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あなたも幸せ。私も幸せ。

2012年09月


私は後藤さんに尋ねました。
「あの、差し出たことをお聞きしますが、あの、お母様、いえ、大奥様、あれ?何と呼んでいいか…おばあちゃんはかあさんのことをどう思っていらっしゃるのですか?」

後藤さんはとても優しい笑顔で答えました。
「弓子さん、でしたね。大奥様のご本心は、大奥様にしかわかりません。それに、仮に私が存じ上げていたとしても、それは申し上げることができません。」

「でも、私はおばあちゃんとかあさんの関係が今のままでは悲しいと思うのです。おばあちゃんはご病気だし、かあさんがお嫌いなら、一緒に暮らしたいなんて思わないだろうし、でも、仲良くしたいと思っている様子もあまり…。」私は混乱した思いをそのまま口に出していました。

「かあさんがかあさんらしいと、おばあちゃんには気に入らない。おばあちゃんがおばあちゃんらしいと、かあさんは辛くなる。これって、すごく悲しいです。どうしたらいいのかしら?何か仲良くできるいい方法ってないのかしら?」

私は真剣に考えていました。大好きな人が悩んでいるときほど、力になってあげたいことはありません。私はそのとき、自分がつい最近まで、弟を亡くした悲しみに暮れ、何一つする気になれなくなっていたことなど、すっかり忘れていました。

「後藤さん、後藤さんはどう思いますか?ずっと長くお二人のことを知っているのだから、何かお二人が分かりあえるチャンスとか、仲良くできる方法とか、ご存知なのではありませんか?」私はちょっと必死なほど一生懸命に尋ねました。

「弓子さん。人は、大切なことほど、自分で気付きたいのではないでしょうか?」
後藤さんの答えに、私は肩を揺さぶられたような気がしました。ハッと目覚めさせられたような衝撃です。そうだ、人は、自分で気付きたい。教えられるのではなくて、自分でつかみ取りたいのです。教えられてばかりだと、自分がダメな人に思えてきて、出来事以上に自分自身が悲しくなってしまうからです。


ですが、もしも花亜様のお考えを一部なりとも尊重され、ご自身の意見をお譲りになっていたとしたらどうでしょう。花亜様を大切に思われるお気持ちとはまた別に、お店のどこかに責任を感じなくなる点を生じはしないでしょうか。

花亜様はそのことを重々ご理解なさっているのです。だから、久弥様のお考えがまとまるまでお待ちになったり、久弥様のアイディアの中から選択なさったりと、ご自身が出すぎることがないように、慎重にお過ごしになってきたのではなかったでしょうか。

私どもと見て回りましたホテルや料理店の中にも、いくらもそのような例がございました。旦那さんと女将がともに並び立つ時、より才能のある者がどうしても前面に出ることになります。もう一人が劣るというのではなくてもです。すると、店は前面に出た方の色に染まり、片方は自分がいなくてもよいような気分を味わうのです。

今、大奥様がこのお店の経営についてご意見をおっしゃることは、花亜様が長い時間大切に守ってこられた、「久弥様の店」の形を壊すことになりかねないと、花亜様はお思いなのです。まして、久弥様…

言いにくうございますが、久弥様は大変男らしい方でいらっしゃいます。いかに愛していらっしゃるとしても、我が妻が自分よりも経営に秀でているとこれ見よがしに突きつけられたら、どこか面白くない、自信が揺らぐような気分を味わわれはしなかったでしょうか。いえ、そのような小さなお方ではないのは重々…。」

「なるほど、そうか、そういうことか!」
なにを思ったか、おやじさんは笑い出しました。
「だからかあさんは、少しも料理を覚えようとしてくれなかったんだな!」

「あ…それはちょっと違うかもしれませんが…」
後藤さんも笑い出しました。
「花亜様はお幸せです。このようなお方とめぐり合い、ともに生きる楽しさを大切に守りたいとお思いなのは当然のことと思います。」 







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このようなわけだったのでございます。もしも花亜様が久弥様のお店を本気で経営なさっていれば、今頃日本中から客が押し寄せる有名店になっていたでしょうし、大奥様のお手にかかれば、世界中にチェーン展開し、どこの国でも久弥様の味が楽しめるようになることでございましょう。」

後藤さんが言葉を切ると、黙って聞き入っていたおやじさんが言いました。
「後藤さん、私のことを久弥様などと呼ぶのはやめてください。私はただの庶民です。様などと呼ばれる理由はありません。」

「いいえ。」
後藤さんはきっぱりと否定しました。
「花亜様のご主人さまは、私にとっても大切なお方です。そのようなお方をお呼びする作法は決まっております。それを違えては執事の責任を全うできません。

