Win-Win〜あなたも幸せ。私も幸せ。〜

今ここで生きていることを楽しむためのブログ

2007年09月

愛ってなんだろうね? 4

 おはようございます。Hikariです。

 

 マンデリンが届きました

 

 この馥郁たる香り!濃厚な味わい!!

 

 わが県が誇る有名な滝の名水でいれたコーヒーを脇に、今日の記事を書きましょう。

 

 アルケミストさん、温かなお心遣い、ありがとうございました!!次の機会がありましたらマンデリンにガネーシャを添えて・・・へへへ夢のよう

 

 

 

 さて。

 

 最近つくづく、人を形に例えるなら、球体だなぁと思うのです。

 

 ボールみたいな。地球みたいな。

 

 例えば、あなたと私が向かい合うでしょう?

 

 そうすると、ボールとボールが並んでいるような、月と地球のような感じになると思うのです。

 

 そのまま見ているなら、私には、あなたの球体の半分しか見えませんよね。

 

 あなたからも、私の半分しか見えません。

 

 ここで、お互いが自転してみたらどうでしょう?

 

 少し時間がかかりますが、私にはいずれ、あなたのぐるりが見え、あなたにもいずれ、私のぐるりが見えるでしょう。

 

 でも、横方向に一定に自転していたのでは、北極と南極の方といったらいいのかな?はじっこはまだよく見えませんよね。

 

 そこで、規則正しい自転ではなくて、縦横無尽にぐるぐるしてもらったらどうでしょう?

 

 これで、私にはあなたの全貌がまるごと見えます。まるごと理解できます。

 

 あなたにも、私の全貌が見え、まるごと理解できるでしょう?

 

 海も山もあるでしょう。砂漠もきっとあるよね。

 

 それもこれもひっくるめて、まるごと「そうなんだな」と受け入れるのが愛だと、昨日話しましたよね。

 

 それならばつまり、愛というのは、相手に縦横無尽に回転することを許すことになりませんか?

 

 相手のよいところ(自分にとって都合のよいところ、自分が好きになれるところ)だけを見せていてほしいと思うのは、地球に「自転しないでください!」と言っているようなものです。

 

 つまり、不自然なんだね。

 

 そうして、相手に本当に自分を愛してほしければ、自分もまた、縦横無尽に自転しなくては。

 

 相手に気に入ってもらえそうな面ばかりを向けていようとするのは、相手に愛するチャンスを与えないことであり、自分にとっても不自然なことなんだね。

 

 だから、「カッコつけた気取ったお付き合い」は、いずれ破綻するんだな。

 

 

 

 

 ここまでわかったら。

 

 私の前に現れる人には、安心して、縦横無尽に自転してほしいなぁと思うのです。

 

 自分の球体のこっち側を見せたら嫌われるんじゃないか?と不安に思う人がいたなら、たくさんのエネルギーをプレゼントして、そんな不安を振り払って自転できるようにしてあげられるような人になりたいなぁと思うのです。

 

 そのためにはまず、私自身が、縦横無尽に自転してなくちゃね。

 

 私は、そんなところに、愛の本質を観ています。

 

←今日もあなたの幸せをいのっています

愛ってなんだろうね? 3

 おはようございます。Hikariです。

 

 とうとう今朝の気温は20℃をきったようです。

 

 ウレシイ

 

 Hikariは涼しくなると息を吹き返します。昨日みたいに、30℃なんてもうムリですよぉ。

 

 気持ちがね、昨日はもう、スレスレの低空飛行になってしまいました。

 

 元気なカラダに心がついていかない感じです。この話はいずれまたすることにしましょう。

 

 

 

 

 今朝のこと。

 

 意識は目が覚めたのだけど、カラダがまだ起きていないような時間。

 

 こんなフレーズが頭の中に響きました。

 

 

 

 あなたが、この星のどこかで、いまも息をしているという、ただそれだけで、私はたまらなく幸せです。

 

 

 

 どこかの本で読んだのでしょうか?

