Win-Win〜あなたも幸せ。私も幸せ。〜

今ここで生きていることを楽しむためのブログ

2006年10月

あなたがかわいいから

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 みなさん、おはようございます。今日もおこしくださってありがとうございます。

 

 今日は10月最後の一日ですね。早いなぁ、つい先日お正月で、桜が咲いて、夏になった気がします。

 ハロウィンというお祭は、お祭好きの私ですが何年かかっても意味が理解できず、カボチャのオバケも好きにならず、だから全然盛り上がっていないのですが、ハロウィンのおかげでとってもステキな光景を見たので、今日はそのお話しをします。

 

 とあるデパートに行ったのです。

 そこでは、ハロウィンが近づくと、子ども達にさまざまな衣装を貸し出して、時間が来ると、仮装した子ども達がデパート内を練り歩くのです。

 行進が済んだ後は、衣装を返すまでしばらくの間、親御さんと一緒にお買い物などするくらいの時間があるようで、あっちこっちで、見慣れない格好をした子ども達がはしゃぎます。

 

 4歳くらいの女の子でした。

 彼女は運良く、ピンク色のドレスが当たったんですね。

 ツルツルとした生地の、フワフワワンピースに、白いリボン。さながらお姫様です。エナメルの靴もキラキラとして、彼女の長い髪も手伝って、遠目にも「おや」と気付くようなかわいらしさでした。

 

 お母さんは、晩ご飯のお買い物。彼女はそのあとを、バレリーナのようにクルクルとまわりながらついていきます。

 彼女がクルクルまわると、ピンクのスカートがフワリと広がります。それが嬉しい様子です。

 くるくる、ふわり。
 くるくる、ふわり。

 ねえ、ママ。どう?きれい?すてきね!ママ、ママ!

 

 ずっと、そんな調子です。

 ママもそろそろ「わかったから」と言うかな、うるさいと叱るかな?通りがかりの人が注意するかな?というくらいはしゃいだ彼女を見て、彼女のこの喜びに水を差すような出来事になりませんようにと思いました。

 

 ママ。どう?キレイなお洋服ね。こんなの、初めて着たね。ママ!ママ!!

 

 その時。ママがニッコリ微笑んで、こう言ったのです。

 「とっても似合っているわよ。でも、お洋服がかわいいのではなくて、○ちゃんのほうがかわいいからお洋服もかわいく見えるのよ。」

 彼女の顔はひまわりみたいな笑顔になって、黙ってクルクルまわり続けていました。(目が回らないのか心配したくらい、たくさん!)

 

 直そうと努力しているけれど、短気が残っている私だから、この時の彼女のそばにいたら「他の方にご迷惑でしょ、もう黙りなさいっ!」って言っていたと思うのね。

 

 そこで、「あなたがかわいいから・・・」と、子どもの喜びをともに喜んだ上に、子どもに愛と自信とを伝えるような言葉が言えたこのお母さんに、本当に感動してしまったのです。

 やりすぎると、周囲を小ばかにした、自信過剰の子どもになるかもしれないけど、その場の様子から考えて、そういう親子ではなさそうでした。

 

 ちょっと買い物に行っただけで、こんなすばらしい光景に出会える私は本当にツイている!と感激でした。

 

 それではまた明日お会いしましょう!
 今日のあなたにも、。抱えきれないほどの幸運が訪れますように!

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この先2年、よろしくね!

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 みなさん、おはようございます。今日もおこしくださって、ありがとうございます。

 

 ケータイを、3年ぶりに買い換えました。

 仕事の都合で、番号もメルアドも一切変えるわけにいかなかったので、ただの機種変更です。使いたい機能があったのと、前のケータイの電池の消耗があまりに激しかったので更新したもので、ポータビリティー制度やそれに伴う宣伝に刺激されたわけではありませんでした。

 予想外割の影響で、予想外の営業停止状態を余儀なくされたソフトバンクさんはお店でも人気で、あれが〜、これが〜、と、みなさんよく見ておられました。

 

 私のこれまでのケータイは、FOMAでもWINでもなく、だから、自分のブログをケータイで見ても、デザインの全貌がよくわからないままでした。

 今度は、そこのあたりが解決です。

 で、改めてケータイから見たブログのデザインが、キラキラしていてきれいだけど、いざ読もうとすると、黒字に黄色文字でドギツイことを知りましたっ。

 知らないというのは、時として恥ずかしいことですね〜。

 さっそく、私好みに変更っ!(って、もしかして前にもどっただけ?)
 もう一度変更っ!(これは使ったことがなかったような気がしなくもない。)

 当分、金魚が泳いでおります。

 

 自分が真っ赤なケータイ持ち歩くとは想像だにしたことがありませんでしたが、なんだかこんなのを選んでしまった。元気がでるかな、やる気がわくかな。

 水族館で購入して、使うのを楽しみにしていたラッコの金蒔絵もさっそく。

 よし、これで落としても「私のラッコケータイ、どこ?」と探せます。

 

 この5日ほど、なにかとっても生き急いでいるような、心が勝手に焦らされているような、妙な感覚があります。

 イライラと落ち着かず、手順をあやまったり、何もしたくなくなったりします。

 ちょっと、ヘン。

 心臓と首の間あたり、(4.5チャクラと呼ばれるあたりでしょうか)に、妙な緊張と言うか、重苦しさがあって、ますますいや〜な感じがします。

 無意味にこんなことを感じることはありますまい。以前もこれと同じ状態を経験したことがありますが、その時はこれのすぐ後に、人生の流れが変わるような出来事が起きました。当然これって何なのだろう?と、注意深くしているのですが、今のところさっぱりわかりません。

 

 そう、未来のことは、たいていの人にはわからない。

 その未来、この紅いケータイは、この先2年くらいはきっと、常に我が傍らにあって、私と同じ時を過ごすのでしょう。

 よいことがあって、いやなことがあって、辛いことがあって、うれしいことがあって、もしかしたら命の終わりが来るのかも。そういう波を、一緒に過ごすのでしょう。

 そっか。
 どうぞ、よろしくね。

 

 ラッコケータイさんの返事は聞こえなかったけど、時間をかけてマニュアルも読んで、使いこなそうと思います。

 

 それでは、また明日お会いしましょう!

