Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2012年09月


それから暗くなるまで、私とかあさんは、やめてくださいませ〜と叫ぶ後藤さんといっしょに、あちらこちらの乗り物に乗り歩きました。パレードを見て、道を歩くミッキーさんと記念撮影もしました。ただただ楽しめばいい場所と時間が、あっという間に過ぎて行きました。

私たちは最後にギフトショップに寄って、買い物をすることにしました。かあさんは、おやじさんにと、くまのプーさんのぬいぐるみを選んでいました。いったい、おやじさんはどんな顔でこれを受け取るのでしょう。それから、いくつかの包みをつくってもらっていました。

私は、今日の記念にとあれこれ見たのですが、自分で自分に贈るものはなかなか決められませんでした。ふと思い立って、亡き融におみやげを買うことにしました。あの子には・・・目にとまったのは、ミッキーのネクタイピンでした。

似合うかどうかなど、どうでもいいのです。もしもあの子が生きていて、これを受け取ったら、どんな日に、どんなネクタイに合わせて使ってくれるかと、考えるだけで楽しかっただろうと思われました。「姉さん、僕はもう小学生じゃないんだからね!」なんて言ったかもしれません。

「後藤はいいの?」かあさんが尋ねました。
「はぁ。私は独身ですし、ご本宅の皆様は皆様ご立派にご成人なさっておられますし・・・。」
「え!?後藤さんって独身だったんですか!」私は失礼にも頓狂な声をあげてしまいました。

「はい。申し訳ありません。」
「いえ、いえいえいえ。失礼なことを言ってしまってごめんなさい!きっと、お仕事に夢中で、気付いたらチャンスを逃してしまっていたのでしょう。」

「なんと。弓子さんはお優しくていらっしゃいますね。そうではございません。私が冴えない男だと言うだけです。」
「そんなことありません。後藤さんは素敵な男性だと思います。」
他愛のない話をしている私と後藤さんを、かあさんはにこにこと見ていました。







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私とかあさんは、お互いの顔を見つめて、なんだか笑いあっていました。私は不幸な事故で弟を亡くし、かあさんは思いがけない病気でお母様を亡くそうとしています。笑顔は不謹慎かもしれません。けれど、私たちは笑顔を選ぶことにしたのです。

かあさんは、すっかりぬるくなったアイスティーの残りを飲み干しました。その姿からは、茶葉を育てた農夫や紅茶に仕立てた職人、水道を引いてくれた人やグラスを作ってくれた人、この紅茶を運んでくれたウエイトレスに至るまで、あらゆる人に感謝しているような、何か神々しいほどの明るさを感じるのでした。

「ねえ、弓子さん。私たち、大事なことを忘れているわ。ここはディズニーランドよ。私たちときたら話したり歩いたりするばかりでしたけど、今度は何か乗り物に乗ってみませんか?どんなものが人気なのかしら?」
「そうですね。でも、人気のものはひとつ乗るのに2時間くらい並ばないといけませんよ、きっと。」

その時でした。控えめな、聞き覚えのある声がしました。
「あの、お嬢様。」
「まあ、後藤ではありませんか。もしやと思っていましたけれど、やはり来ていたのですね。」

「申し訳ございません。何せお嬢様が初めてのディズニーランドでございますから、ぜひともお楽しみいただきたいと思いまして。乗り物にとおっしゃるのを待ち受けていたのでございます。

手の者をすでに並ばせておりますので、大してお待ちにならずとも、お望みのものにお乗りいただけます。ホーンテッドマンションはあと10分ほど、スプラッシュマウンテンが12分後、ここから一番近いビッグサンダーマウンテンは8分後…」

「かあさん、後藤さんがいらっしゃる限り、かあさんは『長い行列で待ちくたびれる』という感情の経験はできなさそうですね。」
「いいえ、弓子さん。今日はあなたが『長い行列を待たずに望みをかなえる快感』を味わう日にいたしましょう。さ、後藤。あなたも一緒に乗るのよ。その、一番近いのからでいいわ。参りましょう!」
 