 

 ぜんぜん記憶がないのですが。少なくとも、最近読んだものではないですね。

 

 

 

 相手のよいところしか見えなくて、自分のよいところだけを見せたくて。

 

 相手のよいところを見つけてあげたくて、自分の悪いところをなくしてしまいたくて。

 

 そんな時があるよね。

 

 恋の始まりは、特にそう。

 

 だけど、それは、まるごとの「相手」ではないし、まるごとの「私」でもない。

 

 相手の片側だけを見ているのと同じ。

 

 時間がたって、少し冷静になれると、見えてくるものがあるでしょう。

 

 この人って、こんな人だったんだ!私って、こんなところがあったんだ!って。

 

 それもひっくるめて、その人であり、私なんだよね。

 

 まるごとのその人・まるごとの自分を、好きとか嫌いとか、判断するのではなく、それでいいとか悪いとか判断するのでもなく、ただただ、そうなんだなぁと受け入れる。

 

 それが「愛」の状態なんじゃないかと、このごろ思うのです。

 

 受け入れることと判断することは、別物です。

 

 好きにならなくたっていいんです。いいと思わなくても。

 

 「私はまるごとの私が好きです!」って言える人はすごいと思う。

 

 私は言えないな。好きじゃない部分もたくさんあるもの。

 

 だけど、好きじゃない部分から目を逸らさなくなってみて、そうか、私にはこういう部分もあるのね、と受け入れるようになってみて、初めて見えてきたものがあるわけです。

 

 好きじゃない部分は、好きじゃない部分として受け入れる。

 

 人のことも同じように、好きじゃない部分も好きな部分と同じように受け入れる。この人はそれもこれも合わせてこの人なんだなぁと笑顔で思ってみる。

 

 その時の「思い」が、愛なんじゃないかなぁと思います。

 

 もしそうだとしたら、愛って、あの人だから、この人だからと限定して感じるものではなくて、どこまでも、全ての人に広がっていけるものだということになりませんか?

 

←今日もあなたの幸せをいのっています

愛ってなんだろうね? 2

 おはようございます。Hikariです。

 

 検査の結果を聞いてきました。

 

 貧血状態は、すっかり解消していました。

 

 当たり前です。だって、強制的に、信じられない勢いで鉄剤を注射しつづけたわけですから、数値は回復しますって。

 

 あとは今後3ヶ月くらい、注射も薬も飲まないで、また貧血にもどるのやら、戻らずにキープできるのやらを観察するそうです。

 

 ということで、運動もしていいことになりました!

 

 長いこと、応援をいただいて、ありがとうございました。体力の回復にはもう少しリハビリや計画的な運動が必要そうですが、ますます元気になりたいと思います。

 

 

 

 さて。

 

 引っ越しが決まった小さな小さな女の子。

 

 昨日の朝、前日とは比べ物にならないくらいの

 

 明るい笑顔で登場しました。

 

 昨日は、元のおうちを出て、新しいおうちに帰ります。

 

 一晩で、吹っ切ってきたのでしょう。

 

 あちらの友だち、こちらの友だちに声をかけ、

 

 握手の手を差し出し、

 

 たくさん叱られたお姉さんに抱きついて、お別れをしていました。

 

 

 

 あの子の笑顔で救われたね。

 

 しょげたままのお別れだったら、見送るほうも辛かった。

 

 そんな声がたくさん聞かれました。

 

 

 

 彼女は小さいけれど、何度も引っ越しを経験していて、

 

 つまり、仲良くなった誰ともサヨナラしながら成長してきました。

 

 だから、きっと、知っているのでしょう。

 

 涙のままサヨナラを言うと、相手もとっても辛いことを。

 

 だから、吹っ切って来たのでしょう。

 

 

 

 

 時として、人は自分の思いの中に沈みこんでしまいます。

 

 その感情が強ければ強いほど、人のことなどかまっていられない。

 

 だけど、と気づくことができる力。

 

 そんな時でも、「場」の雰囲気に対する影響力を顧みることができる力。

 

 自分のために胸を痛める人を減らそうとする力。

 

 減らせるならば笑顔になれる力。

 

 これが愛だね。

 

 

 

 小さな小さな女の子の満面の笑顔に、

 

 教えられました。

 

 愛は本能なのか、と思うほど、強く。

 

 

 

 

 だけど、私はやっぱりさみしくて、

 

