Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2012年11月


私が死んでも、悲しむ必要も後悔する必要もまったくありません。
私はようやくお父様のところへ行くことができるのですもの、喜びしかありません。お父様は天国にいらっしゃるのに、私は地獄でしょうから、お目にかかれるかわかりませんが。

もしもお父様に会えたら、今度こそ素直に、ずっとお父様をお慕いしてきた気持ちを伝えようと思います。お父様は何とおっしゃるかしら。私がずっと寂しかったこともお話ししてみたいですね。お父様をないがしろにしたことも、心からお詫びします。

誠一郎さんにお伝えください。
華やかな葬儀は望みませんが、グループの威信もあるでしょう。誠一郎さんのよいようにしてください。ただ、遺骨だけは、お父様のお隣に入れてください。

私の名義になっているもの、個人的な財産も全て誠一郎さんに移譲します。よいように役立ててください。できることなら、今苦しみのさなかにいる人が、ほんの少し笑顔になれるような使い方をしてくださるなら、私は本当にうれしく思います。

この手紙もずいぶん長くなりました。
どこに隠そうかと考えています。すぐには見つからない、でも私の死とともに見つかる場所は…。やはりこの枕の下でしょうか。

弓子には、検査の結果が出るまで、病院に来てはならないと言ってあります。私が結果を聞いて、心穏やかにいることを自覚してから呼びたいと思うからです。花亜さん、どうか後藤だけでなく、弓子の将来もみてやってくださいね。

これでお別れです。
花亜さん、私の娘に生まれてくれて本当にありがとう。
さようなら。







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花亜さん。
私はあなたに心から感謝します。

私を憎んでくれて、ありがとう。
私を遠ざけてくれて、ありがとう。

もしも、あなたがどこまでも私を慕い、私を許そうとしていたら、
私は我が身を許すことができなかったでしょう。

優しく心の広いあなたを憎む自分が
みすぼらしく、悲しく、愚かな上にも愚かに見えて。

あなたに憎まれることで、私は私でいられました。
あなたから離れてくれたことで、あなたを捨てるかと苦しまずに済みました。

こんな母を持ちながら、
幸せな大人になってくれたことに感謝します。

あなたのせいで私は不幸だと言われたなら、
私はどうやって償うことができたでしょう、できるはずがありません。







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そういうわけなのです。後藤と弓子がこれからどうなっていくのか、私が見届けられない時は、花亜さん、あなたが見届けてください。私は祈っています。どこにあっても、祈っています。二人が幸せであるようにと。

明日から、精密検査というのを、また受けます。
これ以上検査をしてどうするのやらと思います。
私は、これ以上長生きをしようとは思っていません。

この人生、私という生き方に絶望したからではありません。
望むことを全て果たし、最後の願いもこうして書きとめたからでもありません。
ただ、もう、充分だと思うのです。

私が息絶えたとて、誰が悲しむでしょう。
弓子と、後藤と、それから誠一郎さん?
数えても、片手で足ります。

私が生き長らえて、誰が喜ぶでしょう。
それを数えても、やはり片手で足りるのです。
ひと夏慈しんだカブトムシが死んでしまうのと大差ありません。

この家に生まれ、育ち、存分に生きて、あれほど多くの人に囲まれて過ごした末としてはいささか寂しい結末ではあります。私が死んだあと、あの人、この人が私を偲んでくれたなら…と思わぬではありませんが、いたしかたないことです。

しかし、今、私は、多くの縁を引きずって旅立つのではなく、
ひとつひとつそれぞれの縁に結び替え、身を軽くして旅立てることを、何よりの喜びと思います。
これで、いいのです。







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この実直一筋の男にも、とうとう春がやってきたようです。よもや14歳も年下の娘にとは思いもよりませんでしたが、本気であることは、傍の者の方がよほどよくわかります。縁談など持ち込んでは嫌だとハッキリいえるほどなのだから、これは勇気を出して告白して来いと言いたくなるのは人情というものでしょう。

しかし、後藤は、白状はしたものの、そこから先は頑として受け入れません。お許しくださいませ〜を繰り返すばかりです。格好をつけてどうするかと叱ってみるものの、一方では後藤の気持ちも分からぬではありません。

後藤にはこれまで築き上げた暮らしと仕事があります。そこには安定した穏やかな日々が約束されています。何も知らない若い娘をここに加えることは、冒険としか言いようがありません。その冒険は、ひとり後藤自身に影響を与えるのではなく、我々家の者すべてに広がっていくことを後藤はよくわかっているのです。