「え!!!あの、お許しください。あ、おやめください。いえ、お伴が嫌なのではございません。わたくしは…高所恐怖症なのでございます〜。あ〜〜〜〜」 






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「私、昨夜、ふと気付いたことがあるんです。人間って、もしかしたら、ありとあらゆる感情を感じるために生きているのではないかって。私は小さいころから辛いとか苦しいとか、寂しいとか、切ないとか、そういう感情をこれでもかって味わってきました。

怖いとか、不安とか、痛いとか、もう嫌だとと思うくらいたくさん味わって、二度とこんな目に遭いたくないって、本気で思っています。なのに、似たようなことがたくさん起きるんです。ということは、私、何かこういう出来事から、気付かなくちゃならないことに気付いていないのかな?って、ずっと思っていました。気付かないから楽しみや嬉しさと縁がないのかなって。

でも、昨夜不意に、ポジティブでも、ネガティブでも、感じたらマル!って考えたらどうだろうって閃いたんです。蚊が飛んできて、イライラしたらマル!弟のことを思い出して悲しくなったらマル!両親を思い出して腹が立ったらマルマル!!って。そうしたら、心の底から笑いたくなっちゃって。今までの深刻な気持ちがウソみたいに軽くなったんです。」

「なるほど!その考え方、私も大好きになれそうよ。母のことでは怒ったり泣いたり、悩んだり自分を責めたり、本当にたくさんの感情を味わったわ。母はそのためにいたのだとしたら、好きにはなれないけど、感謝はできるわ。」

「本当にそうですね。好きじゃないっていうのも、感謝というのも感情ですものね。マル2つです!」
「何も感じない時が一番の危険信号、と思えば、無視することが人をどれだけ傷つけるかも理解できるわ。だって嫌ってさえもらえないって「あなたの存在価値はありません」という意味になりますものね。でも、どうしても受け入れがたい時には、逃げろ!って感覚もまたマルなわけね?」

「そうですね。逃げろ!っていうときの感覚、じんましんが体中に出て、痒くて痒くて居られないときに似ていますよね。避けなきゃならないもの…古いものとか、自分を傷つけるものとか場所とかが原因でじんましんが出るのも、意味があることかもしれませんね。」

「空気が合わないって、確かにありますものね。ああ、弓子さん、私、今、なんだかとてもすがすがしい気持ちよ。夫と出会ってからずっと幸せでしたけど、それとはまた違う、もっと深い長いものから解放されたようなすがすがしさ。これもマルね?」


「どういうことですか?」私はうまく理解できず、尋ねました。
「私自身がまだよく分かっていないのよ。ええっと、例えばね、しっかりとした家庭を持って、幸せに暮らしている娘がいるとするでしょう?そこに歳をとった自分が病を得て、身動きできなくなるとするわけ。

それまで娘とはとても幸せな関係が続いていたとして、『残りの人生はあなたと一緒に暮らしたい』『もちろん、どこまでもお世話します』ってことになったとしたらね、娘のしっかりとした幸せな暮らしというのはペースが乱れるわよね。そして、娘が築き上げたテリトリーに母は踏み込むことになるでしょう?

でも、『あなたのことは信用ならないわ!』と母が本心から言うような状態だったら、娘は腹を立てたりがっかりしたりして、母と距離をうまく取ろうとするでしょう?そうしたら、母は娘の幸せなテリトリーに踏み込んだりペースを乱したりしなくて済むじゃありませんか。

認知症って、実は子供思いの…周囲の人の尊厳を守るために、自分の尊厳を犠牲にするというか…そういう病気なのかもしれないと、ふと思ったの。拒絶は一見不幸だけど、相手の独立した幸せを守っているのかもしれません。」
「ああ、そうですね。そうかもしれません。納得しました。」

私は心の底からかあさんの気付いたことに感動していました。どのような病気も怪我も、災いなんかではなくて、何かを知らせていたり、大切な役割を担っているのかもしれません。私たち現代人がそれと気付かず、体が教えてくれることに気付く前に薬や機械で症状だけ消そうとしているのかもしれません。

「かあさん、だとしたら、おばあちゃんも…。」
「ええ、そうね。そうだわ。母ももしかしたら、私をあの家から心おきなく自由になるための役割を担ってくれていたのかもしれないわ。今回もそう。最後まで分かり合えないとはっきりさせて、私に後悔させないように…」

