Win-Win〜あなたも幸せ。私も幸せ。〜

今ここで生きていることを楽しむためのブログ

2007年04月

沖縄おみやげ話 その3

 やった!ひさびさの早朝更新です。今日もおかえりなさい!!

 

 昨日お話した「十六穀ごはん」、冷めてしまったらやっぱりおいしくなくなるんだろうなと思っていました。

 

 でも、今朝試しに食べてみたら、あの色も、ほんのりとした甘さも、全然変わっていなくて、美味しいんですよ。

 

 これは、おにぎりにしてもイケそうですね。お弁当箱の中が華やかになりますよ。

 

 

 さて。

 

 ゴールデンウィーク前半の3連休は今日までですね。間の2日間もお休みで、9連休なんて方も多いのかしら。ちょっとうらやましいな。

 

 沖縄は、たくさんの観光客を迎えて、きっとにぎやかなことと思います。

 

 昨日、おとといと、沖縄のおみやげ話を書いてきましたが、今日はその最終回。沖縄の自然について書きましょう。

 

 初めて沖縄に行ったのは、もう13年前でしょうか。

 

 旅行計画をした人が、「どうしてもビーチサンダルがないと海岸には出られない」と騒ぐので、いったい何なんだと思ったものでした。

 

 実際に行ってみると、海岸=砂浜のイメージとは程遠く、石ですらなく、珊瑚(サンゴ)の折れたものでびっしりと埋まっているのでした。

 

 どこまで掘ったら砂が出てくるかと、掘ってみましたが、どこまでも珊瑚。

 

 はだしで歩いたら足が切れそうでした。

 

 前回行ったのは7年前ですが、その時も、珊瑚の海岸だったのです。

 

 それが、今回は、白い砂。

 

 あれ?

 

 ここだけかな。

 

 でも、バスで移動する間も、見えるのは白い砂の海岸ばかりです。

 

 とても不思議に思って、海でお仕事をしている方に聞いてみました。

 

 3年ほど前くらいまでに、海水温の上昇などで、サンゴの白化現象がみられたこと。

 

 農薬や赤土が海に流れ込んで、サンゴが生きていけなくなったこと。

 

 でも、死んでしまったサンゴが増えたなら、海岸に打ち上げられるサンゴも増えたのでは?

 

 怪訝に思っていると、観光ボートの船長さんが言いました。

 

 「海岸のサンゴはね、観光客がみんな拾っていっちまった。サンゴの数より人の数のほうが多いんだよ。」

 

 これには驚きました。

 

 驚きましたが、確かに私も、サンゴが珍しくて拾って持ち帰ったひとりです。

 

 一人一人がすることは、ほんの小さなことかもしれない。

 

 でも、その一人一人が長年にわたって集まったときに何が起きるのか。

 

 環境問題と言うのはすべて、このようにして起きるのだということを、まのあたりにした思いでした。

 

 実際のところ、なぜ海岸に珊瑚がなくなってしまったのか、今回私が訪れた海だけのことなのか、他もそうなのか、よくわかりません。

 

 でも、私たちを取り巻く環境を考えるためには充分なきっかけをいただきました。

 

 沖縄の海には、私の大好きなジュゴンも住んでいます。

 

 何かしたいと思いました。

 

 私も参加しているWWFでは、珊瑚の保全やジュゴンの保護活動をしていたはず。

 http://www.wwf.or.jp/activity/wildlife/dugong/index.htm

 

 自分の頑固な殻には、保全より破壊を。

 自然については、破壊よりも保全を。

 

←み〜んなみんな、ありがとう! 

 

 

 

沖縄おみやげ話 その2

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 今日もおかえりなさい。

 

 沖縄の旅にばたばたして全然気がついていませんでしたが、ゴールデンウイークに入ったんですね。

 

 私は旅の疲れを癒すべく、昨日、今日、明日も家にいる予定ですが、あなたの予定はいかがでしょう。今もどこか旅の空の下でしょうか。

 

 日ごろの疲れを癒したいという気持ちを形にするべく、面白いご飯を炊いてみました。

 

 「十六穀ごはん」です。

 

 2合のお米に小分けの一袋に入った十六穀と水60ccを入れて炊くだけ。とっても簡単。

 

 キレイに色づいて炊き上がったご飯は、栄養価もさることながら、単純な言葉では表現できないような、複雑な味と食感のごはんになりました。

 

 これは、食育にとってもいいと思いますね。疲れが癒えたかどうかは、明日を待ちましょう!!