 どんな理由でも、誰かがいなくなるって、すごくさみしくて、

 

 やるせなくて。

 

 そう言った私の肩をたたいて、小さな男の子が言いました。

 

 「友だちは、また作ればいいじゃないか。落ち込むなよ。」

 

 

 

 

 子ども達の中には、どれほどの愛が溢れているんだろう。

 

 この愛に見合う自分でありたいと、

 

 また切実に思うのです。

 

 ←あなたの幸せをいのっています

愛ってなんだろうね? 1

 おはようございます。Hikariです。

 

 昨日のできごと。

 

 小さな女の子が、膝を抱えて床に座り込んでいました。

 

 小さなからだを、なおさら小さく丸めて。

 

 彼女がこの街に来たときに、最初に友達になったのが私です。

 

 彼女は、明日、この街を出ていきます。

 

 彼女の都合ではありません。

 

 でも、確実に、彼女はこの街を去らなくてはなりません。

 

 

 

 彼女のお父さんとお母さんは、彼女に寂しい思いをさせないために、彼女には引越しの話をなかなかしなかったし、周囲の人にもお別れを言ったりしないよう、口止めをしていました。

 

 でも、彼女は、すべてわかっていました。

 

 何も言わず、膝を抱えている彼女の隣に並んで座ってみました。

 

 しばらくそうしていたら、急に彼女がよりかかってきました。

 

 小さな小さな女の子。

 

 私の大きな体のなかに、すっぽりとおさまってしまいます。

 

 今度は、抱きついてきました。

 

 抱きしめ返してあげると、彼女の中にある、圧倒的な感情がダイレクトに伝わってきました。

 

 私の目から、涙がポロポロこぼれて、止まらなくなりました。

 

 確かに、私も寂しいし、悲しいんです。だから、彼女の寂しさに共感したのかもしれません。

 

 でも、私の感情がいくら冷静さを取り戻しても、涙は全然止まりません。

 

 周囲を人がたくさん歩いており、できればその人たちに涙は見せたくありませんでした。

 

 お化粧がはげるのもかまわず、どんどん拭くのですが、ぬぐってもぬぐっても、とめどなく涙がこぼれてきます。

 

 鼻水も、声も出ないのに、涙だけ。

 

 ああ、彼女が泣いているんだ。うまく泣けない彼女が、自分の代わりに私を使ってくれているんだ。そんな気がしました。

 

 

 

 カラダは、鍛えるとセンサーになります。

 

 緊張している人の隣にいくと皮膚がピリピリしたり、怒りや混乱を抱えてくすぶっている人のとなりにいると、グワッとおなかが痛くなったりします。

 

 それを繰り返していると、相手が言葉を発しなくても、目を見合わせなくても、相手の状態を察することが(決め付けてはいけないけれど)できるようになります。

 

 この仕事には、欠かせない技だと思っています。

 

 言葉にならない思いに少しでも近づくことができるなら。それが余計なお世話でない時には、寄り添っていたいと思うのです。

 

 

 

 私を借りて涙を流して、彼女は少し元気になりました。

 

 立ち上がって、別の場所に行きました。

 

 でも、行った先では、誰も彼女の寂しさに気づかなかったようです。事情はすべてわかっているはずなのに・・・。

 

 「お別れするのが辛いの」という言葉が言えないかわりに、彼女はおなかを押さえて見せて、ひとこと「痛い」と言ったそうです。

 

 周囲の人々は、それを言葉どおりに受け止めて、彼女を医務室に連れて行ったとか。

 

 ひとりベッドに寝かされて、彼女はどんな思いだったろう。

 

 

 

 さようならは、あまりに寂しくて、

 うまく言葉にならないよね。

 甘ったれといわれるかもしれないけど、

 甘やかすなといわれるかもしれないけど、

 まるごと抱きしめてほしいときってあるよね。

 男にだって、女にだって、大人にだってあるよね。

 そんな人が、駆けていって飛び込む胸でありたいと、

 キュッと抱きしめる腕でありたいと、

 そういう人として生きていたいと、

 思うのです。

 

 

 ←あなたの幸せをいのっています

ほんとはカッコ悪かった!