 今日のあなたに、抱えきれないほどの幸せが訪れますように。

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隠れたカリキュラム

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 みなさん、おはようございます。今日もおこしくださって、ありがとうございます。

 

 今日は、いつもとちょっと趣向を変えて、報道をにぎわせている「高校の必修逃れ」について触れてみたいと思います。

 そんなものに興味はないという方もいらっしゃると思いますが、お話したい主題は全ての人に意味あることと思いますので、どうかお付き合いくださいませ。

 

 私は、高校に勤めている間に、3回、カリキュラムを編成したことがあります。先ほど調べてみたところ、そのうちに2回分(2校分)は、今年も実施されているようです。

 かつ、私の雇い主(教育委員会)は、今回の41都道府県400校以上に及んだ「必修逃れ高校」を、公立・私立の別なく、1校も出していません。

 そのような立場から、この問題を見てみたいと思います。

 

 我が家がこの報道に触れた最初の会話は、「教育委員会は何をしていたんだろうね?」でした。

 我が雇い主は、それはもう、くどくどと、しつこく、これでもかと調査をしていました。具体的にいうと、毎年、指定された提出用のカリキュラム表のほかに、教務用(先生たちが使う時間割表)・配布用(生徒達が使う時間割表)を併せて提出しなくてはなりませんでした。

 その上、年に少なくとも1度は指導主事が巡回してきて、校長や担当教員がカリキュラムについて直接説明した上で、「指導」を受けていました。

 つまり、教育委員会をごまかすこと自体、不可能な体勢でした。

 さらに、我々の自治体は、よい意味でも悪い意味でも、学校の中に「抵抗勢力」が存在し、そういう不正(つまり、最終的には校長が違反を容認したと見える結論を出すこと)が、表沙汰たにならずにいられるほどの団結力がありません。かならず、不正として白日の下にさらされてしまうでしょう。自浄作用といえばそうですが、早い話、一枚岩ではないわけです。

 だから、ごまかせたらどんなに楽かと、考えるだけ時間のムダでした。

 今回、不正が発覚した多くの学校は、そういう意味で、教育委員会が機能を果たしていなかったのと、現場が強固な一枚岩で教育に向かっていたという点においては、共通しているのだと思います。

 

 ここで、専門用語を解説したいのですが、ここまでですでに使った「カリキュラム」という言葉、これは、簡単にいうと、「その学校に入学した生徒が卒業までに、いつ、どの科目を、何時間学習するのかを計画したもの」です。

 高校のカリキュラムは、各学校が生徒の実情に応じて編成するものと決められています。が、まったく好き勝手にやってよいわけではなくて、学習指導要領に組み方のルールが決められています。学習指導要領は法律に準じるものとされていますから、各学校はこのルールの範囲内でカリキュラムを編成することになります。

 学習指導要領は、文部科学省のHPで誰でも読むことができます。

 『新学習指導要領』

 

 さらに報道で使われている「必修」という言葉、これには二つの意味があります。

 ひとつは、かつて使われていた「必修」で、必修得科目・・・例えば、5段階で3以上の成績をとる・・・のことです。現行の学習指導要領では、必修得科目というのは設定されていません。

 もうひとつの「必修」が必履修科目です。これが現在問題になっているものです。ここでいう「履修」とは、簡単にいえば「授業に参加すること」です。各学校で何をもって「履修した」と認定するかが決められていますが、「法定時数の1/2以上の出席」などのルールが考えられます。

 法定時数とは、1単位=50分授業を35コマが標準、と学習指導要領で言っている時数のことです。

 現行学習指導要領で、必履修科目と決められている科目の一覧は、こちらなどで見るとわかりやすいです

 つまりですね、どんなに少なく見積もっても、31単位分は、必履修科目になります。(LHRや総合的な学習の時間はカウントしていません。)

 通常の高校の時間割は、50分授業が6時間目まで。つまり、1週30コマ分しか枠がありませんから、31単位となると、1年生だけで必履修を全部やるというのは不可能です。

 更に、科目の組み合わせが問題になります。

 例えば、中学校の社会科では、歴史(主に日本史)と地理とを並行して学び、公民分野もやることになっています。

 実質、歴史にふれるのは、年間20時間程度と思われます。

 その人たちを「日本史はわかったろうから次は世界史ね」というのは、無理があると思いませんか?多くのケースでは厳しいです。よほどの進学校なら違うのかもしれませんが・・・。

 世界史をやるなら、先に「世界」を認識してもらおうと考えます。すると、1年でやるのは、必履修のうち、世界史ではなく、「現代社会」とか「地理」とかになるでしょう?すると世界史は2年か?となるわけですが、進学校なら、1年次末には受験科目を絞り込みますから、「私のセンター試験は日本史と地理でいきます」とか言う向きに、「でも授業は世界史だよ」というのは酷だ、というのが、今報道で流れている、学校側の説明ですね。(学校側も話しやすいことを言っているだけで、コトはそんなに短絡ではないと思うケド。)