 

 

 さて。

 

 沖縄おみやげ話の第2回目は、ステキな二つの出会いについて。

 

 いえいえ、誤解のないように。好みの殿方にお誘いを受けたなんて方向には一切まったく進みませんので。

 

 一つ目の出会いは、ホテルのエレベーターの中ででした。

 

 遅い時間にようやく大浴場でお風呂を済ませ、部屋に戻ろうとエレベーターに乗ったときでした。20代と思われる、日焼けをした、ちょっと長い髪の男性と一緒になりました。

 

 「沖縄を楽しめていますか?」

 

 背中を向けている私に話しかけてきた声は、沖縄言葉のイントネーションでした。

 

 「はい、とても。」

 「それはよかった!いつ帰るんですか?」

 「明日には。」

 「そうですか。たくさん楽しんでいってくださいね。」

 「ありがとうございます。」

 

 エレベーターを先に降りたのは私のほうでした。男性は、爽やかな笑顔で会釈していました。

 

 一期一会とはよく言ったもので、この方とはその後とうとう一度も会いませんでした。というよりも、もう一度お会いしても、この方かどうかわからなかったでしょう。

 

 どこから来たのですか?

 旅の目的は何ですか?

 お連れの方は?

 

 そんな質問を受けていたとしたら、私は多分曖昧な笑顔を浮かべて、答えなかったと思います。でも、そんなことは一切聞かれませんでした。

 

 沖縄を楽しめていますか?

 

 沖縄を愛していて、その気持ちをここにいるこの人にも味わってほしいなと思う。そんな雰囲気が、ふうわりと漂っていました。

 

 翌日、ガイドさんからこんな話を聞きました。

 

 沖縄では、出会った人というのは皆、ご先祖様が引き合わせてくださったご縁のある方だと思って、大切にするんですよ。

 

 なるほど!

 

 真夜中のエレベーターに同乗するなんて、確かにご縁があってのことですよね。私はいい加減な返事をしなかったことに、ほっとしました。そして、この男性のように、心からの歓迎を表現できる人間になりたいものだと思いました。

 

 ステキだな、沖縄。

 

 もうひとつのステキな出会いは、とある観光スポットででした。

 

 明らかに沖縄のお名前と分かるネームプレートをした老人が、私の肩をとんとんとたたきました。

 

 そうして、耳元に顔を寄せると、こんなことを言いました。

 

 「かわいそうだよなぁ。オレは同じ人間として、こういう子どもを見るとかわいそうでならないんだ。」

 

 彼の視線の先には、ダウン症の少年がいました。

 

 若い頃の私なら、この老人の言葉を聞いて、1秒後にはプツンと切れていたでしょう。

 

 障がいがあったって同じ人間。かわいそうって何?その哀れみは何??

 

 でも、この時、私はドキリと胸が高鳴っただけで、不思議と怒りが湧きませんでした。

 

 なぜなら、言い終わるが早いか、老人は少年のところに行って、少年に話しかけ始めたからです。

 

 ごく普通に語りかけ、少年が興味を持つようにと工夫をし始めました。

 

 「ほら、これはどうだ。おもしろいか?おもしろいだろう?」

 

 少年はニコニコして、老人を見上げていました。

 

 かわいそうだな。

 

 その言葉は、老人が自分の生をいかに肯定しているかを物語っていました。そうして、それを行動で示すことを、老人は私に教えてくれました。

 

 世の中には、かわいそうだと哀れむ人がいるのと同じくらい、哀れむなんて失礼だと声をあげて怒ってくれる人もいます。

 

 でも、私は今、動機は何でもいいと思うようになりました。

 

 かわいそうだからでも、対等だからでも、そんなことはどうでもいい。言葉の立派さはなくてもいい。ただ行動で相手を喜ばせようとすることが、ずっと尊いのではないか。

 

 私の胸に深い思いを残して、老人は手を振りながら去っていきました。

 

 

 沖縄にはこれで4度目の訪問になるでしょうか。

 以前沖縄で体験したことは、「私は沖縄に命を教わった」や「沖縄に学ぶ多様性と許し」の記事に書いたことがありましたね。

 

 いつもいつも、沖縄は私に何かとても大切なことを感じさせ、体験させてくれます。

 

 明日は、沖縄の自然についてお話しましょうね。

 

←み〜んなみんな、ありがとう! 

