Win-Win〜あなたも幸せ。私も幸せ。〜

今ここで生きていることを楽しむためのブログ

2006年09月

あ〜よかった。

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 さわやかな秋晴れの一日でしたね〜。

 みなさん、このさわやかさを満喫されたでしょうか?

 私は、今朝も書いたとおり、休日出勤でした。でも、よかった〜とってもいい一日でした。

 たくさん緊張しながら頑張る主役達。
 それをかげで支えるたくさんのスタッフ。
 それを心からの拍手で見守るたくさんの観客。

 例えてみれば、そんな熱〜いライブ会場のような感動。

 みんな、みんな、みんな笑顔でした。

 苦労もあったけど、
 面倒くさい時もあったけど、
 すご〜く疲れたけど、
 よかったな。

 あの、幸せが渦を巻いて、ハレーション起こして、また自分に帰ってくるような感覚。大事にしていきたいな。

 とっても感動したから、みなさんにもちょっとだけお裾分け。

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懐かしい〜この感覚は何?

 みなさん、おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 9月最後の一日になりましたね。

 今日は休日出勤です。

 くまさんが車を持っていってしまったので、公共交通機関で出勤するのですが、土曜の朝は、都合のよいバスが1本しかない。

 これは真剣勝負だな。

 

 さて。

 昨日の朝、印象的な夢を見たというお話を書きました。

 起きてみたら細かいことはみんな忘れてしまったのですが、何かたくさんの人がいる場所に私もいて、そこで何かが、何度も起きて、そのたびに人が減っていくのです。で、最後はとても少なくなって、寂しくなったなぁと見回していたら、すごくステキな、安心できる笑顔ばかりが見えて、なんだ、寂しくないや、と思った夢でした。

 あの印象的な感じ・・・何か懐かしいと言うか、馴染みがあると言うか・・・は何だったのだろう?と、考えていました。

 よくみると、これって自然淘汰のことですよね〜。

 先日ガラパゴスウミイグアナの特集を見て、いたく感動したので(好きなんです、動物の話)それか?と思いました。

 胸の中に、夢を見ていたときと同じような懐かしさがこみ上げてきました。

 でも、ちょっと違うかな。

 突然、小学生の時を思い出しました。

 お誕生会というやつです。

 この話は以前も何かに書いたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんね。

 私の家はとっても貧しかったので、お誕生会というのが開けないわけです。

 ところが、ハイソなご家庭が多かった友人たちは、当然のようにそれを開いて友達を招くわけで、招かれるとプレゼントを持っていかなくては、ということになります。

 我が家にはそういうお金もないわけですが、なんとかかんとか、親からもらった資金と、自分のわずかばかりのお小遣いを加えて、何かしらを用意していくわけです。

 当然、他の友達との差は歴然。

 振り向かれない自分のプレゼントの姿を何度となく目撃して、寂しく思うわけです。子どもですから、「それは受け取った人の自由」なんて発想はありません。ただ喜んでもらいたいのに、喜んでもらっていないな、悲しいなと分かるだけです。

 で、自分の誕生日に、それらの人をご招待しなくてはならないわけですが、ウチは狭くてそんな場所もなければ、友達の分までケーキを買ってくることもできず、開催できないわけですよ、大事なイベントなのに。

 なんだか泣いて騒いで、なんとか一度だけ、そのお誕生会なるものをやってもらったことがあります。

 けど、きてくれた友達は、ケーキがお母さんの手作りでなかったとか、フルーツポンチがなかったとか、家が狭くて汚かったとか、すべて事実なんだけど、親も私も聞きたくなかった言葉ばかりが聞こえてしまって、もう二度とやりません!ということになってしまいました。

 私もいやになりましたね。親は怒るし、友達には恥ずかしいし。

 すると、話は俄然、「来るばかりで呼んでくれない子は招待しないように」となるわけで、その理由に「中学受験」なるものが出てくるともう、どうにもならない。

 これで「お誕生会」なるものは、私の中で忌々しいイベントになったわけです。

 小学校のスタートはハイソで転校生がちだった華やかなたくさんの友人たちが、お誕生会を経るたびに減っていき、卒業する頃には、似たような生活レベルの、お気楽に公立中学校に進む、ごく少数の、がんばらなくても付き合える友達だけが残っていました。

 残念だったのは、「僕が呼びたいから来てもらったんだから、自分のお誕生会なんて気にしなくていいよ〜」と言ってくれ、渡した鉛筆立てを大事に抱きしめてくれたりした、優しくて楽しい男の子たちが、みな転校してしまったことでした。彼らが残っていたら、私の小学校生活も少し、違う色を帯びたんだろうか?と、時々思ったりします。

 元気かな?オジサンになっちゃったかな?今、どうしているのかな?何も知らずにこのブログを読んでいた!なんてことになったら、奇跡的だなぁ。

 なんて考えていたら、またあの懐かしさがこみあげてきました。

 うんうん、イグアナよりこっちのほうが近い感じ。

 小学校での友達は、でも、その後の私の紆余曲折の人生の中で淘汰されてしまいます。中学での友達も同じです。もう少し安定した精神状態で、もう少し順調な人生を歩んできたなら切れなかったであろう糸が、あまりの激しさにプツプツ切れてしまったんですね。

