Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年01月


一本うどんの年賀状で「そうかぁ」となる前のこと。
安比高原でスキーをした日のことだ。

運動が苦手な私が、唯一「楽しい」と思って20数年も続けているのがスキーだ。その都度、身の回りにいた上手な人たちにくっついてゲレンデに行き、見よう見まねで覚えた。スクールに入って初歩から習えばよかったものの、できる友達からひとり離れる寂しさと、何より、インストラクターさんから「こいつ教えてもぜんぜんできるようにならないんだな」と思われるに決まっているので、それがいやで逃げてしまった。

だから、ぜんぜん上達しない。
急斜面は怖いし、コブがあると滑れないし、長い距離を一気に滑ることもできず、非常に疲れる。

それでも、20年もやっていると、「これくらいの場所で、これくらいの滑り方なら快適に滑れる」という加減はできるようになる。その範囲を越えなければいいのだ。

安比は寒かった。吹雪がやまず、-15℃とわかると、覚悟の重装備であったにもかかわらず、靴の中の指がこおっていく気がする。自分の快適ゾーン程度では体を温めることができず、 あっという間に休憩したくなった。

スキーの楽しみはなんだろうと自問自答する。休憩の時のケーキセット。それから、滑った後の温泉。

あれ?

それが楽しくて、こんなに長い間スキーをしてきたのだろうか?

ウエアに着替えるのは面倒くさい。板を抱えて歩くのは重たくてちょっとイヤ。最近は減ったけど、リフト待ちの長い列は大嫌い。斜面は怖くて、「風になる〜♪」と感じる場面はとても少ない。滑っている時間も、「休憩、ケーキ!休憩、ケーキ!最後は温泉!!」と思っているのだ

あれれ?

だったら、最初からケーキセット食べて、温泉に入った方がいいんじゃないの?


ここにも、スキーにでかけながら、滑るというプロセスを見ずに、終わった後のことばかり考えている自分がいた。「プロセスじゃな」と言った、火つけじじいの言葉が蘇る。この場合、プロセスとは、滑ることそのものだ。

よし、滑ることそのものに集中しよう、楽しもうと思った。
思ったものの、状況が悪すぎる。 それでも、やってみようと思った。

スラロームという競技がある。ポールの間をすり抜けて滑るのだが、今まで何度かやってみたものの、できた例がない。ポールとポールの間で、2度も3度も曲がってしまうのだ。みっともなくて恥ずかしい。だから、あまりやらない。でも、この日、誰もいないスラロームコースを見つけた。やってみることにした。集中っ!

あっけなく、できてしまった。20数年にして、やっと目指す場所に自分を移動させることができたのだ!!
おおっ。これはすごい。まるでオリンピック選手になったみたいで、ちょっと誇らしい。

非圧雪バーンにも入ってみた。くまさんは、こういう新雪がモフモフ積もったところばかり滑りたがるが、私はまったく降りられないので、普段は絶対に入らない。でも、やってみることにした。集中っ!

しかし、できないものは、できないもんだ。転んだ瞬間、ふかふかの雪にスキー板が深く突き刺さり、抜けなくなってしまった。もがけばもがくほど、お尻まで雪に埋まっていく。すでに滑り降りてしまったくまさんは、下から見上げて「がんばれ〜」とのんきな声を出している。でも、全く動けなくなった私を見て、これはマズイと思ったらしい。思っても、簡単に助けに行けないのがスキーだ。

私は急斜面の下の方に体を投げ出してバンザイの姿勢になった。体が滑りおちる勢いで板を抜こうと試みたのだ。捨て身の勝負は成功し、何とか抜け出すことができた。幸い怪我もしなかったので、キャー、タスケテー、と騒ぎながら残りの100メートルほどを滑り下りた。

ほぼ平らになって、ほっとした瞬間だった。
またもや、モフモフに板が突き刺さり、一回転して頭から雪の中に埋まってしまった。
うぎゃ〜
向こうでくまさんの笑い声がする。よほど見事なフィニッシュだったのだろう。

雪の中から頭だけ抜いて「しまった〜」とわめきながら、なんとか体や板を雪から抜こうともがいた。いくらもがいても抜けない。くまさんが掘り起こしに来てくれた。すると、頭の上を通っていたリフトから大笑いの声たちが聞えた。
「油断大敵だよ〜」
「お見事〜」
「がんばれ〜」
知らない人たちが大笑いしながら声をかけてくれる。きっと、成り行きを見ていたのだ。
私は、腹の底から可笑しくなってしまった。爆笑していると、またまた、リフトの人たちも笑い始めた。
くまさんも、大笑いしている。


みっともないことをしたけれど、スキーはやっぱり楽しかった。
こういうことか!と思った。
最初からケーキセットを食べるより、温泉だけ入るより、ずっと楽しかった。
長いこと気付かずに、損したなぁ。
次回につづく。






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そうか、大切なのは結果よりプロセスかもしれないと気付いたあと、最初に納得したのは年賀状の写真を撮りに出かけた時だった。

例年、干支の動物を写真にしたりイラストにしたりして年賀状を作成する。くまさんが凝り性なので、12月になるといい写真を撮れそうな場所まで1日がかりででかける。うさぎ年にはウサギを撮影に伊豆まででかけたが、気に入ったウサギ写真がとうとう撮れなかった。しかたなく、カピバラに手書きの耳をつけた。ドロップイヤーだ。同僚の息子には「これ、カピバラでしょ?そうだよね?」とおもしろがってもらえたが、高校時代の恩師からは「今年は子年ではありません。」という真摯なコメントをいただいた。遊び心が伝わらなかったらしい。無念だ。