沖縄おみやげ話 その1

 夜の更新になりました。読みに来て下さって、ありがとうございます。

 

 昨日の夜、沖縄から帰ってきて、「それほど疲れていません」と書いたのですが、やっぱりそうでもなかったようです。

 

 この疲れについて、面白いことが3つありました。おみやげ話その1として、今日は「旅の疲れ」を語りましょうね!

 

 

 出来事の1つめ。

 

 沖縄に一緒に行ったメンバーから、高熱で倒れた知らせが入っています。さもありなん、です。やはり、ハードな仕事でした。

 

 私は幸いにも風邪もひかなかったし、熱も出ていません。が、湿疹が出ました。

 

 それも、足の甲にです。

 

 昨夜帰宅して、靴下を脱いだところまでは、いっさい何もありませんでした。沖縄で食べたジーマーミー豆腐がとっても美味しかったから、明日は沖縄料理屋がたくさん並んでいる街へ探しに行こうと話していたくらいです。

 

 ところが、ブログを書いた後、夕食にしようと思ったら、足の甲がとっても痒いんです。

 

 で、両脚を並べて座り、ポリポリポリと掻いていたら!

 

 目の前でみるみる湿疹が浮かんできました。

 

 皮膚の表面が瞬く間にデコボコに!!!

 

 くまさんも見ていて、「何これ??」でした。

 

 湿疹になったら、今度は痒いというより、痛い。歩くと、切り裂けそうな痛みが走ります。早々に入浴をすませて、寝ることにしました。

 

 例によって、私はからだと会話します。

 

 「お疲れ様でしたね。本当に、よく頑張ってくれました。この湿疹は虫刺されでしょうか?何か意味があるんでしょうか?わかるように教えてくださいね。」

 

 しばらくして、ある考えが浮かんできました。

 

 この状態では、明日は靴下も靴も履けないでしょう。ジーマーミー豆腐を探しに行くなんて、できっこありません。靴下が血まみれになりそうな痛みですもの。

 

 そうか、わかった。

 

 足さんは、明日はもうお外に出たくないと言いたいのね。意地でも遠出なんかさせないって、言っているのね。

 

 「そういうこと?」

 

 ヒリヒリとした痛みは残っていますが、一歩ごとに切れそうな痛みはそれで消えました。

 

 出来事の2つめ。

 

 午前5時半。いつものように目が覚めました。

 

 寝返りを打つたびに足が攣る(つる)ので、もう寝ていられなかったのです。

 

 なのに、昨日の朝から頭痛がしていたのが、今朝になってもまだ残っていました。

 

 もう少し寝ていたほうが休まるのに。からださん、いったい私にどうしてほしいの?

 

 またうとうとしたようでした。

 

 夢を、みました。

 

 細かいことは忘れてしまいましたが、自分の家で何かをしている私を、どこからか、いろんな誰かが見ているのです。最後の方では、ベランダから訪問販売の女性が声をかけてきて、私は「ぎゃ〜っ」と隠れたりしていた気がします。

 

 その時、わかりました。

 

 そうか。私の疲れは、筋肉を使いすぎた類のものだけではなくて、行動の一部始終を人目にさらしていたことによるストレスなのだと、この夢で教えてくれたのね。

 

 「そういうこと?」

 

 足が攣るのがピタリと止まって、頭痛も消えてしまいました。

 

 出来事3つめ。

 

 ご近所に、回転寿司がオープンしたので、今日のお昼はお寿司でした。帰り道、整体に行くというくまさんが、一緒にどうかと誘ってくれたのですが、全然気が乗らなくて、靴も早く脱ぎたくて、ひとりで行ってもらいました。

 

 じゃあねと分かれた後で、ふと、髪を切りに行こうと思いました。気になっていた足の甲の違和感が、このときはまったく消えていました。

 

 本当は旅行前に散髪したかったのだけど、行こうとするたびに会議が入り、用事ができて、とうとう行けなかったのです。

 

 いつもの美容院に行ってみると、これがまた超満員。ダメだこりゃ、と思いました。

 

 私の髪を切ってくれるのは店長さんだけです。聞いてみると、30分だけ待って、ということでした。

 

 ちょうど喉が渇いていたので、お茶をしてから再度戻ってみると、あれだけいたお客さんがわずか2人に!