 マンモス校を渡り歩き、仕事についてからもマンモス校でしたから、思えば本当にたくさんの人に出会ってきたことになります。

 その時々で、とっても大事な仲間がいて、友達がいて、憧れの人がいて、でも、私のステージが進むと、私はその人たちとの糸を切ってしまってきたのかもしれません。

 そのことを悔やむこともあったのだけど、ふと、昨日、「これでいいんだなぁ」と思いました。

 数は少ないかもしれないけど、今後私がどうなろうと、きっとこの人たちは私の近くにいてくれるんだろうな、私もいたいと思うもんな。そう思える人たちだけが残った感じがしたからです。

 ふわ。

 そうそう、これ。夢の中で感じたのは、これだった

 では、今日はいつも以上にたくさんの笑顔と喜びを生産するために、仕事、行ってきます!!

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合わせ鏡 その5

 おはようございます。 今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 夢を、見ました。

 

 起きてみたら細かいことはみんな忘れてしまったのですが、何かたくさんの人がいる場所に私もいて、そこで何かが、何度も起きて、そのたびに人が減っていくのです。で、最後はとても少なくなって、寂しくなったなぁと見回していたら、すごくステキな、安心できる笑顔ばかりが見えて、なんだ、寂しくないや、と思った夢でした。

 

 曖昧な割には、印象的な夢でした。

 

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 では、自分の気持ちをうまく映すことができない相手にどう向き合ったらよいのでしょう?

 

 ∞自分でなければならないと考えないように。その人に愛を映すことができる人がほかにいるなら、それでよい。手放して、委ねることだ。

 

 手放して、委ねる・・・。

 

 ∞そうだ。いいか?よく聞きなさい。


  君たちは役割を決める。父・母・子・教師・医者・・・・。そして期待される役割の果たし方を決めている。親は子を愛するべし、夫は妻を守るべし、医者は患者を治すべし、教師は生徒を導くべしというように。しかし、100%その期待通りになるということはない。君たちがいろいろだからだ。中にはどうにも相手によいものが映らない時、映らない人がいると知っていなさい。

 

 ∞そうして、そういう人に出会ったら、そっと手放して委ねることが最大の愛であると知っていなさい。

 

 とても、とても大好きな人でも?

 

 ∞とても、とても大好きな人だから手放すのだよ。

 もう気付いているだろう?よいものが映らないのは、必ずしも相手のコンディションの問題ではなく、君自身の問題である可能性もあるのだ。君が曇っているのかもしれない。君が相手の愛と逆のものを表現しているのかもしれない。それは、相手にとって、とても悲しいことになっているかもしれない。相手が「これは悲しむことではないんだ」と知っていてくれればよいが。

 

 ∞だから、どうにも努力の余地がないと感じたら、それ以上しがみつかずに、手放して、委ねなさい。そうして、祈りなさい。その人の心に愛が映り、その顔が輝き、笑みがはじける日が来るように。己の心の曇りがとれ、愛を映し、愛を移せる日が来るように。

 

 ∞祈り続けなさい。

 

 ∞君たちは変化する存在だ。君たちのある状況は、ずっと続くわけではない。それが祈り続けることの価値を裏付けていると知りなさい。

 

 ∞祈るしかできない時の、なんと多いことか。
  それでも生きるのが人だから。
  だから私が君のそばにいるのだよ。
  手放しても、ほんとうはつながっていると伝えるために。

 

( Dance with the Voice #12-5 )

 

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 9月に入ってからの私には、できる限りのこととはたったこれしかないのか?と思いつつ、あとは委ねて祈るしかない日々が続いていました。だから、この話はほんとうに身に沁みてよくわかります。

 

 ただ、まだ途中ではありますが、委ねてよかった、祈りは通じるんだなと思う日を迎えることができています。本当に有難いことです。

 

 手もとに握りしめておくほうが、ストレスも面倒も少なかったと思います。けれど、今日この日の状況を迎えることはできなかったか、もっと長い時間が必要だったでしょう。

 

 自分が誰かの欠点やマイナス感情を引き出すきっかけになっていると気づくことがあります。

 

 ちょっと例としてはずれるかもしれませんが、小さな子どもの躾に、こんなことがあります。

 

 最近、絶叫型の子どもをよく見かけるようになりました。注目してほしい時に、キィーッと絶叫するのです。

 

 親御さんは驚いて、静かにしなさいっと叱ります。でも、子どもは静かになりません。ますますキーッギャーッと叫びます。

 

 これは、子どもの絶叫に対して、「静かにしなさい」という言葉ではありますが、注目を与えてしまっているので、子どもの思い通りになっているからです。

 

 一度こうなると、子どもがギャーッと言いたいタイミングを察知し、言ってしまう前に注目を与えるか、ギャーと言うたびに、社会的に認められる範囲の呼びかけを繰り返し言って聞かせて教えるかしないと、大きくなっても恫喝すれば人は言うことを聞くと思い込んでしまうことになりかねません。