 そんなふうにして、自分の学校の生徒達が、どういう構造のカリキュラムならば、中学校からの連続で、学びを重ねていけるのかを考えるわけです。

 そこに、「各学校の特色作り」と「数値目標」が導入されました。

 簡単に言うと、各学校は「伝説」を持つことが要求されました。

 ・あの学校は部活が盛んだ
 ・あの学校は現役進学率が高い
 ・あの学校に行くと英語が話せるようになる
 ・あの学校は中途退学者がいないそうだ
などなど。

 それを数値化して、目標にし、達成するようにという話が出たわけですね。

 ・毎年何個の部が県大会に出場する
 ・現役進学率80%以上
 ・中途退学者数5%以下
などなど。

 数値にならない特色を持った学校もたくさんありますね。伝統芸能の継承とか、地域の祭の活性化とか、福祉ボランティアの必修化とか・・・

 当然、そこに時間をかけたい。ところが、枠は3年間で90コマしかない。

 卒業要件というのがあります。

 たぶん、多くの学校が「必履修科目を全て履修し、かつ80単位以上の修得をもって卒業を認定する」などとなっていると思います。(だから今回の問題で「卒業できない生徒」が出ていると報道されているわけですね。)

 当然、生徒のニーズ、保護者の要望、地域の要請なども重要です。教員定数・配置なども関係します。受験動向や大学入学後の必要性なども調査します。

 

 先ほど31単位以上は必履修だと書きましたが、逆に言うと50単位以上は学校が自由に組み立ててよいことになります。(学校設定科目といって、その学校独自の科目をおくことも認められています。手続きは大変なんだけどね。)

 カリキュラム作成というのは、こういう条件の下に、必死になって組み立てていくわけです。当然ひとりでできる話ではないので、プロジェクトチームが常置されていて、3年がかりくらいで原案を練っていくのが通常かと思います。

 余談ですが、知っている範囲での話、これらの諸条件をすべて理解して、原案の原案を組み立てられる人というのは、各学校に若干名ずつしかいないのが実情ではないでしょうか。

 それほど、カリキュラム作りというのは、難しいものなのです。

 ここまでは前置き。ここからが本題ですよ

 作るのがどんなに難しくても、長々説明してきたこれは「表(おもて)のカリキュラム」です。

 これが「教育」であるなら、「ビジネス」の時以上に真剣に取り組まなくてはならないのは、「隠れたカリキュラム」のほうだと、私は思っています。

 その計画表どおりに行われる授業に出ていれば、相応の知識は得られるでしょう。

 でもね、学校というのは、知識を伝達する会社ではないの。

 教科書には書いてない、大事なものをいっぱい、学ぶ場でもあるのね。それが「隠れたカリキュラム」。

 例えば、協力とか、思いやりとかいうのもそう。挫折経験とか、恋愛とかもそう。義務とか権利とかもそう。大学さえ入れれば殺人犯になってもいいわけではないの。

 必修逃れのカリキュラムを実施していた学校はね、「目的を達成するためにはルールを無視してもかまわない」という隠れたカリキュラムを教えていたことになるの。

 ルールを守るのは義務だよね。権利というのは、義務を果たした先にあるもの。必履修科目を履修せずに卒業していいよというのは、「義務を果たさなくても権利を主張していいんだよ」という隠れたカリキュラムを教えたことになるの。

 それでいいと思う?

 政府は、当該生徒にレポートや試験を課して、一定以上の理解を示した生徒には履修を認定しようという方向で検討を進めているようだけれど、これもおかしな話。政府自らが、「履修」と「修得」をごっちゃにしてしまったことになる。「すでにわかっていることなら、授業は履修しなくてもいいよ」という隠れたカリキュラムを伝えることになるのよ。

 教育を舐めんなよっ、と思う。

 必修逃れに何らかの形で関与した教師、管理職、教育委員会、文科省の担当部署などは、あらゆる意味で、生徒達に不利益をもたらしたんだよ。

 しかも、進学校だらけ。そこを卒業した人から、将来、さまざまなポジションで指導的役割を果たす人材が出るということよ。国の代表者・会社の代表者・地域の代表者・もちろん教育者も・・・。それが、そんな教育を受けていていいと思う?

 猛省するしかあるまい。

 今後、さまざまな方法で、救済策が講じられていくのでしょう。その策の裏で、「過ちは正さなくてはならない」「目的を達するにもルールがある」「自分さえよければいいものなんて何もない」「ウソは痛い目を見る」という隠れたカリキュラムがきちんと伝えられていきますように。

 隠れたカリキュラムという発想は、教育界以外にも通用することです。

 たとえば、さまざまなブログを読んでいると、そのブログの記事の内容とは別に、受け取る雰囲気がありませんか?

 このブログを読んでいると何か安らぐ、というのもあれば、楽しくなるというのもあるし、何か緊張するとか、叱られている気がするとかいうのもあるかもしれません。もちろん受け取る側のコンディションも大きく関わるのですが、それが、隠れたカリキュラムと同じことです。

 自分から、言葉や動作に併せて「何が」伝わっているのだろうかと、時折観察してみることは、とっても大事なことだと思います。

 

 というわけで、休日をいいことに、長々書きました。ここまで読み通された方、ありがとうございました。

 また明日お会いしましょう。

 外は雨が上がって、気温も高くなってきました。
 心穏やかな休日となりますように。

←毎日応援ありがとうございます!

