私以上に立体の世界に住んでいる。私の眼には、必要以上に人々の顔が「平たい顔族」なのだ。
ゆえに、なんだかダメな気がして、3D映画を観たことはなかったのだ。

「3Dメガネはお持ちですか?」
いいえと答えると、100円ですとお姉さんは笑顔でおっしゃる。あの、メガネかけないと映画が見えないです。眼鏡の上から3D眼鏡かけて大丈夫ですか?
「はい、二重にかけてお楽しみください!」

アホなことを。
こんな私でも、カバーグラスがあることくらい、調べてあるのだ。
「あの〜、二重に眼鏡をかけたら耳が痛そうだから、こっちのカバーグラスください。」と、表示の写真を指さした。
「えっ!カバーグラスって…」
何ですか?と私に尋ねそうになって、言葉を飲んだあなたは偉かった。

彼女は静かに先輩を呼んできた。
我が手元に、300円のカバーグラスがやってきた。
これで、3D映画が2Dにしか見えなかったら悲しい。そもそも、3D映画を素で観ると、ボヤボヤした画面になっているはずだ。

映画上映が始まる。
さまざまな予告編から、カバーグラスをかけて見ていた。
2Dは普通に2Dに見える。
なんだ。

『オズ はじまりの戦い』の予告に不意打ちを食らった。
字幕が宙に浮いているではないか!
ブブン。
怖い顔をした妖精がぶつかって来そうな勢いでやってきた。
ぎゃ〜。
思わず、思い切り避けてしまった。

これか!これが3Dか!
いけるぞ。私の目でも、飛び出す映画は楽しめるのだ!!!!!!


前置きが長くなった。
映画のストーリーは他のブログや紹介に譲ることにしよう。

息詰まる展開は、きっと誰の心も掴むだろう。私もいつしか夢中になってしまった。水しぶきを浴びたり、飛び上るシロナガスクジラにみとれたり。天幕つきのボートにはトラの「リチャード・パーカー」がいる。だからといって、食料をすのこの上に並べてたら、ちょっとした荒波に全部流されるぞ!と警戒していたら、案の定、あっという間に流されてしまった。ほらほら、言わんこっちゃない。夢中を通り越して、おせっかいおばちゃん気分だ。

問題のトラだ。
難破した客船から逃げ伸びたシマウマとオランウータンを、ハイエナが襲うシーンは辛かった。シマウマは平和だ。オランウータンは友達だ。それを、ハイエナはエサとしか見てくれない。

トラと友達になれないか?と考えている私なのに、ハイエナと友達になろうとはカケラも思わない。お前なんぞ海に落ちてしまえ〜と、涙を浮かべて呪ってしまった。勝手なものだ。

そのハイエナを成敗してくれたリチャード・パーカーとは、なんとか友好条約を締結できそうな気がした。172分の映画のほとんどを、その期待と共に過ごした。

が、期待はいつでも、したほうが負けるのだ。
漂流がメキシコ湾に漂着したことで終わった時、リチャード・パーカーは、パイをふり向きもせずに森の中へ消えて行く。お魚も獲ってもらったのに。ミーアキャットも集めてもらったのに。雨水も集めてくれたのに。半死半生のパイのため、村人を呼びに行ったのかと思った私がバカだった。村人は勝手にやってきた。

私と同じ期待を抱いていたパイは、トラがただ単に去って行ったのを見て号泣する。パイにとってリチャード・パーカーは227日間の生き甲斐だったのだ。でも、リチャードにとってパイは…なんだったのだろう。


映画を見終わった時には、心身ともに疲労困パイしていた。
味わったことのない視覚情報。ドキドキハラハラの心。どうしようもないがっかり。

丁度12:00だった。家から映画館までは歩いて5分ほどだが、寄り道してご飯を食べて帰らないと、もう何もできないような気がした。

こんなパイ日和。お昼はもちろん…

フンギ

ピザでした。







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3月2日はとても風が強かった。
既に合羽橋を歩きまわり、浅草を経由していた私たちは、東京国立博物館前にたどり着くまでの間にちょっと疲れ始めていた。

噴水公園の周りには、似顔絵かきの人たちがいない。
きっと風が強すぎて練習にならないのだろう。

さて、チケットを出して入場しようとすると、手書きの紙が踊っている。
「王羲之展は20分待ちです。」

何のことかと平成館を目指す。
わかった!
平成館の外に長い行列ができている。建物の中に入るために20分間並ぶのだ!