 

 注目したものにエネルギーを与えるという話をしましたが、それも思い出すことができます。

 

 自分の反応が、相手の好ましくない部分を刺激していると気付いたら、すぐに反応を変えなくてはなりません。そうしないと、相手の好ましくない部分にエネルギーを与えることになり、大きくなった好ましくないものが自分の方へ帰ってきます。

 

 反応を変えても状況が変化しなければ、できるかぎりそっと、手放して(無反応になって)様子を見ることも大事なのかもしれません。

 

 仕事や子育てでは、見守っているだけではどうにもなりませんから、もっと工夫があると思いますが。

 

 それでは「合わせ鏡」はここまでです。

 

 また明日、お会いしましょう。

 

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合わせ鏡 その4

 おはようございます。今日もおこしくださってありがとうございます。

 

 早起きしたら、まだ夜明け前で、なんとも不思議な空の色でした。そのまま夜明けまで見ていようと思ったはずが、うかつにも眠ってしまい、次に目が覚めたら雲ひとつない青空です。

 

 ちょっと、うれしいな。

 

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 ところで。合わせ鏡の法則はとてもよくわかったのですが、ある程度社会生活を送ったことのある人なら、それだけでうまくいくというものではないこともみんな知っていると思うんです。こちらがいくら善意でいるつもりでも、相手に映らない時もあるし、こちらが何も考えていないつもりのときに、なんだか悪意が映ってる?ということもあります。コントロールしないとなると、こういう時はどうしたらいいのですか?

 

 ∞二つの話をしよう。

 

 ∞一つ目は、プロセスということだ。


  君たちの心が相手に映るといっても、全員に同時に映るわけではない。映るまでのプロセスがある。君がズレを感じたのがそのプロセスの一場面であったならどうだろう。君はしっかりと君の心を変えずにいればよいだけのことだ。

 

 なるほど。もう一つは?

 

 ∞もう一つの話は、映らない人もいることに絶望する必要はないという話だ。

 

 映らない人がいる?

 

 ∞いる。細かく分ければ、映ったものをそのまま表現しない人がいる。映ったものと逆のものを表現する人もいる。曇り過ぎていて映っているかどうかわからない人もいる。あれもこれも映してしまって、混乱している人もいる。もっといろいろいるよ。

 

 そうだ。そうですね。


 私たちがみな「同じ鏡」だったら、同じものを映しあうばかりになってしまいます。それではこの世は一つのもになってしまう。でも違いますよね。もともとわたしたちは一つのものではありますが、この世はいろいろあるところに意味があり、価値があり、素晴らしいんだと思っているんです!

 

 ∞そうだろう。だから、君が期待するように映らないこともあるんだよ。

 

 なるほど。いくら私が自分を愛で満たしても、誰もが愛を映すわけではないんですね。

 

 ∞そうだ。だからといって憤る必要はない。落胆する必要もない。自分の愛に絶望することはないのだよ。

 

 そうですね。そういう反応をするのは、私が私自身を損なう行為ですね。

 

 ∞その通りだ。だから、そういう人に出会っても冷静に、いつもの温かな心でいてほしい。その人は君を損なうためにそうしているのではなく、ただそのようにあるというだけなのだから。

 

( Dance with the Voice #12-4 )

 

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 さてさて。

 

 身から出たさびとはいえ、ランキングは昨日も1ポチもカウントしていただけず、とうとう10位を転落です。

 

 こうなると、どこで下げ止まるのか興味津々。

 

 みなさんの暖かい応援が形になるのは、その時ですから!よかったら今日もウシ君をぷちっと押してからおかえりください。

 

 あ、それから。昨日コメントをくださった阿部敏郎さんのブログの「青い三角定規」高田さんの死について書かれた記事は素晴らしかったです。私もコメントをさせていただきました。ランキング1位ですから、ぷちっのついでに、まだなら是非読んでみてくださいませ。

 

 では、明日もまたお目にかかれますように!

 

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合わせ鏡 その3

 おはようございます。今日もおこしくださってありがとうございます。

 

 このブログにコメントをいただくと、ケータイに転送されるよう設定してあるのですが、最近ほとんどそれが送られてきません。どうもライブドアさんもいっぱいいっぱいになっているようです。

 

 いくらコメントが少ないブログとはいえ、何にもない日はやはりちょっと寂しいなと思うもので、仕事中は携帯しないケータイを、午後3時過ぎにチラリと見たりしたときに着信がないと「あ〜あ」と思います。

 

 ところが、コメント自体はちゃんといただいているんですよ。転送されないだけで。

 

 私たちが望むものは、必ずしも私たちが期待している形で贈られるわけではないかもしれない。でも、視野を広くして心を開いて見てみれば、それはちゃんと与えられているという好例だなと、思いました。

 

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 合わせ鏡について、例え話をしてくださいませんか?

 

 ∞君がもっとも答えに困った相談は何だったかな?

