Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。


いま、これほど穏やかで、人の心の機微を知り、温かく包み込むようにいてくれるゆかりさんが、幼少の頃はけして幸せとは言いがたい育ち方をしていたことに、僕は言葉にならない衝撃を受けていた。
その告白にも驚いたが、それを聞いて「あなたはとびきり幸せな人だ」と言った、和尚さんの言葉にも驚いた。
父親がいなくても、あの母と姉がいた僕の子どもの頃から、ふたりを取り除くことなど想像すらできない。
なのに、とびきり幸せとはどういうことだろうか。

「幸せでしょうか?」
ゆかりさんも同じように感じたらしく、和尚さんの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「ええ、ええ。お幸せですよ、ママさん。」
その場にいた誰もが、疑問を浮かべたに違いない。

「忘れがちだけれど、この国も、大きな戦争や災害をいくつも経験しています。
その時には、 ママさんのようなお育ちをした人々が大勢いましたろう?」
「ああ、そうだなぁ。」
「ご苦労はされたでしょう。
けれども、その方々すべてが不幸だったのでしょうかな?」
「そういうわけではないよなぁ。」
「その通り。
そういうわけではない。
よろしいか?
幸せとは安心だと先ほど申し上げた。
そうしてなぁ、安心するために必要なものなど何もないのじゃよ。
ただ、安心だと知っておればよい。」
「え?」
一同、眼を見合わせた。
今夜はこんな瞬間がたくさんある。

「安心でいるためには、ただ安心だと知っておればよい。
親も金もいろいろなものも、あればあるに越したことはないが、必須条件ではないということだなぁ。」
「そんなことってあるんですか?」
「おお、あるある。
我々は空だと言ったろう?
つながっておる。すべてがそこにある。
もしも足りないところがあれば、補われて当然なのだなぁ。」
「補われる…。」
「親がなくとも、同じような愛情を注いでくれる人物が必ず現れる。
金がなくとも、いずれは回ってくる。」
「そんなものでしょうか?」
「おお。そんなものだと、ママさんは己が人生をもって、証してこられた。
それは、同じような状況で生きることに疑問をもつ人々の大きな勇気となろう。
尊いことじゃし、これほどにわかりやすい『生きる意味を持った人生』もまた、そうはなかろう。」
「ああ…!」
「だから、あなたはとびきり幸せな人だと言ったのだよ。」

だんだん、分かってきた。

「安心というものを、もう少しわかるように例えるならば、貯金のようなものだな。」
「貯金、ですか?」
「そう、そう。」
「空という銀行に、貯金がしてあると思ってみるのじゃよぉ。
ところが、その貯金のしかたは、人それぞれじゃ。
前世や親御さんが善根を積んでくだされたおかげさまで、最初から空銀行に大枚が普通預金になっていて、いつでもほしいだけ引き出せる人がおる。」
「それ、いいねぇ。」
八百屋の長さんが大げさに頷いたので、一同微笑んだ。

「ところが、金融商品というのは、普通預金だけではなかろう?」
「確かに!」
「中には定期預金になっている人もおる。」
「定期?」
「途中解約すると利子はつかないけれど、期限まで待てば少しは増える。
元本割れする心配はない。
いつでも引き出せるわけではないが、なくならないから安心じゃ。」
「おお。」
「しかし、それではつまらんと言う人もおろう?
そういう人は投資信託なんぞが買ってある。」
「投資信託?」
僕はお金の話に疎い。
「プロが運用してくれる株式投資と思えばよい。
うまくすればたいそう増える。
そのかわり、うまくいかなければ元本割れの危険もある。」
「あー、それがリスクってやつですか?」
「そうそう。
先に生活費にしたいと引き出してしまえば、元手が減って、増やせる幅が小さくなる。
我慢して運用しておけば、大きくなるかもしれん。」
「おー。『かも』…。」
「そうしてなぁ、中には、持てるすべてを『年金』にしている者もおるのじゃ。」
「ね、年金?」
「支払いは、65歳になってからじゃ!」
一同、なぜか腹を抱えて笑ってしまった。

「どちらにしろ、持っておるのだよ。
心配ない、ない。」
「ほぉ!」
「ところが、誰もそうとは知らんのじゃ。
そこに、我ら宗教人の存在価値がある。
我らはもっともっと伝えねばならん。
我れはひとつながりの空のようなものであって、境目もなく、不足もないとな。
安心していてよいのだとなぁ。」