昨年の辰年は、撮影しがたいのでイラストにした。苦心して龍珠をサッカーボールにしたのだが、誰からも反応はなかった。おおいにつまらなかった。

今年は巳年だ。ヘビだ。私は嫌いなのだ、足がなくて長いものは!
お笑い芸人がハブだのアナコンダだのをギャーギャーいいながら首に巻かされているところなど見ると、芸人以上に私がギャーギャー言っている。あれはいかん。撮影に行くなど、もってのほかだ。

しかも、親しい友人にはヘビ嫌いが多い。仕事でお客様をご案内中に、わき道から青大将が出てきたのを見て、お客様を放置し、100メートルも逃げた後輩がいる。彼にも年賀状を送る習慣だが、イラストであってもヘビはいやだろうなぁ。後から文句を言われるのも心外だ。

「どうかね、一本うどんに目をつけるというのは。」
くまさんはアイディアマンだ。
「目?」
「こういうクリクリしたやつを2個置くんだよ。縁起の良い白蛇様の完成だ。」
「なるほど〜。そういう目なら百均で黒赤青入りが買えます。大きさも選び放題!」
「じゃ、そういうことで。予約とってください。」
「はいはい、喜んで!」

池波正太郎の『鬼平犯科帳』全24巻は、私の愛読書だ。この話はいずれ書こうと思う。これも、結果よりプロセスの一例だから。

その『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵の部下に、木村忠吾というとぼけた同心が出てくる。彼の好物としてこの「深川名物・一本うどん」が登場する。初めて「一本うどん」を知った時、見たことも聞いたこともなかった私は、ネットでちょっと調べてみた。すると、深川の皆様が、このうどんを町おこしの一環として復活させていることがわかった。

いずれ食してみたいと思ったものの、わざわざうどん1本のために出かけて行く手間、予約が必要という面倒さ、日曜日を外で過ごす疲労感などを思うと、実現する気になれなかった。そのまま数年たった。

今年9月1日から、また鬼平を読み返し始めて、「やっぱり行ってみようかな」と思い、くまさんに話していた。いろいろな一本うどんがある中で、これが一番美味しそうとも決めてみた。でも、その先の、私の腰が重いので、計画は立ち消えていたのだ。

門前仲町の「浅野屋」さんに予約電話を入れた。当日は別のお楽しみもかみ合わせ、車ででかけた。先にお楽しみを済ませ、浅野屋さんを探すと、思いのほか簡単についてしまって、予約時間より2時間も早かった。お店に入ってお願いしてみると、こころよく作ってくださるという。一本うどんを蒸し上げるには時間がかかるとのことだが、つまみをいくつか頼み、おしゃべりしていれば1時間などすぐだ。

出てきた一本うどんに、用意の目をそっと載せる。
撮影許可は先にいただいていた。
胸をドキドキさせながら、写真を撮った。
でも、なんだか焦ってしまって、黒目がずれていることに気付かなかった!

この一本うどんは本当に美味しかった。時間をかけて作る割には800円というから、利益なんか出ないと思われる。うどんを小さくちぎり、ゆず、ごま、青のり、ねぎ、酢味噌、甘口の醤油餡を好みでつけていただく。うどんというよりは餅とか団子とかの食感に近い。これは、本当に美味しい。

他のメニューもいただいてみたかったので、一本うどんは2人で分けた。昼食を食べに出ることは珍しくないが、この日は本当に楽しい食事になった。

その時の写真を、くまさんが年賀状に仕上げてくれた。出し遅れたこともあるが、今年も、こんな不思議なものを何の説明もなく載せたというのに、誰からも一切何も聞かれなかった。いつもなら、あ〜つまらないと嘆くところだ。

でも、今年はまったく気にならない。アイディアを思いつくところから、出かけて行く一歩一歩が、楽しくてしかたなかった。それだけで満足できたからだろうと思う。

プロセスを大切に楽しむと、こういう変化が起きるのかと実感した出来事だった。

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次につづく。







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2304340112月23日だった。三連休初日の22日は元気だったのに、 23日は朝から発熱した。それほどの高熱ではないものの、起きているのはちょっと辛い。どうやら私の体は、私を眠らせたい時の手段として「発熱作戦」を使うらしい。

熱が出た時、うとうとしながら『火つけじじい』と話をする。
長い読者さんはご記憶かもしれない。以前高熱が下がらなかった時に見た夢の中に出てきたこのじいさまは、私の中に溜まった「もういらなくなったもの」に放火して、ボウボウ燃やしつくすのを楽しみにしている。ついでに、何がどういらないのか、語ってくれるのだ。

じいさま、今度は何ですか?あの時は高熱が1週間も下がらないほどの大火事でしたけど、今度はたき火くらいですかね。

「つまりよ、プロセスじゃな。」

じいさまは唐突に言い始めた。プロセス、という言葉が言いようのない鮮明さで響き渡る。

「は?」
「おまえ様と周囲の人々との違いは、結果を見ているかプロセスを見ているかの差じゃよ。」
「ほ?」
「後は、自分で考えるのじゃ。」
「はぁ。」


でも、考えるまでもなく、これは分かってしまった。
そうか、そういうことか。 

Mさんも、Sさんも、でき過ぎくんも、お師匠様も、今目の前にあり、取り組んでいる・あるいは取り組もうとしているできごとにフォーカスしている。取り組んだ結果どうなるか…忙しくなるとか疲れるとか、成功するとかしないとか…は、背景としてぼんやり広がっているにすぎない。今することに、楽しみとか幸福とか快適とか驚きとか、そういうワクワクするものを探しながら生きているから、楽しみの連続なのだ。
だから、毎日が充実するのだ!