久弥様。職にはそれぞれ責任というものがございます。どれほど重くても、背負ってこそ自信が持てる、大切な宝物でございます。全霊を傾けて守る柱のようなものでございます。花亜様がコンサルタントのお仕事をおやめになったのも、先様の「責任」を思ってのことだったのではないでしょうか。

もしも、久弥様が花亜様とこのお店を共同経営なさっていたとします。久弥様はお料理を、花亜様が経営をと分担されたとして、もしも花亜様がこのお店をもっと大きくしようとか、支店を作ろうとかご提案になったら、久弥様はどうなさったでしょう。

きっと、花亜様がなさりたいようにお任せになったのではないでしょうか。それでうまくいったら、久弥様は経営に関して責任を持とうとはお感じにならなくなる。うまくいかなくても同じこと。花亜様のご計画に無理があったと思うばかりで、ご自身の責任とは思われないでしょう。

お店の雰囲気ひとつとってもそうです。花亜様が積極的にご意見をおっしゃることはなかったのではありませんか?だからこのお店は、隅々まで久弥様のお考えによるものでできています。久弥様はどこまでもこのお店をご自身のものとお感じになるでしょう。 







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花亜様は高校をご卒業なさるまで、ご本宅でお暮らしでしたが、大奥様とは口もおききにならないほど、お二人のご関係はこじれてしまわれました。幸か不幸かお屋敷は広うございますし、大奥様はご出張がちでしたので、お二人の関係に気付いたものはごく近親の者だけであったのです。

花亜様の卒業式の夜でございました。大奥様を誠一郎様がお訪ねになりました。大旦那様はかねてから誠一郎さまに言い含めていたことがあったのです。それは、金融を始め、グループ経営のほとんどを誠一郎様にお任せするが、ホテルや飲食店などのサービス関連は花亜様にお任せするようにとの御遺言でした。

誠一郎さまは、お母上の経営の才とお父上のご人徳とを併せ持つお方でございます。御遺言にたがう気はなかったのでございましょう。そのことを大奥様にご相談なさいました。大奥様はご自身の活躍の場が失われ、大奥様と折り合いの悪い花亜様が引き立てられることに複雑な思いを抱かれたのではなかったかと推察いたします。。

ですが、花亜様のお耳にこの話が入るや否や、花亜様は何もおっしゃらずにお屋敷から行方をくらませてしまったのでございます。もちろん、すぐに居所はわかりました。けれど、誠一郎様はそれを花亜様のご意思と受け取ったのです。無理強いはなさいませんでした。

それは、今思えば、明治維新のようなものでございました。大旦那様が江戸時代、大奥様が革命を起こし、誠一郎様…旦那様が新政府を樹立したというような。一族のものが社長職を継ぐのをやめさせ、力のある者が社長に就くようになりました。

思えば、大旦那様が白血病を患われたのにも意味があったのではないでしょうか。白血病は、ばい菌と戦う役目の白血球が増殖して止まらなくなる病気です。大旦那様はお優しい方でしたが、かたくななほど一途に、そのお考えややり方を変えることはありませんでした。

大旦那様にとって、ご自身の理想を貫くということは、時として、情より利益を優先する敵に周囲を囲まれるようなお気持ちだったのかもしれません。その思いが凝り固まって白血病を招かれたのではなかったかと思ったりもいたすのです。何事も、貫くというのは楽なものではございません。







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つまりね、私が出向くまで、経営はうまくいかないかもしれないけど、そこにはそこでしか味わえないものが必ずありましたの。私、それは大切にしたつもりでした。でも、皆さまが私を大切に思い、尊重してくださるにつれ、その個性が消えてしまったのだと思うの。

私のコピーをどんどん作って利益が上がったとしても、それが何だというの?いずれもっとよいものが見つかったら、そのコピーをしない限り、また廃れてしまうわ。大切なのは自分たちで考えること。自分の考えで立ち上がること。

皆さまをそのようにお導きするには、私はまだ子供すぎるわ。なのに、お母様は私を売り物にして利益を出そうとしていらっしゃる。私はイヤ!お母様の道具になるのも、コンサルタントをするのも、もう嫌なの!」

「わかったよ。花亜の人生は花亜のものだ。嫌なことをする必要はない。花亜はコンサルの仕事が嫌なんだね。では、私の看護婦の仕事もいやかい?」
「いいえ、お父様!もっとお父様のおそばにいたいです。」

「ありがとう、花亜。私はお前が幸せでいてくれないと、安心して天国に行けそうにないよ。」そうおっしゃった大旦那様は、それから間もなく、ともしびが消えるようにそっとお亡くなりになってしまったのでした。

大旦那様の葬儀は、それは盛大なものでした。グループの総帥だからというだけではございません。大旦那様のご人徳を慕って、国の内外を問わず、多くの人が最後のお別れに訪れました。早すぎるご逝去を悲しまぬものはおりませんでした。テレビで報道されましたから、ご覧になったかもしれませんね。