僕はこの時の話がたまらなく面白くて、しかも、心が豊かになったような気がして、大好きになった。
楽しかった。
ゆかりさんも、心の中で合点がいったのか、いつもの朗らかな笑顔にもどっていて、もう一つ何か料理を作ろうと、僕を連れてカウンターの中へ戻った。
「このお仕事をしていて、最高に素敵だと思うのは、今夜のようなことがたまにあるからかしらね。」

そうかもしれないと、僕も思った。






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人とは空のように自由で際限がなく、つながりあっていて、失いもせず、元々すべてを持っているのだと聞かされて、僕は母さんや姉さんのことを思い出した。
僕にとって、それは当たり前のことだった。
でも、誰にとってもそういうわけではないと、この夜、僕は知ることになる。


「あの、差し出がましいのは承知なのですが少しお話をさせていただいても?」
ゆかりさんがそっと言い出たことに、僕はいくらか驚いた。
お客様一番の彼女が自分の話したいことを優先するなど、かつてなかったからだ。
「いいですよ、どうぞどうぞ。」
和尚さんとともにやってきた檀家さんたちが朗らかに答える。
「ありがとう存じます。」
ゆかりさんはしんみりとした顔で会釈をした。

「何かな?」
和尚さんがゆかりさんに言葉をかけた。
その声を待つようにして、ゆかりさんはゆっくりと話し始めた。

「穂高は、親御さんの深い愛情に恵まれて育ったようです。
それがどれほどありがたく、幸せなことかは疑う余地がありません。
人がみなそうであれば、この世から不幸な人はいなくなるでしょう。
でも、和尚様はすでにご存じのとおり、世の中で、そんな幸せな人は稀です。

こんな時に私のことで恐縮なのですが、長い長い間の絶望と疑問なのです。
どうかお話しすることをお許しください。

私は母を知りません。
私の母という人は、私を15で産むと、育てようともせず、私を見捨てたそうです。
今と違って、そのころはそんな歳で子を産む人はけして珍しくもなかったでしょう。
でも、母は私を育てようとはしなかった。
理由は知りません。
もとより、父親が誰だったのかも分からないのです。

折りも折り、日本は戦後の復興への道を歩き出したところです。
まだ子どものような母に、私を育てることがとても大変だったのだろうということは容易に想像がつきます。
どのようにして妊娠したのかも…それが母が望まぬことであったのだろうことも、分かる気がするのです。

ある日、母は乳児院をしていた篤志家のところへ倒れ込み、私を産んだそうです。
大人たちは母にいろいろ問いかけたそうですが、名乗りもせず、ただ15歳だということと、身寄りがないことだけを答えたそうです。
そうして、私を産み落とし、一晩もたたず、まだ自分の身も落ち着かないうちに、母は姿を消し、二度と現れませんでした。

そのようなわけですから、私は気付いたら、愛情に飢えた血のつながらない同年代の子どもたちとともに育つしかなかったのです。
私はいつでも不安でした。
自分がそこにいていいとも思われず、愛されているなどと考えることも感じることもありません。
油断すれば奪われ、求めなければ得られず、求めても得られない経験ばかりが増えるのです。
いろいろな人から殴られ、蹴られ、暴言を吐かれました。
自分が生きていることは罪悪だとしか思えない子供時代でした。

私は母と同じ歳になったころ、孤児院を飛び出して、ひとりで生きるようになりました。
そんな女が夜の世界と縁を持つのは当たり前のなりゆきだったのでしょう。
でも、人を信じることができず、自分を信じることもできない私が、人様をおもてなしするなど、できるはずもないのです。
どのような目に遭い、血を吐くような思いをしたかなど、お聞かせするのもお耳汚しなばかりです。

それでも、私がいくらか人らしくなれたのは、亡くなった夫との出会いがあったからでした。
今でも思うのです。
私はあの人に出会わなければ、安心とか、自分に居場所があることだとか、自分にも人様にして差し上げられることがあるなどということに気付くことはできなかったでしょう。
そう思うと、恐ろしくて身震いするほどなのです。

夫は本当にできた人でした。
彼だから、私のような者ともつながり合えたのだと思います。
そうして、この穂高もそうです。
生まれながらに幸せを持っている、とびきりできた人でなければ、私のような傷者とは付き合い切れないのでしょう。