「考えて、わざとそんな役を演じていらっしゃるわけではないと思いますけど。」
「それはそうね。でも、神様から与えられた役割を、懸命に生きている姿があれなのかもしれないわ。すべては、必要なものなのね。」 







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「母が私に心から詫びるようなことがあったら…それも、私が謝ってほしいと言ったからではなく、母から進んで悔いるような言葉を聞いていたら…弓子さん、あなたならきっと分かってくださると思うけど、私はきっと、嬉しい以上に苦しんだと思うわ。」

「そうですよね、分かります。きっと、反発するほうが簡単で分かりやすいです。反発した過去を消せない状態で、これから選択するものが2つ出てきて、どちらも捨てがたいとなったら、きっと戸惑うし、苦しいです。両立させるにも、周囲の方の理解を求めなくてはならないし。」

「その通り。今回母がやってきて、以前の母とは全く違っていて、私の助けを必要としている弱くて頼りない母になっていたら、私はきっととても戸惑って、悩んだと思います。今の生活を変えてでも、母を支えなければならないと、きっと考えたわ。」

「かあさんはお優しいから、きっとそうでしたよね。おやじさんも優しい方だから、かあさんがそうお決めになったら、反対はなさらないし、応援もしてくださるでしょう。そうしたら、カピバラ食堂で二人仲良く働く時間は途切れていたかもしれませんね。」

「ああ、本当にそうだわ。ねえ、弓子さん、私ね、ふと思いついてしまったわ。」
「何でしょう?」
「あのね、年齢を重ねた末に、認知症になって、自分の子どもや伴侶のことすら判別できなくなってしまう人がいるというでしょう?」

「はい。あれって、自分がいつかそうなったらと思っても、自分の家族がそうなったらと思っても、辛いです。」
「辛いけど、『他人のくせに、なぜここに来る?』とか『あなたはどなた様でしたかね?』とか、『お前など信用ならん!』なんて言われたら、いっそ諦めがつかないかしら?

これは専門家の力を借りよう、自分だけで抱え込むのは無理だ、って。ひいては、今の自分の生活は守りつつ、できることだけで向き合って行こうという気にならないかしら。思い切り拒絶されればされるほど、そちらにではなく、今の自分を大切にしたくならないかしら? 







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「どういうこと?」かあさんの目が真剣さに冴えています。
「私の両親はどうしようもなく思いやりや愛情に欠ける言動をする人たちですが、それは私の基準から見た時の話で、両親にしてみれば、己に正直に、己にできることを精一杯していたにすぎないのではないかと思うのです。

両親にとっては、精一杯の愛情を示したつもりでも、私にはそれを受け取る受け皿がなかったような気がするの。だって、長い子ども時代、楽しいことも嬉しいこともきっとあったはずなのに、何も思い出せない。けど、さっき話したような辛いことは、昨日の出来事のように覚えているのですもの。

それは、親の育て方もあるけど、私の性質というか気質というか、そういうものとも関係があるように思えてきたのです。」
「なるほど、おっしゃる意味が少し分かったかもしれないわ。私が父を信じて母のやり方を受け入れなかったのは、私の気質のせいということね?」

「すべてがそうだというわけではないんですが…。そういうことってないでしょうか。だって、御家柄からいえば、おばあちゃんのほうを信じて、お父様を批判的に見ていたって全然不思議はないというか、かえって自然じゃありませんか?でも、かあさんはそうしなかった。そうして家をお出になったのでしょう?」

「後藤からお聞きになったのでしたね。そうです。私は父の愛を信じて、自分の思うところを信じて、母のいいなりになるのは嫌だという気持ちを大切にしました。」
「そうして、おやじさんに出会って、かあさんは幸せを掴まれたのですよね?」

「ええ。家柄も財産もなくなりましたけれど、それより嬉しく、大切なものを手に入れましたわ。私が信じた幸福がそのまま現実になりました。」
「もしも、おばあちゃんが、かあさんが家を出てしまったときとか、その何年か後とかに、『あの時は悪かった、どうか家に帰ってほしい』と懇願していたら、かあさんはどうされたかしら?」

