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あなたも幸せ。私も幸せ。


床をコンコンと叩いて、どこがどのくらい浮いているのかを確かめていた元さんは、首をかしげながら何事か考え事をしている。
「すいません、お待たせしました。ホウレンソウの泥がついちゃって。」
「うん?ああ、あのなぁ。」
「はい。」
「あそことこっちの、根太の緩んだところだけちょいと直してと思っていたんだけどな…。」
「はい。」
「どうかね、いっそ、小手先の修理じゃなく、床を全部張り替えてしまったら。」
「張り替え?」
「この板を全部はがして、基礎も傷んだところはしっかり直して、新しい床を張るんだよ。」
「そりゃ、おおごとですね。」
「けど、今やっておけば、この先傷んでくる心配はなくなるな。」
「なるほど。」
「予算をな、いま考えてみたんだけどな…。」
「リフォームなんて範囲じゃなさそうですね。」
「そうだなぁ。マスターがここに越してくることになったとき、ゆかりママがここをリフォームしたのが、ついこの間のことのようなんだけどな。」
「ええ。あれから…6年も過ぎました。」
「6年か。まさか、あの穂高がこの店を継いでマスターになるなんてな。」
「僕だって、ここに来た時には、そんなことになるなんて思ってもいませんでしたよ。」
「うん、うん。ああ、予算だけどな…。」
「ええ。」


気軽にやりますと言える金額ではなかったが、絶対無理なほどでもなかった。
それより、そんなふうにお金や時間をかけて、改修する価値があるかどうかだと、僕は思った。
僕の思い出や、ゆかりさんの思いを考えれば、小紫をよりよい状態に保つことに何の疑念もない。
けれども、この先僕は本当に、この店を守り続けていけるのだろうか。
大繁盛でなくていいけど、誰かにずっと愛される店を持ち続ける力が、僕にあるのだろうか。
誰かに必要とされる続けることが、僕にできるのだろうか。


「ああ、いけない。また元に戻ってる!」
僕は心の中で笑い声を立てた。
違う、違う、そうじゃないんだった。


「元さん、床の張り替え、やろうと思います!」
「おお。いい材料を選んできてやる。」
「お願いします。今までの色でというところは譲りたくありませんが、店の中が明るくなるのもいいかなと。」
「そうだな。長い間についたくすみがない素材の色の床になったら、きっとそれだけで明るくなると思うんだ。これも磨き込んだ味があっていいがなぁ。木の床というのはそういうもんだ。住む人と一緒に熟成されていくんだよ。」
「なるほど…。」
「見積もりを作ってきてやろう。大丈夫、小紫の台所事情はたいがい分かってる。」
「ははは。心強いです。」
「さしあたり今日は、あの入口の緩んだところだけ、直しておこう。客が足を取られたら危ないからな。」
「はい。お願いします。今日のお代は昼飯で。」
「ふん。安く見積もられたもんだが…。半分は趣味だからな。」
「よろしくお願いいたしますっ!」
僕は大げさに頭を下げて見せた。



価値は、そこにある固定のものではなくて、加えたり育てたりできるものだ。
床を新しくする価値は、客や景気にあるのではなくて、僕自身がどう思うかだ。


そうして、金をかけて新しくきれいにした小紫を、僕が相応に経営できない時には、僕の代わりにやってくれる人を探せばいい。
ゆかりさんが、そうしたように。
誰かに必要とされることを願うのではなくて、自分にできることを自然体でやっているということが、すでに必要とされているということなんだと、僕は学んだのだ。



「おおい、マスター。」
外に道具を取りに出ていた元さんが戻ってきた。
「はい?」
「リクエスト、していいか?」
「はい、なんなりと。」
「今日の昼飯は、から揚げ弁当にしてくれ。」
「いいですよ。揚げ物が食べたくなるなんて、胃腸が元気な証拠ですねぇ。」
「ふふん。4人分作ってくれよ!」
「え?」
「突然だけど、長さんも誘ってさ、宮田先生んちの庭で食おうかと思ってさぁ。」
「おお。それはいい考えだ!」
「あそこの花見はいつも夜になるじゃないか。たまには昼間に桜吹雪を浴びながらのんびり見るのもいいんじゃないかと思ってさぁ。今日は本当にいい天気になったからなぁ!」
「わかりました。任せてください!うまいから揚げ弁当作りますから!」
「よし、じゃ、こっちもやっちまおう。」