和尚様。
穂高が幼いころに母上から与えられたようなものを受け取れない子供たちは、いったいどうしたらよいのでしょう。
時間がたてばたつほど痛みは深まり、不安は募り、心がひねくれてしまいます。
幼いうちならば諸手を広げて受け止められたものでも、ひねくれてしまってからでは受け止めるだけでも一苦労です。

私はどうしてあのような目に遭わねばならなかったのでしょう。
母と聞いても会いたいとすら思わず、恋しいと思ったこともない。
それを世間は悲しいと申します。
けれど、その悲しみは私のせいなのでしょうか。
私が母を恋い慕って泣き続ける子であったなら、もっと早くに安心や居場所を見つけたのでしょうか。
幸せな子どもになれたのでしょうか。」



どれも、初めて聞くことばかりだった。
ずっと常連でいた元さんや長さんや宮田先生も、どうやら初めて聞いた話のようだ。
和尚さんは途中から目を閉じ、言葉のわりには激しさを帯びないゆかりさんの声にじっと聞き入っていた。
ゆかりさんがそんな人生を送ってきたなどと思いもしなかった僕は、声を出すことすらできなかった。

「そうよな…。」
和尚さんはそろりと目を開けると、つぶやいた。
「よくぞ生きてこられたなぁ。ありがたいことだ。」
深く温かい声だった。
「そうしてなぁ、やはりあなたもまた、とびきり幸せな人なのだなぁ。」

えっ?というように、ゆかりさんの目が大きく見開かれた。
僕は今の話に「幸せな人」を見つけるのは難しくて、よいご主人に出会えた幸運のことを言っているのだろうか?、それでは子どもの頃のゆかりさんは?と疑問に思った。

ふと、空を思った。
この話をしている今も、屋根のずっとずっと上には、何十年前と何一つ変わらない空が広がっている。
空から見たら今僕が聞いた話は、どう見えるのだろう?
僕には分からなかった。







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「幸せというのはなぁ、安心だということなんだよ。」
「安心…。」
「そうだよ。自分の安心がまずあって、そこから冒険心だの、人への思いやりだの、未来への希望だのが生まれてくるんだよ。そのことを理解しておかねばならん。」
「安心…。」
「安心は、生きる基盤だな。
土台といってもいい。
そこががっしりと固ければ固いほど、飛躍もできるし、安住もできる。
ぬかるみの中に立っていては、飛び上がりもできなければ、立つのも難しかろう?」
「確かに、確かに。」
「世間でもよく耳にするだろうが?
あれほどの金持ちの家なのにもめ事が絶えず、少しも幸せそうに見えないだとか。
物持ちであっても、安心がなければ不幸なばかりじゃなぁ。」
「あー、あそこんちもそうだったなぁ。」
うんうんと頷き合ったのは、和尚さんと一緒に来た檀家さんたちだ。
身の回りにあったことらしい。
「土地も山も会社まで持っているのに、不平不満だらけでたまらん御仁がいるんですよ。
ほんとは付き合いたくないんだが、寺にとってはありがたいお布施をたんまりと…。」
「これこれ、品のない。」
和尚さんが芸人のように手を動かして話を制した。

「では、人はどうならば安心なんだろう?」
「そうそう。そのことよ。」

僕はその話を聞きながら、ふと母さん、姉さんと3人で暮らした子どもの頃の、小さなアパートを思い出した。
母さんはいつも笑っていて、姉さんが作るめしはいつも美味かった。
贅沢なものは何もなかったけど、楽しくて安心で大好きだった。

でも、楽しくて安心で大好きでない場所が家の外にあったから、家の中が一層好きだったのだ。
父親がいないことを、幼い者同士の愚かさで、からかわれたり腹を立てたりしたことがあった。
いつも同じ服を着ていると笑われて、恥ずかしいと思ったこともあった。
給食費がすぐに払えなくて、先生に困った顔をされたことも思い出す。

そのたびに、僕は、学校には僕の居場所がないのではないか、友達に見える人たちも、本当は僕のことが嫌いなのではないかと思ったものだ。
何か話すたびに、また可笑しなことをと馬鹿にされるのではないかと怖かった。
電気代を節約するのと、母さんたちと話していればそれでよかったので、うちはテレビをあまり見なかった。
だから、仮面ライダーの話にもついていけなかった。
子どもの僕にでも分かっていた。
そういう時は、ヘンに知ったかぶりをして何か言うほうが恥をかく。
笑顔で黙っていれば、わけのわからない会話はいずれ過ぎていく。

