病室の会話が途切れて、頭を深く下げた自分に視線が注がれているのを感じながら、私は声をかけられるのを待つしかありません。でも、沈黙はとても長く感じて、いたたまれなくなった時でした。二人分の笑い声が聞えました。
「おやおや、話題の主が飛び込んできた。お嬢さん、こちらをちゃんとご覧なさい。」
おばあちゃんの声がして、私は恐る恐る、顔をあげました。
きっと大きなベッドだろうという予想に反して、おばあちゃんが寝ていたのは、普通のサイズの、病院のベッドでした。背中のあたりが斜めに持ち上げてあります。
ベッドの脇に向かい合うように、これは普通病室にはないような椅子がありました。そこに腰かけている、黒いスーツ姿の男性を見て、私は凍りつきました。目が吸い寄せられるようで、身動きがとれません。声なんか、どこに行ったかわかりません。
「後藤は今日、家の方にいるのですよ。まったく、粗忽なお嬢さんだ。」
おばあちゃんは笑いをこらえられないような明るさです。でも、そんなことはどうでもいいほど、私は衝撃を受けていました。
「弓子さんですね。初めまして。お話は後藤さんからたびたびうかがっています。」
黒いスーツが立ちあがって話しかけてくれたのです。テレビで、テノールのオペラ歌手が歌っているのを聴いたことがあります。そうだ、まるであんな声だ。それにしても…
「これ、お嬢さん。いい歳をして挨拶もできないとは情けないね。」おばあちゃんの容赦ない声がします。お嬢さんというかと思えばいい歳だという。まったく勝手ねぇと、今ならば思えるけれど、その時はそんな余裕はありませんでした。
「あ、かあさんのお店で働かせていただいています、嵯峨弓子と申します。」
「私は大奥様のもとで執事をさせていただいています、安住です。」
安住さんはそう言うと、歩み寄ってきて握手をしたのです。安住さんの大きな温かい手を感じると、私は先ほどまで以上に呆然となってしまいました。
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