「そんなこと考えたこともないけれど…。」
「それまでのやり方や話したことを反省して、許してほしいと謝って、どうか家に戻って、家業を手伝ってほしいと言われていたら?」







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私が思わずつぶやいた独り言に、かあさんはしばらく考え込む様子でした。テーブルのアイスティーはグラスに水滴がついて、氷はすでになくなっています。私はいつの間にか炭酸を飲みほしていました。

「確かに、そうだったのかもしれないわ。私が生まれた時にはおじい様もおばあ様も亡くなっていたから、どんな方だったのかよくわからないの。でも、想像はできるわ。きっと私が母から言われたようなことを、いい聞かされたのだと思うから。弓子さんは母の名前をご存じだったかしら?」

「あ、いいえ。」
「母は『花』というの。私の花亜という名前は母がつけたそうよ。」
「ちょっと不思議な、あまり聞かないお名前ですよね。」

「ええ。弓子さん、『亜』という文字の意味をご存じ?」
「意味といわれると…。」
「『亜』という文字はね、第二のとか次のとかいう意味なの。それも、表立たずに下で支えるようなセカンドという意味合いね。」

「あの、『亜』という文字は『悪』にもついていますよね…。ごめんなさい、変なことを言って。」
「いいえ、その通りよ。上というか表面がつかえていて次の地位にいるようなところから、『つかえる』という意味が出てきたらしいの。きっと『悪』というのは、胸がつかえて嫌な気持ちになることを表しているのね。」

「そうなんですか!では、おばあちゃんはかあさんに、自分を下で支えて、いずれは自分を継ぐ者になってほしいという願いをこめて『花亜』というお名前にされたのかしら?」

「きっとそうなのでしょう。でも、実際は自分を継ぐのではなく、差し支えになって嫌な気持ちになる娘になってしまったみたい。名は体を表すとは本当のことね。」
「でも、かあさん。自分が生きづらいと思うとき、その生きづらさを継いでほしいと思う親っているのかしら?」


「聞きたいわ。弓子さんはどんな体験をしたの?」
かあさんが尋ねてくれたので、私は誰にも話したことがない、ある記憶について話してみることにしました。

「小学生の時のことです。まだ融が生まれたばかりでした。夏休みだったような気がします。私はそのころラジオを聴くことを覚えました。土曜日の夜、深夜まで好きな歌手の話や歌を聞いていました。もちろん、両親は夜更かしなど許してくれませんから、布団にもぐって小さな音でこっそり聞いていたのです。

何曲か、歌を覚えました。大好きで大好きで、何度も歌っていたいくらい好きになりました。それを、日曜日だったのでしょうか、青空で気持ちの良い朝、私は大きな声で歌っていたのです。とっても気分がよかったことを覚えています。けど、父に怒鳴られたんです。「うるさい!少しは人の迷惑も考えろ!」って。

私、とっさに声が出なくなってしまいました。だって…言い返す言葉もなかったんです。普段から大きな声で歌うなんてしたことがなかったから、とんでもない間違いをしたと後悔しました。それ以上に、私の気持ちいいって人にとって迷惑なんだなって思ったことが忘れられないんです。

出来事は、話してしまえばたったそれだけの、幼い記憶です。でも、その時受けた印象は強烈で、私はそれ以来、家の中で楽しい気持ちを表現しないようになりました。でも、表現しないだけでは不安で、楽しい気持ちを味わわないようにしていたと思うのです。とてもとても、とってもがっかりしたの、かあさん!」

「辛かったでしょう。さみしかったですね、弓子さん。」
かあさんに言われて、私は落とさないように気をつけていた涙を、ポロポロとこぼしてしまいました。本当は、あの時、父に怒鳴られたあの時、こんなふうに泣きたかったんだよね、私。

「おばあちゃんも、本当は私みたいに寂しくて辛かったのかしら。本当は甘えたり間違えたり、楽しんだりしたかったのに、そんなのダメって自分で決めてしまったのかしら?自分は本当は誰からも好かれないって思って、意地を張って。そしたら意地っ張りをやめられなくなってしまったのかもしれませんね。」