それに比べると、家で、姉さんに着替えを手伝ってもらって布団に潜り込み、隣に母さんが添い寝してくれて、「おやすみなさい。よく眠ってね。」と頭をずっとなでてもらえるあの安心感は、他にたとえようもないものだった。
それは、僕が病気の日でも、元気な日でも、怒って拗ねていても、叱られた後でも変わらなかった。
母さんや姉さんが僕を拒絶する可能性など、1ミクロンも考えたことがないほど、完璧に安心な場だった。

「和尚さん!」
僕は仕事を忘れカウンターから出て、和尚さんの後ろに近づいた。
「こちらへお座り。今夜はもうほかの客が来なくてもよいだろう?」
「あの…。」
僕は会釈して、和尚さんが指した椅子に座ると、和尚さんに聞いてもらいたくて、乗り出すように語った。

「僕の安心は、小さい頃に家族から教わった気がします。
子どもの頃は、家族といれば安心で、家族と離れると不安で…。
でも、いつの間にか僕は、家族と離れている時間でも、一緒にいるときと同じ安心を持ち歩けるようになった気がするんです。
不安なことがあっても、いつかは通り過ぎることが分かっているし。」

「でかした!」
高齢の和尚さんが思わぬ大声を出したので、僕らはビックリしてしまった。
「そうなのじゃ。そうなのじゃ。
安心は、条件でできるものではない。
最初に受け取って、気付いて、気付くといつも身に沿うものなのだなぁ。
そうして、安心の目からみれば、困ったことも流れて消えていく、泡のように見えるものなのだよ!
それこそが、悟りなのだなぁ。」
「ええっ?!」
今度は僕だけがビックリした。ほかの人はポカンとしている。
「僕が悟ったと?」

「考えてもごらん。
空は、己が消えてなくなるかどうか、悩むだろうか。
全てがおのが内にあるというのに、何が増え、何が減った、何が奪われたと悩むだろうか。
空から見れば、朝も夜も同時に起きている。
夕焼けも台風も、全て移り行くさざ波のようなもので、全てがそこにあることに変わりない。
われらは、自分をそのようなものだと知ることで、安心できるのではないかなぁ。
どのような辛い日も、刻々と過ぎてゆく。
どのような楽しみも、刻々と過ぎてゆく。
その辛さや楽しみにのみ心奪われてしまってはならぬ。
空の視点に立つのじゃよ。
空の視点に立てば、実は目の前にあること以外にも、多くのものがあるとわかる。」

僕らはそれぞれの思いで和尚さんの言葉に聴き入った。

「波立つ心を無理に抑えて、平常心を保とうなどと思う必要はない。
波立つ心はいずれ収まる。それが波の本性だからだ。
憎しみも妬みも、汚い思いと自責の念に駆られる必要もない。
憎しみや妬みを抱え続ける如く、執着するのは空の本質ではない。
憎み妬む自分をあるがままに見つめていれば、それらの思いもいずれは消える。
移り行くのが思いの本性だからだ。
したいことがあるなら、すればよい。
したくないなら、せぬがよい。
我らは、そのようなものだと、思うがよい。」


したいことがあるなら、すればよい。
したくないなら、せぬがよい。

和尚さんのこの言葉が、僕の心にこだました。
そうか。
僕は、社会的な評価の高い生き方はしてこなかった。
体も弱いし、気も弱い。
でも、したくないことを無理にする人生は歩んでいない。
ふと出会った血のつながらない人と家族のように仲良く暮らしている。
こんな不可思議な人生と思わぬではなかったけれど、思えば姉さんも同じようなものだ。
だとしたら、僕と姉さんの心の中に、何物にも代えがたい「安心」という財産を遺してくれた母さんがいてくれたからだと、今さらながら深く理解した。
母さんは、お金も土地も持っていなかったし、苦労のし続けで長生きもしてくれなかったけれど、誰にも盗めず、燃やせもしない、ものすごい財産を溢れるほどに遺してくれたんだな。
この財産が、僕を幸せにしてくれているんだな。
母さん、すげえ!
あなたは、ほんとにすごい人だ!

