Win-Win〜あなたも幸せ。私も幸せ。〜

今ここで生きていることを楽しむためのブログ

競争 1

 おはようございます。Hikariです。

 

 先日、暗くなってからでかけたお買い物に着ていって、大発見のきっかけになったオレンジ色のノースリーブを、昨日は朝から着てでかけました。

 

 行き先は、健康診断の診療所!!

 

 下はヒップハングでベルボトムのデニムを合わせて。なんて場違い

 

 一度勇気をもらったからと言って、夜と昼とでは大違いですね。夜は紛れる欠点も白日の下にさらされるし、ちょっとくじけそうになりました。

 

 でも、ここで本当にくじけたら、先日気付いたことが無駄になっちゃいます。

 

 勇気・元気・ポンキッキィ!

 

 相変わらず意味不明の呪文をかけて、でかけました。

 

 お日様が肩先に当たるって、ヒリヒリ痛いですね〜。

 

 でもでも、今回もすれ違う人が振り返るのは変わらず、検診着に着替える時に全身が映った鏡を見たら、うわわ!悪くないじゃん

 

 いつの間にか、すっかりナルシストにヘンシ〜ン

 

 

 

 さて。

 

 今日から「競争」の話をしたいと思います。

 

 よく、心理学の本などで「権力争い」と呼ばれている種類の競争についてです。

 多くの人が、集団の中で生きています。

 

 「集団」と意識しなくても、人と関わり合いながら生きているということに違いはないでしょう。

 

 仕事に行けば、あなたとウマが合う人もいれば、意見も立場もなにもかも合わない、顔見ただけでため息が出るような関係の人もいるでしょう。

 

 そりゃ、ほんとにいろいろありますよね。

 

 Hikariが最近とても気がかりに思っているのは、小・中・高校の教室。

 

 いろんな地域があり、いろんな学校がありますから、ひとくくりにするのは乱暴だということはとてもよくわかっています。

 

 その上でのことですが、子ども達は今、安心して自分をさらけ出して生きて行けてるのでしょうか?

 

 教室に小さないじめの芽があるということは、今日のいじめっ子が、明日のいじめられっ子になる可能性があるということです。それは子ども達が一番よく知っています。小さな失敗、小さな場違いが、どんな影響をもたらすのか、おどおどしながら暮らしてはいないでしょうか。

 

 強い影響力を持った子の権力におびえて暮らしてはいないでしょうか。

 

 そのおびえの裏返しが、「学校裏サイト」と呼ばれている、陰のいじめのような気がしてなりません。

 

 処理しきれないほど氾濫する情報と、大人の現実離れした要求、発達の未熟さ、実体験の不足、理解者の不在、さぞかし生きづらいだろうなと思うのです。

 

 子ども達の目に、今の大人はどう映っているのでしょう。

 

 あんなふうに生きたいな、あの人みたいになりたいなと思える大人と、ともに生きているでしょうか?

 

 機能不全の家庭に育った私から見ても、機能不全の家庭が増えているように思えてなりません。家庭の教育力が落ちているなぁと感じることもしばしばです。地域の教育力に至っては、ほとんどなくなった感があります。

 

 それでも、人は人との関係の中で生きていきます。

 

 小・中学校の新しい学習指導要領では、人間関係を築くための力の育成が、声高に謳われるようにも聞いています。

 

 では、良好な人間関係を築くためには、何に配慮したらよいのでしょうか。

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

愛と執着 6

 おはようございます。Hikariです。

 

 2日間の勉強の末、試験を受けてきました。まぁ、受かったかなぁと思うけど、結果が分かるのは11月です。う〜ん、待ち遠しい。

 

 

 

 さて。

 

 愛と執着について5回にわたって、それも1回ずつがずいぶんと長いエントリーを書いてきましたが、いかがだったでしょうか。

 

 分かりやすくと思ったので、恋人同士を例に挙げてお話してきましたが、愛と執着については、親子でも、上司と部下でも、先輩と後輩でも、友達同士でも、まったく同じことが言えるのだと思います。

 

 愛と執着のまとめとして、今日は「孤独」についてお話ししようと思います。

 

 執着、期待、コントロールがあるところには、愛はありません。

 

 愛がないところは不自由で居心地が悪いので、相手は自由で居心地がよい場所を目指して逃げていってしまいます。

 