 おはようございます。Hikariです。

 

 暑さ寒さも彼岸までじゃなかったんですか?という暑さに、ちょっと疲れてしまった昨日。家に帰ると体が重たくて、もう何もしたくなくて。

 

 本当は、まだ貧血がよくなっていないのかも・・・なんて、弱気になってしまうから、あんなふうには疲れたくないんです、まだ。

 

 検査の結果は明日わかるそうです。

 

 

 

 さて。

 

 自分の良いも悪いも美も醜も、すべてひっくるめて、あるがままに見、あるがままに受け止められるようになることが、次なるステージに立つには必須の条件。

 

 昨日、こんなことを書きましたよね。

 

 それってどういうことでしょう?

 

 22日の記事「病み上がりの儀式 」で『聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)』のことを書いてから、この本がとても気になって、24日の夜から改めて読み直しています。

 

 すると、上の青い字に相当するようなことが書かれているので、ちょっと驚きました。もう何度も読み直している本なのに、こうして時間をおいて読み直すたびに、その時々の自分にピッタリな内容を発見して、驚かされる本です。

 

 意味のある偶然の一致。シンクロニシティ。つまりこれは、とっても大事な符合。

 

 

 

 自分のマインドの中で生きているのは、普通のことですね。

 

 悩みがあり、迷いがあり。

 

 自己嫌悪があったり、嫉妬や羨望があったり。

 

 そういう思いに右往左往するのも、普通ですよね。

 

 悩み迷う自分に嫌気がさしたり、自己嫌悪に陥る自分に自己嫌悪を感じたり、嫉妬や羨望の思いはなくさなければと思ったり。

 

 そうこうしているうちに、自分が何を右往左往しているのか、わけがわからなくなってしまいます。

 

 自分を見失った状態です。

 

 

 

 そこで、「自分のマインドを観察する自分」になってみます。

 

 ああ、今嫉妬している。

 

 ああ、こんなにも疎外感を感じているくせに、「仲間に入れて」の一言が言えないのね。

 

 ああ、こんなにも関心を持っている。ほとんど執着ね。

 

 そうして、嫉妬も疎外感も執着も、全部わたしなのね。

 

 

 

 こんなふうに、自分を観察して、見えたものをそのまままるごと受け止める。善悪や可否の判断をするのではなく、ただ、受け止める。

 

 愛、です。

 

 そうしてみる自分は、以前認識していた自分よりも、すごくカッコ悪い。

 

 そっか、逆だね。

 

 以前認識していた自分は、実際の自分よりもカッコよすぎたんだ。

 

 なんとも、ずうずうしかったなぁ!!

 

 

 

 カッコ悪い自分を、どんなふうに成長させたいかな?と、思ってみる。

 

 ここでまた、「あ、そうか!」

 

 これでやっと、スタートラインに立てたんだね。

 想像上のでない、本物の、成長へのスタートライン。 

 

 

 

 最近、敬愛する師匠に教わった、大事な大事な気付きです。

 

←ずいぶん元気になってきました!

マインドに支配されないマインド

 おはようございます。Hikariです。

 

 もう8時すぎ。今日は14回目の鉄剤注射を打って、回復度を測る血液検査を受けてから出勤します。

 

 一番ボロボロだった時期に比べると、格段に疲れにくくなりました。

 

 それから、からだのどこかがかゆいのも、すっかり止まりました。

 

 そうして、数年前のキレがよかった頭が、少しずつ戻ってきているような気がします。

 

 アタマのキレがいいというのは、記憶力がいいとか判断が早いとか、そういうことではないんです。

 

 私にとってのキレのよさ・・・それは、「これはもうこれ以上考えない!」と決めたときに、考えないでいられることです。「これはもう少し突き詰めないと」と思ったときに投げ出さないで考え続けられることです。

 

 つまり、マインドに支配されないマインド、というのでしょうか?