 

 その2人は店長さんのお客様だったようですが、ここで事件が起きました。

 

 お客様が連れていたお子さんが、突然泣き出して、止まらなくなってしまったのです。ビデオを見せても、若い美容師さんがあやしても、全然とまらない。しかもそれが隣のお客様の子どもにも伝染してしまって、まだ髪を切り始めていなかった2人は、シャンプーだけで諦めて、帰ることにしてしまったようなのです。

 

 泣き声がなくなって、気づいてみると、店長さんの客は私ひとりになっていました。(ちなみに、あとから何人も来たのに、そのお客様はみな別の美容師さんのお客様でした。)

 

 実はこの店長さん、マッサージもプロ級。

 

 「ああ、今日のこのからだはかわいそうです!」とおっしゃって、カットの後にシャンプーとマッサージをプレゼントしてくださいました!!

 

 するとどうでしょう!

 

 朝からあんなにしんどかったからだが、スゥーッと楽になるではありませんか!

 

 ああ、なるほど。今日この日のために、旅行前は邪魔がはいって来られなかったんだな。

 

 すべては必然ですよ。(国分太一くん風に。)

 

 足の甲にできた湿疹はまたちょっとヒリヒリするけれど、なんだか元気が出てきました。

 

 明日は、沖縄で出会ったステキなシーンについてお話しますね!

 

←み〜んなみんな、ありがとう! 

どんなときも

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 ただいま帰りました!

 

 結局、ずっと曇り空の沖縄でしたが、一度も雨に降られなかったのは幸運としかいいようがありませんね。

 

 72時間連続の勤務は、実にまったく、いろいろな出来事があって、そのひとつをもここに書くことができないのは残念なほどですが、結局けっこう楽しかったのです。帰宅も予定より3時間ほど遅れましたが、それほど疲れも感じません。

 

 ・・・まぁ、感じないだけで、案外疲れているのかもしれませんが。

 

 どんな時でも、自分の在り方次第で、物事は違って捉えられるのだと、改めて思っています。

 

 では、また明日ね!!

 

←しっかり応援、胸にしみました! 

ジンベエザメだ

7c026d05.jpg仕事です。


本当です。

沖縄に来ました

f32ea909.jpg仕事です。


本当です。

いざ沖縄へ!

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 そういうわけで、沖縄に向けて、あと少しで家を出ます。

 

 27日の夜に帰ってきます。

 

 それまで、多分更新できないし、いただいたコメントにお返事も書けませんが、帰ってきたら必ず書きますので、お待ちくださいね。

 

 よき出会いがありますように!

 新たなインスピレーションがありますように!

 行く前より大きくなって(太ってということではナイ)帰ってきますように!

 

 では、いってきます。

 

←それまでこちらもお願いします 

変化を手助けするための究極テクニック

 今日もおかえりなさい!会いに来てくださって、ありがとうございます。

 

 あすの朝から金曜日の夕方まで、沖縄に出張です。

 

 沖縄からこれを読んでくださっているみなさん!私はこの3日間、読谷村にいます!

 

 いいお天気でありますように。

 

 だから、昨日書きかけになった話題を、今日書いてしまいましょうね。

 

 >>知ることと、責めることは別です。

 >>責める必要はないし、責めることは害になるばかりです。

 >>その話はいずれまたするとして・・・

 

 この部分です。

 

 先に例をあげてみましょう。

 

 私は今、明日からの出張を前にして、とても緊張しています。

 

 ところが、「理想の私」は、この程度のことで、緊張なんかしないんです。

 

 「理想の私」は、大事の前でも泰然自若として、ゆとりの笑顔を浮かべ、それは能天気なのではなくて、準備万端整ったから後は出来事を楽しもうといった趣旨の笑顔であるわけです。

 

 しかし「現実の私」は大事を前にして緊張しまくっている。

 

 ここまでが、現実を知ることですね。

 

 知ったところで、「現実の私」を自分で責め始めたらどうなるでしょう。

 

 なんて私は不甲斐ないんだろう。

 なんて私は小心者なんだろう。

 こんな小心者の自分は、いやでいやでたまらない。

 緊張してしまう私なんて許せない!