ところが私は、取り組んだ結果にフォーカスしている。いかに忙しさを減らすか、どれほど疲れるか、どんな形の成功をめざすか…。遠い結果にフォーカスするから、今目の前にあるものがぼんやりとする。日々の活動はルーチンと化し、簡略化・合理化を目指す対象でしかなくなる。毎日目の前に起きることは、どれもこれもやりたくない、面倒で苦痛なことになっている。食べることも、動くことも、誰かに会うことも、生きる全てが。

ところが、結果というものは思い通りになると決まっているものではない。それを思い通りにしようとコントロールを試みても、時として徒労に終わる。もともと、疲れないように努力した結果が徒労になると、これはもう、層倍の無力感となって身をさいなむことになるわけで、自らの墓穴を掘るとはこのことだ。

そうか。私の疲労感は体力の足りなさだけではない。休む時間が短いからでもない。私の生き方そのものが、私を疲れさせているんだ!


気付いたら、熱が下がっていた。
その日から、気付いたことの証明が始まった。

次回につづく。






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suisenある日の夕方だった。会議室で打ち合わせをしていたら、大きめの地震があった。ぐらぐらと突き上げてくる感覚は、あの日を思い出させた。ハッとした。彼女はどこにいる?昨年研修を担当した新人さんの中に、被災地から着の身着のまま着任した人がいたのだ。

まだ揺れている中を駆けだし、部屋に戻ると、他の人は「ああ、もう止むね」などと半分笑顔で言っている中、案の定、彼女は床に崩れ落ち、机にしがみついて泣いていた。「大丈夫だよ。一緒にいるから怖くない。地震はもうおしまい。」肩を抱いて言い聞かせても、彼女の耳には届かない。「怖い、怖い…」呪文のように呟きながら泣きじゃくっている。

地震がおさまり、すぐに大きな余震がないとわかって他の人が仕事に戻っても、彼女は顔を伏せたまま泣き続けた。私は黙って彼女を抱いているしかできない。事情を知っている人ばかりではないが、そっとしておいてくれるのがありがたい。でき過ぎ君と管理職が、離れたところからじっとこちらを見守っている。大丈夫ですよと眼で答えて、しばらく赤ん坊をあやすように、抱きしめた背中をトントンとたたきながら待っていた。

ふぅぅ。大きな吐息が聞えた。涙でぐずぐずになった彼女が顔をあげ、私をじっと見つめると、絞り出すようにこう言った。
「Hikariさん、私、まだ生きてます。」
「そうだね。まだ、生きているね。よかったね。」
「はい、生きてます、生きてます。」

彼女から「ありがとう」と言われなかったことが、なぜかものすごく誇らしかった。フラフラと立ちあがった彼女は、大きな深呼吸をすると、仕事に戻って行った。

私にできることは、これくらいしかなかった。


そのわずか数日後のことだった。
私の師匠とその一番弟子から、有名人御用達のフレンチディナーのご招待があった。私はまだ食事制限激しく、足の裏の激痛でスニーカーでも涙を浮かべていたころで、そうでなくてもそんな恐れ多い場所へ何を着て行ったらいいかも分からず、とうとうお断りしてしまった。

後日、一番弟子から報告があった。なんと、都心の豪邸に住んでいたはずの師匠が、福島から車を飛ばして来たというのだ。 師匠は、震災からわずか4か月で福島に転居したらしい。そうして文字通り手弁当で自ら除染作業に参加し、それだけでは飽き足らず、議員となって復興に当たる決意をしたそうだ。親類もない土地で、師匠は見事当選したという。

一番弟子すらこの事実を知らなかったことに、私は胸を打たれた。私が「私にはこれくらいしかできない」と言い、日常に不満をもらしながらも埋もれている間に、師匠は輝かしい実績と成果を密かに捨て、己が心の赴くままに、今一番したいと思ったことに全てを捧げていた。さすがお師匠様はすごいものだとため息が出た。と、同時に、そんな素晴らしい人に会いに行く勇気がなかったことを悔いたし、遊び半分、気軽に会いにいかなかった慎重さに間違いはなかったとも思った。複雑な思いだった。


ますます、自分の周囲にいる素晴らしい人たちが、その素晴らしさを発揮しながら生きていることに気付くこととなり、ますます、私は自分と彼らとの違いに、思いを馳せるようになったのだった。

次回につづく。






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何度か登場している「でき過ぎ君」が今日の主役。
去年の夏から私のチームに入った彼は、本当に本当にいいやつだ。

同じ出身地というのも親近感の元だと思われるが、どうもそれだけでは語り尽くせない。

人生で初めて打ちこんだスポーツがアイスホッケーというあたりから、ちょっと個性的だ。少年時代のすべてをアイスホッケーに注いだのに、高校では野球部だという。なぜ?と問うと、答えがまた面白い。「家から通える高校にはアイスホッケー部がなかったんですよ。」なるほど、家>部活>アイスホッケー という不等式か。

ずば抜けた運動能力を買われて、経験者でもないのに、地域の名門野球部として著名な高校にスポーツ推薦で入学したそうだ。ところが、大学では別の種目に移ったという。なぜ?と問うと、答えがまたまた面白い。「今ジャイアンツに○○という投手がいますよね?彼と対戦したんですよ、何度か。でも、一度も打ち返せませんでした。彼がプロ入りした時に、こりゃ自分はプロの世界には入れないと思ったんですよ。だったら、大学から始めても日本一になれる種目を探そうって。」なるほど、日本一>経験スポーツ>家に変わったのか。

大学の専門はスポーツ医学だそうだ。 大学名を聞いて目を見張る。「野球しかしてませんでしたぁ」と言うが、それで入れる大学ではない。で、研究の傍ら部活の寮に入って生活。 今でもその種目を続けている彼は、全日本選手権に毎年出場するアスリートなのだ!!