今日も、いい日になりそうだ。






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春が来た。
僕が小紫に来てから7度目の桜が咲いた。

街のいたるところで、例年になく寒い日が続いて開花宣言されてからもなかなか満開にならなかった桜がやっと咲きそろい、淡い桃色の香りを漂わせている。
行き交う人々の声も、冬よりはいくらか高く、元気を増したように聞こえる。
僕の胸にも、明るさと力強さが湧いてくるような気がする。


「マスター、ビール持ってきたよ。ここに置いていい?」
解体業でもするようなつなぎ姿に金髪で、ビールケースを抱えて現れた青年は、先月から酒屋のバイトを始めた達也君だ。
「そこね、いま片付けの最中でちょっと物を移動させるから、そのままドアのところに置いておいて。」
「はーい!」
姿の割には素直で気持ちの良い返事をする。
年のせいで配達が苦痛になってきたと嘆いていた酒屋夫婦は、こんな働き者のバイトが飛び込んできて大喜びだ。
バイトにしては破格の給料を支払っているという噂を耳にしている。
それで、達也君もますます気を入れて働くのだろう。
この展開には、きっと僕も一役買っているに違いない。


「おい、マスター。来たよ。」
小紫の正面の入り口から堂々と入ってきたのは、仕事着に大工道具を抱えた元さんだ。
サラリーマンと違って定年退職しなくていい職人の元さんは、社長業もそのままに、悠々と仕事を楽しんでいるように見える。
今日も血色がいい。
「ありがとうございます。ここなんですけどね…。」
「ああ、任せとけ。こんなの工賃もらうほどでもない簡単な仕事だよ。」
いつもビールケースを置くあたりに椅子を、カウンターの中にテーブルを移動させておいたから、床が広がって見える。
床板のところどころ傷んで、浮き上がったところがあるのだ。
床にしゃがみこんだかと思うと、元さんはあちらこちらを金づちでコンコンと叩き始めた。
浮き具合を確かめているのだろう。
コンコンコン、コンコンコン。
リズミカルな音を聞きながら、僕は机で埋まったカウンターに、つま先立ちで身を細めて入った。

今夜のメニューは何にしようか。
奥の厨房へ戻りながら、冷蔵庫の中を頭に羅列してみる。
「マスター、いる?」
勝手口から声がかかった。
「いますよ。ああ、そこ、ビールケースがあるから気を付けて!」
「はいはい、見えてますよ。」
僕が急いで勝手口に向かうと、声の主は両手いっぱいのホウレンソウを抱えて待っていてくれた。
「スミさん、ありがとう。」
「まだ少し早いかもしれないけど、よく茂ったから、間引きも兼ねてね。」
「ええ。いいですね。柔らかくておいしそうですよ。」
「よかった!それで、次に植えるものは考えておいてくれた?」
「それなんですよね。ゆかりさんならどうするかと思うんだけど、いろいろ浮かびすぎて決まらなくて。」
「そうかい。サキエさんたちが、ソラマメはどうかなんて言っていたけどね。」
「あれ?ソラマメって、冬の前に植えるんじゃなかったかなぁ?ゆかりさんと蒔いたことがありますよ。」
「ああ、それは種で植えた時だね。サキエさんたち、どこだかでしっかり育った苗を見つけたそうだよ。」
「そういうことですか!それならいい。6月ごろに収穫できたらいいなぁ。」
「ふん。では、ソラマメをたっぷり育てようかね。」
提案が採用されたからだろう、スミさんの頬に朱が指して、日焼けした顔いっぱいに笑顔が広がった。
「はい、お願いします。」
「任せとけ!」
僕に土がついたままのホウレンソウを押し付けると、スキップでもしそうな足取りで帰ってしまった。
ソラマメはいろいろな料理に使える。
僕はすっかり楽しみになってしまう。

ゆかりさんが大切にしていた畑は、僕の力だけではどうにもならないので、今では街のお母さんたちのお願いして、管理してもらっている。
バイト料というよりはお駄賃みたいなものしか払えないのに、お母さんたちは親身に通ってくれている。
僕にとってもありがたいが、お母さんたちにも、生活に張りができたのだとかで、とても喜ばれているのだ。
彼女たちの元気な姿を見、明るい声を聴くのは本当に清々しい。


「おおい、マスター、ちょっと来られるか?」
振り向くと、元さんが立ち上がって、作業着の袖で額の汗をぬぐいながらこちらを見ている。
「はい。ちょっと野菜を置いてきますね。」
「おお。」