 

 そうですね、最近の話ではありませんが、「妻を愛せない」っていう、あれでしょうか。

 

 ∞なるほど。あれはいい例になるだろう。説明してごらん。

 

 はい。奥様が買い物依存だとかで、奥様の収入は全てブランド品を買うのにつぎこんで、ご主人の収入は生活費だといって全て取り上げ、お小遣いもろくにくれないそうです。奥さんは早く眠くなる性質だからといって家事もご主人にまかせきり。保育園の送迎もご主人でした。そのご主人が、もう妻を愛せないって言うんですよ。

 

 ∞君はなんと言ったんだったかな?

 

 じゃ、別れたら?って聞いてみました。

 

 ∞どういう答えだった?

 

 細かいことは忘れましたけれど、別れられない理由を山ほど言うんです。子どもには母親が必要だとか、妻の両親に家を買ってもらったとか。家なんか返せばいいし、不仲な両親を見るより、別れてもらったほうがいいという子供もいるんだぞと、自分の経験からも思いまして、「そんなの理由にならない。愛がないなら別れてしまえ!」って。そうするとますます、イヤでしかたがないが別れられない理由を並べ立てて・・・。最初はちょっと相談なんだけどね、って言っていたけれど、結局自分が愛せない妻と別れられない理由を誰かに聞いてほしかったのかな?と、途方に暮れまして。

 

 ∞夫としては八方塞だというわけだ。どうして妻があのような行動をし続けるのか気が知れないと。

 

 そうです、そうです。女性はなんでブランド物が好きなんだ?なんて聞くんです。私みたいにブランドものなんてカケラも価値を理解していない女性もいるんだから、一般論にされてもなぁ。

 

 ∞その夫は、妻が夫の「もう愛せない」という気持ちを映し、夫から愛されない、自分も夫を愛せない寂しさを紛らすために買い物をし、夫に「愛されている部分もあるかもしれない」と感じたいがために行き過ぎた注文を出していることに、君が気付けばよかったね。

 

 そうか!どちらが先か知らないけれど、あのご夫婦はお互いに「愛されていないから愛せない」という気持ちを映しあっていたんですね!

 

 ∞そうだ。もし今の君が、夫の「もう妻を愛せない」という言葉に答えるならなんて言うかな?

 

 そうですね。私が影響を与えられるのはご主人の気持ちや行動ですね。

 

 奥さんが愛されていると感じることで、奥さんの気持ちや行動が変わったらご主人も愛されていると感じるかもしれない。まずはご主人の考え方や行動を変えてみるように話してみるのがいいですね。

 

 でも、思い込みが強くて、気持ちを切り替えてみては?というのでは、切り替えられない理由を山ほどいうだけだろうから・・・

 

 彼の場合は行動から変えてみるのがいいですね、きっと。気持ちは後からでいいので、こういう行動をちょっとしてみたら?って。

 

 例えば、そうだな・・・今度奥さんがブランドの買い物に行く時に「一緒に行って、君に似合うバックを選んであげる」って言ってみたら?というのはどうでしょう。「ほしいものは決まっているのよ」って言われると思うけど、あなたの楽しみを一緒に楽しんでみようと思って、という気持ちは伝わるんじゃないかしら?

 

 家事もいわれるままにどんどんやるんじゃなくて、「これは君のほうが上手だから、いつでもいいから君がやってくれ」ってちゃんと伝えて、奥さんがやったら「いいね、ありがとう」とか、「おいしいね」とか、「これは好みだ」とか「次はこんなのもいいね」とか、言ってもらえたら愛情を感じるものよ、っていうのもどうかしら?

 

 要はコミュニケーション不足なんだから・・・

 

 ∞そういうことだ。すぐに変化は現れないだろうが、最初は「なんとなく今日はくすぐったいな」と感じ合うだけでいいのだよ。相手の気持ちは自分の気持ちが映った=移ったものだとわかれば、そう簡単に悪意は持てなくなるだろう。

 

 そうですね。

 

( Dance with the Voice #12-3

)

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 ランキングにリンクしたボタンが大きすぎるとお叱りを受けました。それででしょうか昨日は、いつものようにたくさん押していただいたに違いないのに、1ポイントも加算されませんでした。

 

 うかつにもサイズにルールがあることを見過ごしてしまった私のミスです。

 

 いつからまた加算されるのかよくわからないのですが、ルールに則った、オチャメなボタンを作成してみたので、もしよかったら押してみてください。

 

 それではまた明日お会いできますように!

 

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合わせ鏡 その2

 おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 ひとつ、ご報告があります。

 

 9月12日に、「私のために祈ってください」とお願いした難問は、とりあえず、なんとかひと段落することができたようです。本当に難しく、手に余るようなことでしたが、新たな協力者を得て、今までとは違った形で、もう一度最初から見直すことができるようです。

 

 あの日。みなさんの応援がなかったら、私は本当に逃げ出していたかもしれません。相変わらず、同じ場所をぐるぐると這い回っていたかもしれません。

 

 ありがとうございます。心から感謝します。

 

 とはいえ、何も解決していないし、終わったわけでもありません。ただほんの小休止なのかも。それでもここまで進めたことが嬉しくて。

 

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 片思いというのは、自分の気持ちが相手に映らないことですよね。

 

 ∞コントロールだよ。

 

 コントロール?