 

 それが、ここ数年、どんどんできなくなってきていたことに、最近気付きました。

 

 自分を客観的に観てみなさい、と言いますよね。

 

 でも、「自分の立場から自分を観る」ことをいくらしたって、自己弁護しか出てきません。

 

 もちろん、それが必要な時もあるでしょう。

 

 けれども、一定の時期を過ぎると、自己弁護は成長を止める要因になってしまいます。

 

 自分の良いも悪いも美も醜も、すべてひっくるめて、あるがままに見、あるがままに受け止められるようになることが、次なるステージに立つには、必須の条件のように感じています。

 

 なんてね。

 

 秋分の日を過ぎました。

 

 今日はこれからまた暑くなるそうですが、町のはずれではススキの穂が揺れ始め、葛の花が咲いて、きっと日ごとに秋の色を深めていきます。

 

 秋は、とっても好きな季節です。

 

←ずいぶん元気になってきました!

掃除とエネルギーと自家発電

 おはようございます。Hikariです。

 

 今日は振り替え休日。病院がお休みなので、あわよくば、電車にゆられて風光明媚な観光地にでも行ってみようかと目論んでおりました。

 

 午前5時半にスキッと目が覚めるあたり、いかに期待していたかというものですが、空を見上げればどんよりと低くて重そうな灰色雲。これではいかに風光明媚でも、きっと冴えないことでしょう。

 

 まるで昨日のドクターの説明みたいに・・・・

 

 結果としては、「待つ」ということなんです。でも、前回までの診察で、何度も何度も話し合って結論を出していたはずのことが、ドクターにはまったく認識されておらず、愕然としました。なんのためのカルテなの?

 

 でも、よく考えれば、カラダを治すのは私で、ドクターはそのお手伝いをしてくださるだけ。主役は私のほうです。私が理解して、ドクターにその都度サポートをお願いすればいいことですね。

 

 小さなことで、いちいち躓くのはもう、おしまいにしようっと

 

 

 

 

 さて。

 

 土日で、家の中の大掃除がだいぶ進みました。書斎に布団を敷いて寝ていたのを引き払って寝室に戻るにあたって、洗える寝具は全部洗濯してお日さまに当ててみました。天井の隅から照明器具まではたきをかけ、丁寧に掃除機をかけて、埃にサヨウナラ。

 

 引っ越したときからいずれと思いつつ、ずっとほったらかしになっていたLANケーブルの配線もしなおしました。壁と同じ色の高性能ケーブルを購入し、差し替えてみたら、なんだかネットが速くなった気がします。

 

 この夏、一度も袖を通さなかった服を箪笥から出して、またタイの難民キャンプに寄付するつもりです。段ボール箱ひとつにまとめ終わりました。

 

 テーブルの上に出しっぱなしになっていたダイレクトメールを処分し、いらなくなった段ボールを縛り、空き瓶やペットボトルも回収場所に運びました。

 

 家の中の空気が、少しずつ、少しずつ、軽くなっていくのがわかります。

 

 だんだんと、音がよく響くようになっていくのもわかります。

 

 

 

 元気が出てきたから、掃除が進むのではありませんね。

 

 掃除が進むから、元気が引き出されるんですね。

 

 エネルギーが余っているから、掃除に力が入るのではありませんね。

 

 掃除をするから、エネルギーが湧いてくるんですね。

 

 まるで、自家発電みたいに!!

 

 いらなくなったものは、勇気を出して手放してみましょう。

 服も、物も、マインドも、人間関係も。

 

←ずいぶん元気になってきました!

B級品

 こんにちは。Hikariです。

 

 昨日は、一週間ぶりに病院へ行ってきました。

 

 夏休みだった病院に、つめかける患者さんは多いだろうと思って夕方になってから行ったのですが、それでも充分混雑していて、お医者さんって本当に大変だなぁと思いました。

 

 今日はなにやらドクターからお話しがあるそうです。なんだかいい話でないのはわかっているのだけど・・・しかたないから、よく聞いてきます。

 

 

 

 さて。

 

 ガネーシャの話が途切れてしまっていたんです。

 

 我が家に、インドの神様「ガネーシャ」さんがやってきたことは、先日書いたとおりです。今日はずいっと近づいて撮影してみましょうか。

 

 ずいっ。

 

ganesya5

 

 ・・・いいんですけど、なんて上目遣いなんだろう??