栗・熊・森

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 みなさん、おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 栗ご飯を炊いてみました。

 とっても美味しくできて、幸せだなぁとニッコリ。大好きなんです、栗ご飯と秋が。

 

 いつも、食事の前後にお祈りする言葉があります。

 「すべての命に感謝します。」

 いつごろからでしょうか、そう手を合わせてから、いただきます・ごちそうさまを言います。

 

 うちのくまさんが書いているホームページ「くまごろが行く!」の、信州紅葉狩りの一編にも出てきた話ですが、今年は例年に増して、熊が里に下りてきているようです。

 白馬村で聞いた話によると、話をしてくれた方がお友達のところに電話をして、「今から行くからね!」というと、「ダメダメ。今、うちの庭を熊が歩いているから、明日にしたほうがいいわよ。」と言われた、とか。

 保育園で先生たちが運動会の準備をしていたら、熊が遊びに来てしまって、運動会が中止になった、とか。

 家に帰ったら、鍵をかけずにでかけた玄関から家に入り、冷蔵庫をあけて魚肉ソーセージをむいて食べて行ったあとを発見した、とか。

 熊たちは、みんなお腹が空いているんですね。

 

 新米の合間から黄金色の顔をのぞかせている栗を見て思いました。

 この栗が、熊たちのお腹に入るようになっていたら、きっと里に下りてきて追い掛け回されたり、撃ち殺されたりすることはないんだろうなと。

 

 白馬村の人も言っていましたが、熊たちは別に人間を食べてみたくて襲ってくるわけではありません。ただ、出会ってしまってびっくりするだけなんだそうです。それに、人間が「熊だっ」と敵意をむき出しにしたら、「なにをっ」といきり立つ関係というのは、想像に難くないですね。

 麻酔銃で眠らせて、山に返すところも多いようですが、それだけでは何の解決にもならない。だから、熊の話題は耐えないのでしょう。

 

 豊かな自然を残そうと、いろいろな人がいろいろな場所で言っています。でもそれが、「豊かな自然が残るということは、熊も猿もヘビもみんな残るということだ」と理解したうえでの発言なのか、時々疑わしく思うのです。

 けもの道を歩いて登校中の小学生が熊とでくわしてしまい、襲われて、両目を失明したそうです。

 「豊かな自然を残す」とは、こういう出来事を許容するということです。こういう出来事を許さず、なおかつ「豊かな自然を残す」なら、現状とは違う努力やアプローチが必要だということではないでしょうかね。

 

 「手付かずの自然」という言葉は、大きなウソをはらんでいると思っています。人間が踏み込んでいない、開発していないという意味だけで「手付かず」というのは、ちょっと判断が甘いと思うのね。温暖化ひとつとってみても、その影響は「手付かずの森」にだって及んでいるわけで、その原因をヒトが作ったなら、やはり「手付かず」ではなくなっている。

 地球上にある、ありとあらゆるものが、人間の影響を受けているってこと。

 それは、あんまり、うまくいっていないよね。

 

 北海道にある、東京大学演習林のことをご存知でしょうか。

 富良野の森が有名ですが、ここで研究されている「森林経営」は、分林施業法と呼ばれるもので、森の木一本一本が調査され、必要な時期に伐採され、あるいは植栽されていきます。林道をつなげていくことで、伐採後の木の移動にも役立ちますが、動物たちの移動にも役立ちます。伐採された木のおかげで、林床に日光が届き、新たな命が育ちます。見通しがよくなった場所で営巣する絶滅に瀕したフクロウは、天敵から身を守りやすくなります。住みよい森で暮らす動物達は動きにつれて種を運びます。豊かな森林経営の共同経営者です。

 この、ヒト、森、動物が互いに支えあう分林施業法に興味をもたれた方は、研究の第一人者「どろ亀さん」こと高橋延清さんの著書をお読みくださいね。

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 方法がないわけではない。

 けれど、その方法が使われていない。

 全体では、なんだかうまくいっていない。

 それと知りつつ、目の前の茶碗の中で光っている、輸入の木の実を見て、微笑んでいる自分がいる。微笑みの次に、考え込んでいる自分がいる。それを書いている自分がいる。それを読むあなたがいる。

 命はやっぱり、つながっている。

 

 そうして、自分は小さいなと思う。

 自分が気付くことも、できることも、存在も、本当に小さくて、ミクロの点だ。

 それが神と同じ性質からできていると言われようと、永遠に不滅だと言われようと、そいういう言葉が軽々しく聞こえるくらい、小さくて無力だ。

 

 無力だけれど、だからといって、できることを放棄しない。

 全ての大きなものは、ミクロが集まってできているから。

 

 やっぱり、すべては、つながっているね。

 

←今日も応援ありがとうございます!

