
おはようございます。
昨日は、無事に帰ってこれたら・・・と書いて出かけましたが、あまり無事ではなかったみたいです。毎日12時間を越える勤務はキビシイ〜。どうやら風邪をひいたらしく、喉が痛いです。
好きな人を取られたからといって、相手を生き埋めにしますかね?
なかなかしないですね。
腹が立つとか落胆するとかいう気持ちはあるでしょうが、生き埋めにはしないですよね。
それは、
自分にも至らないところがあったからではないか?という反省がブレーキになり、
相手がそれを選んで幸せだというのなら、ここは我慢のしどころだとやせ我慢する気持ちがブレーキになり、
あんな裏切り者、早く手を切ってよかった、次にもっといい相手をみつけるぞという現実逃避的ポジティブ思考がブレーキとなって、
リンチに行くぜ!とはならないんでしょう。
けれども、時に人は、あらゆるブレーキを失ってしまうことがあるんですね。
最初は話し合うつもりだったのに、
怒りに耐え切れず殴りかかってしまったら、
エキサイトしてとまらなくなってしまった、
つい余計なものを持ち出してしまい、
気がついたら殺人になってしまった・・・
2時間ドラマにだってよくある筋書きです。それは、ドラマだから、特異な犯人だからそうなるのではなくて、心にブレーキを失うことは、私にもあなたにも、誰にだって起こりうることなんですよ、きっと。
だから、報道を見ていて、「このひどい犯人だからこんなひどいことをした」という方向だけで語られていることに強い違和感を覚えます。その、ひどさ・むごさは己のうちにもあると思えば、あんな切り離した議論は欺瞞だとすぐに気付くでしょう。
ちなみに。
長い坂道などでは、車のブレーキは発熱して利かなくなりがちです。それとわかった坂道には、砂袋や車を乗り上げて止める逆向きの坂になった非難帯が用意されていますね。
ブレーキが利かなくなった人間にとっての砂袋は、周囲の人間です。
周囲の人間に、全身が耳になったような人がいて、その人の痛みや心の闇を聞き取ってブレーキになれたら、事件は起きないか、早期に解決をみたでしょう。
担任を持っている先生ならば分かると思いますが、教師は時々全身を目にしたり耳にしたりします。
聴覚型の私が得意だったのは、授業が始まる前数分、終わったあと数分、掃除の時間などに手はいつもどおりに動かしているけど、全身耳にして、誰がどのような話を誰にしているか・・・を聴くことでした。そうすることによって、誰が何の理由で動揺しているのか、手助けを必要としているかを、本人の訴えを待たずに気付くことができました。
「えっ?誰に聞いたの?どうしてそんなこと知っているの??」と聞かれるたびに、「私の情報網は鉄壁さっ
」と答えていたけれど、私の情報網の8割は私の耳でした。
大人になるとそんな「アヤシイ情報網」で守ってくれる人も減ってしまうのでしょうか。
ブログが、ネットが、そのかわりに役立てるといいんだけどな。
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読者の皆様にはいつも心から感謝しています。このような表現の場を与えてくださって、本当にありがとうございます。




