大奥様はご自身の信条を第一に、改革を進めていらっしゃいました。が、2年後、英国からお戻りの誠一郎様が大旦那様の跡を正式にお継ぎになりました。同時に、それまでの強引なやり方が祟ったかのように、大奥様は一線から退かざるを得なくなりました。


大奥様のお考えとは、花亜様を『女子高生コンサルタント』としてメディアに露出し、あちこちに出向いては経営を立て直すところを取材させてドキュメンタリーやドラマ、雑誌や書籍など、あらゆるところでメジャーにしていこうというものでした。

喜んで飛びつくようなお嬢さんが、今ならば大ぜいいらっしゃるのかもしれませんが、花亜様はちがいました。断固として拒否なさったのです。高校生になられた花亜様は、少しずつ経営立て直しのためのご旅行をなさらなくなっていました。

大旦那様のご健康を危惧されてのこともあったとは思いますが、私どもには分からない何かを深くお考えの様子がみられるようになりました。お若くはありましたが、立派なコンサルタントでしたので、私どもはうかつに口を出すことができませんでした。

あれは花亜様が高校3年生におなりになってすぐだったのではないかと記憶しております。大奥様がとうとう実力行使に出られました。お屋敷に取材クルーが参りまして、花亜様の撮影をしようとなさったのです。感情をあらわになさることの少なかった花亜様が激怒なさいました。

そして、大旦那様のお部屋に駆け込むと、泣きながらお訴えになりました。取材だのメディアだの、どうしても嫌だと。そして、コンサルタントの仕事ももうしたくないとおっしゃるのです。花亜様は楽しんでやっていらっしゃると思っていたので、私も少し驚きました。

「確かに、利益は上がるようになったかもしれないわ。でも、私がお伺いしたホテルやお店が立ち直ったからとご招待いただいて、あとからまた出かけるでしょう?すると、確かに初めて伺った時とは違って、皆さまいきいきと働いていらっしゃるのだけど、私は少しも楽しくないの。

だって、隅から隅まで、私がお伝えした通りなの。私は私が知っていることを見るだけ、味わうだけ。それだって努力してくださった末のこととはわかっていてよ。でも、もうワクワクしないの。皆さま、ご自身で考え、工夫を進めることをやめてしまって、私のコピーをしているだけになってしまったの。







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この噂は瞬く間にグループ企業に伝わりました。大奥様から倒産の期限を切られたホテルや旅館、レストランなどは多数ありました。どれも大旦那様が大切になされていた所でもあります。オーナーがご本宅を訪れることが増えました。

お嬢様ご自身、この出来事を面白くお思いのこともあったのでしょう。大旦那様のお許しが出ると、お嬢様は私どもをお連れになって、あちこちに出向かれるようになりました。花亜様がいらっしゃると、死にかけていた経営が生き返るのです。

あまりにお声がかかるので、お淋しくなった大旦那様が、「花亜は次の週末も泊まりかい?中野に言って、花亜の大好きな洋ナシのシブーストを作らせよう。だから今度の週末は家にいておくれ。お願いだよ、私の看護婦さん。」

「まあ!中野さんのシブーストが頂けるなら、喜んでおりますわ!」
そんな会話があるほどでした。ちなみに中野というのは、お屋敷にお抱えのコックです。一時は陛下のお食事にも関わっていた者です。

花亜様の立て直しは、もはやグループで知らないものはないほどになっておりました。花亜様が高校生におなりの頃にはすっかり有名になっていました。が、世間には伏せられておりました。花亜様のご年齢を考えてのことでしょう。

ところが、大奥様は別の考えをお持ちでした。花亜様を経営戦略に活かそうとお考えになったのです。花亜様のご指導は、その頃にはすでに、掃除や気配りと言った初歩的な範囲から、宣伝、借り入れなどに至るまで広範囲に及んでおりました。

けれども、実はこれといって珍しいご意見ではなかったのです。それまでも雇い入れたコンサルタントがいくらも言ったようなことでした。が、コンサルタントがいくら言っても変わらなかったところを変える力が花亜様にはおありでした。


気付けば、手が空いている従業員が何人も花亜様に従って、ご指示どおりに片付け、動かし、磨きあげていました。お膳も召し上がらず、真夜中になりましたが、今度はお風呂の掃除と、これは主・女将も私どもも総出で磨きました。

花亜様のお許しが出たのは、空が白む頃でした。みな心をひとつに磨き上げた感動を胸に眠ったのですが、目覚めるとまた花亜様がいらっしゃいません。見れば、お帰りになるお客様のために、庭石に水を打っているのでした。