「母さん…ありがとう。」


僕はこの夜聴いた和尚さんの「空の話」を、一生忘れまいと心に刻むことにした。





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和尚さんはそこで一度話を切って、テーブルの葛湯に手を伸ばした。
「ほほほぉ。葛湯はよいなぁ。こうして置いておいても冷めないのがよろしい。」
至極ご満悦のようだ。

「それより、先を聞かせてくださいよ!」
「そうですよ。人の感情は雲のようなものだけど、人の存在は雲のようなものではないっておっしゃったのですよね?」
一番に乗り出しているのは宮田先生だ。
それはそうだろう。
ずっと、人や人の命と向き合ってきた人だ。

「そうだよ。人は雲のように浮かんでは形を変え、消えてはまた生まれる、頼りない雲のような存在ではないのだよ。」
「では、いったい何だと?」
「そのこと、そのこと。」
和尚さんは改めてその場の面々を見回した。

「人とはなぁ、空のようなものなのだよ。」
「空ぁ?!」
元さんが素っ頓狂な声を上げた。
「空って、青い空の、あの空ってことか?
そんなつかみどころのない話、信じられませんよ。」
「ほほぉ。つかみどころがないかね?」
「だってなぁ、俺らが空みたいなもんだって言われてもなぁ。おい?」
長さんやゆかりさんまでもが頷いた。
和尚さんと一緒に来た檀家のみなさんも同じように、キツネにつままれたような顔をしている。

「あ!」
その時、僕はつい、カウンターの中から声を上げてしまった。
「あの、『色即是空 空即是色』っていうあのクウってところ、空って書きますよね?
あれって『何もない』って意味だと思っていましたけど、実は本当に『ソラ』のことだったりして!」
「ほほほぅ。若者は頭が柔らかい。それでなくてはなぁ。」
「えっ?」
「ならばホントに…?」
「空だということさ。」

人は空のようなもの?
それはどういう意味だろう。
僕の知識と思いつきは和尚さんを笑顔にしたけれど、意味が分かったわけではなかった。

「空とはどのようなものだね?」
和尚さんが尋ねた。
面々は互いに顔を見合わせて、首をかしげながら答える。
「高いところにあるなぁ。」
「どこまでも広がっている、かな。」
「でっかい。」
「変わらない…かしら。」
ゆかりさんが言うと、他の人が「ああ」と気付いたように付け加えた。
「確かに、ひどい台風の日でも、雲の上は青空なんだよな。」
「夜も昼も、太陽と地球の位置関係のせいであるだけで、空そのものはいつも同じなんだろう。」
「星が生まれたり消えたりするのかもしれないけど、空そのものは変わらないのかな。」
「時間があるようでないような、不思議な場所だな。」
「それに、境目がないね。全部つながっているというか、全部を含んでいるというか。」
「それよ、それよ。さすが、きちんと生きている人々はよくわかっておる。」
和尚さんは満足げだ。

「つまり、人は自分を雲のように移り変わるものと思うこともできるが、本当はそうではなくて、空のようなものなのだと思うこともできるということだな。」
「もしも、自分を空のようなものだと思うと、私たちはどう変わるのですか?」
ゆかりさんが真剣な声で問うた。

「ふむ。
つまり、自分を空だと思えば、安心じゃろう。」
「え?安心??」







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和尚さんが悟りについて語るというその話に、一同聴き入る形になった。
問答というのだろう、和尚さんは一方的に話すのではなくて、何かと皆に問いかける。

「人には『感情』というものがあるだろう。どんなものがある?」
「感情…うれしいとか、楽しいとか?」
「悲しいとか、さみしいとか。」
「切ないとか、やるせないとか。」
「怒りとか、憎しみとか、嫉妬とか。」
「そうだなぁ。いろいろとあるなぁ。人は四六時中、その感情を抱いているだろう?」
「確かに。何も感じていない時でも、安心とか平和とかいう感情を抱いている時と言えるかもしれませんわね。」
「うむ。その通りだなぁ。」
ゆかりさんの答えは、和尚さんの考えにしっかりと沿ったものであったらしい。