とにかく、精神の強さが半端でない 。また、知識の多さ・深さには舌を巻くばかりだ。かつ、コミュニケーション力が高く、どんな話題でもとことん相談できる。しかも、誰とでもだ。そして、恵まれ過ぎた体力と行動力。仕事は頼めば、たいがいのことが2時間以内に完成している。しない時は、いつできるかの報告がある。だから私はコンセプトを熱く語って聞かせ、議論するだけだ。それだけですべてが形になって、次の相談にやってくる。

小池徹平−1加えて、表情がとても豊かで、見ていて飽きない。キラキラした大きな目がクリクリとよく動く。視野が広く、小さなことも見逃さない。視力、いいんですか?と尋ねると、レーシックを受けて以来、なんでもよく見えますと笑顔で答える。誰に似ているか?これは即答できる。小池徹平君だ。お、この写真なんかとても似ている。こんな顔が四六時中一緒にいるのだから、目の保養になることこの上ない。それだけでもありがたいってもんだ。

誰もが彼を好きになってしまうので、友達も多いようだ。自分の結婚式の翌週末に、友達の結婚式の二次会幹事をしていた。これを完璧にやったら、ちょっとイヤミなヤツになるが、ここのバランスが絶妙だ。「自分の結婚式と幹事だった二次会のレシートが混ざっちゃって、金額は間違えてないと思うけど、会計報告ができなくって、みんなに謝りました〜。そしたら、みんないいよって許してくれて。いい友達です!」なんて言う。

お客様にも絶大な人気がある。特に女性陣のアプローチはすごい。でも、真顔で「僕、妻がいますので。」「美味しいレストラン?お金がかかる女性は苦手です。」サラリというよりは、パシンパシンとかわしていく。小気味良いことこの上ない。

 
前置きが長くなった。年末のある日、珍しく時間のゆとりがあって、打ち合わせではないおしゃべりをしていた時だ。「ここに来て5か月経ちましたね、毎日毎日こき使わかれてウンザリでしょう、どんな気分ですか?」と聞いてみた。ま、彼の性格からいって、「ホントしんどいです。」なんて言うはずはないのだが。

「いやぁ、毎日が充実しています。やりがいがあります。飽きている暇も慣れている暇もありませんから!」
充実?このキーワード、先日聞いたばかりだ。そうか、君もこの、息つく間もない日常を充実と感じるのか!
「本当にそう思っているんですか?ナナはあんなだし、私もこの性格ですから、あれこれ口うるさいでしょう?イヤな時にはイヤだとはっきり言って下さらないと困ります。」
「いや、本気で言ってます。僕は行動はいくらでもできますが、見通しを立てるのが甘いのと、整理が苦手です。でも、メンタルは強いです。だから、気付いたことをその場でどんどん言ってくれる人と組む方がだし、得意なことを生かせるし、いい仕事させてもらえます。だから、何でも言ってもらえて助かっています。」

なんてよくできた青年だろう。息子といってもよいくらいの年齢差があるが、あっぱれとしか言いようがない。
彼もまた、Mさんと同じように、前向きな性格だからこういう言い方をするわけではないと思われる。これはもう本当に、生き方の問題なのだ。


ひとつ、信念がある。
自分の環境は自分の内面の鑑だ。
周囲に集まってくる人は、今の自分の内面をそのまま映したような人だ。

昨年の春までは玉石混淆だった。石を見て玉を見ない私の性格として、これを評価するのはなかなか難しかった。
ところが、夏あたりから、これが激変した。
でき過ぎ君がやってきたのだって、奇跡の上に奇跡が重なってのことだ。通常では決してありえない。そこまでして、私の前に現れたのかと思うと、必然と思わずにはいられない。
この素晴らしい人々は、いったい何なのだ?
誰も彼もが、この忙しい毎日を「充実」といい、今を「幸せで楽しい」と言う。
青色吐息で眠っているか仕事しているかしない私の周囲に、なぜこの人たちが来るのだろう?彼らと私の違いは何?

真剣に考えずにはいられなかった。

次回につづく。






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冬休みで溜めたはずのゆとりや体力が、どんどん消費されていく。体力の低下は気力の低下に直結し、気力の低下は情緒不安定に直結する。

みなさんは「ナナ」をご記憶だろうか。
この、私のチームにいる恐ろしく仕事ができない彼女も対象とした、数十人規模の研修を担当していた。 年間を通して行われるもので、昨日がその最終回だった。大仕事がひとつ終わる爽快感は、いつ味わってもよいものだ。

Sさんは、ナナと同期採用の切れ者だ。
仕事のできかたもそうだが、人に当たる時の感覚がとても優れていると感じる。丁寧さと意思の表出を併せ持つ若者は最近貴重だ。

研修の一環として、ナナとSさんと、もうひとりが入って、3人で話し合いをする場面があった。フリートークだったのだが、Sさんともうひとりが専門的な話で盛り上がり、積極的に話し合っているところで、ナナは最初のうちは何かと発言していたものの、途中から石のように固まって、姿勢も視線も声も、まったく動かなくなってしまった。