 愛は信頼と自由と共にあります。

 

 愛、信頼、自由があるところは居心地がよいので、引きとめようとしなくても、相手が引き寄せられてきて、自主的に、そこにとどまろうとします。

 

 自分は、この人との関係に何を求めるのか。束縛か、自主的にいてもらうことか。

 

 それを冷静に考えたり、自分の心の底にあるものや、あり方、不安や執着の向こうにある理想を見つめたり、認めたりするためには、孤独が必要だと感じます。

 

 一人でいる時間が、とても大切なのです。

 

 また、信頼や自由を感じ取るためには、距離と空間とが必要です。

 

 最初から密着しているものを、それ以上に引き寄せることはできませんよね。

 

 引き寄せるためには、離れていることが必要なのです。

 

 つまり、「離れている」「ひとりでいる」時間があって初めて、自由や信頼について感じることができ、望む方向へ引き寄せることができるのだと思います・

 

 あれ?何だか「引き寄せの法則」の話しになっちゃった。

 

 ともかく、ひとりの時間を大事に有効にできない人は、愛からもまた離れていると思ってみてもいいのかもしれません。

 

 

 

 ところで、余談をひとつ。

 

 20代の男性複数がいる場所で、「彼女にしばらくメールも電話もしないで連絡を絶つとしたら、たとえばどんな時?」と聞いてみました。

 

 「やることがあるとか、特別な話題がないとかで、連絡しなくてもいいかなぁと思う時ですかねぇ。」

 「それって、連絡したほうがいいかな?寂しがってるかな?って考えないの?」

 「付き合い始めは考えるかな。でも、信用しちゃうと、考えないことも多いかもしれません。」

 「へぇ。他は?」

 「フェードアウトしたいとき。」

 「自然消滅ですかぁ。ヘビの生殺しみたいなことしますねぇ。」

 「なんかもう、これ以上話し合うのはイヤって時、ありますよね、ね。」

 「あったんですね、あなたには。なるほど。そんなもんですよね。」

 「もひとつ、あります!」

 「え?何?」

 「彼女の方から連絡してほしいとき。」

 「は?何それ?連絡してほしかったら、自分からすればいいじゃん?」

 「なんていうか、受身じゃなくて、来てほしいというか・・・。」

 「じゃ、ちょっと連絡ないな?と思ったら、彼女のほうから『どうしたの?忙しい?』とか聞かれたいわけ?しつこいとか鬱陶しいとか思わないの?」

 「・・・・毎回だとちょっとですけど、いつもこっちを理解して待っててくれる人だと、焦らせてみたくなるというか、気持ちを確かめたくなるというか・・・」

 「げ!何それ!!やだね〜そういうの!!それで、それでも彼女が黙って待っているんだったらどうするの?気持ちがないんだ〜とか言って、見捨てるの?」

 「いえ、やっぱ、会いに行っちゃいます、こっちから・・・。」

 「ふふふふ。なるほど

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

愛と執着 5

 おはようございます。Hikariです。

 

 久しぶりにいっぱい勉強して、夜7時、帰宅した頃には頭痛がズキズキと…

 

 今日は講義の後で筆記試験です。がんばるぞいっ

 

 

 

 さて。

 

 昨日は、恋と愛の違いについて、暑苦しく語ってみました。

 

 今日は、期待と目標についてお話したいと思います。これも「愛と執着」の一環です。

 

 愛にはね、「期待」がないんだと思うんですよ。

 

 愛にあるのは「目標」。

 

 期待と目標は、似ている感じがするけど、全然違う。

 

 期待って、「そうだといいな」と思って待っていることでしょう?