あとは天任せ

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 みなさん、おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 昨日は、ひとりで盛り上がって、わかりにくい記事を書いてしまいまして、ごめんなさい反省しました、夕方になってから。

 一日たって、冷静さを取り戻して、ひとりよがりはダメだよねぇと、ようやく思えました。

 うん、ここらへんが、成長のあと。

 

 それでね。

 ちょっと昨日の補足です。

 以前からお読みの方はご存知のとおり、Hikariは仕事に関わることをそれとわかるように記載することを、禁じられております。で、ああいったように、意味不明な文章になってしまうわけなんです。

 昨日は更に気分が盛り上がっていたので、もう、夕方読み返したら顔から火が出るような能天気な文章が書いてありましたが、あれからね、心を落ち着けて、整理して、そうなんだよねと思ったことがありました。

 

 昨日はじめてお話をしたその人物と、私は真剣に、これまで得たくて得たくて恋焦がれていたビジネスパートナーに会えたのではないかなと感じているわけです。

 今のところ、相手がどのように感じているかは知りません。

 だから、昨日は、相手も私と同じように感じてくれたなら嬉しいなと思ったわけです。

 そこで、なんです。

 10代、20代の頃の私なら、きっと一生懸命努力したと思うのです。その人に気に入られるためにどうしたらいいか一生懸命考えたり調べたり。押し付けがましくならないように慎重に振舞ったり、わがままと思われないように言いたいことを我慢したり。

 結果、どんどん自分らしくなくなっていって、自分の勝手な思い込みに振り回されてしまう。そういう自分が嫌いになって、辛くなって、いつの間にか、辛くなるきっかけにいた、何の罪もないその人のことまで憎たらしくなってしまったりして。

 それがまた、相手にとっても迷惑になっていたりしてね。

 

 でもね、今、全然違うことを考えている私がいます。

 

 昨日ちょっと書いたけれど、人はそれほど他人のことをあれこれ見ているわけではありませんよね。まして、相手も感情がありますから、いつも同じ気持ちでこちらを見てくれると思うほうが無理がある。

 さみしくても、かなしくても、それは道理なんだよね。

 だからね、私は、その点は手放そうと思うわけです。だって、思い煩おうと、お気楽にしていようと、相手は相手。同じこと。いえ、相手にしてみたら思い煩われた分だけ、かえって迷惑ってものでしょう?誰だって、自分の思いは自由でいたい。相手の思い通りになんかなりたくないんだもの。「私はこうだと思っていたのに」なんて言われてもね、困っちゃう。

 思い煩えば煩うだけ、遠ざかる。手放せば手放すだけ近づける。

 不思議だけど、たぶん、世の中、そうなっている。

 

 私は私にできることに集中するのみ。

 以上

 

 では、明日もまたお会いしましょう。

 今日もあなたにすがすがしい風が寄り添いますように。

←今日も応援ありがとうございます!

会いたくて

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 みなさん、おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 昨日のお話です。

 私はその人に会えることを、ほんとうに、心の底から楽しみにしていました。

 最初に話を聞いた時には、「なんだそりゃ?」と思いましたが、新聞報道されて、その人のプロフィールを読んだ時、ビビッと来たわけです。

 この人は、私が待ち望んでいた、パートナーになりうる人かもしれない。

 その日から、連日連夜、その人とあんな話しもしたい、こんなこともしてみたいと、心底仲良く、お互いに充実した最高のパートナーとなっていく姿をイメージし続けています。

 

 あ、ここで誤解のないように。

 別に不倫相手を捜し当てたとか、有名人の追っかけを始めたとか、そういう話ではございません。その向きをご期待の方にはモウシワケナイ

 

 一昨日のうちに情報を聞いたので、昨日の朝、はじめてお顔を見られるとわかり、もう何があっても遅刻なんかしないようにと、いつもより早い時間に家を出たのです。

 なのにっ丁度月末25日。天下の国道は大渋滞。

 ばっきゃーろーっ 朝から大渋滞有り難う

 私は今日は絶対に余裕で間に合うのだっあ〜よかった、感謝感謝

 独り言をいいつつ、いつもなら「どっしよっかな〜、このままはまるかな〜わき道はわかんないしな〜」と呑気に構えるところ、他の車に続いて、一度も言ったことがない迂回路らしいところへ「よっしゃー」と突っ込んでみました。

 ところが、迂回した先も大渋滞。

 道が細いだけに、これは時間がかかりそうだ。いつもならここで「しまったな〜、どうすっかな〜」と迷うところ、すかさずバック。元の国道に戻りました。

 こうなると、後はトロトロでも進むのを祈るしかありません。

 祈るというより、もう言い切り。「間に合ったのだ!」

 すると、なぜかあれほどの渋滞が、私の車の前だけパカッと消え、するすると進んで行き、いつも使う迂回路まで。こちらも混んでいるかと思いきや、全然混んでない!

 さらにするすると進んで、ほんとうに、あの渋滞とは信じられないほど余裕で到着してしまいました。

 

 遠めに拝見するだけでなく、絶対にお話しするのだ!と誓っていたので、なんとかチャンスをつかむと思っていましたが、どうしたものともアイディアがなくていました。でも、その場になったら絶好のアイディアが閃いた

 それをもとに、まずは自己紹介だけすることができました。

 ちょっと物足りないけど、まだ先のある話だからまぁいいか。そう思っていたら、なんと、あちらから、歩いていらっしゃって、なんと私の隣で足を止めてくださったんですそして、しっかりお話をすることができました

 

 思っていたとおりの、人格の輪郭がはっきりした、好人物でした。

 ここにあって、誰一人として応えても、共感してもくれなかった私の疑問を投げかけてみたのです。すると、きっぱりと「それは、大丈夫だと思いますよ。私はこれでいいと思っています。」とのお答え。

 これね、答えを濁すか、逃げるかがフツウの疑問なんです、ここでは。誰もそんなこと考えたこともない。答えを出す道も知らない。そんな疑問でした。

 それに、押し付けがましくも、無理解でもなく、瞬時に理解したうえで、ご自分の判断をすっとお話しになる。

 私は、こういう人とともに物事を進めてみたいと、永年思っていたのですよ

 まさに、理想的。

 