さらに、これまで後藤は、人の世話をするのが自分の仕事であり、人に世話をかけることなどあってはならないと厳しく生きてきた男です。年若い嫁を迎えて、いずれ彼女に介護の重荷を背負わせるのかと考えると、我慢ならないでしょう。

そして、もうすぐ50歳ともいえば、分別盛りとでも言いましょうか。同い年の花亜さんなら分かるでしょう。己の本分と言いましょうか、いかに生きるかがすっきりと見えるものです。もちろん、成長を選ぶ人も多いのは承知の上ですが、どっしりと己の生き方を見据え、今更失敗や冒険の危険を冒すより、今の楽しみ、安定を選びたい気持ちの方が強い人も多いでしょう。

惚れた女ゆえに何か上手くいかなくなることを、後藤は恐れているのではないでしょうか。
かつて、おじいさまは、お父様に一目惚れした私のわがままをききいれて、強引にも縁談をまとめてくださいました。今の私に、おじいさまのような力がないわけではありません。

けれど、私は、この不器用な男女が、己の力でどう進んでいくのかを見たいのです。
私は後藤に、お父様と私のことを、語って聞かせました。お前には、このような後悔をしてほしくないね。後藤は涙をこぼしていました。







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昨夜のことです。弓子が帰り、後藤も屋敷に戻る時間になった時のことでした。いつものように、後藤と弓子のその日の様子をひとしきり語り合いました。今週、私は先ごろよりずっと気分も体調もよく、食欲もあり、痛みやだるさを感じることもほとんどありません。会話が楽しく、後藤の帰り支度を落ち着いた気持ちで見守っておりました。

「弓子さんのような方のお傍にいると、本当に心が安らぎますね。」後藤がこんなことを言うのです。「そうかね。どうしてだろうね。」と、私はさりげなく尋ねました。私の着替えを入れ替えながら、後藤は話し出しました。

なんでも、花亜さんと弓子とがディズニーランドにでかけたことがあり、弓子の帰りを送って行った時のことだそうです。弓子が突然泣き出して、「私の辛さを減らしてよ!」と言われたのだそうです。その時、後藤は、よし、私がこのお嬢さんに幸せをもたらしてあげようと思ったのだというのです。

以来、弓子をずっと見守ってきたという後藤にも、弓子は確かにどんどん変わって、力強く朗らかで、もともと持っていた優しい気持ち、素直な心を屈託なく見せる、魅力的な女性になっていったことが明らかで、それが嬉しくてならないというのです。

「それだけかい?」
「それだけとは?」
「白状おし。お前は弓子に惚れているね?」

「めっそうもございません。私ごとき男にはもったいない方でございます。」
「弓子がもったいないかどうかは関係ない。もったいない弓子が好きなのだろう?」
「いえ、とんでもないことでございます。」

「では、私が弓子に縁談を持ち込もうかね。弓子も断れまい。いいかね?」
「え…」
「いやかい?はっきりおし!!」
「あの、いえ、はい、いえ…あの…………う……いやでございます!!」







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花亜さんにお詫びと感謝の気持ちを伝えたくて書き始めたこの手紙も、そろそろ目的を終え、筆を置く時が来たようです。最後にひとつ、あなたにお願いがあります。もはや思い残すことは何もありませんが、このことばかりは気がかりゆえ、あなたに見守ってほしいのです。

後藤のことです。

知っての通り、後藤はあなたと同い年。後藤の母があなたの乳母になったのも、浅からぬ縁であったと思います。あなたを大事に守り続ける後藤の母は今も健在で屋敷内に暮らしていることはあなたもご存知でしょう。とはいえ、後藤は仕事一筋、妻をめとることもなく、今日まできています。

先に、後藤が弓子へ安住との交際を勧めたことがありました。私は、あれは花音に忠義立てがすぎる安住への、後藤なりの思いやりと思っていましたが、どうやら違ったようなのです。

なんのかのと用事を言いつけては安住をそちらへ使いに出しているくせに、その1ヶ月ほど、後藤の暗い顔といったらありませんでした。私はまだ生きているというのに、毎日通夜のような顔で侍られてごらんなさい。こちらまで気が滅入ってしまいます。

そのうち、安住への思いに破れた弓子がこの病室へ通って来るようになると、今度は毎日がカーニバルのようなはしゃぎよう。もうすぐ50になろうという男が何をしているかと、傍から見ているとおかしくてたまりません。本人は、本心を隠しぬいているつもりのようですが、これでは、言わずもがなです。