僕の小紫は、今日も元気いっぱいだ。





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いま、これほど穏やかで、人の心の機微を知り、温かく包み込むようにいてくれるゆかりさんが、幼少の頃はけして幸せとは言いがたい育ち方をしていたことに、僕は言葉にならない衝撃を受けていた。
その告白にも驚いたが、それを聞いて「あなたはとびきり幸せな人だ」と言った、和尚さんの言葉にも驚いた。
父親がいなくても、あの母と姉がいた僕の子どもの頃から、ふたりを取り除くことなど想像すらできない。
なのに、とびきり幸せとはどういうことだろうか。

「幸せでしょうか?」
ゆかりさんも同じように感じたらしく、和尚さんの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「ええ、ええ。お幸せですよ、ママさん。」
その場にいた誰もが、疑問を浮かべたに違いない。

「忘れがちだけれど、この国も、大きな戦争や災害をいくつも経験しています。
その時には、 ママさんのようなお育ちをした人々が大勢いましたろう?」
「ああ、そうだなぁ。」
「ご苦労はされたでしょう。
けれども、その方々すべてが不幸だったのでしょうかな?」
「そういうわけではないよなぁ。」
「その通り。
そういうわけではない。
よろしいか?
幸せとは安心だと先ほど申し上げた。
そうしてなぁ、安心するために必要なものなど何もないのじゃよ。
ただ、安心だと知っておればよい。」
「え?」
一同、眼を見合わせた。
今夜はこんな瞬間がたくさんある。

「安心でいるためには、ただ安心だと知っておればよい。
親も金もいろいろなものも、あればあるに越したことはないが、必須条件ではないということだなぁ。」
「そんなことってあるんですか?」
「おお、あるある。
我々は空だと言ったろう?
つながっておる。すべてがそこにある。
もしも足りないところがあれば、補われて当然なのだなぁ。」
「補われる…。」
「親がなくとも、同じような愛情を注いでくれる人物が必ず現れる。
金がなくとも、いずれは回ってくる。」
「そんなものでしょうか?」
「おお。そんなものだと、ママさんは己が人生をもって、証してこられた。
それは、同じような状況で生きることに疑問をもつ人々の大きな勇気となろう。
尊いことじゃし、これほどにわかりやすい『生きる意味を持った人生』もまた、そうはなかろう。」
「ああ…!」
「だから、あなたはとびきり幸せな人だと言ったのだよ。」

だんだん、分かってきた。

「安心というものを、もう少しわかるように例えるならば、貯金のようなものだな。」
「貯金、ですか?」
「そう、そう。」
「空という銀行に、貯金がしてあると思ってみるのじゃよぉ。
ところが、その貯金のしかたは、人それぞれじゃ。
前世や親御さんが善根を積んでくだされたおかげさまで、最初から空銀行に大枚が普通預金になっていて、いつでもほしいだけ引き出せる人がおる。」
「それ、いいねぇ。」
八百屋の長さんが大げさに頷いたので、一同微笑んだ。

「ところが、金融商品というのは、普通預金だけではなかろう?」
「確かに!」
「中には定期預金になっている人もおる。」
「定期?」
「途中解約すると利子はつかないけれど、期限まで待てば少しは増える。
元本割れする心配はない。
いつでも引き出せるわけではないが、なくならないから安心じゃ。」
「おお。」
「しかし、それではつまらんと言う人もおろう?
そういう人は投資信託なんぞが買ってある。」
「投資信託?」
僕はお金の話に疎い。
「プロが運用してくれる株式投資と思えばよい。
うまくすればたいそう増える。
そのかわり、うまくいかなければ元本割れの危険もある。」
「あー、それがリスクってやつですか?」
「そうそう。
先に生活費にしたいと引き出してしまえば、元手が減って、増やせる幅が小さくなる。
我慢して運用しておけば、大きくなるかもしれん。」
「おー。『かも』…。」
「そうしてなぁ、中には、持てるすべてを『年金』にしている者もおるのじゃ。」
「ね、年金?」
「支払いは、65歳になってからじゃ!」
一同、なぜか腹を抱えて笑ってしまった。

「どちらにしろ、持っておるのだよ。
心配ない、ない。」
「ほぉ!」
「ところが、誰もそうとは知らんのじゃ。
そこに、我ら宗教人の存在価値がある。
我らはもっともっと伝えねばならん。
我れはひとつながりの空のようなものであって、境目もなく、不足もないとな。
安心していてよいのだとなぁ。」