 

 はい、ここでです。

 

 この、自分を非難している・・・自己嫌悪に陥っている・・・時に、自己はどこにいるでしょう?

 

 そうなんですよ。非難する側にいるんです。

 

 もちろん、非難される側も、する側も、自分であることには変わりありません。

 

 でも、自己否定している時、自己嫌悪に陥っている時というのは、自分の視点はどうなっているかというと、「現実のダメな自分」を切り離して、「理想の自分」の立場から見ているのです。

 

 内面が分裂している、と私が表現する状態です。

 

 小心者の自分は、現実に在る自分です。

 余裕の自分は、まだ在るに至っていない、空想の自分です。

 

 空想の自分が現実の自分を責める。

 

 それが自己嫌悪の構造です。

 

 これは巧妙なトリックです。

 

 自己嫌悪に陥っている時は、自分のポジションを「理想の自分」の側におくことによって、「自分は本当は小心者なんだ」と認める苦痛から逃れています。また、「自分は小心者の自分を非難する、立派な自分なんだ」と(自分にも他人にも)アピールする手段に使われることもあります。

 

 心がこの状態から、「緊張してしまう」という習慣をなくそうとしても、決してなくなりません。

 

 本当は泰然自若としているべきなんだから、緊張は絶対しない。

 望ましい行動は、安眠し、食欲もあり、落ち着いていること。

 だから、よく眠らなくちゃならない。よく食べ、じっくりと座っていよう。

 

 そう覚悟することで、私は落ち着けるでしょうか。

 

 いいえ!

 

 ますますイライラして、そわそわしてしまいます。

 

 実は、今回この記事を書くにあたり、実験したので確かです(爆)

 

 自分を非難している状態・・・内面を分裂させた状態では、「緊張している自分」がますます自己主張して、緊張の度合いは高まってしまうのです。

 

 私たちはぜひ、「理想の自分」の項目に「自分も人も非難せず、心をこめていたわる」というひと言を加えたいものです。

 

 「緊張している自分」を発見したら、「理想の自分」にこう言わせましょう。

 

 こんな小心者なのに大事に当たろうとして偉いなぁ。

 少しでも緊張が減るように、手伝ってあげようね。

 

 さあ!これで、現実の自分と理想の自分は、「大事を前に緊張している私」という課題を共有しました!!

 

 緊張の原因は、細かく見ると何なのだろう?

 遅刻しそうな気がする?準備が足りない気がする?イヤなことが起きそうな気がする?

 なるほど。では、目覚ましをもうひとつ増やしておこうよ。

 それから、もう一回、今日のうちに準備の状況を確認しよう。足りなくても、今日気がつけばなんとかなる。

 それでも行った先でイヤなことが起こったら、仲間と協力してなんとかするしかないよ。

 ほら、どう?緊張する必要は、もうないじゃない!!

 それでも緊張するなら・・・緊張したっていいんだよ。

 

 私は今、この青い字を書き、2度読み返しただけで、心が落ち着いてきました(笑)

 

 行動を変え続けていれば、心があとからついてくるという療法もありますよね。あれも同じことです。自己嫌悪の心で行動だけ変え続けても、心はあとからついてきてはくれません。

 

 それでも、どうしても自己嫌悪の心が・・・自分を責める自分が・・・消えないときには、「自己嫌悪している自分」のことも、いたわるのを忘れないようにしましょう。

 

 許せないんだね。

 いやでいやでたまらないんだね。

 わかった、許せるように、好きになれるように、協力するよ。

 

 これで、自己嫌悪さんとも問題を共有できました。自己嫌悪が消えないのに無視し続けると、ますます激しく嫌悪の気持ちを主張して、なんとか気づいてもらおうとするので、これは大切なプロセスです。