 

 期待を持っても、できることって、何もないんだよね。ただ、待つだけ。けっこう、無責任というか、相手に責任押し付けているっていうか。

 

 大好きなあの人からメールがくるといいな。好きって言ってくれるといいな。デートに誘ってくれたらいいな。私のことだけ見ていてくれたらいいな。

 

 そういう期待がある時って、執着が出てくる。

 

 逆かな。執着があるから期待する。で、期待が現実になるようにするのが、コントロールですね。

 

 ところが、愛してしまうと、期待なんてあんまりしなくなるんだよね〜。

 

 もちろん、「どうせ・・・」って、投げ出すわけじゃないですよ。

 

 「わかりあおう」「どんなときも離れないで側にいよう」「望むものがあるなら与えよう」「待っていよう」ってね、自分のあり方に対する目標ができるんだなぁ。

 

 相手が自分の思い通りにならないことは、もうわかっているからね。期待したって結構ムダってことも分かっている。

 

 だから、どうにかできる「自分」について、目標を持つんだと思う。

 

 自分の期待に合うように、相手や状況をコントロールするんじゃなくて、自分を目標に向かって成長させようとするんだよね。

 

 それに、期待は裏切られることがあるけれど、目標は裏切らない。見当違いの目標だったとか、高すぎる目標だったとかいうことはあるけれど、それは修正するだけのことで、裏切ったのなんのといって、恨みにつながったりしないよね。

 

 目標は強いですよ〜。フォーカスすると、ものすごい勢いで実現しますからね。

 

 たとえば、私ね、ある時、切実に「美しくなりたい!」と目標を持ったんですよ。

 

 そうしたらね、スルスルと、なんの努力もなしに無駄な脂肪が減っていき、あれよあれよという間にわずか3ヶ月で・・・

 

 体重−6キロ。
 ウエスト−9センチ。
 ヒップ−5センチ。
 バスト+3センチ(ただしここだけは3センチ増えてもまだまだ標準以下〜

 

 周囲の人はガンではないかと心配するし、ちょうどその後体調を崩しもしたので、「貧血の前兆だったんですねぇ」と説明することにしています。ブログにも、確かそう書いていました。

 

 でもね、ウソなんだ〜。

 

 ほんとは、キレイになりたい!と目標をもっただけなんです。絶対なるぞと決めただけなんです。

 

 もう1年経つけど、細くなったままキープしています。相変わらず、何の努力もなしに。甘いものも美味しいものも、食べてますよ。すっかり引き締まった体を見て思います。「いったい、どれだけ太くて重かったんだ??」それくらいの変化でした。

 

 こんなことができる私ってスゴイ!?

 

 いえいえ、あなたにだってできます。

 

 私にできることは全て、あなたにもできます。

 

 

 

 うまくやるのに大切なのは、執着の底にある恐怖や不安を見つめるのではなく、執着を手放したら実現するすばらしい状況を想像してみることなんです。そうして、期待を捨て、目標を持って進むのです。

 

 たとえば、彼からしばらくメールが来ないとしますね。

 

 あなたは、どうしてメールをくれないのか、不安でいっぱいになります。

 

 冷静に考えれば、理由は二つしかありません。

 

 ひとつは、彼があなたを信頼していて、安心して自分の世界にもぐりこんでいるから。もうひとつは、もうあなたが嫌になって、別れたくなったから。

 

 あなたが不安になるのは、後者の理由を想定するからですね。そうして、どうにかしてその事態を避けようと執着心を燃やして、考えに考え抜いたメールを送っちゃうわけです。

 

 ずっと連絡ないから
 どうしているかと思って。
 私のこと、覚えてる?

 な〜んてねっ

 

 軽く、あくまで軽いタッチで書いた。だから大丈夫とあなたは思う。これなら「忘れてるわけないでしょ〜」と返事を書きやすいだろうというわけ。

 

 あなたは快い返信が来ることを期待して、ケータイ握り締めて待っていることでしょう。

 

 でも、もし彼があなたを信頼して安心していたなら、「おいおい、これくらいのことでなんだよ〜オレを信じてないのか」と鬱陶しくなりかねませんよね。そろそろ気が重くなってきていた彼ならなおさら「こういうのがイヤなんだってば〜」ってこともある。

 

 男の人って、追いかけるのは好きだけど、追いかけられるのは案外苦手だったりするもんネ。

 

 それなら、メールの文面工夫するより、別のこと考えましょうよ

 

 自分の不安はちょっと棚上げ。私にとって一番うれしいのは、この状態がどんなふうに解消することかしら?と考えてみるんです。

 

 彼のほうからメールが来て、「しばらく連絡しなくてごめんね。どうしてた?会いたいな!」なんて書いてある。それを読んだら、私、うれしいなぁ。すばらしいなぁ、ってね。

 