 

 この極彩色のガネーシャゾウ・・・でなかったガネーシャ像は、ウチから歩いて数分のところにあるショッピングモールにいました。インドグッズ専門店があるんです。

 

 「カラフルガネーシャS」とシールが貼ってあるこれは、高さ約15センチ。1500円です。

 

 これが2体ありました。

 

 その後に、「カラフルガネーシャL」が1体。こちらはずっしりと大きくて5400円でした。

 

 色といい、目つきといい、断然「カラフルガネーシャL」がよかったんです。

 

 でも。でもですよ。

 

 ある日突然、恋に落ちたとはいえ、そういう出会いをした場合、案外簡単に冷めてしまうというのも、ありがちな話です。

 

 こんなに通院がかさんでいる折から、ゆきずりの恋に5400円も出費してよいものか?

 

 良識派のワタクシは、真剣に考えました。

 

 茶箪笥の上に「カラL(ちょっと略してみた)」を置いた図をイメージしてみます。

 

 なかなかグッドでナイスではないか。しかし・・・

 

 邪魔になったときの邪魔さ加減はどうしようもないぞ。しかも一応神様らしいから、粗末にはできないしなぁ。

 

 しかたない。「カラS」で我慢しよう。

 

 そこで今度は、「カラS」二つを見比べます。

 

 これは、一目瞭然、左のがいい!右のは、目が、左右別の方向を向いています。

 

 じゃ、左で。

 

 ん?

 

 何かこう、違和感があるんです。

 

 みつめていて気付きました。

 

 上の写真をご覧ください。天蓋の上に、ポチッと突起がついていますよね。

 

 私が気に入ったほうのカラSは、この突起がとれてしまっていて、ないんです。

 

 差し込んであったらしい穴があいています。棚の周りを見ましたが、どこにも落ちている様子はありませんでした。

 

 どうしよう。これ、不良品ってことよね。

 

 迷いながらこの上目遣いを見ているうちに、言われた気がしちゃったんです。

 

 「あんたが来るのを待ってたんやでぇ。あんたみたいな人しか買ってくれへんもん。頼む、連れて帰ったってや!」

 

 ・・・そうだよね。天蓋の突起がないくらい、まぁいいか、なんて人は、そんなにいないよね。

 

 しょーがない。ホレたガネーシャに頼まれちゃ、イヤとは言えない。

 

 突起のないカラSをぐいっと握りしめ、レジへ。

 

 「あのぉ、気にするわけじゃないんですが、ここの突起、なくなってますね。どこかに落ちてませんか?」

 

 念のために聞いてみました。

 

 「あ、ほんとだ。ないですね〜」と店員さん。

 

 「待っててください。確かこれ、もう一つありましたよね。」と、右側のカラSを持って戻ってきました。

 

 「こっちはついてますね。こっちはダメですか?ああ、表情がお気に召さない。じゃ、こうしましょう!」

 

 笑顔の店員さんが、いきなり、右カラSの突起を引っ張り始めたんです。

 

 ぐりぐり、ぽん。

 

 抜けちゃいましたよ。

 

 いつの間にか、使い慣れたふうの木工用ボンドが店員さんの手に。

 

 「これ、つけちゃいましょう。ボンドが乾けば、最初からついていたみたいに見えますから、大丈夫ですよ!!」

 

 「あ、あの〜いいんですか?そんなことして。」

 

 「いいんです、いいんです。それでも、これ、B級品ってことで、1割引にさせていただきます!」

 

 「あ、重ね重ね、ありがとうございます。。。。」

 

 「どういたしまして。またいらしてくださいね

 

 親切な店員さんに見送られて、生乾きのボンドをものともせず、厳重に包装された「カラフルガネーシャS(B級品)」が、私のものになったのでした。

 

 

ganesya6

 

 私のガネーシャ。あなたがB級なところまでひっくるめて、とってもスキよ

 

←ありがとう!だいぶ元気になってきました! 