 

 ∞片思いにも2つの成り行きがあるだろう。

 

 結局相手に思いが通じるのと、伝わらずに終わるのと?

 

 ∞伝わりすぎて嫌われたのにまだ諦めきれず、ストーカーになったりね。

 

 ストーカーって、よくご存じえすねぇ。

 

 ∞おかげさまで。片思いが叶うのと、嫌われるのと、相手をコントロールしようとしたかどうかがひとつの分かれ道になる。

 

 ∞なんとかして相手を振り向かせようとか、自分を好きにさせようとか、相手を操作しようとするだろう。立場を逆にしてごらん。君は君を思い通りに操作しようとする人に対してどう感じるかな?

 

 そうですね。不快に思うか、やめてくれ!と思うか。逃げ出したくなるか…。どちらにしろいやだなぁ。

 

 ∞そうだろう。自分では何もしたくないという人は別にして、君たちは人から操られた人生を好まない。では、君が生きているだけで幸せという目を向けている相手にはどう思うかな?

 

 そうですねぇ。何も思わないか、ちょっといいなと思うか。マイナスの印象にはならないですね。

 

 ∞つまり、君の気持ちが相手の気持ちを作り、相手の気持ちが君の気持ちを作るわけだ。ところで、このサイクルの中で、君が一番影響を与えられるのはどの点だろうね?

 

 それは自分の気持ちでしょう!

 

 ∞そうだ。相手との関係を変えたかったら、自分の気持ちに強く働きかけて、変えていくのが道筋なんだよ。変えた気持ちに合わせて、行動も少し変えてみることだ。

 

( Dance with the Voice #12-2 )

 

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 連載3回でと予告したこの「合わせ鏡」。連載を始めたところで、「声」がもう少し深い話をしようと言います。続けてかけるのかどうか分かりませんが、ちょっと長くなるかもしれません。

 

 昨日から、「声」が二つのことをしきりに言っています。

 

 ∞時間をかけなさい。
 ∞先に決めておきなさい。

 

 やってみるしかなさそうです。

 

 それでは、また明日お会いできますように。

 

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合わせ鏡 その1

 みなさん、おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 今日から3回連続で、「合わせ鏡」というお話をします。

 

 「聖なる炎」は、実ははじめて、ノートと鉛筆ではなく、パソコンに向かって「声」と話をしてみた文章でした。可能なんだなとは思いましたが、とてもやりにくかった。だらだらと長い文章になってしまうし・・・。

 

 「合わせ鏡」は、8月末にノートに書きとめたものです。お楽しみいただければと思います。

 

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 相手の気持ちが分からない、相手が自分をどう思っているか知りたい、相手の気持ちを変えたい、という相談を時々受けるんです。どう答えたらよいでしょう?

 

 ∞相手というのは、知り合いということだね?

 

 はい、そうです。家族とか、友人・知人、同僚、ネット上の知り合いというのもあったかな。そういう人たちです

 

 ∞それならとても簡単だよ。その人を前にしたときの「自分の気持ち」に注目することだ。

 

 ははぁ、「鏡の性質」ですね。

 

 ∞鏡だよ。君たちには鏡の性質が備わっている。二人が向き合うと、お互いがお互いを映し出すのだ。離婚の調停に来た二人が同じ言い方で相手を貶し合うというのは有名な話だね。

 

 はい。私も聞いたことがあります。

 

 ∞気に入らないヤツだと思う相手からは、気に入らないヤツだと思われていると知ることだ。ずるいヤツだと思う相手からは、ずるいヤツだと思われている。許せない人だと思う相手からは許せない人だと思われている。

 

 ∞申し訳ないと思いながら付き合うと、相手はなんとなく申し訳なく感じて、君と付き合いづらいと思うだろう。

 

 ∞楽しい、嬉しいと思いながら付き合うと、相手も楽しく嬉しく思うだろう。

 

 ∞君たちはお互いを映し合うのだよ。これは顔色で伝わるのではない。気持ちが波動となって伝わっていくのだから。

 

 では、片思いというのはどうなんでしょう?一方的に好きになりますよね

 

( Dance with the Voice #12-1 )

 

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 とても嬉しかったお話しを。


 Hikariが書いた物語『いいんだ!』をまとめ直して公開したところ、とてもうれしいお便りを毎日のようにいただいています。これは本当にうれしくて、遅れても必ずお返事を書きたい!と思うほどです。

 

 ありがとうございます。

 

 調子に乗って、次のお話を書こうか?なんて思い、構想を練り始めたりしています。

 

 ところが。

 

 お礼のメールを差し上げたのに、入力していただいたメールアドレスが間違っているのか、戻ってきてしまう方がいるんです。とっても残念!

 

 これをお読みになり、「メールフォームから手紙を送ったのにまだ返事が来ていない!」という方は、ご記入いただいたアドレスに間違いがあった可能性が高いです。どうかもう一度ご連絡くださいませ。お願いします。

 

 では、また明日お目にかかりましょう!