 それを見定めたら、次はあなたの一番嬉しい想像が実現したときに合わせて、準備をするんです。

 

 そうだ、だったら、次のデート用に彼の好みのレストラン、いくつか探しておこうかな。お洋服も選んでおこうかな。どうせなら肌も磨いて「あ、なんかしばらく見ないうちにキレイになった?」なんて言わせちゃうぞ〜っ

 

 レストラン探しと、自分磨き。

 

 これはね、目標です。今のあなたにできることです。

 

 考えたってわかりっこない「今の彼」をあれこれ想像して時間を費やすより、今自分にできることをするんです。

 

 あなたがそんな風に時間を使える人ならば、きっと、あなたのステキな想像通りのメールが来るに違いありません。

 

 それでも彼から連絡が来なくて、どうしても会いたくなったら、素直にメールしたらいい。「会いに来て。」

 

 それでも会えなかったら、その関係はもうおしまいかもしれません。

 

 そうしたら、泣けばいいんです。落ち込んで、あがくんです。(山ほど経験があるぞっ

 

 あがきながら気付くでしょう。それでも、あなたは、キレイな肌とステキなレストランという知識を手に入れていることに。

 

 もし彼が会いに来てくれたら…あなたの目標は達成ですね。

 

 彼はあなたの美しさに、楽しさに、その愛に、きっと虜になってしまうに違いありませんよ。

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

愛と執着 4

 おはようございます。Hikariです。

 

 お盆休みを終えて、静かだったマンションに子どもたちの声が響くようになりました。

 

 さてさて。今日からHikariも復活です。まずは勉強から。今日と明日はびっしり講習を受けて、明日の最後は認定試験です。

 

 ゆるんだ頭をフル回転!ファイトっ!

 

 

 

 さて。

 

 執着を手放す鍵、というお話しをしているところでしたね。

 

 恐怖や不安、恥ずかしさや罪悪感を根底に秘め、それを気付かせないように、気付かないようにとコントロールに夢中になる「執着」。

 

 執着を手放した向こうにあるものは何かというと、ズバリ、「信頼」ではないかと感じています。

 

 恋愛、とひとくちにいいますけれど、恋と愛とはぜんぜん別のものですよね。

 

 恋は、情熱があればできるものだと思うんですよ。

 

 相手に期待して、期待したものを発見して大喜び。ワクワク、ドキドキ。自分と相手とがどれだけ同じかを熱烈に探し合わせて、同じであればあるだけ嬉しい。それが恋というものではないでしょうか。

 

 恋=乞い(相手にしてもらいたいと頼む)=請い(自分がこうしたいと願う)=故意(わざとする)

 

 言葉って面白いなぁ。これらの「コイ」が、みんな同じ音をしているのは、偶然ではないと思うんですよ。

 

 恋しているときって、相手に自分を合わせようと気持ちや行動をコントロールしたり、自分に合わせてもらおうと画策したり、故意にいろいろとするじゃないですか。文字がそれを表していると思うんですよね。

 

 ところが、愛は、覚悟の問題だと思うんです。

 

 相手は自分とは違う人間なんだというところからスタートして、違うからこそ知りたいと思って、コミュニケーションを重ねて、ここが違うのか、そんなこともあるのかと、ズレの発見を重ね、そのたびに「なるほどね、そういうのもアリかもしれないなぁ」と思っていく。

 

 違うからといって闇雲に自分を犠牲にして譲ったり、相手をコントロールして思いのままに操ろうとしたりするんじゃ、愛ではないよね。

 

 「納得したわけじゃないけど、キミがそういうなら、そういうのもアリかもね。」

 

 そうやって、共存していく。

 

 投げ出さず、諦めず、5年後も、10年後も、50年後も、ずっと共存していく。

 

 それができたら、どんな間柄であっても、そこにあるのは「愛」なんだと思うんだなぁ。

 

 会い(であう)=合い(一致する)=相(お互い)=間(距離)=愛

 

 これらの言葉がみんな「アイ」なのも、意味があると思うんだ。

 

 出会って、一致するところを探して、でも、ある時お互いはお互いであると気付く。そこにある距離を肯定的に意識できるようになる。そこから愛は始まるんだよね。

 