 

 つまり。よくない習慣をやめたかったら、「そんなダメなことはやめなくちゃいけないのに、やめられない自分は大嫌い!!」と思うより、気がついたら、あのダメな習慣は自分に必要なくなっていたという状態を目指しましょう。

 

 その状態に導くことが、私が隠し持っている、誰かの変化を手助けするための究極テクニックです。

 

←秘訣をバラしてしまいましたね 

行動を修正する前に

 おかえりなさい。今日もお会いできて、とてもうれしいです。

 

 今日も忙しい一日になるとわかっているのは、何も私だけではありませんね。

 

 私には今、新しいことが次々と起きています。

 

 以前ならば厄介に思って避けていたことを引き受けたり、耳を塞いで目を背けていたものに対面したりしているうちに、今までと違った結果や感情が次々と出て来ています。

 

 楽しく愉快なものばかりではありません。

 

 それどころか、イヤで不愉快なものの方が多いと感じます。

 

 なかなかうまくいかないとか、もう諦めようかとか、そんな気分に支配される時間もあります。

 

 でも、その奥で、なにかとっても大切なものが・・・私の人生をこれまでとまったく変えてしまうような、大切な・・・うごめいている気配を感じるのです。

 

 それを捕まえようと意識を集中するのだけど、そうするとスルリと「それ」は逃げてしまいます。

 

 多分、まだ、私を信用してくれていないのでしょう。

 

 私が今の新しい在り方を継続して、これが私のスタンダードになった時に、「それ」は向こうから勝手に捕まえられに来るような気がします。

 

 私たちは、結局、自分の内面を表現することしかできません。

 

 内面を表現した結果、内面に応じた環境ができあがります。

 

 内面が混乱していれば、混乱を表現し、混乱した環境ができあがります。

 内面が分裂していれば、分裂を表現し、分裂した環境ができあがります。

 内面が安定していれば、安定を表現し、安定した環境ができあがります。

 

 今日、もう一度、私を取り巻く環境を、よく観察してみようと思っています。

 

 これは、私がなにを表現したために実現した環境なのか。

 

 それは、苛立ちや、傲慢や、非難や、見落としの反映になってはいないか。

 

 もしなっていたとしたら、ここが肝心。

 

 私は、行動を修正する前に、内面と向き合わなくてはなりません。

 

 自分の傲慢さ、怠惰さ、不注意さ、そういったものに向き合うのが先です。

 

 内面と向き合うことなしに、行動面だけ修正しようとしても、修正できないか、短期間で逆戻りするかです。

 

 自分の無力、無知、無関心などの、決して世間様には知られたくないようなダメダメな自分をみつけて、認めて、自分はそうなんだなと知ることがスタートです。

 

 無知の知、っていうやつですね。

 

 知ることと、責めることは別です。責める必要はないし、責めることは害になるばかりです。その話はいずれまたするとして・・・

 

 今がダメでも、いいんです。

 

 このままではダメだと、明日気づくより、今日気づくほうが断然いいもの。

 

 気づいたら、手を打つことができるもの。

 

 小さな小さな手立てを、地道に続けていれば、私たちはいずれ変わっていきます。

 

 明日のために、今日、小さな種を蒔きましょう。

 

 ∞きっと、うまくいくよ。

 

 ∞いまはまだ、どうしたらいいのか、方法がよくわかっていないから、うまくいかないのだよ。

 

 ∞諦めないで、続けなさい。焦らないで、続けなさい。

 

 ∞道は間違っていない。

 

 ∞大丈夫、最後はうまくいくよ。

 

 久しぶりに、「声」が今朝、語りかけてくれた言葉。

 

←あなたの行く道を照らしましょう 

親も子どももハッピーに

 おかえりなさい。今日も来てくださってありがとうございます。

 

 今朝は早起きをして『12月31日までに本を100冊読むブログ』を更新しました。

 

 実に2ヶ月ぶりです。いくら忙しくても、こんなにほったらかしにしてはかわいそうです。

 

 読んだ本はこちら。あなたはもう読みましたか?