 さて。こうなると、相手からはどう見えたかなぁなんて気になってくるわけで。

 普段は大人ぶって、「人は私が思うほど、私に注目しているわけではない」とか、「相手も気分次第で人の見方が変わるのだから、一喜一憂しても無意味だよ」とか言っているわけです。

 でも、ひとたびこんな風に、ステキな人に出会うと、普段自分が言っているとおりだったらすんごく悲しいなぁと思ってしまう。

 悪いけど、本気を出したら、人の思いなんてどうでもいいと言い続けられるような大人ではいられないみたいです。

 できれば次に会うときにも憶えていてほしいなぁとか
 ちょっとくらい「いいやつもいるもんだ」と思ってくれたらよかったなとか
 また話がしてみたいと思ってくれたらいいのにとか

 邪念や妄想うずまく頭の中。

 で、邪念や妄想で終わらせないように、しっかりイメージングに結びつける姑息さ。

 

 会いたい人がいて、一緒にしてみたいことがあって、それに向かって真っ直ぐ進むとき、人は本当に力強いものだと、昨日の自分を見ていて思いました。

 

 では、また明日お会いしましょう。

 今日のあなたに、溢れるほどの幸運が訪れますように。

←応援ありがとうございます!

 

願いは叶う

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 みなさん、おはようございます。今日もおこしくださってありがとうございます。

 昨日は仕事も気分もイマイチで、残業しないで帰宅したものの、すっかり疲れていて、夜8時半ごろにはもう眠くなってしまいました。

 ここでソファーにいるから、転寝になってしまうんだ!いっそベッドに入って、ちゃんと寝たら、3時間後には目が覚めるかもしれない。

 なぜかそう思い、ちゃんとベッドに入ったら・・・9時間も爆睡してしまいました

 ああ、天高く、悪いやつほどよく眠る

 あと3時間長く起きていたら、読書もできるし、ノートも書けるし、いろいろできるのに〜!なんだか損した気分になるから困ったものです。(といいつつ、目覚めは爽快なんですけど

 

 さて。今日は女の子をひとりご紹介します。

 

 もえちゃんは、無口な女の子です。

 おうちでも、ママに何か聞かれたときだけ、「うん」とか「う〜ん」とか返事をする以外は、あまりお話をしません。

 クラスのことも、だからママにはあまり話すことがありません。ママはいつも、楽しいのかしら?つまらないのかしら?と気がかりに思っていました。

 もえちゃんのところでは、クラスに3人ずつ先生がいるのですが、ある日、お隣のクラスの先生が、2週間ほどお休みすることになりました。

 そこで先生たちは話し合って、もえちゃんとしょうたくんを連れたみどり先生が、お隣のクラスに2週間移ることにしました。

 移る、といっても、壁1枚隣のお部屋に、お弁当の時間より前の3時間行くだけです。しょうたくんはそのくらい気にしないぞ!という様子で、たちまちなじんでしまいました。

 もえちゃんも、みどり先生が一緒だから安心と思ったのだけど、みどり先生は忙しくて、なかなかもえちゃんのところにいてくれなかったので、だんだん心細くなったようでした。でもずっと笑顔で、機嫌よくしていました。だからみどり先生はその3時間の移動のことを、ママに連絡しませんでした。

 

 もえちゃんはその日、家に帰ってから、珍しくママにお話を始めました。

 「今日はあやかちゃんとえみちゃんと、ずっと一緒だったの。ちゃんとしていなくちゃいけない時間もあるけど、ちゃんとしたら、その時間の中でも遊んでいいんだよ!とっても楽しかった!!」

 それはそれは一生懸命話すので、ママは嬉しくも珍しくも思い、もえちゃんの様子を伝えるため、先生にお手紙を書きました。「もえがとても楽しそうで、私も嬉しいです。先生方にはとても感謝しています。」ママのお手紙はそう終わっていました。

 

 翌日。もえちゃんは今日もみどり先生と一緒にお隣のクラスに行くはずです。でも、大好きなあやかちゃんやえみちゃんにくっついて、なにやら楽しげにしています。

 みどり先生は、それを見ていませんでした。

 どうしてかというと、さなえ先生から、今日はどうしてもお休みしなくてはならないという連絡が入ったらからです。

 これでは、もえちゃんのクラスは、のぞみ先生一人になってしまいます。

 のぞみ先生一人は無理なので、誰かがヘルプに行く話になりました。

 そこでいろいろ話し合った結果、みどり先生が、もえちゃんを連れて、元のクラスに戻ることになりました。

 

 みどり先生がそれを伝えるために教室に向かっている頃、のぞみ先生ともえちゃんはお話をしていました。

 「もえちゃん、ダメじゃない!ママにウソのお話をしたでしょう?もえちゃんは昨日、あやかちゃんともえみちゃんとも一緒じゃなかったし、遊んでいいのは休み時間だけだったでしょう?本当のことをお話してね。」

 もえちゃんはうつむいてしまいました。

 

 そこに急いで教室に入ってきたみどり先生がいいました。

 「もえちゃん。もえちゃんは今日、みどり先生と一緒にいつものクラスにもどって過ごすからね。今日はあやかちゃんやえみちゃんと一緒だよ。」

 もえちゃんは、ばんざ〜い!と飛び上がった後、とびきりの笑顔でみどり先生に「はい」とお返事をしました。

 

 その日の3時間は、工作の時間でした。みんな黙々と指を動かしています。そこでふと、のぞみ先生は静かな音楽を流してみようと思いました。いつもはそんなことしないのですが、なぜかこの日はそう思い立ち、ステキなストリングスの曲を流し始めました。