 ベッタリと、何もかもが同じじゃない。でも、相手が言うこと思うこと、相手が相手であることを認めていくんだ、受け入れていくんだという覚悟ができて、初めて愛が成立するんだと思う。

 

 これってね、すごいよ。

 

 自分の意見や存在と同じくらい、相手の意見や存在を認めるってことだからね。それくらい相手を大切に思えるってことだからね。

 

 その、大切に思う気持ちを、熟語にすると「信頼」ってことに、なるんじゃないかなぁって思うんです。

 

 自分を信頼する。信頼できる自分が大事に思える相手を信頼する。二人の今を信頼する。もちろん未来も信頼する。

 

 う〜ん、愛だなぁ〜

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

愛と執着 3

 こんにちは。Hikariです。

 

 とっても涼しい日曜日になりました。夜はよく眠れるし、目覚めも爽やか。

 

 お洗濯を終わらせて、いつもよりちょっと大きな音で平井堅さんの歌声を聞きながら書いています。

 

 

 

 昨日のこと。暗くなってから、ふと、ものすごく外に出てみたくなりました。暑いからいやだ〜と家にこもっていたのに、行こうよ!と、また、あの、軽い軽い接触。

 

 夏の初めに、落ち着いたオレンジ色のノースリーブシャツを買いました。

 

 柔らかな手触りと、繊細なレースがとても気に入ったのです。でも、まだ一度も着ていませんでした。

 

 Hikariは、ノースリーブ姿で外に出ることがほとんどありません。

 

 色は黒いし、にきびや蕁麻疹の傷跡が腕にたくさんあってみっともないし、なにより肩幅がホントに広い。見るからに頼りがいがありそうな幅なんですよ〜。なんでこうまでご立派なのかと、鏡を見るたびにいつもがっかりするのです。

 

 だから、ノースリーブなんてとんでもない。いつも上から何かを羽織っています。肩なんか出して見せるのは、心優しい親友の前くらいです。数年に1回のことですね。

 

 それが、ふと、そのノースリーブ一枚ででかけてみようかと、気の迷いを起こしたのです。

 

 ハンパ丈のデニムにあわせてみました。かがむと腰が出ちゃうし、腕を上げたらお腹が出ちゃうけど、まぁ、細いほうだから、こっちはそれほど見苦しくもあるまい。

 

 勇気、元気、ポンキッキぃ!!

 

 わけのわからない呪文をかけて、買い物に行きました。

 

 私を呼んだのは満月だったのでしょうか。雲の合間から、大きな赤い月がキラキラと美しい顔を見せていました。

 

 本屋を闊歩し、売り切りたいと必死のお弁当屋さんで晩ご飯用のおこわを買って、ついでに美味しそうなケーキのウインドウを眺めたりして。

 

 マンションを出たところから、すれ違う男性が、すごい勢いでこっちを見ることに気付いていました。

 

 ひとり、ふたりではないんです。

 

 中にはぐるりと振り返ったり、足を止める人がいたりする。

 

 やっぱ、みんな呆れているんだろうなぁ。みっともなかったかなぁ。

 

 早くも後悔。後悔後悔。

 

 でも、帰って着替えるのもめんどくさいぞ。

 

 いいやいいや、今日は冒険しよう。私がじっと立ち止まらなければ、傷跡も見えないだろうし、みっともない女を見たと、一家団欒の話題になったところで、私には関係ないもん!!

 

 暗いところでも、明るいところでも、いろんな人がこっちを見ます。私が意識しすぎているに違いないと思い、もう、人の目を確認するのはやめることにしました。

 

 すごく、楽になりました。そうして、お買い物に集中しているうちに、すごく楽しくなりました。自分がいつもと違う格好で買い物に来たことなど、忘れかけました。

 

 そうして、したかったお買い物は全部できたし帰ろうかな?というところで、20代後半くらいに見える一人の男性が、私を見て、目を丸くして、あからさまに足を止めました。そして、じ〜っとこっちを見ていました。

 

 思わず周りを確認しちゃったんだけど、誰もいないから、やっぱり私を見たみたいです。

 

 知り合いでもないし、なんだ??そっか、肩か〜〜〜

 

 その時です。

 

 隣に立っていた彼女が、彼の腕をバシッと叩いて、こう言ったんです。

 

 「ちょっと!何みとれてんのよ!!」

 

 …。。。ミトレテル????