私は会場全体の様子を観察しながら、ナナのことが気になって仕方がなかった。その場で展開されているマニアックな話題は、ナナも大学で専門教育を受けてきた分野のことで、門外漢ではない。しかし、見るからに、まったくついていけていないどころか、居ながらにしてエスケープしている。

Sさんも、もうひとりも、ナナのその様子に気付いているのかいないのか、まったく気遣う様子が見られない。5分、10分、15分…。そろそろ私はフリートーク終了を告げなくてはならない。 活気に満ちた会場の中で、ナナだけ時間が止まったままだ。

研修終了後、私はSさんともうひとり、それぞれに、ナナの様子に気付いたかどうかを確認した。もう一人の方は、うすうす気づいていたが、配慮すべき場面とは感じなかったそうだ。それでいいの?と私に聞かれ、はっとした様子だった。

Sさんにも、同じことを尋ねた。「気付いていました。」Sさんははっきりと答えた。
それでいいの?と尋ねると、Sさんは予想外の答えをした。「私もナナさんも同期、同格。同じ研修の受講者として対等です。私は私の研修を追求する権利があります。ほかの方に配慮するゆとりはありませんでした。」

私は何か腑に落ちず、「それでも、あなたほど周囲が見え、配慮もできる人が、20分も石のように固まっている人間を前にしてそれを放置するというのはどうかと思います。私ならこんなふうに言葉をかけたかもしれません。ナナさんだからというだけでなく、一人の人が、20分も石になっていたことが、私には悲しいのです。だから尋ねています。」

すると、Sさんは即答した。「それは、私にはできませんし、したくありません。Hikariさんはベテランで、私たちを指導できる立場だからおっしゃれるんです。私たちは対等です。ナナさんがどのようであれ、それがナナさんならそれでいいと思います。ナナさんから頼まれたら、できる範囲で応えようと思いますが、頼まれもしないことを察して手伝うのは、友達を見下すようで、やりたくないです。

ああ、なるほど。Sさんの優れた対人感覚は察していたけれども、それを言葉にすると、こういうことだったのかと納得した。私はいつでも「困った人」を「どうにかしなければ」と思ってみていた。もちろん、それが私に任された仕事だから当然なのだが、一方でそれは、その人をありのままに受け入れるという人としての根本姿勢には反したことなのかもしれない。

Sさんは、その人がそうであるなら、困っていてもかまわない、と言っている。
人を助けることより、自分の成長を最優先して当然と言っている。
これは私にとって全く新たなものの見方だった。
そうか、場合によっては、困らせておくことが、その人を尊重することになるんだ。

感心すると同時に、ちょっと自信がなくなった。Sさんの倍は生きているのに、私は間違っていたなと思った。その人がその人であることを否定するために、毎日粉骨砕身して、イライラして、腹を立てて、疲れきって、自分の時間や体力が擦り減っていくことを許していたんだなぁ。ああ、無駄だった。

優れた若者がいるということは、希望だ。
ナナのことは、この研修に関しては、Sさんに任せることにした。最終回の昨日、ああ言ったSさんであったが、私の懸念や悲しみに、充分に応えてくれていた。やはり、優れた若者の存在は、財産であり、希望そのものだ。


その日から、私はナナのすることに動揺しなくなった。叱るのも、教えるのもやめた。危険が伴う時、お客様が損なわれる時だけスッと注意する。あとは放置した。とてもとても、楽になった。

しかし、楽になったのは私だけではない。ナナも、本当に解放されたようだ。表情が明るくなった。しかし、私が手を引いた分、ほかの人が埋め合わせるようにナナを叱るようになった。加えて、ナナは私に叱られることで、自分のすべきことに漏れなく気付くことができていたのに、何も言われなくなったので、気は楽だけど、どうしたらいいかが分からなくなったようだ。

それがナナなら、それでいいじゃないか。自分でなんとかしなさい。できるでしょう?

察して手伝っていると、相手の成長を妨げることになる。これは子育ての大原則で、これまでも再三語ってきたのに、自分でできていなかった。

そして、「困ること」「苦しむこと」を含めて、相手のありのままを認めるということは、相手の可能性を尊重することでもあると、改めて気がついた。

これで自分が楽になるのだから、いいこと尽くしだ。ナナを気遣うのをやめた分、自分や本当に今私の力を必要としている人に注目するゆとりができた。これはいい。
いいことに気付かせてもらったが、これはこれ単独の気付きとして、大事にしようと思っただけだった。

次回につづく。






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年末近い、ある日のことだった。昨年新人研修を担当したMさんが、珍しく自分からやってきて、困った顔をしている。Mさんはとても実力がある人で、2年目の今年度はある部署のチーフを任された。滅多なことでは愚痴も泣き言も言わない。たまに、爆笑できるような言い訳をするが、ご愛嬌と言うものだ。