 

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私が「魂」と出逢った日

 おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 台風がご近所を通過中だそうですが、素晴らしい秋晴れのさわやかな週末です。こんな日は、ブログを読んでいただくよりも、「外に出て風に当たりましょうよ!で、帰ってきたらやっぱり読みに来てねっ」という気分になります。

 

 こんなさわやかな日に、Hikariはどうしているかというと、家にいます。

 

 実は声が出なくなって4日目です。熱が下がって油断して、プールに入ったのが敗因でした

 

 プールから出た直後に咳が出始め、その夜には喉がたまらなく痛くなり、翌日には咳が止まらなくなり声が出ない状態に。

 

 昨日は喉の痛みもひいて、その気になればしゃべれるようになったのだけど、珍しく家にいるくまさんが「しゃべるなっ」と言うので、黙っています。

 

 し〜〜〜〜ん。

 

 

 さて。昨日予告したとおり、今日も過去のお気に入りの文章をご紹介させてください。もうずっとこのブログに来てくださっている方でも、ごく初期の頃の文章なので、ご存知ないかもしれません。

 

 2004年12月21日の記事です。この日の体験は、その後の私を大きく変えてしまいました。見るものの価値や認識を。読む本や考える内容を。それから、生きがいまで。

 

 リンクにしようと思いましたが、思い切って引用してしまいます。

 

 


 先日、大変重い障害をもっている方と一緒に過ごす機会がありました。わけあってその方は毛布にくるまって横になっており、Hikariはその足もと近くに座っていただけでしたが。



 時折目を開けてこちらを見ているようでしたが、すぐにうとうととまどろむようで、起こさないように、緊張を伝えないようにと、最初のうちはそればかり考えていました。



 その方には激しい発作があり、薬でもコントロールすることができずにいるので、頭を打たないようにヘッドギアがはずせません。声もほとんどないし、身体も自力では動かすことが難しく、起き上がったり歩いたりするときには、両側からの介助が必要です。記憶や判断も、我々と同じというわけにはいかないようです。



 障害のある人を、かわいそうだと思ってはいけない。
 そんな言い方を聞いた事が、どなたにもあると思います。
 では、どう思えばいいのか。このことを誰かと話し合うとしたら、私はなんと言うだろう。そんなことをぼんやりと考えていました。



 その時、なにか大切なものに触れた気がしました。



 何の邪気もなく眠っている顔を眺めながら、この体の中に、何もかも分かっていて、ものすごく覚醒したが入っている、と感じたのです。



 その魂が、この人生を、この身体を、この障害を選んだのだとしたら。



 自分で何かよい行いをするのではなく、自分の周りに集まる人たちに、無条件の愛や献身をあらわすチャンスを与えるためにこの条件を選んだのだとしたら。



 そうだとしたら、この魂はなんと気高いことでしょう



 Hikariは、誰にでもこの魂はあると信じています。それをある人は神と呼ぶし、同じものを潜在意識とか超自我とかsomething greatとか呼びます。呼び名はどれでもいいのです。



 ただ、Hikariは、人は親や人生の条件を選んで生まれてきたのだと思っているだけです。



 同じ選ぶにしても、この方の内にある魂の、なんと荘厳な選択だろう。どんなにか不自由で生き難いことだろうけど、きっとこの魂はそんなこと、軽々と道具にして、自分が生まれた理由を淡々と生きているのだろうな。



 そう思ったら、涙がこぼれました。あなたは、すごい!!



 その時です。その方の目が急に開いて、じっとこちらを見つめました。それまで数十分、まぶた以外は一度も変わらなかった表情が、満面の笑顔に変わったのです!



 神様の微笑み。その時のHikariの驚き、伝わるでしょうか。



 またうとうとし始めた横顔から、目が離せなくなりましたが、じきにお迎えの人が来ました。声をかけると、しっかり目を覚ましたようでした。



 いつもなら抱えるようにして起こさないと立ち上がることができないのに、その日は軽く足を支えてあげるだけで起き上がった、そうして、両脇を抱きかかえるのではなく、片手を軽く支えるだけで一人で歩いて行った、驚くべき話ね何かあったの?、と後から聞かれました。



 覚醒した魂。きっと見つけてもらえて嬉しかったのだろうと思いました。

 
 
 
 私は「魂」と、こんなふうにして出逢いました。この頃はまだ「生きがいの創造」もワイス博士も読んでいなかったから、後から読んで、ああやっぱり!と思ったのは言うまでもありません。

 

 「覚醒した魂」というタイトルだったのですが、今から思うと変です。魂はもともと覚醒しているものだから。

 

 

 ただ、この文章を書いたときには、自分が意識できる、不満や迷いでいっぱいの「自分」という曖昧な何かと違って、ものすごく何もかも分かって、覚悟して、今を積極的に肯定的に選んでいる存在があると感じたのでした。それを「覚醒した」という言葉で表そうとしたんですね。

 

 
 先日、その方が今もお元気でいるという噂を耳にしました。
 

 ホント、うれしかった

 

 あの時私に微笑んだ魂は、まだミッション継続中だったんですね!