 もえちゃんは、音楽が大好きです。どんな曲がかかっても、からだを揺らしてリズムをとります。楽しくなって、本当はあまり好きでない工作も、なんだか楽しくなってしまいました。

 

 そういえば。

 のぞみ先生がみどり先生にもえちゃんママの手紙を見せたのは、もうみんなが帰る支度をしているころでした。

 みどり先生は驚きました。

 「もえちゃん、きっとママに願望をお話ししたのね。平気な顔していたけど、クラスから離れて寂しかったんでしょう。だから、こうなってほしいという願いを、まるで現実のことのように話したのね。でも、のぞみ先生、よく考えてみて。もえちゃんの願望、全部叶っちゃっているわよ!ママのお礼まで、まるで今日のことがわかっていたみたい!!」

 そういわれて、のぞみ先生も気がついて、目が丸くなりました。

 

 成功哲学の本を何十冊読んだという大人でも、こんなに上手にイメージングや潜在意識を活用し願望達成できることは少ないのではないかと思う出来事だったので、ご紹介しました。

 ちなみに、プライバシー保護のため、名前や場面設定は創作です。

 

 願いは本当は叶うんですよね。

 

 それではまた明日お会いしましょう。

 今日もあなたに抱えきれないほどの幸せが訪れますように!

←いつも応援ありがとうございます!

 

「いいんだ!」出版!?

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 おはようございます!今日もお越しくださってありがとうございます。

 今日も外は雨模様。

 昨日は愚かにも、出勤の時は雨が止んだので、傘を車の中に入れっぱなしにしてしまいました。帰りはけっこう降っていて、当然濡れました。

 アホだなぁと、自分がおかしくなりましたね

 ここで笑えるところが、私の成長

 以前なら、ど〜んと陰気な気分になっていたところです

 今日は折りたたみ傘にしようっと。

 

 さて。

 今日は出版のお話しです。

 少し前に、某出版社から「いいんだ!」出版のお話をいただきました。

 あの物語を本にするのは私の念願ですので、ありがたくお話を伺っていました。

 書評もとても的を射ていて、なるほど!と思いました。そこでいただいたヒントをきっかけに、物語をもっと発展させることができることにも気付きました。

 

 ところが、残念なことに、具体的なお話になってみたら、だいぶ?なのですよ。

 

 本の出版には、「自費出版」「協力出版」「商業出版」とおおまかに3種類あるそうですが、いただいたお話は「協力出版」であるといいながら、協力というには程遠いと感じる条件でした。

 書いたものを本の形にしてみたい!というだけが目的ならば、今回いただいたお話でもいいのかもしれません。

 けれども、本の形になるかどうかより、いかに多くの人の手もとに届けるかを考えているので、「全国○○店に各1冊ずつ配本します」という販売方法では、単なる「宝探し」。無理ですって。

 しかも、編集の体勢や販促に関する提案も、規定どおりの説明で、この本だからこうしたい、というものは一切ありませんでした。

 原稿だったら何でもいいって印象ですね、これは。

 

 そんなこんなで、せっかくだけど、今回のお話はお断りすることにしました。

 もっともっと内外ともに勉強して、「いいんだ!」を商業出版で世に出してあげられるようにしたいなぁと、また意欲を新たにしました。

 ついでに、新しい物語も書いてみたくなりましたね

 

 夢を叶えるって楽しい。

 でも、夢を叶えるのって簡単じゃない。

 残りの人生全部かけても、叶えたいな。

 だから、焦らずいきましょう!

 

 では、また明日お会いしましょう。

 今日もあなたに抱えきれないほどの幸福がありますように!

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君は何をもって憶えられたいかね?

art-osiro150bbb みなさん、おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 夕べから降り出した雨は、今日一日続くようですね。

 ブタクサ花粉が飛んでいると言って、グシュグシュしていた周囲のアレルギーさんには恵みの雨になるのでしょう。

 

 昨日は、久しぶりに神田の町を歩いてきました。

 日曜日は大好きな古本屋さんがみなお休みなので、本当は平日に行きたいところですが、しかたがありません。

 ステキな出会いもあり、スポーツ用品の店先ががみなスキーやスノーボードに換わっているのを眺めつつ、心は大好きなスキーシーズンへ楽しいひとときになりました。

 

 さて。

 夕べ読んでいた本は、こんな書き出しでした。

 「君は、何をもって憶えられたいかね。」

 この問いかけは、13歳の少年に投げかけられたものだったので誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ。」

ドラッカー入門―万人のための帝王学を求めて ドラッカー入門―万人のための帝王学を求めて
上田 惇生

by G-Tools

 この、出会いと読める喜びを両手で噛みしめていた本から、わずか3行で目を離し、思いを馳せました。

 「私は、何をもって憶えられたいか?」

 

 この問いはすばらしい問いです。本の続きにあるように、人のパラダイムを大きく変換させます。目の前の小さな選択ばかりに夢中の毎日を送りがちな私たちに、俯瞰的な視点を、ただ「ある」だけではいさせてくれない動機をも、ポンと提示します。

 もし、人が、時代が、私を記憶するのなら、何だといって記憶されたいだろうか。

 こんな問いかけに13歳で出会えるのは幸運ですね。

 

 先日、例によって機械式駐車場を操作しながら、ぼんやりと、「私の仕事はなんだろうか」と考えていました。

 その朝まで、私の仕事はいろいろな言葉で表現することができると考えていました。

 もちろん、職業の名称で答えることもできるし、もっと具体的な内容を解説することもできます。その職業がはらんでいる本質を答えることもできます。ミッションステートメントのような形で答える準備もありました。