「ぎゃ〜っ」
殊更に強い風が吹いて、手にしていたチケットの半券が千切れ飛んでしまった。くまさんが目ざとく飛んだ方角を見極めてくれ、平成館前の噴水に落ち込む寸前に取り押さえてくれた。ああ、危なかった。

2週前はこんなに混んでいなかったのに…と話しながら、長い垂れ幕を見上げて、ようやく気付いた。
展示は翌3日までなのだ。招待券が3日までと思っていたのだが、違っていた。
おお、かけこみの見学者がこんなにいるのか。

ブーブーと風に吹かれつつ待つこと本当に20分。ようやく平成館に入ることができた。が、特別展入場までさらに館内で20分近く待った。その間に、くまさんのチケットの半券も千切れてしまった。

「まずいですね。切り離し無効と書いてありますよ。」
「お願いしてみるしかないですね。」
「ここまで念入りにやってきて、半券が不可抗力で千切れたから見られなかったという結末は笑えますね。」
「ま、それはそれでおもしろいからいいじゃないですか。」

親切なお姉さんお二人は、それぞれ「ごめんなさい、千切れてしまいました」という我らを許してくれ、入場させてもらえた。国家公務員は優しい。ありがとう!

さあ、期待満タン、王羲之ですよぉ!

あれ?あれれれ?

第1室は、満員御礼状態。展示に近づけない。背伸びしても見えない。それはそうだ。絵画と違って、平置きになっている作品は、目の前から見ないと見えないのだ!

群衆は、丁寧な解説を丁寧に読んでいる。音声ガイドをつけた人々は同じところで立ち止まる。 これは、待っても時間の無駄だ。第2室から行くべし。

第2室は『蘭亭序』の部屋だ。こちらのほうが有名なのに、人が少ない。さまざまな拓本が並んでいる。同じ人の字を手本にしたはずだが、少しずつ違いがあるのを見て、くまさんが言う。
「で、どれが一番王羲之なの?」
わからん。

王羲之から影響を受けた人々の部屋は、さらに人が減っている。ずいぶん見やすい。へぇ、そう、と見ながら、くまさんが言う。
「で、王羲之とどういう関係?弟子?」
いえ、300年以上離れていますから…。

壁に「王羲之エピソード」が10個貼り出されている。これが、おもしろい。

「へぇぇ。ガチョウが好きだったんだ。しかも、食べたいんじゃなくてペットとして飼いたかったんだね。」
「へぇぇ。子供のころからひねくれた性格だったみたいだ。ちょっと生徒には持ちたくないタイプだね。」
「ほぉぉ。真珠を失くして疑った客が苦しみの末に自殺したというのに、後から自分ちのガチョウの腹から出てきた?ひどいヤツだな。後悔してお寺建てても遅いって。だいたい、ペットのガチョウを食べちゃダメだろ。」

くまさんの感想を聞く方がずっと面白い。
やはり、青春時代に格闘した王羲之くんは性格ブスだったようだ。

最後に第1室に戻ってみたが、初めよりさらに人が増えていた。
「いいです、もう。」
私の諦めが早いのを、くまさんは内心喜んだにちがいない。

「王羲之って今回初めて知ったけど、何が偉大だか、結局わからなかったよ。」

くまさんの素直な感想は、多分多くの見学者共通の見解だろう。

あの日から早10日。
性格ブスが字に現れないよう、気遣いながらペンを持つ日々が続いている。






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碑帖
大学で書道を習い始めた。いわゆる「習い事」は、いろいろとやってみたかったものの、家計の都合でひとつとして叶わなかった。今でも、あの時本気でやりたかったピアノや水泳や学習塾が実現していたら、きっと自分の人生は方向を変えたのだろうなと思う。ま、今更言ってもしかたがないが。

我が母校は、文学部国文学科(現在は日本語日本文学科というらしい)で教員免許を取ろうとすると、国語と書道をセットで取ることを勧められる。国語だけでは採用試験突破が難しいからだ。

ちなみに、高校では、書道は国語科ではなく芸術科で、音楽や美術の仲間だ。選択科目になることが多いから、 単位数が少ない。実際、かつての同僚は国語を10時間、書道を6時間、併せて16時間と、教科をかけもちしていた。これは、準備などを考えると大変なことなのだ。

大学の書道の授業は1年生でもとれる「書道機廚ら始まって、4年生にならないととれない「書道此廚悗反覆燹私は2年から取り始めた。つまり3年間、毎週180分間、小学校の宿題くらいでしか持ったことがなかった筆で書きまくった。楷書、行書、草書にかな、創作。ふう。思い出しても肩が凝ってくる。

「碑帖翠選」は書道の教科書だ。「碑」は石碑の碑。「帖」は糸で綴った本のこと。「翠」は集める。素晴らしい手本を選び集めたよ〜ということだ。ノートがB5だった当時、このテキストは八つ切りサイズ。非常に大きい。入れるカバンを用意するのも大変だった。しかも、重い。

蘭亭序日本で、紫式部や清少納言が春はあけぼのしていたころ、中国は「唐」という国で、3大書家と言われた人々がいた。虞世南欧陽詢褚遂良の3人だ。ちなみに、ぐせいなん、おうようじゅん、ちょすいりょう、と読む。誰でも読めそうな美しい楷書だ。授業は、この3人の文字を臨書(手本通りに真似て書く)ことから始まる。

2年生になると、文字発祥の頃へ向かって時代をさかのぼっていく。
日本では仁徳天皇が高台から街を見下ろして「おお、そこここに食事作りの煙が立っている」と喜んだり、前方後円墳作りに勤しんでいたころ、中国「東晋」に現れるのが書聖・王羲之だ。