僕はこの時の話がたまらなく面白くて、しかも、心が豊かになったような気がして、大好きになった。
楽しかった。
ゆかりさんも、心の中で合点がいったのか、いつもの朗らかな笑顔にもどっていて、もう一つ何か料理を作ろうと、僕を連れてカウンターの中へ戻った。
「このお仕事をしていて、最高に素敵だと思うのは、今夜のようなことがたまにあるからかしらね。」

そうかもしれないと、僕も思った。






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人とは空のように自由で際限がなく、つながりあっていて、失いもせず、元々すべてを持っているのだと聞かされて、僕は母さんや姉さんのことを思い出した。
僕にとって、それは当たり前のことだった。
でも、誰にとってもそういうわけではないと、この夜、僕は知ることになる。


「あの、差し出がましいのは承知なのですが少しお話をさせていただいても?」
ゆかりさんがそっと言い出たことに、僕はいくらか驚いた。
お客様一番の彼女が自分の話したいことを優先するなど、かつてなかったからだ。
「いいですよ、どうぞどうぞ。」
和尚さんとともにやってきた檀家さんたちが朗らかに答える。
「ありがとう存じます。」
ゆかりさんはしんみりとした顔で会釈をした。

「何かな?」
和尚さんがゆかりさんに言葉をかけた。
その声を待つようにして、ゆかりさんはゆっくりと話し始めた。

「穂高は、親御さんの深い愛情に恵まれて育ったようです。
それがどれほどありがたく、幸せなことかは疑う余地がありません。
人がみなそうであれば、この世から不幸な人はいなくなるでしょう。
でも、和尚様はすでにご存じのとおり、世の中で、そんな幸せな人は稀です。

こんな時に私のことで恐縮なのですが、長い長い間の絶望と疑問なのです。
どうかお話しすることをお許しください。

私は母を知りません。
私の母という人は、私を15で産むと、育てようともせず、私を見捨てたそうです。
今と違って、そのころはそんな歳で子を産む人はけして珍しくもなかったでしょう。
でも、母は私を育てようとはしなかった。
理由は知りません。
もとより、父親が誰だったのかも分からないのです。

折りも折り、日本は戦後の復興への道を歩き出したところです。
まだ子どものような母に、私を育てることがとても大変だったのだろうということは容易に想像がつきます。
どのようにして妊娠したのかも…それが母が望まぬことであったのだろうことも、分かる気がするのです。

ある日、母は乳児院をしていた篤志家のところへ倒れ込み、私を産んだそうです。
大人たちは母にいろいろ問いかけたそうですが、名乗りもせず、ただ15歳だということと、身寄りがないことだけを答えたそうです。
そうして、私を産み落とし、一晩もたたず、まだ自分の身も落ち着かないうちに、母は姿を消し、二度と現れませんでした。

そのようなわけですから、私は気付いたら、愛情に飢えた血のつながらない同年代の子どもたちとともに育つしかなかったのです。
私はいつでも不安でした。
自分がそこにいていいとも思われず、愛されているなどと考えることも感じることもありません。
油断すれば奪われ、求めなければ得られず、求めても得られない経験ばかりが増えるのです。
いろいろな人から殴られ、蹴られ、暴言を吐かれました。
自分が生きていることは罪悪だとしか思えない子供時代でした。

私は母と同じ歳になったころ、孤児院を飛び出して、ひとりで生きるようになりました。
そんな女が夜の世界と縁を持つのは当たり前のなりゆきだったのでしょう。
でも、人を信じることができず、自分を信じることもできない私が、人様をおもてなしするなど、できるはずもないのです。
どのような目に遭い、血を吐くような思いをしたかなど、お聞かせするのもお耳汚しなばかりです。

それでも、私がいくらか人らしくなれたのは、亡くなった夫との出会いがあったからでした。
今でも思うのです。
私はあの人に出会わなければ、安心とか、自分に居場所があることだとか、自分にも人様にして差し上げられることがあるなどということに気付くことはできなかったでしょう。
そう思うと、恐ろしくて身震いするほどなのです。

夫は本当にできた人でした。
彼だから、私のような者ともつながり合えたのだと思います。
そうして、この穂高もそうです。
生まれながらに幸せを持っている、とびきりできた人でなければ、私のような傷者とは付き合い切れないのでしょう。