先日などは、弓子がひまわりが好きだと言ったのを聞いて、この冬だというのに、花屋をまわりにまわってひまわりを探してきたのです。「大奥様のお気持ちが明るくなるように」などと、取ってつけたようなことを言っていましたが、なんのなんの。花探しの間、私のことなど思い出しもしなかったに違いありません。

ひまわりを見てはしゃぐ弓子を見ている時の後藤といったら…。はてさて、これはどうしたものかと、私は考えました。もちろん、本人同士のことですから、強引にくっつけてしまおうなどとは考えておりません。が、後藤にも弓子にも、今とは違う幸せをつかんでほしい思いは強く、私最後の願いやもしれません。







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弓子のような性格や行動は、私にとって苛立ちの元でした。見ているだけでイライラして、しっかりしろと怒鳴りつけたくなりました。実際に、そうやって怒鳴られた者はいくらもいるのです。前を向け!イジイジするな!文句たれるな!やればできる!!叱咤激励のつもりでした。

しかし、それは、自分自身が弱音を吐いたり、寂しさに負けそうになっていることを認めたくないあまりに、人に向かって強さをアピールしていただけなのかもしれません。弓子がこぼす愚痴を聞いていると、それは実は自分も感じていることなのに、認めまいとしていたことばかりだと分かってきたのです。

前向きで調子がよい私より、不都合で重たい感情や物事の側面をしかりと感じ、受け止めている弓子の方が何倍も勇気があるのかもしれない。この子の話をもっとよく聞いたら、私はもっと多くのことに気付けるのかもしれないと思いました。そして、いつの間にか、私も弱音を吐いたり、愚痴を言ったりしてもよいのだと思うようになりました。

体が痛い時、私はそれまで「ちょっと痛むけど大丈夫だよ、これしき。」と言っていました。でも、今は医者を呼んで「痛いよぉ、助けておくれ。」と言っています。眠れない夜には看護師を呼んで「悪いが、少し話し合い手をしてくれないかね」と頼んでいます。不思議なことに、みな、私のわがままを「私にできることはこれしきですが…。」と言って、力を貸してくれます。それに気づくと、ああ、ありがたい、ありがとうと本気の感謝が湧いてくるのです。

金の切れ目が縁の切れ目と言います。
私の場合、金が切れることがないので、縁もつながったままです。弓子に出会う前の私なら、「この医者も看護師も、私が金持ちだからこうして笑顔でわがままを聞いてくれるのだろう」と思ったことでしょう。

でも、弓子には1円も渡したわけではなく、渡される可能性もありません。なのに、あの子は今日もやってきて、「自分に似合う服を選ぶにはどうしたらいいの?」などと聞いていきます。あの子もやっと、自分のセンスのなさに気付いたらしい。私は我が身が病にむしばまれていることをすっかり忘れて、「今度セレクトショップに連れて行ってやろう。実地訓練だよ。」と言ってしまいました。

弓子が帰って、こうして手紙の続きを書きながらも、どの店がよかろうか、何を選んでやろうかと思えば楽しく、思わず筆も止まりがちです。本当に、そんな日が来たらいいのに。まさか、死ぬとわかってからの日々が、これほどに楽しく、安らぎと期待に満ちたものになろうとは。これも花亜さんが弓子と出会っていてくれたおかげです。花亜さん、あなたには何もしてあげられなかったのに、私にこんな贈り物を、本当にありがとう。







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花亜さん。それでもあなたは、やはり私に大いなる贈り物をくださいました。弓子と出会わせてくれたことです。あなたの店で見かけた時は、なんとも冴えない娘だと思っただけでしたが、今ではかけがえのない宝物のような存在です。

この病室に駆けこんできた時の弓子の姿を思い出すと、今でも微笑まずにはいられません。いい年をして取り乱し、拙い言葉を夢中になって話そうとしているところなどは、まるで小学生のようにみっともなかったものです。後藤がいると誤解していたところに、あの安住を見て、今度は夢見る乙女のように頬を染めるのだから、漫画を見ているようでした。

後藤が言うには、結構な苦労人で、素直で我慢強い娘だそうです。そうかと思ってみていると、なんとも間が抜けている。次にやってきたときには、安住に一目惚れしたのに、想う人がいるとフラレタ!!と騒いでいます。もちろん、ぐずぐず泣いていないで、当って砕けて来いとハッパをかけました。どうやら、本当に砕けてきた様子です。