 

 はあっ

 

 なに〜〜〜〜〜っ

 

 

 

 言い訳しているらしい彼と彼女を背に歩きながら、私は悟った気がしました。

 

 そっか、そういうことか。

 

 この、はんぱない色の黒さも、肩幅の広さも、言ってみれば「私らしさ」です。

 

 なかなか、ここまでの方には出会わないので、私の個性・特徴と言っていいのだと思います。

 

 私はずっとずっと、この「私らしさ」を恥ずかしく思い、隠そう隠そうとしてきました。

 

 恥じて隠すことに執着を燃やしまくってきました。

 

 人の目がこの肌の色や肩に注がれないように、一生懸命コントロールを試みていたんです。でも、コントロールはけっこううまくいっていたはずなのに、一度として満足したことがない。いつも悲しかったし、不満でした。

 

 夕べ私がしたことは、「私らしさ」を認めて、それを公表することだったんですね。

 

 そうしたら、いろんな人がそれを認めてくれました。注目するというやり方で、それを伝えてくれたんですね。ミトレテいたかどうかは置いておいても、思い返せば、誰も吹き出したり、眉をひそめたりはしなかった。

 

 私は知らなかったけれど、私の肩は、隠さなくてもいいものなんだ。ありのままで、見苦しくないんだ。ずうずうしいのは承知のうえで思い込んでよければ、見苦しいどころか、ちょっと魅力があったりするのかもしれない!!!

 

 これは、大発見でした。

 

 物心ついてから一度も好きだと思ったことがない自分の肩を、夕べのたったひとつの出来事で、ちょっと好きだとさえ思ったのです。

 

 

 

 執着を手放すためには、まず執着していることを認めなくてはなりません。

 

 何に執着しているのか、その陰にある理由・・・恐怖とか恥ずかしさとか罪悪感とか・・・とともに、意識できれば、進むのはずっと楽になります。

 

 なぜなら、理由がわかったなら、その恐怖に思うこと、恥ずかしいと思うこと、罪深いと思うことをやってみればいいからです。

 

 恐怖や罪悪感が大きいということは、それだけ大きく、あなたがそれを欲しているということだと思います。

 

 私たちが見つめなくてはならないのは、その恐怖や罪悪感自体ではないんですね。恥ずかしさや最悪の事態へのかたくなな備えでもないんですね。

 

 そのネガティブな感情の向こうに隠されている、問題が解決されたあとのすばらしさ、どれほどの恩恵がひそんでいるのか、その恩恵の方に注目していればいいんですね。

 

 その注目こそが、執着を手放す鍵なんだと思うのです。

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

愛と執着 2

 おはようございます。Hikariです。

 

 お盆になると、毎年、とっても眠たい日々が続きます。

 

 この時期に旅行に行ったりすると、だから大変です。

 

 どうしてお盆が眠たいのか、いろいろ聞きかじっていることはありますが、まぁ、そういうことなんでしょう。

 

 ちょっとフシギ系のHikariには、ありそうなことです。

 

 昨日は、朝一度きちんと起きたというのに、朝食をとったらたまらなく眠くなって、次に目覚めてみたらなんと午後1時。うわぁ。前日のうちに休暇もらっといてホントによかったぁ

 

 

 

 さて。

 

 執着心について、お話を始めたところでしたね。

 

 相手や状況をコントロールして、自分の好ましい状態にキープしようとしがみつく状態。

 

 成長しようとする場合、このしがみつきは、きっとマイナスですよね。

 

 よく使われる例えに、空中ブランコがあります。

 

 あなたは自分のブランコを両手でしっかりと握っています。

 

 勢いをつけて揺らしていると、向こうから次のブランコがやってきます。

 

 あのブランコは、自分の体重を支えられるのだろうか。

 

 ちゃんと飛び移れるだろうか。

 

 心配して、今のブランコを握っている間は、隣に移れません。

 

 恐る恐る、片手を伸ばして隣のブランコをつかんでみます。

 

 とりあえず、大丈夫そうです。

 

 でも、完全に移ってしまうのは怖い。だから、元のブランコを持つ手を離せない。

 

 両方のブランコが別の方向へ戻ろうとします。

 

 あなたの両腕は張り裂けそうで、悲鳴をあげてしまいます!