和尚様。
穂高が幼いころに母上から与えられたようなものを受け取れない子供たちは、いったいどうしたらよいのでしょう。
時間がたてばたつほど痛みは深まり、不安は募り、心がひねくれてしまいます。
幼いうちならば諸手を広げて受け止められたものでも、ひねくれてしまってからでは受け止めるだけでも一苦労です。

私はどうしてあのような目に遭わねばならなかったのでしょう。
母と聞いても会いたいとすら思わず、恋しいと思ったこともない。
それを世間は悲しいと申します。
けれど、その悲しみは私のせいなのでしょうか。
私が母を恋い慕って泣き続ける子であったなら、もっと早くに安心や居場所を見つけたのでしょうか。
幸せな子どもになれたのでしょうか。」



どれも、初めて聞くことばかりだった。
ずっと常連でいた元さんや長さんや宮田先生も、どうやら初めて聞いた話のようだ。
和尚さんは途中から目を閉じ、言葉のわりには激しさを帯びないゆかりさんの声にじっと聞き入っていた。
ゆかりさんがそんな人生を送ってきたなどと思いもしなかった僕は、声を出すことすらできなかった。

「そうよな…。」
和尚さんはそろりと目を開けると、つぶやいた。
「よくぞ生きてこられたなぁ。ありがたいことだ。」
深く温かい声だった。
「そうしてなぁ、やはりあなたもまた、とびきり幸せな人なのだなぁ。」

えっ?というように、ゆかりさんの目が大きく見開かれた。
僕は今の話に「幸せな人」を見つけるのは難しくて、よいご主人に出会えた幸運のことを言っているのだろうか?、それでは子どもの頃のゆかりさんは?と疑問に思った。

ふと、空を思った。
この話をしている今も、屋根のずっとずっと上には、何十年前と何一つ変わらない空が広がっている。
空から見たら今僕が聞いた話は、どう見えるのだろう?
僕には分からなかった。







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「幸せというのはなぁ、安心だということなんだよ。」
「安心…。」
「そうだよ。自分の安心がまずあって、そこから冒険心だの、人への思いやりだの、未来への希望だのが生まれてくるんだよ。そのことを理解しておかねばならん。」
「安心…。」
「安心は、生きる基盤だな。
土台といってもいい。
そこががっしりと固ければ固いほど、飛躍もできるし、安住もできる。
ぬかるみの中に立っていては、飛び上がりもできなければ、立つのも難しかろう?」
「確かに、確かに。」
「世間でもよく耳にするだろうが?
あれほどの金持ちの家なのにもめ事が絶えず、少しも幸せそうに見えないだとか。
物持ちであっても、安心がなければ不幸なばかりじゃなぁ。」
「あー、あそこんちもそうだったなぁ。」
うんうんと頷き合ったのは、和尚さんと一緒に来た檀家さんたちだ。
身の回りにあったことらしい。
「土地も山も会社まで持っているのに、不平不満だらけでたまらん御仁がいるんですよ。
ほんとは付き合いたくないんだが、寺にとってはありがたいお布施をたんまりと…。」
「これこれ、品のない。」
和尚さんが芸人のように手を動かして話を制した。

「では、人はどうならば安心なんだろう?」
「そうそう。そのことよ。」

僕はその話を聞きながら、ふと母さん、姉さんと3人で暮らした子どもの頃の、小さなアパートを思い出した。
母さんはいつも笑っていて、姉さんが作るめしはいつも美味かった。
贅沢なものは何もなかったけど、楽しくて安心で大好きだった。

でも、楽しくて安心で大好きでない場所が家の外にあったから、家の中が一層好きだったのだ。
父親がいないことを、幼い者同士の愚かさで、からかわれたり腹を立てたりしたことがあった。
いつも同じ服を着ていると笑われて、恥ずかしいと思ったこともあった。
給食費がすぐに払えなくて、先生に困った顔をされたことも思い出す。

そのたびに、僕は、学校には僕の居場所がないのではないか、友達に見える人たちも、本当は僕のことが嫌いなのではないかと思ったものだ。
何か話すたびに、また可笑しなことをと馬鹿にされるのではないかと怖かった。
電気代を節約するのと、母さんたちと話していればそれでよかったので、うちはテレビをあまり見なかった。
だから、仮面ライダーの話にもついていけなかった。
子どもの僕にでも分かっていた。
そういう時は、ヘンに知ったかぶりをして何か言うほうが恥をかく。
笑顔で黙っていれば、わけのわからない会話はいずれ過ぎていく。