「どうしました?ずいぶん頑張っている様子、ちゃんと見てますよ。」と言うと、暗い顔でため息をついたMさんは、ぼそぼそと話し始めた。

「来年度に向けて、いろいろ変えるように上司から言われているんです。でも、部署の人と話し合おうとしても、全然進まなくて…。」
「どうして進まないの?言われている改革に反対ってこと?あのメンバーは嫌いそうな内容だもんね。」
「それもありそうですが、それより…。」
「他に理由があるの?ちょっと思いつかないけど。」
「はぁ。会議をしますよね。最終提案に向け、話し合いや準備のタイムスケジュールを出すじゃないですか。」
「はいはい。それがチーフの仕事ですもんね。」
「そうなんです。だから、出すんですけど、ちょっと案件が重いから、定例以外の会議も設定しないと難しいんです。」
「うんうん、そういうこともあるでしょうね。」
「するとですね、皆さん、スケジュール帳を開いておっしゃるんです。『これ以上会議は入れられない、忙しすぎる』って。」
「ほう、あのメンバーならありそうなことですね。」
「そうなんですけど…。私、理解できないんです。」
「理解できない?」
「だって、ほかの会議がない日を指定しているんです。皆さん、予定の隙間が埋まってしまうことを『忙しい』といって嫌がるんです。私は、目いっぱいに埋まっているスケジュール帳を見ると、『今月も充実しているなぁ』って嬉しくなるんです。」
「ほう、なるほど…。」

Mさんが滅多に言わない愚痴を言う相手に、なぜ私を選んでくれたのかよくわからないが、この話にはハッとした。

なぜなら、私もMさんを悩ませている他のメンバーと同じで、スケジュールは空欄であればあるだけ嬉しいからだ。埋まりに埋まったスケジュール帳を持っているが、それを『今月も充実しているなぁ』なんて思ったことはない。『ああ、今月も目いっぱいだ』とげっそりしている。

Mさんがポジティブ思考の持ち主だから、そういう考え方をするわけではない気がした。これは、生き方の違いから生まれる差異だろう。

「抵抗は感じるでしょうけれど、それでも自分が提案したように推し進めて行く力を発揮してもいいんですよ。その力を持っているんですからね。」
「いいんでしょうか?」
「それが、チーフですよ。」
「はい!わかりました!無視するんじゃなくて、抵抗を感じながら進めるというのが気に入りました!これは、一層やりがいがありますね!

何か、とてつもないヒントを得た気がしたが、その時はそのまま通り過ぎてしまった。

次回につづく






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盛岡で、すき焼き用牛肉を手に入れてきた。
大雪で在来線が遅れに遅れ、乗り換え時間がほとんどなかったのだが、行きに買っていってとても美味しかった「岩手牛」をどうしても、もう一度食べたかったのだ。

成人の日を含むこの3連休初日、晩ご飯をすき焼きにしようと言うのはあっという間に意見が一致。少し疲れが出て、のんびりしていた私は、よっこらしょと体を起して、卓上コンロや鉄鍋の用意にとりかかろうとした。何と言っても新幹線の発車を間近に控え、方向音痴で5分前集合の私が冒険するようにして手に入れた霜降り牛だ。時間もあるし、丁寧に作りたいではないか。

ところが、既になにやら作り始めていたくまさんが、台所のコンロにフライパンで、ジュジュッと肉を数枚焼いた後、野菜を並べ、割り下を入れ、いましも残りの肉を入れようとしているところだった。

ドウシテ!?

しかし、時すでに遅し。今夜食べる分と思われる分量のお肉はフライパンに投入され、火を通されてしまった。取っ手が取れるティファールは便利だ。そのまま鍋敷きが置いてあるテーブルに運ばれ、取っ手をはずして「はいできたよ。」

コンロを弱火にして、くつくついうところへ、1枚ずつ肉をうずめ、まだ赤味が残るうちに引き上げて食べる。美味しい肉は特にそうしたかった。とろりと口の中でとろける脂身の絶妙な味わいを思い出しながら、すっかり火が通った肉を食べる悲しさ、残念さ。しかも、ティファールはどんどん冷えて行く。猫舌の私だが、最後の豆腐を口に運ぶころ、冷奴状態でなくてもよい。 

でも、私はそれを言えないのだ。

残った煮汁で餅を煮ることにした。秋田のお母さんが持たせてくれた、杵つきの餅だ。砂糖が入っているわけでもないのに甘みが強く、よく粘る。フライパンを一度下げ、コンロで煮つけてきた餅は、半ばとけて美味しいが、フライパンも皿もネバネバだ。

くまさんが、ランニングでびしょ濡れになったシャツを洗っていた洗濯機が止まった。くまさんは洗濯物を干しにベランダに出ていく。私は食器を洗ってしまうことにした。とけた餅があちこちにくっついて、ちょっと苦戦する。シンクもべたべたになってしまった。丁寧に洗い落してお湯を止めた時、くまさんがベランダから洗濯かごを抱えてもどってきた。

事件はその時起こった。
くまは、かごを左腕にかかえたまま、右腕を伸ばして、人差し指でシンクをこすった。そして、まだそこに立っていた私に言ったのだ。「シンクに餅が残ってますよ。」

愕然とした。今、私が見聞きしたものは何だ?
嫁いびりの姑ドラマさながらのやり口に、開いた口がふさがらない。
不意に、腹の底から笑いが起きた。くっくっくっ。
嘲笑、という言葉がある。笑いについてこれほど細かな分類があるのは日本語の特徴と教えたことがある。自分がそんな笑いをすることに、かすかな驚きを感じつつ、笑いは止まらない。

「ねぇ、今、自分が言ったりしたりしたこと、おかしいと思わない?」
いつもなら、黙ってもう一度シンクを洗い始める私が、変な笑いと共に問いかけてきたから、くまも面食らったのだと思う。
「だって、残っているのだからそう言ったまでだよ。全部洗い流して完璧ってものでしょう?」

完璧??
私の腹筋は、さらに深い笑いを生みだし、口は勝手にこう言った。
「最低!」
くまは、これまで、私からそんなことを言われたことがない。
私はつぶやいたことがあるが、聞えるように言ったことはない。
それが耳に届いたのだ。
「最低?」

一度止まっていた笑いが、シンクを洗い直している時に、もう一度湧きおこってきた。
「ほんと、最低!」

フライパンで適当に作った料理を食べた後で完璧を語るのも片腹痛いが、毎朝あなたが髪を整えた後、洗面台に落ちたジェルを黙って洗い流しているのは私なのだ。

誰もが完璧になんかできないから、お互い助け合って、補い合って時を過ごしているのだ。



それでも、私はゴキゲンだった。
とうとう、言えた!