勝手に勘違いしてはすぐ盛り上がって笑顔になるかと思えば、簡単に諦めては落ち込んで泣きだす、人のせいにはする、文句は言う。そんな弓子と会い、話している間に、私は思いがけず、とても愉快な気分になることに気付きました。初めは、退屈しのぎができるからだろうと思いました。

けれども、そうではありませんでした。弓子は自分で感じたことを素直に表現するし、人の言うことを素直に聞くのです。それは「魅力」でした。後藤もこの魅力に参って、力になりたいと思ったのでしょう。後藤は毎日やってきて、私の話し合い手をしていましたが、いつの間にか私と後藤の話題と言えば弓子のことになっていました。

そんな弓子が、足繁くこの病室を訪ねてくれるようになりました。私の思い出話を聞きたがり、人生訓だの経営理論だのをねだるのです。ベッドの横に置いたソファーに腰掛けて、後藤と二人、あれこれと話して弓子に聞かせるのが何よりの楽しみになりました。そして、ハッとしました。

これは、後藤の父と、花亜さんと、お父様とが最後の時を過ごされた、あの光景と同じだと気付いたのです。私は心楽しく、穏やかに微笑むことができます。「明日もまた、来ておくれ。」気付いたら、私は弓子にお願いしていました。弓子は当然のように「はい!」と微笑みます。私は諦めた安らぎを、とうとう手に入れることができました。







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寂しさに悶絶する私の脳裏にあなたとお父様の姿が絶えず浮かぶのは、恨めしい気持ちが蘇ったからではないことが、その時分かりました。お父様もまた、死を前にして、寂しい気持ちにおなりになったのかもしれません。その時、傍らで花咲くような笑顔でいるあなたを見て、どれほど慰められたことでしょう。

私の視線は、ドアに隠れてあなた方を盗み見る嫉妬深い視線から、ソファーに横たわる病者の視線へと変わっていました。すると、あれほど疎ましかったあなたの存在が、かけがえのないものであったことに思い至ったのです。愚かな上に身勝手な母は、許してほしいなどと言える立場ではないことは承知の上で、もしも許されるなら、私もお父様のように、あなたの笑顔に見守られたいと願うようになりました。

何事も臆せず挑むのが私の信条ではありましたが、これだけは、思いついたからと言って行動に移すのにはためらいがありました。けれど、命の火がどれほど保たれるか分からず、不調も続く中で、とうとう私は思い切りました。私が行動を起こしさえすれば、そうして私が態度を改めさえすれば、過去の過ちは清算され、あなたとお父様のような関係になれると信じたのです。

けれど、結果はあなたがご存知の通りです。私は相変わらずのひとりよがりで、あなたを困惑させ、哀しみを深くしただけで、とうとうあなたの笑顔をみることはできませんでした。ユニクロの服を着て、あなたがたにまつわることを話題にしていればよい、私の病気が分かれば、多少のことは許されるだろうという、安易な気持ちがあったことは否めません。

しかし、私がかつてあなたにしたことは、長い年月を経て消えたわけではありませんでした。愛することに不器用だった親をどう思うかは、子の自由ですね。幼いあなたの悲しみは、私が思っていた以上に深く重いものだったのだと知りました。私が素直にあなたに笑顔を向けていたら、抱きしめていたら、あなたにこのような思いをさせずに済んだのに。本当に、何と言って詫びたらいいか言葉がみつかりません。

私は現実を知りました。
愛はギブ・アンド・テイクではないと言います。無償のものだと。
しかし、親子においては、子が親を思う以上の愛をそそいで初めて、親は自信を持って愛されていると感じられるのです。自信を持って愛されているから、自信をもって手離せるのですね。

あなたが家を出て、それでも屋敷の敷地内にとどまっていたのは、きっと私が迎えに行くのを待っていてくれたのでしょう。朝も、夜も、もしかしたらと一縷の望みをかけて、屋敷の明かりを見守っていたのでしょう。ああ、なのに私は、そんなあなたを2年も放っておき、とうとう屋敷から消えても、追いかけはしませんでした。

そんな仕打ちをした娘に、病を口実に甘えようなどと、いくら神様が慈悲深くても許されるわけはありませんでした。それがはっきりと分かって、愚かな私もほんの少し、賢くなれたような気がしました。私はあなたの生活から消え、あなたが自分の力で築き上げた生活と幸せを守り抜くことを祈るだけしかできません。それが私の母としての、最後の勤めと思い極めました。







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