病み上がりの儀式

 おはようございます。Hikariです。

 

 今日は昨日よりも蒸し暑いです。

 

 雲ひとつない真っ青な空を期待して、8時半ごろ起きたのですが、空はどんより、空気はしっとり。あれまぁ、富士山の方角は、山並みのかけらも見えません。

 

 くまさんは、1泊で帰ってくるよと心にもないことを言いながら、まだ暗いうちに山登りへ出発しました。

 

 

 

 

 さて。

 

 昨日の朝のことでした。

 

 グランドの真ん中のような場所を想像してください。周りには何もありません。

 

 そんな場所に立っていて、ふと、キンモクセイが香ったような気がしました。

 

 いくらなんでも、まだキンモクセイが咲く季節ではありません。

 

 最近、キンモクセイの香水をかいで、鼻が記憶したということもありません。

 

 キンモクセイの記憶を呼び覚ますような光景があったのでもありません。

 

 でも、とにかく、間違いなくキンモクセイが香ったのです。

 

 念のため、周囲を歩いてまわりましたが、やはり花はありませんでした。

 

 

 

 

 嗅覚は、と先日も書きましたが、私はこうして「香り」が何かの兆候になることがよくありませす。

 

 ダメになっていく前には、どこにもないのに、生ゴミの臭い・・・腐臭というのでしょうか・・・がして、しかたがなくなります。

 

 そうして、どん底から這い上がるきっかけの時期には、こうして花の香りがするのです。バラやキンモクセイであることが多いですね。

 

 大好きな小説『聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)』シリーズにも、この嗅覚に関する場面が何度となく出てきます。

 

 ・・・ということは、私の体調、もしくは人生が、何か好転していく幕開けなのかもしれません。

 

 

 

 

 こういう、直観的な自分の感覚を何よりも大事にすることを覚えたのは、わりと近年のことです。

 

 それならと、好転の幕開けにふさわしい行動をしてみることにしました。

 

 この3連休を活用して、養生生活を切り替えましょう!!

 

 

 

 我が家は、私が体調を崩すと、どことなしに荒れていきます。

 

 くまさんは家事が上手なので、料理も洗濯も掃除もしてくれます。

 

 でも、どことなく、私が元気な時に比べると、雑然とするのです。

 

 だから、ちょうど季節の変わり目でもあるし、キレイサッパリと掃除して、いろんなものを整えて、いらないものを外に出して処分して、秋色を取り入れた爽やかな部屋にしたいと思いました。

 

 これは、いつもの、「病み上がりの儀式」です。

 

 短パンはいて、万歩計つけて。バンダナ巻いて、家の中をあっちへこっちへ。

 

 少しずつ、少しずつ、家の中が片付いていきます。

 

 くまさんがいない間に、我が家はまた、私色を帯びるんですね。

 

 

 

 ほら、また。今度は香ばしいコーヒーの香りがした気がしました。

 

 どこにもコーヒーはないんだけど。

 

 そっか。もうすぐ、おいしいマンデリンが届くのかな?

 

←ありがとう!だいぶ元気になってきました! 

身の程知らず

 こんばんは。Hikariです。

 

 先ほど、仕事から帰ってきました。

 

 今日は暑かったですねぇ。

 

 抜けるような青空の向こうに富士山が見えたのではないかと思うのですが、なんといっても帰宅は真っ暗になった後。残念!

 

 で、明日から3連休です。

 

 

 

 たとえば。

 

 あなたの人生をドラマ化するとします。

 

 あなたは好きな女優・俳優を配役することができます。

 

 さて、どなたに「あなたの役」を演じてもらいますか?

 

 あなたの身の回りにいるあの人・この人は、誰に演じてもらいましょう?

 

 

 

 

 くまさんに聞きました。

 

 「あなたの人生をドラマにするとしたら、くまさんの役は誰に演じてもらうのがいいですか?」

 

 くまさんは、しばらく考えた後、答えました。

 

 「ヒロシかなぁ」

 

 おお、なるほど。

 

 顔は似ていませんが、中身は似ているかもしれません。

 

 それに、身の程をわきまえたお返事ですね。

 

 で、重ねて聞きました。

 

 「その場合、私の役は誰がやるのですか?」

 

 くまさんは、さっきよりももっと考えました。

 

 そうして・・・・!

 

 「にしおかすみこ かなぁ?」

 

 はあぁっ???

 

 にしおかすみこだぁ??

 

 よりによって、あの人ですかぁぁぁぁ??

 

 山口智子さんとか鈴木京香さんとか黒木瞳さんとか言ってほしかったのに

 

 すみません、身の程知らずで。

 

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