真筆は現存していない。王羲之より300年ほど遅れて、唐の太宗皇帝が王羲之の書をこよなく愛し、手に入るだけの真筆を集めたようだ。代表作の蘭亭序(らんていのじょ)も、太宗皇帝の手元にあり、崩御の時、共に埋葬されたと言われている。この太宗皇帝の溺愛が、王羲之をさらに有名にしたようだ。

ゆえに、手本は模写であったり、石碑に墨を塗り、紙を載せて写し取った拓本であったりする。だから手本の文字が白いのだ。

これを見ながら、「永和九年」の4文字を何回書かされたことだろう。どう筆を動かしても、この形にならない。形もさることながら、この自由闊達さ、伸びやかさなどは再現しようもない。半紙には、アンバランスな緊張と諦めを湛えた見苦しい文字が並ぶばかりだ。

「これはもう、センスの問題だな。」

書道の仲田先生は、学生のモチベーションなどカケラも配慮しない発言をなさる。ほかの人はどんどん合格して「歳在葵丑」に進んでいる。仲が良かったみいちゃんは、幼いころから書道を学んでいただけあって、すでに三つ先の課題に進んでいる。まだ最初の4文字と格闘しているのは私ともうひとりくらいだ。

かわいそうに思ったのか、これはマズイと思ったのかは定かでないが、先生がその二人を呼んで、目の前で書いて見せてくれた。「筆の先をよく見ていてください。」

それは、異次元空間の動きだった!
恐るべし、王羲之。
なんてひねくれた動きなんだろう。
こいつ、絶対性格悪いぞ!

私は性格ブスの王羲之くんと友達になるべく、19歳の1年間を捧げたのだった。






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浅草寺のまわりは、外国人観光客でごったがえしている。
寄席の前では客引きをする声が、まるで時代劇のように響いている。鬼平さんの時代にも、こんな声がしていたのかな?と思う風情だ。落語家さんのラインナップを確認していると、くまさんが後ろからボソッと言う。
「U字工事は出ないのかな?」

お笑い芸人に詳しいくまさんが、生で観たいのがU字工事だとは驚いた。へぇ。でも、確かに観たい。
「U字工事さんが出るなら、この先の予定を変更しても見て行くのにね。」
「残念。出ないみたいだ。」

我が家は地方ネタ、方言ネタが大好きだ。 

地図を何度か確認しながら、店を探す。こういう時、私はあまり頭を使わない。使っても使わなくても、方角は分からないからだ。くまさんと一緒の時は、たとえ間違えても、任せておいた方が平和だ。
「多分、この道の先ですよ。」

井泉看板「あ、あった!」
今日のお昼は「とんかつ 浅草井泉」だ。

本当は、上野のイタリアンにしようと思っていた。夕食なら、ワインバーもいいかなと考えた。くまさんに内緒で、こっそり予約して、デザートになったら盛り合わせのプレートにチョコレートペンで「Happy Birtuday くまさん!」と書いてあるのが出てきたらびっくりするに違いない。ベタな話だが、こういうことはしたことがないので、面白いかも?と思っていた。

ところが、私がお客様からもらった菌はインフルエンザ菌だった。苦闘数日、発症しないで済んだものの、闘い終えたら3日前までという予約期間も終わっていた。

ああ、残念。

「チーフ、上野あたりで何かおいしいランチのお店、ご存知ありませんか?」
「ランチ?」
「はい、夫と私の誕生日で、かつ結婚記念日なんです。でも、オシャレなお店はダメです。以前こんなことが…」
「なるほど〜。ありましたね、かつですが。」
「かつ?」
「とんかつ屋さんです。お箸で切れる、ソフトなとんかつが絶品でしたよ。」

チーフは雑誌に載るような美味しいお店に通じていて、要望を伝えると即座に教えてくれる。仲の良いご主人と、毎週末HANAKOを片手に食べ歩きに行くのだ。

井泉本店は上野広小路にあるとのこと、チーフが教えてくれたのはそちらだったが、 動線の都合から、今回は浅草店を訪れた。

引き戸を開けると、座席はほぼ埋まっていて、奥の座敷のテーブルがひとつあいてい、そこに着かせていただいた。おかみさんが明るくシャキシャキッと音がしそうな方で、お勧めのメニューなどを教えてくださる。ロースかつとヒレかつの定食を注文することにした。

井泉ヒレかつ

こんなかつがあっという間にやってきた。衣が揚げたての証拠にジュワジュワと音を立てている。

本当に、かつなのにお箸で切れる。口に入れた時、脂身がじゅわわ〜っと溶け出すロースカツの方が私の好みだった。それに、ご飯のおいしいことと言ったら!お米が一粒一粒自己主張している。パンッと張りのある粒が内側はふっくらとしている。「こんなにおいしいご飯を食べたのは初めてだ!」くまさんも満足の様子。よかった、よかった。

お腹がいっぱいになったところで、地下鉄に乗って上野へ。
さあ、いよいよ王羲之展です。






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