 でも、それらのどの説明にしても、それが本当なら、私の仕事はあまりにトラブルが多く、うまくいっていないということになるなぁと思いました。

 

 私の仕事が平穏無事に済まないのは、たぶん、オープンだからです。

 例えば、家庭にいるならば、その生活に登場する人物達は、家族以外はご近所さんとよく出かける先の人々、親戚くらいになるでしょう。場合によっては自分で選ぶことも可能でしょう。

 例えば、企業にお勤めなら、そこに同僚とかお客様とかが加わって、家庭にいるよりもオープンになりますね。

 私の場合、その同僚もフルーツバスケットのように入れ替わりますし、お客様も入れ替わります。しかも、お客様は来たくて来ているわけではないので、もともと価値観の違う、さまざまな条件がそろっています。それを来るもの拒まずのドンと来いなのです。

 だから、毎日が「思わぬトラブル」の連続になってしまう要素が、最初からたくさんあるのですね。

 

 「ああ

 車が地下から顔を出した時、ひらめきました。

 「私の仕事はトラブル処理なんだわ

 ものすご〜くスッキリしました

 だってそれなら、トラブルがやってきても当然だし、私たちはかなりの働きで、自分の仕事を進めていることになると思ったからです。

 

 適切な問いかけは私たちの日常をイキイキと再描写してくれます。

 もしもこのブログが、あなたにそんな問いを投げかけられるならとっても幸せですね。

 

 では、また明日お会いしましょう。

 今日も一日、あなたによきことが溢れますように!

←いつも応援ありがとうございます!

秋の大掃除狂詩曲

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 みなさん、おはようございます!今日もお越しくださってありがとうございます。

 PCからごらんの方はお気づきかと思いますが、ブログのデザインを久しぶりに替えてみました。ベルベットに宝石、いかがでしょう?けばけばしくて目が痛いかしら?

 ライブドアのデザインは、コントラストが弱いものが多いですね。つまり、全体的に淡色使いになっていたり、同系色の色が濃淡で重なっていたりするのです。ちょっと見た目にはきれいなのですが、色覚異常のある方や視力が弱い方には、文字があることを判別できなかったりします。

 で、私はいつも文字の後が白いデザインを選んできました。

 それなら、ある程度淡い色の文字が使ってあっても見やすくなるからです。

 それが今度はピンク!

 大いなるイメージチェンジのつもりなんです。

 カスタマイズもだいぶ慣れたので、「ここの文字が読みにくい」など、ありましたら部分修正ができると思います。ご遠慮なくお寄せくださいね。

 

 さて。

 昨日は朝から頭痛がしていて、お仕事だったくまさんには「いいから寝ていなさいよ」と言われていました。

 ところが、このブログデザインの変更あたりからやる気に火がついて、1ヶ月ちかく、週末も平日もろくに家にいなかったので、すっかり乱れてモノが氾濫してしまった部屋を片っ端から片付けました。

 カタログ、いつの間にこんなに溜まったのかしら?

 ミラーカーテン(外から内側がのぞけないような仕組みのレースのカーテン)が届いたのにかけかえていなかった!

 ソファーカバーを洗いましょう。

 旅行鞄が出しっぱなしよ!

 さながら、指揮者の気分です。それ、今度はあっちだお次はそっちだまてまて、そこのフレーズもう一度っ

 目が回る。頭は痛い。でも、もうどうにも止まらない

 

 ごちゃごちゃしていたものが次々に片付いてスッキリしていきます。ホコリもふき取って、さらにサッパリ。それがこの部屋の次はこちら、こちらと移っていくにしたがって、家全体の空気の流れが、太く鮮やかに甦るのをからだで感じていました。

 気がついたら、お昼ご飯を食べるのも忘れていました。

 くまさんが帰ってきて我に返りましたが、片付けの勢いはとまらず、終わってみれば午後8時。熱も38℃。で、ダウン。

 結局晩ご飯も食べずに寝てしまいました。

 

 今朝起きてみると、本当に家の中が爽やかです。熱も下がってからだも爽やか。このひと月ほど全然取れなかった眠気もきれいサッパイなくなっています。

 2食抜いたくらいどうということもなく、かえってぽってりお腹がスッキリ。

 あ〜家も私もダイエット大成功

 

 何度も書いていますが、環境・心・からだはひとつにつながっています。だからからだの具合が本当に悪い時は病院に行ったり休んだりしたほうがよいと思いますが、自分でイケル!と思えるときには、環境と心に目を向けて、乱れているものがあるなら、そこから手をつけてみると、他も連動してよくなるってよくあるんです。

 以前、玄関脇に不要だけどなかなか捨てられないモノをおきっぱなしにしてしまったことがあります。

 丁度置き始めた頃、左目の上に、ニキビのような、でも硬くて全然とれない、ヘンなものができました。

 捨てられないモノも、へんな吹き出物も、どっちも気になっていたのだけど、私は知っていて知らないふりを続けました。

 ある日、思い立って、不要なものを捨てました。

 その日のうちに、左目の上の固い吹き出物が、突然ポロリと取れました。

 鬱陶しかったものが二つとも同じ日になくなって、心は快晴でした

 

 あなたの今日一日も、快晴でありますように!

 また明日お会いしましょう。

 

 ブログのデザインを替えたら、ランキングのウシさんが妙にミスマッチな気がしたのでちょっと作ってみました

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