4861130018 夜回り先生と夜眠れない子どもたち
水谷 修
サンクチュアリ出版 2004-10-10

by G-Tools

 

 私は最近、いろんな方や物事に、「かなわないなぁ」と感じます。

 

 ほんとうに、世の中にはすごい人や、すごいことがあるんですね。

 

 この本の著者である水谷修さんは、自分の健康も時間も何もかもを度外視して、苦しみ悩む子どもたちに手を差し伸べておられます。

 

 著書を読むと、水谷氏が関わったケースの重たさ、深さがどういうものか、手にとるようにわかります。

 

 成功談のほうが少ない。それでもやめなかった。本当にかなわないなぁと思います。

 

 4月18日に、シリーズ3冊目の

4861139058 夜回り先生のねがい
水谷 修
サンクチュアリ出版 2007-04-18

by G-Tools

 

が出版されましたね。こちらもぜひ読もうと思います。

 

 ところで。

 

 水谷氏は「夜回り先生シリーズ」の2冊目までで、徹底して大人を非難し、子どもを擁護しています。

 

 それは当然のことです。

 

 生まれたての赤ちゃんを見ればわかりますよね。

 

 子どもは単独で悪くなっていくということは、ほぼないのだと思います。

 

 もちろん、子どもが持って生まれた素養はあるでしょう。でも、それが悪くなっていく傾向のものであったなら、なおさらその子を養育する大人が、大事に慎重に育てていく必要があるわけです。「悪くなっても当然、悪くなってもしかたがない」という根拠にはなりません。

 

 子どもが悪いんじゃない、大人が子どもを傷つけて、悪くするんだというのは、こういうところから来る発想だと思います。

 

 しかし、ここで決して見逃してならないことがあります。

 

 それは、子どもは、いつまでも子どもではないということです。

 

 せめて、生きていてほしい。せめて、死なないで。

 

 その声に応じて、死ぬことを思いとどまってくれた子どもたちは、あっという間に大人になるのです。

 

 子どもであるうちは、志のある大人が優しくしてくれます。かばって、守ってくれる大人が必ずいます。

 

 でも、いったん大人になってしまうと、なかなかそうはいきません。

 

 今度はあなたが誰かを守る番だよ、とばかりに、社会の責任とやらが押し寄せてきます。

 

 内面はまだ、あの時の、傷ついた子どものままなのにね。

 

 だから、ますます傷ついて、今度は子どもを傷つける側にまわってしまう。

 

 哀しい循環です。

 

 助けたい子どもに出会ったとき、その背後には、混乱して苦しんでいる大人=親がいます。

 

 親が混乱も苦しみもしないせいで、傷ついている子どももたくさんいます。それも、そこまで鈍感な大人になったという意味では、やっぱり成長する過程で、思いやらなくてはならない事情があったのではないでしょうか。

 

 暴力的で、自分勝手で、子どもをゴミのように扱う、養育能力のない親。その親とて、その状況にいたる過程では、本当に苦しかったのだと思います。

 

 多くのケースで、その親自身が、子供の頃に同じ扱いを受けていたことがわかります。

 

 親なんかどうでもいい、子どもさえ救えれば・・・。

 

 それでいいなら、どんなに肩が軽くなることでしょう。

 

 でも、虐げられた子ども自身すらが、そんな解決を望んではいないのです。

 

 子どもも親もハッピーになれる方向に導くには・・・。

 

 水谷氏の3冊目の本の根底にあるものも、この「大人も子どもも一緒に」であるようです。

 

 難しい課題です。

 

 難しいけれども、それができる立場にいる人間は、難しいからと逃げるわけにはいきません。

 

 私たちは本当に小さなことしかできません。

 

 しかし、見方を変えれば、小さなことならできるのです。

 

 水谷氏のように、自身の全てをなげうって役立とうとする人は、そんなにたくさんいなくていいのです。もし、私たち一人ひとりが、「小さなできること」をし続けていけば。

 

 優しくしましょう。

 ほめてあげましょう。

 いたわってあげましょう。

 可能なら、抱きしめてあげましょう。

 

 たったそれだけで、水谷氏が夜の繁華街で声をかけなくてはならない子どもをひとり、減らすことができるかもしれません。

 

←ここにも優しい言葉がいっぱい! 

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