「ほとんどの人が、感情には感じたいものと感じたくないものがあると思っている。
たとえば、嬉しいとか楽しいとかなら、感じていていい。
でも、怒りとか憎しみとかになると、これはいらないと思う。」
「そりゃそうだ。怒ったままでいるのは気分が悪いし、体にも悪いと言いますよ。」
「うむ、うむ。」
「それに、感情って伝染するじゃないですか。」
そう言い出したのは、内装工事の会社社長である元さんだ。
「俺がイライラしたり怒りながら仕事をしていると、社員にも伝わって、現場の雰囲気が悪くなって、普段ならしないようなミスをしたりするもんだ。」
「そうだな。ウチでも、母ちゃんの機嫌が悪いと、売り上げが落ちるよ。」
そう受けたのは八百屋の長さんだ。
「怒りみたいなよくない感情は、早く切り替えた方がいい。」
「でも、切り替えようと思えば思うほど、しつこく心に残ったりすることもあるわね。」
「ああ。」
「あるある。」

「そのことよ。」
和尚さんは我が意を得たりと微笑んでいる。
「人はよい感情を抱くと、『ずっとこの感情を感じていたい』と思う。
よろしくない感情を抱くと、『こんな感情でいたくない、なんとかせねば』と思う。
これはつまり、どういうことか。」
「どういうことか?」
「うむ。
それはつまり、人はどちらにしろ、内側に沸き起こる感情にいつもじっと目を向けているということではあるまいか?
特にそれがよろしくない感情の時、どうにかしようとあがいて、原因を考えたり、対処法を考えたり、切り替えようと努力したり、捕われて悩んだり、せずにはおれない。」

声に出して答える者はない。
それぞれが、自分の思考に浸り始めた。

「そのうち、あまりにいつでも、長いこと我が感情をみつめるあまりに、自分とは自分の感情そのものだと思うようになる。」
「幸せな人生…って普通に言うものなぁ。」
「そう。そのこと、そのこと。」
「それで、幸せってのは、楽しかったり嬉しかったりするほうが、悲しいとか腹が立つとかよりも多いことを言うものなぁ。」
「うむ、うむ。
そうやって、人は自分の感情が自分そのものだと考える。
そのように教えられるし、人や子に教えもする。
ところが、違うのだなぁ。」
「えっ?違うんですか?」
「違う。我らは感情ではない。」
「どういうことでしょう?体の感覚が大切ということでしょうか?」
「いやいや。そういうことではない。」
「では、いったい?」
「それはなぁ…たとえ話をしてみたほうが分かりやすいだろう。」
「はい、どのような?」

「感情とは、空に浮かぶ雲のようなものと思ってみたらよい。」
「雲、ですか?」
「そうだよ。楽しいとか、嬉しいとかいう感情は、さしずめ夕焼けのようなものだなぁ。」
「夕焼け…。なるほど。」
「格別な喜びは…ほれ、虹のようなものだと思えばよろしい。」
「夕焼けに虹ですか?」
「どうだね?夕焼けや虹をずっとそのままとどめておくことができるだろうか?」
「それは無理ですね。」
「夕焼けなんて、刻々と色を変えるよな?」
「虹もそうだね。長く出ている時もあるけれど、薄くなったり形が変わったりして、あっという間に消えてしまう。」
「その夕焼けも虹も、空気の中の水蒸気…雲があってのものだろう?
では、その雲そのものはどうだ?」
「雲そのもの?」
「そうだなぁ。決まった形がなくて…。」
「いつ出ると決まった時間もなくて…。」
「絶対あるものでもなくて…。」
「いつも見えるとも限らない…。」
「であろうなぁ。雲とはそういうものだ。
感情というのは、その雲のようなものなのだよなぁ。」
「なるほど!少し分かる気がしますね。」
「どんなに素晴らしい気分であっても、いずれ形が変わり、消えてなくなる。どんなに分厚い、どす黒い雲であっても、いずれ流れて消えてなくなる。」
「おお。確かに、確かに。」

皆が感心する中で、ひとり沈思していたゆかりさんがポツリと言い出た。
「では、人は雲のようなものということでしょうか。
だとすると、なんだかずいぶんと頼りない話ですね。」
そのつぶやきを聞いて、男衆がはっとする。
和尚さんはニコリというよりニヤリと笑い、膝を打った。
「そこだよ。」
「え?」
「みなさんは、おのが人生が雲でよいかな?」
「雲でいいか?」
「雲のような、さだめなく頼りなく、消えゆくものだと思うかね?」
「でも、人はいずれ死ぬし、楽しみも苦しみも消えゆくものだとしたら、雲みたいなものってことじゃないですかね?」
「ほほほ。違う、違う。そこが違うのだなぁ。」
「違うと。では?」
「それ、それ。ここが肝要だ。それはね…。」








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