それに比べると、家で、姉さんに着替えを手伝ってもらって布団に潜り込み、隣に母さんが添い寝してくれて、「おやすみなさい。よく眠ってね。」と頭をずっとなでてもらえるあの安心感は、他にたとえようもないものだった。
それは、僕が病気の日でも、元気な日でも、怒って拗ねていても、叱られた後でも変わらなかった。
母さんや姉さんが僕を拒絶する可能性など、1ミクロンも考えたことがないほど、完璧に安心な場だった。

「和尚さん!」
僕は仕事を忘れカウンターから出て、和尚さんの後ろに近づいた。
「こちらへお座り。今夜はもうほかの客が来なくてもよいだろう?」
「あの…。」
僕は会釈して、和尚さんが指した椅子に座ると、和尚さんに聞いてもらいたくて、乗り出すように語った。

「僕の安心は、小さい頃に家族から教わった気がします。
子どもの頃は、家族といれば安心で、家族と離れると不安で…。
でも、いつの間にか僕は、家族と離れている時間でも、一緒にいるときと同じ安心を持ち歩けるようになった気がするんです。
不安なことがあっても、いつかは通り過ぎることが分かっているし。」

「でかした!」
高齢の和尚さんが思わぬ大声を出したので、僕らはビックリしてしまった。
「そうなのじゃ。そうなのじゃ。
安心は、条件でできるものではない。
最初に受け取って、気付いて、気付くといつも身に沿うものなのだなぁ。
そうして、安心の目からみれば、困ったことも流れて消えていく、泡のように見えるものなのだよ!
それこそが、悟りなのだなぁ。」
「ええっ?!」
今度は僕だけがビックリした。ほかの人はポカンとしている。
「僕が悟ったと?」

「考えてもごらん。
空は、己が消えてなくなるかどうか、悩むだろうか。
全てがおのが内にあるというのに、何が増え、何が減った、何が奪われたと悩むだろうか。
空から見れば、朝も夜も同時に起きている。
夕焼けも台風も、全て移り行くさざ波のようなもので、全てがそこにあることに変わりない。
われらは、自分をそのようなものだと知ることで、安心できるのではないかなぁ。
どのような辛い日も、刻々と過ぎてゆく。
どのような楽しみも、刻々と過ぎてゆく。
その辛さや楽しみにのみ心奪われてしまってはならぬ。
空の視点に立つのじゃよ。
空の視点に立てば、実は目の前にあること以外にも、多くのものがあるとわかる。」

僕らはそれぞれの思いで和尚さんの言葉に聴き入った。

「波立つ心を無理に抑えて、平常心を保とうなどと思う必要はない。
波立つ心はいずれ収まる。それが波の本性だからだ。
憎しみも妬みも、汚い思いと自責の念に駆られる必要もない。
憎しみや妬みを抱え続ける如く、執着するのは空の本質ではない。
憎み妬む自分をあるがままに見つめていれば、それらの思いもいずれは消える。
移り行くのが思いの本性だからだ。
したいことがあるなら、すればよい。
したくないなら、せぬがよい。
我らは、そのようなものだと、思うがよい。」


したいことがあるなら、すればよい。
したくないなら、せぬがよい。

和尚さんのこの言葉が、僕の心にこだました。
そうか。
僕は、社会的な評価の高い生き方はしてこなかった。
体も弱いし、気も弱い。
でも、したくないことを無理にする人生は歩んでいない。
ふと出会った血のつながらない人と家族のように仲良く暮らしている。
こんな不可思議な人生と思わぬではなかったけれど、思えば姉さんも同じようなものだ。
だとしたら、僕と姉さんの心の中に、何物にも代えがたい「安心」という財産を遺してくれた母さんがいてくれたからだと、今さらながら深く理解した。
母さんは、お金も土地も持っていなかったし、苦労のし続けで長生きもしてくれなかったけれど、誰にも盗めず、燃やせもしない、ものすごい財産を溢れるほどに遺してくれたんだな。
この財産が、僕を幸せにしてくれているんだな。
母さん、すげえ!
あなたは、ほんとにすごい人だ!

「母さん…ありがとう。」


僕はこの夜聴いた和尚さんの「空の話」を、一生忘れまいと心に刻むことにした。





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