そんなことが2泊続きました。最初は面食らった宿の者でしたが、誰ひとり反感を抱く者はおらず、自ら花亜様のお考えを伺いにやってきました。花亜様は何事もご自身でやってみられます。そこが皆に感動を与えておりました。

最後の晩、宿の者たちは皆で相談して、花亜様に特別なお膳を用意しました。感謝の気持ちを何かで表したかったのです。そのお膳は、その晩宿泊していたお客様全員に供されました。

お嬢様に気付かれないよう、でも喜ばせたい一心で、ある者は山菜を摘み、ある者は魚を釣りました。器を選び、お膳を磨き、米を研ぎ、水を汲みました。何一つ気を抜くことなく、創り上げたお膳でした。

召しあがった花亜様が「おいしいこと!お父様にも差し上げたいわ!」とお喜びの姿を見て、宿の者は甲子園で優勝したみたいな騒ぎでした。働くことの意味と感動とを取り戻した一瞬でした。

翌朝、お発ちになるお客様が何組も、同じことを言いました。「昨晩のごはんの美味しさは忘れられない。今度は家族に食べさせたいから、予約を頼んでもいいかしら?」こうしてその老舗旅館は立ち直ったのです。


その日も大旦那様のご機嫌がよく、リビングでお話しを伺っておりましたところ、その老舗旅館の主が尋ねて参りました。大奥様から、3ヶ月のうちに利益を倍にしないと倒産させるといわれたとのことでした。

すでに手を尽くしたとおっしゃる主に、大旦那様は言葉を失ってしまわれました。妻を責めることも、主を責めることも、自己卑下なさることもない大旦那さまでございましたが、胸中はどのようであったのでしょう。

「お父様、私、久しぶりに泊まりに行ってみようかしら。」そう言い出されたのは花亜様でした。きっと、ひとりでも宿泊客を増やしてあげようと思われたに違いありません。「それはいいですね。」大旦那様も賛成なさいました。

執事の父と私がお嬢様に従って、泊まりにでかけましたのはその週末のことでした。ご別邸に滞在なさる時には、散策のついでに昼食を召し上がったりティータイムに立ち寄ったりした旅館です。

チェックインですぐに「あら?」。お嬢様は何かにお気づきのようでした。そのまま部屋に通され、大きな露天風呂などを一通り眺め、お部屋でお休みだったはずの花亜様がふいに見えなくなったのです。私どもは大慌てでした。

すると、どうでしょう。花亜様は玄関の掃除をなさっていたのです!
おつきになった時、玄関の掃除が行き届いていないことに気付かれたらしいのです。宿泊のお客様がすべておつきになったことを見計らって、バケツに雑巾を持って這いつくばって拭き掃除をされていました。

慌てたのは主と女将です。花亜様は私どもがと何度言ってもお聞きいれにはなりません。それだけではなかったのです。玄関の掃除が終わると、今度は外に出て、物干し台を動かし始めました。門から入った時、わずかですが、厨房の者たちが使う前かけなどを干しているのが見えたそうです。


総理大臣や皇室の方が遊びに来る??それはいったいどういう家でしょう?私の頭の中の想像図が、だんだんバッキンガム宮殿のようになっていきました。使用人が数名?そういう暮らしが日本にもあるんだぁ…。

「大旦那様はご気分がよいとリビングにおでましになり、お嬢様をお呼びになって、いろいろなお話しをなさるのが何よりのお楽しみのようでした。そのような席には父や私もお呼びになるので、いつも一緒にお話しを伺いました。

お嬢様は、海外でのお父上のご活躍の話をことのほかお喜びになりました。ソファーに横になりながらお話しされるお父上からお顔がよく見えるようにと、こう、ソファーの前の床にお座りになって、時折額をお胸のあたりに寄り添わせて笑っていらっしゃいました。

大旦那様はお疲れになると、私の父に続きを話すようご命じになります。父がわざと大旦那様の失敗談を面白おかしくお伝えすると、お嬢様はそれはもう大喜び。涙がこぼれるくらいお笑いになって、それを嬉しそうに眺める大旦那様のお顔を今も忘れることができません。

その頃、会社のほうは大奥様が一手に引き受けていらっしゃいました。とはいえ、ビジネスシステムが確立されておりますから、最終の難しい決断を迫られた時以外、大奥様の出番はなかったはずなのでございます。

けれど、経営の真髄を先代から叩きこまれていた大奥様には、入り婿の大旦那様のなさりようは、少し歯がゆかったのでしょう。ここぞとばかりに改革に着手されました。利益の上がらない系列会社を潰していかれたのです。

大奥様の強引ともいえるやり方で、グループの利益は爆発的に伸びました。けれど、悲鳴もあがったのです。そのひとつに、那須にある老舗旅館がございました。那須にはご別邸があるので、お嬢様もよくご存じの旅館でした。

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