 

 それで、この文章を思い出し、最近ここに来てくださるようになった方にも是非お読みいただきたいなぁと思って、掘り起こしました。

 

 

こにゃんの思い出

 おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 街を歩いていて、ふとキンモクセイの香りに気がつきました。

 この香りを「トイレの芳香剤のにおい」なんていう人もいるけれど、私にとっては幼い頃の思い出に強烈につながっているみたいです。

 多分、小さな実家の古い家の庭に、大きなキンモクセイがあったからでしょう。

 香りは、過去の記憶とつながって、すうぅっと私たちを過去を思い出させます。

 ああ、そういえば今日は秋のお彼岸です。過去を振り返るのにようどよい日ではありませんか!

 次なる「声との交流」に進む前にひとやすみしてみましょう。今日と明日とで、過去に書いたものをひとつずつご紹介したいと思います。

 今日ご紹介するのは、1998年12月29日に書いたものです。

 大好きなヨーコさんのブログ「潜在意識を使って☆HAPPY-LIFE!」で、トラネコの話が出ていました。それを読んでいて、思い出してしまったのです。大好きだった猫の親子のことを。

 私はその年からHPに日記を書き始めました。この時の引っ越しにいたるいきさつはとても劇的だったので、(そのころはシンクロニシティなんて言葉は知りませんでした)書いてみたくなったのでした。

 12月29日は引っ越しをして数日後、前の家の最後の掃除をしに行ったのでした。

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oyanyan1998.12.29  ねこ

 今日は前の家のお掃除をして、本当のサヨナラをしてきました。ちょっと淋しくなりました。

 我が家の庭で、赤ちゃんを生んだのらねこがいました。おやにゃんと呼んでいました。私は、猫は好きではありませんでした。でも、子猫を見ているうちに、少し好きになりました。こにゃんと呼んでいました。おやにゃんは、赤ちゃんの時に捨てられていたのが、自力で大きくなった、偉いねこです。こにゃんを初めて見つけたときは、まだ目も開いていませんでした。

 こにゃんは、生まれて2か月目くらいのある日、突然姿を消してしまいました。いくら探しても見当たりませんでした。それから、おやにゃんと私は、もっと仲良しになりました。

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 昨日まで足元にまとわりついて離れなかったのに、今日の最後の掃除の邪魔はしませんでした。おとなしく座ってにゃご、と鳴きました。撫でてやると、ごろりと白いお腹を見せました。まだ、おっぱいが見えていました。出発の邪魔もしませんでした。いつまでも座って、こっちを見ていました。
 ねこが大好きになりました。バイバイおやにゃん。元気でね。私は泣いてしまいました。

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 きぃきぃきぃ、みぃみぃみぃと何か聞こえる。小さな庭に出て、声を探りました。物置の下を覗いてみると、小さな小さな哺乳類がいました。なんだこりゃ!それがこにゃんとの出会いでした。

 子猫など見たことがなかった私は、この子は目が潰れているっ!と思いました。まだ生まれたてで、目が開いていないだけだったのに、そんなこともわかりませんでした。

 ペット禁止のアパートです。飼うわけにはいかなかったけれど、ほんの少し自分の猫だと感じてしまって、母猫に牛乳などを時々あげるようになりました。

 汚れた母猫でした。毛もパサパサしていて、埃だらけでした。でも、うちに来るようになり、ミルクをなめているうちに、だんだん毛艶がよくなって、ピカピカしていたのを覚えています。

 それまでの人生で、あれほど、家に帰るのが楽しみになったことはありませんでした。猫達は大変行儀がよく、家の中に入り込もうとすることはありませんでした。1ヶ月もすると、母猫がいなくて子猫だけみぃみぃみぃと鳴いて、かりかりかりと網戸をひっかいて呼んでいる事がありました。そっと抱き上げると、いつもおとなしく抱かれていました。

 こにゃんがどうして消えてしまったのか、全然わかりません。

 誰かが拾っていったのか、事故に遭ったのか。

 おやにゃんは何度もうちの庭に戻ってきては、物置の下を覗いていました。その時は部屋の中に飛び込んできて、こにゃんを探していました。きっと驚いているだろうな、寂しいだろうなと思って、ミルクをあげて頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じていました。

 引っ越しが決まって、次のアパートもペット禁止だったので、おやにゃんとはお別れでした。引っ越し当日は、私やくまさんの足もとに絡まってきて、本当に大変でした。まともに歩けないくらいでした。それまでも時々、仕事に行こうとすると飛んできて「遊ぼう、遊ぼう」と言いたそうに絡まってきましたが、あれほどのことはありませんでした。

 そうしていよいよ最後の日。それが12月29日だったのです。

 今とはずいぶん違う幼い文章。これは本当に自分で書いたの?という気がします。が、あの時の光景がありありと思い出されて、今でも涙が浮かびます。何度も何度も読み返した、私の大事な思い出の文章です。

 おやにゃんはまだ長生きしているかな。幸せな毎日かな。

 幸せだったらいいんだけど。

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聖なる炎 おまけ

 みなさま、おはようございます。今日もお越しくださってありがとうございます。

 