先日主人に、母が何かを恐れていると言われるまで、私は母があんなふうな性格なのは持って生まれた性質で、母が好んでそうしているものとばかり思っていたの。だけど、よくよく考えてみたら、少し違うのかもしれないと気付いたの。」

「それ、どういうことですか?私もおやじさんの質問は意外だったのです。おばあちゃんが何かを恐れているなんて、少しも感じなかったから。」
かあさんと話していると、どうして自分はこんなに素直になれるのかと思いながら尋ねました。

「ええ、私も同じよ。でも、あのハトの話を思い出したら、何か分かったような気がしたの。母はあの時、ハトの話をしているようで、実は自分自身について語っていたのではないかしら。母の財力、立場、そういうものを人は慕っているのであって、人間としての母を愛しているわけではないと、母はそう思っていたのではないかしら?」

「もしもそうだとしたら、それってすごく寂しいですね。」
「そうね。私には父がいて、私の何もかもを手放しに愛してくれたわ。私がなにをしてもしなくても愛してくれた。特別に確認しなくても、私は自分が愛されていることを最初から疑わなかったわ。

でも、母は違ったのかもしれない。子どもの頃の母のこと、実はあまりよく知らないの。とても成績の良い、優秀な人だったとは聞いたけど、性格とかお友達のこととか、よく知らない。そういえば、私、母のお友達って知らないわ。お仕事のつながりがあるから、人はよく訪ねてきたけど、お友達っていたのかしら?

母は、きっと誰も信用していなかったのね。母が財産を失ったら、立場を失ったら、経営の才能を持っていなかったら、誰からも大事にされないと思うような育ち方をしたのかもしれないわ。だから、人から切り捨てられる前に、自分から切り捨てる。仲良くなって裏切られるくらいなら、最初から仲良くならないほうがいいと思ったのかもしれないわ。きっと父のことも、信頼できなかったのだと思うわ。」

「なんだか、わかります。私にもそういうところがありますもの。」
私は、私の子どもの頃の出来事を、どうしてもかあさんに聞いてほしくなりました。
「私の子どもの頃のこと、聞いてくださいますか?」


また少し歩いて、私たちはかわいらしいたたずまいのレストランに入りました。喉が渇いていました。こんなに炭酸を飲みたいと思ったのは久しぶりでした。かあさんはアイスレモンティーを注文しています。ただ歩くだけでも、ここは広すぎます。

「あれは何歳の出来事なのか、両親についての最初のほうの記憶で、私は既に母を大好きだとは言えなくなっていたのだと思うのです。庭にね、ハトがたくさん遊びに来ていたの。餌をまいてあげると、みんなツンツンとかわいらしく食べていてね。」

不意にかあさんが話し始めました。私は黙って聞くことにしました。
「父が教えてくれたの。花亜、ハトはね、餌をあげてそっと動かないで見ていると、餌がなくなっても花亜の傍にいるよ。花亜が無理に捕まえようと脅かしたり怖がったりしなければ、ずっと傍にいるって。本当だったわ。私、ハトと仲良しになれたの。

でも、母は違っていた。ハトは餌をやるから寄ってくるのよ。だから引き付けたい時は餌をやればいいし、ずうずうしくもっともっとと寄ってきたら追い払ってやればいい。でも、ハトは餌がほしいから、何度追い払っても寄ってくるのよって、ハトを追いたてるの。私、それを見て、母の考え方をとても憎んだわ。

母にそれは違うと思うと言うと、いつもやり込められた。お前はハトと仲良くなった気になっているかもしれないけど、それは勘違いというもの、ハトはお前が好きなわけではなく、お前が持っている餌が好きだから寄ってくるだけだって。悲しかったわ。

父といると、私は心から穏やかになれたわ。父は『受け入れる人』だった。よいことばかりでなく、厳しいことも辛いことも、悲しいこともたくさんあったでしょうに、それを受け入れ続けた人だと思うのです。だから、母の在りようもきっと受け入れたのでしょう。

母は『拒む人』だったわ。自分の思い通りにならない人や物事を全て拒んで切り捨てて生きているように見えていたの。私は母といると落ち着かなくなった。いつ自分が切り捨てられるかわからない恐ろしさに、こころがざわめいて、穏やかではいられないの。 







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