気に入らない時、馬鹿にされたと思う時、言い返した後の気まずさを思うと、自分の苛立ちや腹立ちを言葉で表現できないまま、飲み込んできた。飲み込んだものを消化できずに10日以上も口をきかなかったこともある。充分気まずいわけだが、それでも、私が何か言った結果だと思うよりマシな気がしていた。

でも、今年はちょっと、大事にするポイントを変えることにしたのだ!

結果よりプロセス。

気まずい結果を見るのではなくて、今ここで苛立つ自分を重視することにしたのだ。ひいてはそれが、結果を信頼することにつながるのだと、最近気がついた。

よしよし、私、えらい!
長年の苦手を克服したね!!


130113_1533~01「おはよ!」
「はい、おはよ。」

翌日、予定通り、一緒に富士山のふもとにある浅間神社へ初詣にでかけた。
ほら、大丈夫。
言いたいことを言っても、気まずくなんかならない。
ま、言い方はもう少し研究するけどさ。


陽が暮れかけた温泉から見る富士山は雄大で、くっきりと潔い。
「はい、合格っ」と言われた気がした。






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「ねぇ、おせち料理は食べないの?」

秋田のおうちに着いて最初の食事は1月1日の夕食。ジンギスカン鍋だった。 久しぶりに帰省した息子夫婦は仕事で疲れているから栄養をつけてあげようと思ったのだろう、羊のお肉がモリモリ出てくる。お肉がなくなったところで、お餅を入れてとろりと煮とかしたのが絶品だった。

翌1月2日の朝。自分の家にいれば、お雑煮を作る朝だ。

「お雑煮」という単語を見てそれぞれの人の頭に浮かぶ映像や、口中に蘇る味には、かなりの違いがあるようだ。餅の形からして丸いか四角か違うし、四角といっても、正方形か長方形か違いがある。かつおだし、鶏だし、いりこだし。醤油に塩に赤みそ、白みそ。いろいろな野菜が入ったり入らなかったり。 

私の実家では毎年この「お雑煮」がいかなるものかで夫婦喧嘩が行われていたことは、以前にも書いた。母の「お雑煮」は、干しシイタケをもどしたところへ、かつおだしを足し、親の敵とばかりに千切りにされた大量の白菜と気持ちばかりの鶏肉を入れて、醤油で仕上げたつゆに、焼いた長方形の餅を入れ、仕上げに三つ葉を載せる。ところが、父の「お雑煮」は、世間でいうところの「おしるこ」なのだ!

くまさんと暮らしてずいぶんになるが、実は正月三が日に秋田に行ったことがなかった。何しろ寒いのだ。そして、敢えて呼ばれたこともない。だから、今回、私はくま家のお雑煮がどうなっているのか興味津々だった。くまさんには何度か尋ねたが、「あなたが作るのが美味しいから、あれでいいですよ」といって、おうちのお雑煮を教えてくれない。私に作れるのは、親の敵の白菜入りしかないというのに。

どきどきわくわく・・・しすぎて、すっかり寝坊した。
あわてて起きると、「よく寝ていたから起こさなかったけど、朝ごはんができた」と言う。こたつには、焼き魚や山菜の炒め物、いぶりがっこ、サラダ、味噌汁、ごはん・・・ごはん??
伊達巻は?栗きんとんは?紅白のかまぼこは?黒豆や田作りは?私の大好物の鬼がら焼きは??どれも、テーブルには載っていない。

お母さんの料理はどれも本当に美味しい。だから、何も文句はないのだが、ちょっと戸惑った。そして、くまさんとでかけた時に尋ねたのだ。「おせちは食べないの?」

「おせちはね、ないの。」
「ない?ないって?お雑煮は?」
「食べないの。」
「食べないの?じゃ、お正月はいつものご飯なの?」
「そう。大晦日にね、ごちそう並べるのね。でもおせちじゃないよ。お酒飲みながらそのごちそう食べて、お腹一杯だけど年越しそば食べて、おしまい。」
「おしまい?」
「そう、お正月はそれでおしまい。」
「じゃ、お餅はいつ食べるの?」
「いつでも。」
「いつでも?」
「そう。あれは、冬の保存食だからね。冷たい水で米を研がなくていいし。」
「へええええええ!」
「これから行くスーパーを見てごらん。おせちなんて売ってないよ。大晦日で終わるのは、ウチだけじゃなくてこの地域全部がそうなんだ。」

本当だった。
Hikari地方だったら、1月2日のスーパーは、1つなりとも売り残してなるものかとばかりに、広々としたケースいっぱいにお節料理が並び、エンドレスに流れる笛や琴の音が、いやが上にも正月気分を盛り立てている。ちょっと安くなっているものもあり、まだ強気なものもあり。ところが、秋田のそのスーパーでは、縦30センチ、横50センチほどのコーナーに、申し訳程度の紅白模様の背景があり、かまぼこと栗きんとんが並んでいた。それだけだった。

すごい!なーんだ!これはいい!!
お正月だからと言って殊に呼ばれたりしない理由もこれでわかった。

料理に自信がない私にとって、嫁ぎ先で包丁をふるい、立派なおせち料理を仕上げるなどというのはプレッシャーを超えたことだった。求められないのをよいことに逃げてきたと、今ならカミングアウトできる。

なのに、なんてこと!私はいったい、何から逃げていたというの?