 

 楽になりたかったら、どちらかのブランコを選ばなくちゃ。

 

 元に戻るのか、先に進むのか。

 

 

 

 この、元のブランコを握り締めてなかなか先に進めない様子は、まったく私そのものです。ホント、執着しっぱなしです。

 

 若い頃の恋愛も同じでした。

 

 好きな人ができると、わりと根性出して近づいていくにもかかわらず、なかなか「大好きです」とは言えないんです。

 

 なんとかして、相手が勝手に気づいてくれないかなぁと画策する。

 

 で、相手がそれなりにそばにいてくれるようになると、今度は「離れていかないように」と画策するんです。

 

 どうしたら気に入ってもらえるか、どうしたら嫌われないか、もう頭の中はそれでいっぱい。

 

 腹が立つことがあっても無理に笑顔になったり、本当以上に悲しい顔をして見せたり。

 

 そうこうしているうちに、その人といるのが、どこか苦しくなって、疲れちゃうんです。そりゃそうですよ。とにかく頭を常にフル回転ですから!なのに、気持ちは会いたい、そばにいたい。どうしたら会えるかな?どうしたら少しでも長くそばにいられるかな?どうしたら・・・どうしたら・・・

 

 その心の裏側は、間違いなく「喪失不安」です。

 

 結局、好きだ好きだと思いながら、相手を信頼していないんです。

 

 この人は、普通にしていたら、きっといなくなってしまうと、心のどこかかで確信しているんですね。

 

 もっと信じていないのは自分自身。

 

 ありのままの自分では、愛されるはずがないと、確信しているんです。

 

 だから、小手先のテクニックと画策で、どうにかしようとする。自分を信じていないから、当然相手も信じられないわけですね。

 

 「こんな私に付き合ってくれる人を見つけたのだから、絶対に手放してはならないわっ」と、執着心を燃やすんですね。

 

 こういう思いは、クチに出さずとも、相手に伝わるものです。

 

 「なんだか重たい」「生きてる人と付き合っている気がしない」「何でも合わせてくれるから気持ち悪かった」なんて、言われる原因になるわけですよ〜

 

 ちなみに、このえげつない台詞、全部私が本当に言われたものです〜

 

 そうして、彼らは、そんなえげつない台詞を残して、私の確信どおりに去っていきました。

 

 執着すればするほど、相手は離れていきます。

 

 逆に、執着心を持たない相手は、どんどん近づいてきます。

 

 求められない、奪われない、操られない。そういう相手に、私たちは魅力を感じるのでしょうね。

 

 だったらば。

 

 私たちは、好きになった相手にほど、執着心を持たないほうがよいということになりますよね。

 

 では、どうしたらいいのでしょう?

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

愛と執着 1

 おはようございます。Hikariです。

 

 すっかりお盆休みですね。

 

 月曜日から昨日まで、ふつうに出勤していましたが、日に日に電車に乗っている人が減って、通常ならぎゅうぎゅうと詰め合わせて乗っているのに、悠々と座席に座って本を読むことができました。

 

 今読んでいる本は、ヘッセの『デミアン (新潮文庫)』です。このブログではもうおなじみですね。

 

 手元の新潮文庫版は、平成元年の印刷です。そのころ尊敬していた友人に勧められて読んで以来、私のホームベースのような本になりました。

 

 折々に引いたたくさんのライン。書き込み。もう、売りようもないほど汚れていますが、これが私の『デミアン』です。

 

 普段はすっかり忘れているけれど、何かあったとき・・・何もないというあり方であっても・・・ここに帰ってきます。そうして、またここからスタートする。

 

 あなたにも、ホームベースがありますか?

 

 

 

 さて。

 

 今日からタイトルを変えて、愛と執着のお話をしようと思います。

 

 これはまた、壮大なお話で!と思われるかもしれませんね。

 

 ええ、そうなんです。だから、書きながら発見することもたくさんあるだろうと、私自身が楽しみにしています。

 

 

 

 前回まで書いていた「復讐心」を手放そうと決意した時に、真っ先に向き合わなくてはならないことは、「執着心」ではないかと思われます。

 

 言い方を変えれば、現状維持を望む気持ちです。

 

 復讐心があっては幸せになれないことはわかった。でも、どう変っていったらいいかわからない。わかったとしても、変ってうまくいく保証はない。だったら、今のままでいいのではないだろうか?