 月曜がお休みでしたから、いつもより1日少ないはずなのに、なんだかぐったりの金曜日です。周囲には私と同じようにいきなり高熱が出る風邪と、なぜかお腹を壊すのとが流行しています。友人の話では、小児科が大混雑ですって。季節の変わり目、ちょっとペースを落として、のんびりと過ごしたいところです。

 

 さて。

 

 今日は、「聖なる炎 その6」に出てきた例え話のフォローを書こうと思っています。

 

 昨日のお話に、何にどのように注目するといいかという例えとして、投資の話が出てきました。

 

 なんだか現状維持が中心で、新たな事業展開の興味はあるものの、マイナス面ばかり見えて積極的になれないA社。

 

 A社と逆で、新たな事業展開に夢中で、とにもかくにも成功しか考えていない、イケイケのB社。

 

 さまざまな展開をしたときの成功とリスクを予測し、計画的に備えようとしているC社。

 

 どこに投資する?という話で、成り行き上、C社がいいねと言われて、「そうですね」と言っちゃったんですが、実際に私が自己資金の多い投資家なら、C社だけに投資するということはしないと思います。

 

 それはこういう理由です。

 

 A社は、確かにここから新たな大発展を遂げて、現状より大きな収益を上げることにはならないかもしれません。でも、状況判断を誤らない限り、安定した企業ということもできますね。これは、投資先として悪い条件ではありません。

 

 B社は、一見危険極まりないです。無謀な冒険に打って出て、玉砕の可能性も感じます。でも、その冒険が大当たりの時には、予想以上の大きな収益につながるかもしれませんね。大当たりというのはこういう会社が起こすというのも無視できない事実。これは、投資先としてなかなか魅力的です。

 

 C社は、着実に収益を伸ばしていけそうです。リスクが少なくてリターンが比較的大きいのは、やはりC社でしょう。

 

 もし私が投資家で、豊富な資金を持っているなら、安定のA社に2割、チャレンジのB社に1割、着実のC社に3割で投資しておき、もしB社がイケそうだとみたら、手持ちにしていた残り2割を再投入します。で、もっとステキなD社に出会ったときやABC全てがコケた時に備えて、2割くらいとっておきましょうか。

 

 そうして、「声」が言っていた、C社一点投入よりも、私がするだろうやり方のほうが、じつは天然の配分・・・目えざる手が行う、チャンスや豊かさの分配・・・に近いのではないかと感じます。

 

 私たちはみんな、いつも何か大事なものを受け取っていますよね。ときどき、誰かはとてつもなくたくさんもらっているのに、自分はなんだか受け取っていない気がすることがあるのです。でも、いつでもゼロではない。

 

 そんな例のひとつになるかと思うのは、「聖なる炎 その6」で、私が目指している精神的境地を、明確な言葉にしたいと願っていた時の出来事です。

 

 もう、しばらく前からこの思いはあって、どうにか、紙に書いて壁に貼っておけるくらい明確にしたかったのだけど、どうにも曖昧模糊として言葉にならないのです。「聖なる炎」を書き始めた時にもその状態で、刻々と記事を進めても、なかなか明確にできませんでした。

 

 9月の初めから、枕元に1冊の文庫本が置いてあり、それを眠くなるまで少しずつ読み進めています。

 

 その本に、思わず起き上がるような文章がありました。

 

 『人生を変える力』という本に、祈りのパワーについて書いてあり、エネルギーの拡張段階には4つの場があると書いてあるのです。

 

 第一段階、第二段階と簡潔に説明してある内容は、私が「聖なる炎」で過去の自分を振り返ったのと、同じ変化をたどっているではありませんか!

 

 そうして、第四段階を読んだ時、思わず「これよっ」と声を出してしまいました。それが、昨日赤い字でまとめた、私の目標の部分にどれほど明確な指針を与えたか知れません。

 

 もう寝ていられず、『人生を変える力』を調べました。

 

 そうしたら、「聖なる予言」シリーズの『第十一の予言』のことでした。

 

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 ハードカバーで出版されていた時は『人生を変える力』というタイトルだったこの本を、私は出版と同時に買って、睡眠時間を削って読みました。が、読み終えた途端に、事情があって本が買えないとおっしゃる方から、それをどうしてもどうしても読みたいと連絡があり、すぐさま送ってしまいました。いずれ文庫が出たら買いなおし、読み直そうと思って。

 

 今年7月末に文庫が出ていたのに気付かなかったのが不思議です。その夜、即座にアマゾンに注文しました。

 

 届いた『第十一の予言』(引用元)を読んで驚きました。

 

 説明が、引用元よりも、引用先の方が、ずっと分かりやすかったのです!!

 

 ちなみに、私が今読んでいる本(引用先)はこれです。

 

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 目標が明確だと、よりよいものが贈られる実例のように感じました。

 

 そんなわけで、今日はちょっと趣向を変えて、「声」と違う見解をお話ししました。

 

 明日は何を書こうかな。

 

 またお目にかかれますように!

 

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