奥様の実家である青森で初めてお正月を過ごした、新婚のでき過ぎ君も、私と同じ衝撃を受けて帰ってきた。

「全然いいんですけど、何かこう、調子が狂いますよね。」
「そうね。私、とうとう今年は鬼がら焼きを食べ損ねたわ。」
「僕もです。でも、おせちって実はそれほど好きじゃないんですよね。」
「私もそうよ。別に好きだから食べているわけではないの。お正月だからね。」
「青森はお年玉まで大晦日だったんですよ。正月気分はゼロでした。でも・・・」
「なんだか、自由でいいと思った?」
「あ、やっぱりHikariさんもですか?僕も思ったんですよ!都会よりずっと、自由でいいなって。」

いつもと違う場所からいつもの自分を見てみたら、当たり前のものが実は「しがらみ」や「こだわり」だったのかもしれないと気付かされた。
こんな体験ができる休暇を、今年はいままで以上に大切にしたいものだ。







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五所川原君(仮名)は新進気鋭の美容師。とはいえ、その上にカリスマがいて、さらにその上に神がいる。私の担当は神だったが、わけあって今は天岩戸にお隠れになっている。引き出すためのあの手この手が進行中だが、隠れている間はカリスマが担当してくれることになった。

ところが、カリスマは芸術家なのだ。自分がこれと信じた道を真っ直ぐに突き進む。そこに私の要望など受け付ける気があまりなさそうだ。「あなたより、あなたの美しさについて分かっているんです。まかせて!」という頼もしいメッセージが届くが、こちらの気持ち次第では、それが押しつけにも感じられる。

サービス業の難しいところだ。

神の神たるゆえんは、そもそも「要望を伝えなきゃ、これは思っていることと違う!」という事態にはめったに陥らない。陥ったとしても「あのね、今日はこうしてみたいんだけどね、どうかなぁ」と言い出すのは簡単だ。きわめてバランスがよいわけだ。

神とカリスマの薫陶を受けた五所川原君は、ひとつひとつ、これからしようとすることを説明し、要望を必ず聞き、結果を手で触って鏡で見て、何度も確認しながら進める。美容師と客とでひとつの作品を仕上げて行くようなイメージだ。

「そっちでいいようにやってよ!」というタイプの客に、カリスマは大人気だ。見習いだった五所川原君も、ハサミを持つようになってからは「何でも注文しやすい!」というタイプの固定客が増える一方。どちらもできる神は、海が見える丘の上に、新たな城を作ることにしたようだ。

初めて、五所川原君が私の担当をしてくれることになった。神もカリスマも、なんの罪もない五所川原君にプレッシャーをかけまくる。が、大して緊張も見せず、いつも見ていたようなやり方で、私のバサバサになった白髪交じりの髪を整えて行く。

「ごめんなさいね、厄介でしょう?」
初めての美容師さんに必ず言う言葉だ。とにかく髪の量が多く、どれも太くて立派な髪の上に微妙な癖があり、難物なのだと神からも言われている。 「二人分ありますよね、お手数かけてすみません。」

何かしてもらって、「ごめんなさい」「すみません」という人は、相手の苦労を思いやっているようで、実は自分のことしか考えていない。「あなたに苦労をかけているということに気付いている自分」を表現したいのだ。それが思いやり、と思いこんでいるから、 「ごめんなさい」「すみません」を連発することも多い。

そういう人に、「『ごめんなさい』より『ありがとう』と言おう」と言っても伝わらない。「ありがとう」は「あなたに苦労をかけるだけの価値が私にはあるのだ」ということを自認していないと出てこない言葉だからだ。 自分の価値を認めていたら、自分のことしか考えない人にはならない。自意識過剰は自信のなさの裏返し。

さらに、「あなたは私のことで苦労するに違いない」と思っているから謝りたくなるわけで、「あなたは私のことで苦労するとは限らない、面倒でも楽しかったりやりがいを感じたりする実力があるもの!」と思っていたら「すみません」とは言えなくなり、「ありがとう」が出やすくなる。

つまり、「ごめんなさい」と言っている人は、相手の実力をも低く見ていることになるんだろう。


130106_1702~01髪色、切り方、どれも独自の意見を出してきては、時折話の返事を忘れるほど集中して切ってくれている五所川原君に「ごめんなさいね」なんて言えなかった。

仕上げの鏡を見せてもらって、「うわぁ、ありがとう、これ気に入りました!希望が全部叶ったわ!」と言った時の五所川原君の笑顔や、会計に先導する後ろ姿の、どこか誇らしげな背筋が忘れられない。 

そうだ、五所川原君に撮ってもらった写真を載せちゃおう。



そういうことなんだなぁ、と反省しきり。自分が誤った時はすなおに「ごめんなさい」が言えるようでありたいけれど、何かしてもらう時は「ごめんなさい」を封印できる自分も大事と思ったできごとでした。






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