 

 そんな感じでしょうか。

 

 また、別の場面で、「あなたがいなくては生きていけない」という告白がありますよね。これもまた、種類は違いますが、執着心だろうと思います。

 

 何か、誰かにしがみついて、手放したくないと思う気持ち。手の中に握りしめて、ずっとこのままで・・・と思う。それが執着心ですね。

 

 執着心の後ろにある本質は「恐怖」でしょう。

 

 怖いんです。

 

 変るのが怖い。失敗も怖い。傷つくのも怖い。なにより、失うのが怖い。

 

 だから手放せない。手放せないから変われない。不幸な人は不幸なまま。不自由な人は不自由なまま。

 

 大好きな人がいるとします。

 

 あなたはその人に優しく接します。笑顔で接します。大好きなんだから当然です。

 

 でも、その優しさや笑顔の理由と向き合ってみるのです。

 

 その人といると、自然と優しくなってしまう。笑顔でなくてはいられない。そんな気持ちなら、あなたのそれは「愛」だと思う。

 

 でも、「優しくしてないとその人に嫌われそうだから」「笑っている方が場が和むから」という理由がみえたなら、それは、嫌われたり険悪なムードになって、その人を失うことを恐れていることになりますよね。だから、あなたのそれは「執着」なんだと思われます。

 

 大丈夫ですよ。人は誰もが「執着」を持っているものです。決して私だけ、あなただけではありません。

 

 だけど、執着というのは、とても自己中心的な気持ちですよね。

 

 つまり、相手を愛しているのではなくて、自分の気持ちを満足させるために、相手をコントロールしておきたいというのが、執着の正体なのではないでしょうか。

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

仕返し 5

 こんにちは。Hikariです。都合で更新時間が遅くなってしまいました。

 

 最近、ふと、なんとなく、呼ばれる気がするのです。

 

 たとえば、ふと、ケータイを手に取るのです。すると、その刹那にメールがきたりします。

 

 たとえば、ふと、窓の外を見るのです。すると、ものすごく美しい夕焼けが広がっていたりします。

 

 その、「ふと」の時に、何か呼ばれる気がするのです。呼ばれるというか、軽い接触があるような感じ。

 

 不思議ですね。

 

 

 

 さて。

 

 私たちの期待や希望に背き、私たちを傷つけ、苦しめ、がっかりさせ続けた人やものごとを、いつまでも恨みに思って復讐しようとしている限り、私たちに真の自由や幸福は訪れなさそうです。

 

 なぜなら、私たちの期待に背き、落胆させられたというのは過去に属する話であるのに対し、復讐は、今から未来にわたって行われます。それをしたところで、過去のその出来事は書き換えられないのです。復讐して、私たちの痛みを相手に思い知らせても、すっきりするどころか、かえって自己嫌悪に陥るだけです。

 

 さらに。

 

 時々、「幸せになるのが最大の復讐」というような話を聞きます。

 

 しかし、これもおかしな話だと思います。

 

 「絶対に幸せになってやる!!」なんて気持ちで、幸せなはずがありませんよね。まして「そうすることが私を踏みにじったあの人への仕返しなんだから!」なんて思っていると、結果的に幸せにはなれませんから、この「幸せになるのが最大の復讐」説は、どうもうまくなさそうです。

 

 では、今まで抱えてきたこの復讐心をどうしたらいいでしょう。

 

 本当に自由で豊かで幸福だと思いながら生きたかったら、この復讐心はじゃまになりそうです。だったら、手放すしかありませんよね。

 

 ここで改めて、許すとか、手放すとかいう、今まで何度もこのブログでお話ししてきた部分にさしかかるわけです。

 

 許せるなら、手放せるなら、こんなに苦労しないなぁ。

 

 うんうん。わかる、わかる。そうなんだよね。

 

 それでも、手放そうって、もういらない!、もうおしまい!って思いたいよね。

 

 私たちに起きる様々な不快や不都合は、実はこの「手放す」練習をするためなんじゃないかと思う、今日このごろなのです。

 

 今日も読んでくださってありがとうございました。
 あなたに、あらゆるよきことがなだれのごとく起きますように。

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